彼の風邪の特効薬は甘さ溢れる愛情の懇願のようなアリストテレス

「ああ、判った。ありがとう」
双児宮の居住区の玄関口から聞こえてくる、自分と似ているが幾分か穏やかな声を、カノンは寝台に横たわりながらぼんやりと聞いていた。それと同時口に咥えていた電子体温計がピピッと役目を果たした音を響かせる。
「…37,4か…」
平熱の高いカノンにしてみればまだ苦痛を伴うレベルの体温である。少なくとも小宇宙を燃やすのも億劫だと感じる程度には。
海界への出張を終え、休む間もなく訓練生の指導に当たること数日。何やら体がだるい気がすると昨晩早めに床に着いたカノンが本格的に不調を感じたのは翌朝のことだった。昨晩も遅くまで執務をこなしてきた双子の兄は寝ている自分を起こさないようにと自室へ引き上げたようなので、とりあえずは自分の不調を移さないで良かったと思う。だが、常日頃からワーカホリックである片割れに対し、口煩く身体を壊す前に休めと言ってきたのだが、これでは今後人のことを言えないではないかと自己管理の甘さを痛感しながらサイドテーブルの上に体温計を置き、今朝、体調不良の己を目の当たりにし、努めて冷静に、だが心配だという表情を隠しきれていない兄の手によって幾枚も重ねられた毛布の下で、もぞもぞと体制を変えようとしたカノンの耳に控えめなノックが届いた。
「…入るぞ」
どうぞとも何も言う前に開かれた扉と共に、ノックと同じ控えめな声と共に入室してきたのは、たすき掛けをした法衣の上にエプロンをつけ、高貴な海の色の髪を後ろで一つに括っている、白い小さなマグカップを乗せたトレイを持った件の双子の兄が入ってきた。
「…寝ているか?」
本当は起きていることなどお見通しな癖に、かけられた気遣いの声が何ともおかしくてカノンはふと笑みを漏らす。
「起きている」
それでも律儀に答えながら窓側へと変えようとした体制を扉の方に向ければ、こちらへ歩み寄ってくるサガの姿が目に映った。
「起こしたのか?」
この期に及んでそんなことを聞くサガに、いよいよカノンの笑みは深くなる。
「いいや、起きていたさ」
「そうか…」
明らかにホッとした様子の兄の表情とその手に持つそれに視線を走らせて、寝たふりをしないで良かったとカノンは密かに安堵する。
「…それは?」
「先ほどミロが持ってきてくれたすりおろし林檎に、ジンジャーと蜂蜜を混ぜ合わせたものだ」
そうか、先ほど双児宮を訊ねて来たのは、聖戦以来付き合いを深めている気の置けない友人だったのかと思うと、ふと表情が緩むのをカノンは止められなかった。
「見舞っていくか?と訊ねたところ、馬には蹴られたくないからなと言われてしまったよ」
いくらカノンに小宇宙で呼びかけても反応がなく、どうかしたのか?と問いかけられ、体調を崩し臥せっていると返したら唐突に通信が切れ、見舞いの品を持って駆けつけてきてくれたのだと感慨深く呟くサガの顔を見た途端、ほわりとした感情もカノンの胸に灯っていく。
気が良く大らかで明るい友人手ずからすりおろしてきたという林檎に、影として秘された弟を見舞う者の存在が嬉しいという表情を見せる最愛の兄の温かく甘い想いがトッピングされたその飲み物を、カノンは恭しげに両手で受け取った。
「熱いから気を付けるのだぞ」
「う、わちっ」
「ほら、言っているそばから」
そう言いながら、今、この時間が大切で仕方がないという体で笑う兄の顔を間近で見て、カノンの頬に火照りが走る。病気の熱でもマグの中の飲み物の熱さでもない、しかし馴染みのありすぎるそれは、自覚するたび幸福をもたらしてくれるもので。

「…では、私はそろそろ行くから」
「ああ」
「それを飲んだら、休むのだぞ」
「…うむ」
「…鍋に作り置いてあるから、適度に摂るように」
「……」

そして同時に、名残惜しさと寂しさという感情も植えつけられていく。
判っている、もう13年前とは何もかもが違う。限られた空間で息を潜めてサガの来訪を待っていた自分ではないし、悪戯に己を隠し通すために兄が気を張る必要はもうどこにもない。女神が居て、仲間がいて、そして何よりサガと想いが通じ合ったこの日々が都合のいい夢でしかなく、まやかしのように消え失せるなどあるはずはないと判っていても。
「…カノン、そんな顔をしないでおくれ」
そ、と頬に滑らかな手が宛がわれてはたと気づく。両手でマグを持っていたはずの左手は、サガのたすき掛けた法衣の上に着用したヒッコリーストライプ柄のエプロンの裾を縋るように掴んでいる。
「…いや、すまん」
バツが悪いと言わんばかりの表情でカノンは掴んでいた手を離し、再び白の陶器へと持っていこうとするが、そうする前にサガの滑らかな手がやんわりとそれを捉える。
「サガ…?」
早く準備をしなければならないのだろうという建前と、病から齎される心細さがますます強くなって、あの頃のように離れがたくなってしまうという本音をどう折り合わせてこの兄に伝えるべきかと逡巡していた隙を突くような形で、唐突に手をひっくり返される。
「な、っ…!」
そのまま掌に口付けてきた滅多にないサガの行動に二の句が継げずに硬直した後、今度ははっきりとカノンの顔に先ほど以上の火照りが走る。
「…寂しいのはこちらとて同じだ…」
台詞とは裏腹に少々そっけない仕草で手を離すのは名残惜しさを払拭するためであろう。だが、椅子から立ち上がってくるりと踵を返したサガの耳は、微熱がある自分よりも明らかに赤かった。
「今日は、なるべく早く帰るから…それまでに少しは回復させておけ」
返事を待たずに退出するサガの後ろ姿を見送った瞬間、ぱたりと身体がベッドに沈み込みそうになるが、未だ手にある友人と兄の想いが込められた飲み物を零して無駄にするわけにはいかないと、どうにか片手をついてやり過ごす。
「…相変わらずあざとい奴め…!」
前髪をぐしゃぐしゃと乱雑にかき回しながらカノンは、今も色濃く残る兄の気配に向けて吐き捨てる。手の甲や指先ではなく、わざわざ掌に口付た意味が判らないほど無垢ではない。
「覚えてろよ、本当に」
『早く治してほしい』というサガの”懇願”を果たした後は、別の意味での懇願をたっぷりさせてやる、そのためには言われるまでもなく回復してやるのだと、燃やすのも億劫だったはずの小宇宙を燃焼させながら、もう十分に温まった体と心には不要だと思えるほどの甘さと熱さをカノンはあっという間に飲み干したのだった。





流星群を見に行ったは良いけどさっぱり見れず、その次の日に急性胃腸炎になった私の悔しさによって生まれたお話\(^0^)/
いつもは兄にばかり臥せさせていますが、今回は弟に弱っていただきました(・ω・) というか聖闘士といえども人間なんですから病気にはなるよね?→じゃあそのラインってどこよ?→小宇宙燃やせなくなれば病気でおkという図式が成り立ち、病気になれば小宇宙は燃やせないという風になりましたw
ちなみにタイトルですが、中々しっくりくるタイトルが思い浮かばなかったため、いっそ真逆の方向から拝借しようと思い立った結果ですw思いっくそふざけてます\(^0^)/ 勿論犬の字の付くサアカス團の楽曲からです。
この曲、誰か短調変えて”弾いてみた”とかで投稿してくれないかな~? なんというかものすごく可愛らしいメロディーになると思うの。
(2017/12/16)





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