お前好みの触り心地
「温まった部屋にどてら、足にはもこもこのスリッパにお茶と茶菓子…」
目を細めながらゆっくりと温かい番茶を飲み干すどてら姿のサガ。そんな兄の姿を眺めながら、お揃いならばと妥協して購入した自分用のどてらに身を包んだカノンが何となしにつぶやいた。
「幸福そうだなお前」
「うむ、これ以上ないほど幸せだ…」
今までの人生を思えば無理はないが、生き返っても尚、この双子の片割れが良く見せていたのは悲愴な面持ちばかりだった。そんなサガが素直に認めた幸せに、お前の幸せはそんなに安くて良いのかと思わないわけでもなかったが、あまりにもうっとりと心地よさげに呟く兄の姿は見ているだけでも幸福そうで、それはそれでいいかとカノンは苦笑した。
「ああ、でも」
自分たちの掌の中にすっぽりとおさめられてしまう程の小ぶりな饅頭の包装を剥がしながら、サガは隣に座る弟の口元にそれを宛がう。お前が先に食べろと言ってはみたが、私は良いから先に食べなさいという、何かと己に自らの手で食べさせたがる兄のささやかな希望と好意に素直に甘えることにしたカノンは小さく口を開いて受け入れた。
「しいて言うなら膝にも温もりが欲しい」
「ん?」
しっとりした餡と黒砂糖を練り込んだ皮が絶妙にマッチする饅頭を黙々と咀嚼しながらカノンは、ぽん、と軽く叩かれたサガの膝に視線を落とす。黒のスキニ―パンツだけでは確かに寒いとは思うが、その上には大きすぎず小さすぎないフリース素材のブランケットがかけられており、暖が取れない訳ではないのは見て取れた。
「それだけじゃ寒いのか?」
「いいや、そうではなく…」
はにかみながら幸せを享受していたはずの兄の顔が少し曇る。言うか言わないかどうしようかという表情に、双子の勘が働いたカノンはにんまりと悪戯を思い浮かべた笑顔でサガの顔を覗き込んだ。
「何だ? 俺には言えないようなことか?」
ワザとにからかい口調で訊ねれば、そんなことはない!とムキになるサガが可愛らしくて仕方がない。外では模範的な聖闘士として上手く猫を被っていたのは昔からだが、本来のサガは割と顔や態度に出やすい性質だ。それによって痛い目を見たことはすでに過去の話であり、昔も今もそんな双子の片割れを間近で見ることが出来る特権を持つのは自分だけであるし、誰にも譲るつもりはない。他人から見れば重度のブラコン乙と生温い視線で見られるのは間違いなしの決意を密かに固め、カウチソファの背もたれに置いた腕をじわじわと動かし距離を詰めてくるカノンに、判った、言うからとサガは降参の意も込めて両手を顔の前に挙げた。
「その…膝の上にな、猫がいればと思ったのだ」
猫。
地中海を挟んだ向かいの国では古くから大層重宝されたと言われる動物であり、現在においてもその愛くるしさは、ギリシャを始め世界中の人間達を虜にしてやまない。
昨今では世界各国で暗躍するNNNと呼ばれる謎の地下組織もあるそうで、その部隊は神直属の使命を授かった者達で結成されているのだという情報も流れているが、その全容は未だ謎に満ちている。
ぽかんとするカノンを尻目に、先ほどよりも蕩けきった表情で、サガはふわふわと語り出す。
「心地よい重みと弾力、ふわふわとした毛並、ころころと膝の上を転がる愛くるしい姿があればもっと幸福だろうなと思ったのだ」
冬の息吹が濃くなる聖域の中で、双児宮のこの一角だけは兄の醸し出す雰囲気によって春のような空気に満ちている。しかし隣にいるカノンの心中には、極寒の国アスガルドよりも激しいブリザードが吹き荒れていた。
恐らくだがここ数日寒い日が続いたこと、それを補うどてらの温かさに更に付随したもこもこスリッパの温もりのせいで色々とタガが外れてしまった心の隙を突かれた形で、兄はNNNの毒牙にかかってしまったのであろう。
それはカノンにとって非常に由々しき事態であることを示していた。老若男女を虜にした兄の事だから、きっと毛むくじゃらの動物もたちまち兄に骨抜きになってしまうことだろう。そしてそいつらは自分を下僕として扱いながらサガの前では上手く立ち回り、膝だけに留まらず、銀河を砕く技を繰り出すが自分の前でだけは癒しの力を持つ両の腕、否、サガの全てを、冬の間とは言わずに年中無休で独占するであろう未来が訪れるのは火を見るよりも明らかだった。
断じてそんなことはさせんと叫ばなかったのは、人としての最低ラインの矜持からである。サガが幸福であるのは結構なことだがそれと引き換えに自分が不幸になるつもりはさらさらない。
だから温かさにトリップしている兄が、近くのロドリオ村で見かける猫たちの中から眼鏡にかなう存在を選んで自宮へ連れてくるのは時間の問題であると直感し、今生こそは二人揃って幸福になるのだという決意を固め、そのためにはどうすればいいのかとコンマ一秒で考えを弾きだしたカノンが取った行動は、サガの思考を引き戻すことに成功した。
「ん?」
不意に背もたれにかかっていた腕が退かれ、どうしたのかと訝るサガの膝上に加わる重みと感触。遅れて下げた目線の先には、不機嫌な小宇宙を放ちながらサガの膝に頭を載せ、腰に両手を回し、ギュッと腹に顔を押し付けているカノンの姿があった。
「…カノン」
「うるさい」
「まだ何も言っていないのだが」
「うるさい」
それしか言葉がないかのように、カノンはサガの腹にぐりぐりと顔を押し付ける。そんな弟の判りやすすぎる独占欲に思わずくすりとサガは笑った。
「そうだな、私にはこの大猫が一番相応しいようだ」
自分に比べて幾分か癖のある少し硬い髪に指を通しながら、優しく撫でてやると、不機嫌さが滲み出ていた小宇宙がたちまち穏やかになっていく。
「ふん、判ればいいのだ」
そう言いながらも撫でるのを止めようとすれば先を強請るように顔を押し付けてくる、自分よりも素直に感情を表現することに長けている双子の片割れ。一時はそんな弟を憎みもしたが同時に非道く羨みもした。平和になった今ではそんなところが可愛くて仕方がないと思うあたり、自分も相当毒されている。
「ふふ、本当にしようがない弟だ」
ますます腰に回された両腕に力を込められるのを嬉しいと思う自分も大概しようがないなと自覚しながら、サガは、先ほど何となしに呟いた一言を小さく撤回する。そしてこの冬も、これから先の季節が何度廻ろうとも、何から何まで自分好みのこの大猫を目いっぱい可愛がり、今度こそこの温もりを離さないと心に決めながら、寝息を立て始めているカノンの白群の毛並みを優しく撫で続けていた。






日記に掲載していた、お揃いどてら双子+猫を飼いたいサガのお話です。
カノンも大概ブラコンだけど、サガもサガでカノンのこと言えないくらいブラコンだと思うのは気のせいじゃないと思います。
もしもサガが猫を迎え入れたらまず間違いなく勃発するカノンVS猫の戦い。軍配は後者に上がるのですが、夜はオオカミになったカノンに一晩中猫のように啼かされるサガも間違いなく起こり得る図です(^q^) その間猫は別室に締め出されているか空気を読んで寝てるかのいずれかに該当します。
(2017/11/09)


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