カノサガ的良い兄さんオムニバス



「カノン…」
「ダメだ」
何も言っていなくとも言わんとすることを察したカノンが、サガが訴えんとする事柄をぴしゃりと撥ねつけた。
想定の範囲内の反応に小さくため息を吐いたサガは、今日こそは止めさせようと思っていても全く取り付く島のないカノンに、無駄だと判っていながらも聞かずにはいられずに疑問を口にする。
「…これはいつまで続けるつもりだ?」
「無論、オレ達の気が済むまでだ」
案の定、予想通りの返事が返ってきてサガはいよいよ大げさにため息を吐くが、カノンは意に介さない。
何の変哲もないダイニングテーブルを挟んで、ダイニングチェアに向かい合って座る双子座の聖闘士が二人。十二宮の住民たちがたまに集って飲み食いする時以外は二人用に折り畳むことが出来るタイプのテーブルの上に、ゆるく指を組んで所在なく投げ出されているサガの両手に、カノンのふわふわとした掌が重なった。
「っ」
それが合図だと言うのは、繰り返されたこの数夜で教え込まれた。弟が望むことを言わなければ解放してもらえないということも。
「…サガ」
早く言え、聴いてやるからと、その海の碧を介した瞳は雄弁に語っている。生半可な言を弄したところで見抜かれると、サガはこの夜も覚悟を決めて小さく息を吸い込んだ。


「…今日は、一応切のいいところで仕事を切り上げることができた」
「ふむ、ちゃんと身体を労わることが出来たではないか」
「…アイオロスが署名しなければならない書類を見つけたが、それをきちんと本人に手渡せた」
「なるほど、自分がやった方が良いと抱え込んでいた頃に比べれば大した進歩だ」
「あとは…」

恐る恐るといった体で今日会ったことを語るサガに、カノンは笑みを浮かべて頷きながら、その何でもない兄の行動を褒めちぎる。
自分自身をいつまでも試みずに無理ばかりする兄。いくら言っても自虐的な生活を改めないサガに対し盛大にブチ切れたカノンが幻朧拳を打って意識を刈り取り、強制的に自宮送還させたのが数日前のことだった。不足分の睡眠を補って体力が戻ったサガは当然のことながら怒ったのだが、カノンも一歩も引かなかった。実力が伯仲する黄金聖闘士同士がぶつかりあった場合、千日戦争に陥るのはもはや承知の事実であり彼ら双子も例外ではない。だが、にらみ合いが始まった刹那、彼らが身に纏う双子座の聖衣は、今のサガの状態をどうにかしてほしいと言わんばかりにカノンに装着され、そこでようやくサガは、どれだけ彼らに心配をかけたのか自覚したのである。
そこからサガはカノンの言うことを全面的に聞くことを承諾した。そしてカノンが提示したのが、ありのままのサガをサガ自身が肯定する時間を設けることだったのである。
自らの負の面を出すことを極端に恐れ、別人格を作ってしまったサガにとってそれは何の罰ゲームだと思ったのだが、あいにくと弟は本気だった。前言撤回だとサガは言い放ったのだが、カノンに装着されているヘッドパーツの善の面がハラハラと泣き出し、カノンの左半身をびしょびしょにしたため、認めざるを得なかったのである。

ちなみに今現在も、この要求をサガに呑ませた立役者である双子座のヘッドパーツは、カノンとサガの真ん中の位置でちょこなんと鎮座している。サガがきちんと自らを肯定しているかどうかを判断するジャッジメントの役割を果たすそれは、上辺だけの肯定を口にすれば善の面がハラハラと泣き出すためこれ以上ないほどの適役だった。

「以上だ」
苦い顔をして溜息を吐くサガを見ながら、カノンは改めて優しく手を握り返しながら、右手を伸ばしてよしよしとその頭を撫でる。子ども扱いするのは止めろと最初は反発していたが、最近は未だ慣れないこの時間において、ようやくこれだけは少しずつ馴染み始めてきた。
「今日も良く頑張ったな」
「…うむ」
そしてこうして手放しで子どものように褒められるのもまた然りだ。この年になってという理由もあるし、幼い頃は庇護の対象であり10年以上も愛憎の感情を抱き抱かれていた弟に、こうした扱いを受けるのはどうにも複雑な気持ちになるのは致し方がないことだと思う。
だけどカノンの言葉の裏側には、侮蔑や軽視といった感情は見られない。双子の兄弟だから判る、純粋な想い。
「明日もだからな」
お前がきちんとあるがままのお前を認めるまで、俺がお前を認めてやると笑いかけるカノンの顔を見る度に、絆されてしまう自分がいる。
明日こそ、明後日こそ、カノンの気が済む程に自らを肯定できていればいいと願う傍らで、もう少しだけ弟に笑いかけられ肯定されたいと、サガは頭の片隅でそう思うのだった。






「カノ、…離してくれ」
「ダメだ」
か細い声で背後から抱きしめる己の腕から逃れようといやいやと小さく首を振る兄の身体を閉じ込めるために、カノンはその両腕に更に力を込める。
「逃げたきゃ自力で何とかしろ」
「う…」
平素の兄ならば容易くこんな拘束にも満たないそれから抜け出すことが出来るのに、それをしないということはそれだけ体力が底を尽きかけているということである。それに加えて、連日連夜の激務で抵抗力の落ちたサガの身体は、教皇補佐の法衣を脱がしてカノンが強引に着せた厚手のもこもこしたルームウェア越しからでも判るほど熱を持っていて、一刻も早くその身を休ませねばならないこと顕著に伝えていた。
「お前が離してくれればいいだけなのに…」
あまりくっつかれればかえって熱いという意味で、うっかりぽそりと呟いた言葉。だがそれは今のカノンにとって禁句であったことは、後ろから抱きしめられていた体勢から光速の動きでもって姫抱きに変えられたことで気づかされる羽目となる。
「その言葉そっくりそのまま返すぞ愚兄」
怒気を孕んだ声に思わずサガの言葉が詰まる。スタスタと歩を進められ、己の身を抱えたまま器用に寝室のドアノブを回し、掛布団を乱雑に剥いでそのままポイと放り投げられ…たりはせず、慎重に横たわらせられて、サガは思わずポカンとした表情で弟を見上げてしまう。
「お前が周りの声に耳を傾けていれば、こんなことにはならなかったのだ」
だが本気で怒っている表情と声を認め、それと同時にかざされた手に思わず身をすくめる。カノンが自分を心配してくれているが故の行動であったというのは痛いほど伝わっている。だからこそ先ほどの自分の失言を甘んじて受け止めようとしたサガだが、弱っているこの身体ではいささか衝撃には耐えられないと身を固くしてしまう。だが降りてきたのは、自分と寸分たがわぬ大きさだが、自分よりも温かくふわふわとした弟の掌が己の額にそっと触れる感触だった。
「…カノン」
あまりにも優しい感触がどことなくくすぐったくて、小さく弟の名を呼べば、ふい、とカノンはそっぽを向く。
「…お前の体調が治るまでなどと生温いことは言わん。俺の気が済むまでここにいてもらうからな」
「それは」
「黙れ。お前の意見など、向こう三日は聞く耳持たん」
そんな弟の目元が赤く染まっているのを目にした途端、どれだけ自分が無茶を重ねて、この双子の片割れに心配をかけたのかをようやく理解した。
「…すまない」
「……今度という今度はもう許さんからな」
掛布団を引き上げ素直に謝罪を口にしたサガに対し、何かを逡巡したような表情を一瞬見せた後、カノンは未だそっぽを向いたまま、断固として許さない構えを取っている。
そんなカノンの姿を見て、昔の自分を見ているようだと内心で少しだけ苦く笑うサガの口からついて出た一言は、本当に無意識下のことだった。
「ごめんなさい…」
「っ、そ、んな風にしおらしく謝っても駄目なものは駄目だ」
別にあざとさを演出している訳ではない。ただ、何となく今のカノンを見ていたら”悪いことをしたらごめんなさいって言わなきゃダメなんだぞ”と、昔自分がこの双子の片割れに言っていたことを不意に思い出して口をついて出ただけだ。勿論根底には心配をかけてすまなかったと謝罪する気持ちはある。だけど、そんな自分の言葉に少しほだされかけた様子の片割れを見て、頼れる男にはなったけれどやはり可愛い弟であるのは否めないなと、思わずサガは目を細めた。
「カノン…」
「ええい、だからそんなあざとさを出しても…」
駄目なものは駄目だと先ほどのセリフを繰り返そうとしていた声がぴたりと止まる。ベッドサイドに腰を下ろしていた弟の修練服の裾を引っ張る自分に、少しばかり驚いた顔を見せる片割れが堪らなく愛おしい。
「…つかまえた」
柔らかく突き上げられる感情のまま言葉を紡げば、凛とした姿勢だったカノンの面立ちがたちまち赤くなっていく。言葉が見つからないといった体で動揺しているのがありありと判る、この逞しくも可愛い、そして何よりも大切で仕方がない弟の存在感と温もりが病に弱っていたサガの心を緩やかに、だが確実に癒していく。
「だから、ここにいろ」
体調はまだ回復の兆しは見せないが、安心できる存在がそこにあるというだけで心は軽くなっていく。そんな安堵感が齎した舌足らずのサガの言葉にカノンはついにたまらず俯かせた顔を片手で覆った。
「この…っ、お前は、どうしてそう…!」
無自覚の内に自分を翻弄して幸福そうに笑う兄の顔を見ることが出来ず、何なんだこの小悪魔は…と絞り出したカノンの声は、服の裾を摘まんだまま、正に天使のような寝顔で眠るサガの耳には届かなかった。












「おいサガ…」
「なんだ」
ソファに座る兄の膝の上に乗せられたカノンが、自分の胸にぎゅむ、と顔を埋めてる兄を見下ろしながら静かに声をかけた。
「そろそろ気は済んだか」
「まだだ」
にべもなく答えるサガの硬い声音に思わずカノンは苦笑を漏らす。
「…疲れている時には胸を貸すと言ったのはお前だろう」
「そうなんだがなぁ」
弟の微かな笑い声を拾ってか、むくれた声でそう言いながら黒のニットセーター越しの胸に顔を押し付ける双子の兄の海の蒼を宿す髪をカノンはそっと撫で上げた。
「正直に言えば、俺がお前を抱きかかえてやりたいのだが」
自分と同様に癖が強いがさらりとした髪を指に絡めたのと同時、猫のように小さくすり、と額を擦りつけられる。
「そんな贅沢は言わん」
自分が兄に甘える時にはいつもそうしてくれるように、慈しむように頭を抱きしめるとサガの身体が小さく強張ったのが判る。そんなに緊張しなくても良い、という想いを込めながらその背をゆるゆると撫でてやると、ホッとしたように息を吐きますますぎゅっと抱きついてきた。
「なんにせよ、お前が俺にこうしてくるのは大した進歩だ」
人に頼られることが多く、甘え方が下手くそなサガ。かつての自分はこの双子の片割れがそれ故に苦しんでいることなど知りもせず、自分以外のものになってしまったという子供じみた感覚のままサガを追いつめた。そうして迎えた別離と破滅。それを繰り返さないためにカノンは蘇ってからサガに一つのルールを掲示した。

『胸くらい貸してやるから、疲れたときは素直になれ』

そんなシンプルで切実な願い。そんな弟の掲示した願いにサガもこくんと神妙に頷いた。それはカノンが二度とサガを失いたくないと思うのと同じぐらい、サガもまたカノンの言葉に少しでも耳を傾けていたらという悔恨が強く根付いていたからに他ならない。だからこうして自分の心が擦り減ったと感じた時、それを充足するためにサガは少しずつカノンに甘えるようになった。最初は弟の胸に頭を預け、その次は抱きしめてもらい、そして現在は弟をぬいぐるみよろしく膝の上に乗せて抱きつくにまで至る。それでもカノンは先ほどのように位置が逆だろうといった苦笑は漏らすが決して拒否することはなかった。そんな弟の情に包まれながらもサガの心には密かな不安が芽生え始めていた。
「カノン…」
こんな、弱い自分を目の当たりにして、カノンは呆れてしまうのではないか。
「カノン…」
こんな不甲斐ない兄など、いない方が良いのではないか。


「気兼ねすることなんかない。ここには俺しかいないのだから」


不安に駆られて再三その名を呼ばう前に、己の心を見透かしたような弟の言葉が耳に届く。きっと第三者が耳にすれば、その声音は正にサガそのものだと口を揃えて言うだろう、優しく慈愛に満ちたそれだった。
「…カノン、カノン」
「ああ、俺はここにいる」
ぎゅうぎゅうと弟の身体をきつく抱きしめる。
もっと、もっと欲しいと希う。
カノンの声を、言葉を、温もりを、もっと。
「カノン…」
消え入りそうな声とは裏腹にむぎゅうと先ほどより力を込めて抱きしめられる。もしも自分がこの兄と同等の存在でなければこのまま背骨を折られるだろうなとカノンは内心苦く笑うが、それでもサガを労わる手を止めようとはしなかった。
「お前の好きなように、気が済むまで甘えてくれるなら、俺は抱き枕でもなんでも構わん」
何故ならカノン自身もサガに頼られ甘えられるという事実が全然足りていなかったから。
「俺も、俺の気が済むまでお前を甘やかしたいのだからな」
別離の13年間は元より、今まですれ違っていた分も、そしてこれからもずっと側にいるからと暗に伝えれば、小さくすすり泣く音が聞こえてくる。

「…サガ」

こんなことで感極まらなくても良い位、ずっと一緒にいるからという想いを込めながら、見下ろすことの出来る場所にあるつむじに、カノンはちゅ、と優しく口付けを落としたのだった。
















「入るぞ、サガ」
控えめに叩いたノックの後、カノンは返事を待たずに部屋の扉を開く。
忙しい日々が続いているはずなのにきちんと整理整頓された部屋は几帳面な双子の兄らしい、だがもう少しだけ手を抜いてくれてもいいのにと思いながら、カノンは入室して後ろ手に扉を閉める。
スタスタと足音を立てずにサガが横たわるベッドに近づけば、先ほどよりは赤みは引いたが少しまだ苦しそうなサガの端正な寝顔が目に入って来る。
「…」
額を拭うタオルと洗面器を載せていた盆をサイドテーブルにゆっくりと置いた後、カノンはそんなサガの横に腰を下ろして、うっすらと汗ばむ額に手を置いた後、しっとりとした蒼の髪に指を滑らせた。
「ん…」
それと同時、サガの唇からは安堵したかのような小さな声が零れ落ちる。そしてそのままカノンの温もりを存在を確かめるかのように、無意識に額を掌に擦りつけるような動きを見せた。
基本的に聖闘士として頂点に立つ黄金聖闘士は、ちょっとやそっとのことでは医者はいらない。例え怪我をしても身体を壊しても大抵は小宇宙でどうにかなるからだ。だが、病や怪我から来る寂しさや心細さといった感情はふとした瞬間に顔を出すもので、どんなに小宇宙の質を高めたところで思うように御せるものではないのだとカノンは身を持って知っている。影として生きてきた時間、病に臥せっていた一人の時間が寂しくて怖くてどんなにか心細かったか、そしてそんな自分の身を案じてサガが息せき切らせて帰ってきて、遅くなってすまなかった、早く治って欲しいと労わられ、抱きしめられることがどれだけ幸せだったか、平和が訪れた時間だからこそ噛み締めるようにありありと思い返すことが出来る。
流石に過労で倒れ、今しがたまで高熱にうかされいた兄に対して思いきり抱きしめることは躊躇われた。だけど、今はもう光と影に別たれていた頃とは違い、誰にも、何者にも憚ることなく看病することが出来る。それが不謹慎ながらも堪らなく嬉しかった。
「…早く良くなれよな、サガ」
小さく労りの言葉をかけた後、抱きしめることは今は無理でもこれだけならば大丈夫だろうと、カノンはそっと身を屈め、ほんのりと赤く色づいた、兄の少し熱い頬に唇を落とす。
「…ん、かのん」
口付たのと同時、どこか舌足らずな声で小さく自分の名前を呼んだサガの嬉しそうな声にカノンの動きがピタリと止まる。
「っ、まったくこの愚兄は…」
俺が看病するからと言っても無理をしていい理由にはならんのだからなとぶっきらぼうに吐き捨てながらも、兄とは違う意味で顔を赤くしたカノンの手はわしゃわしゃと、今も昔も大好きな海の蒼を髣髴とさせるサガの髪の毛を少々乱雑にかき乱したのだった。









良い兄さんの日が近いということで、兄さんを甘やかすカノンの話オムニバスでしたー!
カノンがお兄ちゃんを大好きなのはもはやデフォですが、サガが過労や風邪をひいて倒れているのもデフォルトのような気が致します\(^0^)/
あと、今回のタイトルは
”ほーら、つかまえた。ここにいろ。”&”苦しい…助けてよ…たりないんだよ、君がまだ、全然たりないんだ。ぎゅって、して”はこちらから。
かけがえのないありきたりな看病方法の元ネタは即興小説が元ネタです。いつもいい仕事をしてくれるこれらのコンテンツに乾杯☆

(2017/11/20)

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