SSSまとめ3
「全部、お前からだった」
ひんやりとした石造りの神殿の中に横たえられている一つの棺。その蓋が重厚な音を立てながら開かれていく。その傍らに立つのは、かつての双子座の聖闘士・サガの影として宿命づけられた双子の弟であるカノンだった。
「影として感じていた妬み、光に慣れないもどかしさ、怒り憎しみも呆れも全部全部お前から与えられたものだった」
ぼんやりとした声で呟きながら、棺の中に入れられている塵を手にすれば、さらさらと指の隙間から零れ落ちていく。海の緑を宿す光の失せた瞳で、未だに復活の兆しを見せない仮初の命を終えたままの状態の”兄”をカノンはただただ見つめていた。
聖戦が終わり神々の協定が結ばれ、死んでいった聖闘士達は再びの命を与えられたが、ただ一人サガだけが復活を果たさないままでいる。サガが齎したかつての混乱とその罪は彼自身の死によって贖われた。そして冥王の走狗と成り果てて慟哭の血の涙を流しながらも、どこまでも女神の聖闘士だった、兄。
「だけどそんな俺に双子座の聖闘士として期待をかけていたのも、償いを終えて戻って来いと手を差し伸べていたのもお前だったと今なら思える」
自分は女神の愛に触れ改心し、蠍座によって許しがたい過去を断罪され黄金聖衣を纏う資格を真に与えられた。そして最期は三巨頭の一人を道連れに、冥界の空へと悔いなく散った。悪行三昧をしていた自分にさえ降り注いだ女神の慈悲に身も世もなく縋りついたのは、ただ一つの想いからだった。

やり直したい、今度こそお前と。
だが何故お前は戻ってこない?

そんな衝動に駆られて兄の”身体”を握りしめてしまう前に、カノンは慎重に掌の中にある”サガ”を石の棺へと戻していく。
「…そして、俺を一人にする、の、も…」
かつて、完璧であれと思い込んでいた彼の頑なな心が溶けないのがもどかしくて、悪を囁きかけた結果、水牢へと置いていった兄。海の底で野望を温めながら、愛していた記憶をひたすら憎しみにすり替えようと躍起になっていた自分を捨てて置いて逝った片割れ。そして今もまた半身は生きることを放棄したと言わんばかりに、カノンの指先や掌になすがままの状態に留まっている。
「サガ…っ!」
ぽとり、と棺の中に収められた粒子の肉体に透明な雫が一粒零れ落ちる。そうされても尚、”サガ”は弟の呼びかけに答えないまま、静謐な空間に待ちわびる者の悲しみの音を慰めるでもなく、たださらりとそこに在るだけだった。

いつだって君だった 憎しみも愛しみも、与えてくれたのも、全て 創作向けお題botより

空間を開いて聖域から異次元を渡り、静かに凪ぐ海面から続くぽかりと口を開いた空洞へ、サガは一瞬ためらった後、意識を刈り取った弟の身体をその中へ無造作に投げ込んだ。 神話の時代よりスニオン岬の崖の遥か下にあるこの岩牢は、女神が敵の捕虜を懲らしめるために設えたと言われており、険しい道のりに加えて足場も悪いことから、一般人は立ち寄ることすら出来ない。女神が降臨するまでこのスニオン牢は単なる洞窟にしか過ぎず、そこに例え悪人を入れても神の力で封じられることはなく、人為的に施錠をし見張りを立てねばならない一般の牢屋と同じであるとサガは知っていた。 だが女神が降臨した今、本当に双子の弟であるカノンが聖域に対しての悪意を持っているのなら間違いなくこの岩牢のシステムは何の狂いもなく働きだすだろう。 (そんなことはあってはならぬ、カノン、お前はそこまで愚かではないだろう) 心に過ったその感情は聖闘士としてのものではなく、肉親として祈る最後の情の一かけらだった。 だが、そんなサガの想いも空しく、今まで静かだった海は不遜な考えを持つ罪人が投げ込まれた怒りを表すようにたちまち荒れ狂う。 「う……?」 そしてその荒波に揉まれ目を覚ましたカノンはぼんやりとあたりを見渡していたが、黄金聖衣を纏う兄が囲いの向こうにいることを認めた瞬間、脅しでもなんでもなく、サガが自分を棄てる腹積もりであったことを一気に心で理解した。 「出せ! 俺をここから出してくれ!!」 必死に叫ぶ弟の姿を、サガはただ静かな面持ちで眺めていた。 もはや言い逃れは聞かない。カノンがどんなつもりであったとはいえ、聖域を統べる教皇と次期教皇であるアイオロス、そして女神を殺そうとしたのは紛れもない事実であることをこの牢獄が証明したのだから。 「…っ、カノン、その岩牢からは神の力を持ってせねば生涯出られはせん」 耳をつみさくような波の音の中で、自分の声が耳障りなほどはっきりと響く。 「お前の心の中の悪魔が消えてなくなるまで入っているのだ。女神の赦しが得られるまで」 憎々しげにこちらを見据えるカノンの瞳をこれ以上見たくなくて、サガはくるりと踵を返す。 その背後から聞こえてくる自分に向けられた、波の音以上に激しく鼓膜を突き破るほどの弟の怨嗟の声。 (棄てるつもりなど、殺すつもりなどあるわけがない!) 本当に聖域の不穏分子として処分するのなら、あの場で息の根を止めていた。カノン自身が言っていたように、この聖域には自分たちが双子であることを知っている者などいないのだから。 そのことを伝えたいと歩みを止めてしまいそうになるサガの両脚は、早くここから立ち去れと荒波に追い立てられるように進められていく。 ――…か弱き母よ。愚かな夫とはいえ健気に支えていた者無くして、お前はお前で居られるか? 「サガよ! 俺はいつまでもお前の耳元に囁いてやるぞ! 悪への誘惑をな!!」 背後から響くカノンの声が、脳内で蠢くように囁かれた声にぴたりと重なり合う。 ――…本当に女神の赦しが必要なのはどちらかな? 「サガよ! お前の正体こそ悪なのだ!!」 尚も重なり合うその声に一瞬だけ足が止まるが、再び振り切るように歩きながら密かに誓う。 (その時は私が入る番だ。女神の裁きを受けるために) 幸いにも聖域で自分とカノンが双子であることを知る者はいない。カノンが真に禊を終えて戻って来た際は、喜んで自分がこの牢獄に入ろう。この心に巣食い、自分を蝕み始めている”息子”と共に。 (おこがましい願いだとは重々承知です。ですが女神… これが一時の別れにしか過ぎぬよう、我々の最期の邂逅にならぬよう、どうかあなたの大いなる愛で、弟をお守りください…) 弟の声が完全に聞こえなくなった場所でサガは足を再び止めて空を仰ぐ。生誕したばかりの女神へと真に祈りを紡ぐために閉じられた春を宿す緑の瞳からとめどなく溢れる涙は、聖域へたどり着くまで止まることはなかった。

いっときの別れに過ぎないとそう思った そして、いっときの迷いであるようにとどれほど願ったことだろう 創作向けお題botより

【もしも魔法が使えたならば】(カノサガ)元ネタ 「必要ない」 「小宇宙があるからか」 「それもあるが」 サガの肩にかかるカノンの手がそのまま強く兄を抱き寄せる。 「そこまでして欲しいものなど、お前以上にあるものか」 真っ赤になって口を開きかけたサガの唇にカノンのそれが重なったのはその直後の事だった。 【これ以上甘やかして、どうするの】(カノサガ)元ネタ 「何を言うか。まだ全然足りん」 はた目から見てバレバレなほどに自分を甘やかす弟へ苦言を呈したところ、何を言っていると言わんばかりの表情と声音で返されたサガは思わず呆気にとられてしまった。 「13年…いや、それ以上に俺はお前に甘えていた。その分まで甘やかさせてもらうからな」 きっぱりとそう言い切ったカノンに対して、サガの頬は段々と熱くなっていく。 「…勝手にしろ」 ふい、と視線をそらしながら吐き捨てた可愛げのない言葉。そんなサガの頬に宛がわれた掌はどこまでも優しくて。 「ああ、勝手にする」 ぐい、と逸らした顔を元に戻され、これ以上にない位、愛しいと想える弟の優しい海の緑の瞳とかち合う。 「…っ」 その視線だけですら甘やかされていると感じるほど、蘇ってから大切に扱われてきた。大切に想っていたにせよ自分はこんな風に弟を甘やかしてきたことなどないのに。 突き上げられる思いのまま、カノンの首に腕を回しそのまま顔を埋める。 (大切にしたい、もっと、目に見える形で) カノンが与えてくれる優しさを少しでも返したいと知らず両腕に力が込められていくサガの行動に何を言うでもなく、カノンの手は変わらない優しさを持って海の蒼の髪を撫で続けていた。

(2017/12/10)

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