「ちっ、参ったな」 青空から一転して突如立ち込めた深い灰色の雲から激しく降り落ちてくる雨を見ながらカノンは舌打ちをした。 かねてから予約をしていた洋菓子店で目当ての物を受け取りに市街地に繰り出したその帰り道、予想外の雨に見舞われてしまいこうして軒下の世話になっている。 ラジオで聞いた天気予報を思い返すも、今日の降水確率はそれほど高くなかったと記憶している。現に周辺には突然降ってきた雨に口々に戸惑いの声を上げて軒先や建物の中に避難していたり、速足で目的地に駆けて行こうとする人々が目の前を横切っていく。 「ったく…」 うっとおしそうに雨を降らせる空をカノンは睨めつける。 双児宮の中でじっとしているのが勿体ないくらいの晴天の今日は折しも自分達の誕生日であった。女神やアイオロス達の計らいもあって貰った休暇だが、あの片割れは最後までごねにごね、結局予定までの仕事を片付けてから心置きなくこの日を迎えたいというサガの望みに向こう側が折れることとなった。なので半休であるサガはそろそろ双児宮に戻ってきているであろう。 誕生日であろうとも忙しなく働く仕事馬鹿の頑固な兄。朝から贈り物を届けに来た宮の者達からはサガらしいといえばサガらしいがと苦笑いを零していたことを思い返しながら、カノンは行儀悪く雨宿り先の建物の壁にもたれて腕を組んだ。 予想外のにわか集中豪雨はしばらくは止みそうにもない。タルト生地で作られたシンプルながらも美味しく、そして美しいフォルムを持つ評判のチーズケーキを早く二人で分け合って味わいたい。だが光速とはいえ型崩れしてしまうリスクを背負うことを考えればそうすることは躊躇わる。ならば必然的にここで雨脚が弱まるのを待つしかないと腕を組みながら結論を出した。 (もし…) ここにいるのが兄と同期である射手座やその弟の獅子座、もしくはその彼と同期である情に厚いあの蠍座であったなら、いかにしてケーキを崩さずに駆け抜けられるかという修行になるから大歓迎なのだろうなという考えがふと過る。そしてそんな彼らに対し”食べ物を粗末にするな”と叱り飛ばすサガの姿を思い描いたのと同時、知らずカノンの口角が持ち上がった。 (現金なものだな、俺も) あんなにも昔は、自分から兄を奪ったのだと聖域を疎んでいたというのに今はどうだろうか。 サガへの贈り物だけではない、自分の分も律儀に持ってきてくれた彼らの真心を嬉しいと想えるほどに、聖域に溶け込めている。 これも己を救ってくれていた女神と、聖闘士として認めてくれた蠍座を始め罪深い自分達を赦してくれた仲間、そして何よりも隣に最愛の者がいるからかと考えていたカノンの思考を受け止めたかのようなタイミングで、馴染みのある小宇宙がこちらに向かってきた。 「雨に降られてむくれているかと思えば…」 急いでやって来たことが見て取れる小宇宙の持ち主の斜めに差されている傘がほんのわずかに持ち上がる。そこから覗くのは違えようのない、双子の兄の顔だった。 「存外そうでもなさそうだな」 何でもないような顔をして言葉を紡ぐ兄に一瞬呆然とするが、すぐにじわじわと嬉しいという気持ちがカノンの中に沸き上がってくる。特に行先は告げずに出てきてしまったから、ここに来るには小宇宙を辿って来たのだろう。そして聖闘士としての力を自分のためではなく人に与えて返す形で使うことを是としているサガのことだ。小宇宙を辿る力は使えども空間転移や光速移動を使わずに、ペトリコールが立ち込めた辺りから、雨が来る前にたどり着こうとしたのだろう。他ならぬ、雨に降られて帰って来るであろう自分のために。 「まあな。丁度お前のことを考えていたから」 そんな純粋で衒いのない本心を何の気なしに伝えれば、サガの春を介する緑の目が小さく見開き、次いでほんのり頬が赤く染まる。 「おい、何だその可愛い反応は」 「っ! うるさいぞ!」 単にサガのことを考えて色々と思うところがあった、その気持ちが何よりも嬉しかった、ましてや今日は誕生日なのだから余計にそう感じたのだという意味で伝えたのに、目の前の兄は自分が思っている以上に可愛らしい受け止め方をしてしまったらしい。予想外の反応が見られたことに気分を良くしたカノンがからかい混じりにそう言えば、目の前の兄が照れ隠しにしては鋭い勢いで手に持っていた傘を手渡した。 「さっさと帰るぞ」 そう言ってふい、と踵を返してさっさと帰ろうとするつれない兄に、ここは相合傘だろうがとぽつりとつぶやけば、律儀に振り返って何をぬかすかこの愚弟めと返ってきたので、この豪雨の中よく聞こえたなと変なところで感心してしまう。 まあ確かに、平素に比べて人通りは少なくなったとはいえ、未だ軒先で雨宿りをしている者はチラホラいるし、加えて自分達は遠目から見ても兄弟だと判るほどの容姿である。第一自分の傘もサガの傘も二人で入るほど大きくはないのだし、お楽しみは後から取っておくのが一番だと、一人納得したカノンは受け取った傘を差し、サガの後ろを歩いて行った。 雨で濡れた石畳を数分歩き、地面がぬかるんだ土へと変わって更に数分後、雨は少しずつ上がっていく気配を見せている。それでも聖域まではあと少し歩かなければ着かない距離にある。ここからなら多少速度を上げて移動してもケーキの型崩れも心配ないだろうし見咎められないだろうからとサガに声をかけようとした時、 前を歩いていたサガが不意に傘を閉じ始めた。 「ん?」 そのままこちらに向き直り、半歩ばかり後ろにいる自分の方へ詰め寄ってくるのを目にしたカノンが何だと訝る間も与えずに、サガはそのまま弟の隣へとその身を滑り込ませてきた。 「おい」 「何だ」 「お前さっき俺が言った時」 「良いだろう別に」 ふい、とそっぽを向いた兄にカノンは苦笑するしかない。 「全くお前は相変わらず素直じゃない」 ほんの少しだけいつも小言を漏らす兄の口調を真似てみれば「勘違いするな、これ以上自分の傘を濡らしたくなかっただけだ」という、ある層の者達にはたまらないであろう言葉を吐いた兄に更なる可愛らしさと愛しさが募る。 「ハイハイ、そう言うことにしておくよ」 苦笑いしながらカノンはサガの方へと傘を差し出す。本来ならそのまま兄へと傘を向けたかったのだが、折角二人で食べようと購入したチーズケーキを濡らすのは吝かなので致し方がない。 そんな弟の気持ちを受け取るかのように、サガはすんなりとカノンから差し出された傘を受け取り、そして共に並んで歩き始めた。 「…カノン」 傘に当たる雨粒を聞きながら歩き始めて幾秒後、突如呼ばれた自分の名前。それがことのほか綺麗に響いたことに驚きカノンは兄の方を振り向くと、愛おしげにこちらを見つめる春の緑を介する瞳に捉われた。 「生まれてきてくれて、ありがとう」 一言一句がまるで自分を慈しむかのように柔らかく響く。人々に祝福を齎す天使とて、このような美しい調べを紡ぐことなどできないだろう。 その言の葉が胸に届いた瞬間、例えようのない感情がカノンの中に生まれてくる。愛しさ、憧憬、労り、幸福。だがその全てを表す言葉など今のカノンには思いつかなかった。ただ、サガが与えてくれたその声を受け止めるだけで精一杯だった。 「人間の声が一番きれいに響くのは、雨天時の傘の中らしい」 しばしの沈黙の中、少しバツの悪そうな顔をしたサガがぽつりと呟く言葉でさえ、今のカノンの耳は綺麗な旋律として拾い上げていく。 「今まで、お前を呼ぶ私の声は、綺麗だとは程遠いものだった…。お前はいつも私に切実に訴えていたのに私はそれを無視するばかりか酷く詰るばかりだった。だから今日はせめて、お前が私と共に生まれてきてくれたことをどれだけ嬉しく思っているかを、綺麗な音にして届けたく、て…」 「サガ」 段々と尻すぼみになっていくサガの声に被せるように、カノンもまた兄の名を呼んだ。 「サガ」 歩みを止め、傘を挟んでどちらからともなく向かい合う。 「俺とてお前と共に生まれてきたことをどれほど嬉しいと思っているか。この際だからもう一度言っておくが、俺はお前だから先の聖戦で双子座の聖衣を纏った。お前だから愛していた分だけ深く憎んだ。そして今は何よりも、誰よりも、あの頃の分もひっくるめて、お前を深く、大切に想っている」 辛うじて空いているカノンの手がサガの頬に触れる。そしてサガもまた空いている片手を自分に触れる弟の熱いそれに重ね合わせた。 「誕生日、おめでとう」」 一かけらの翳りもない純粋な祝いと愛に満ちた言葉が小さな空間の中でこれ以上になく美しく響き合う。聖域まであと少しだが、そこに戻るまでのわずかな距離すら今は待ちきれない。 ──…お前と、生まれてきて良かった。 その言葉を紡ぐ時間すら惜しいと言わんばかりに、どちらからともなく距離を詰め、唇同志が重なり合う。 祝福と称すにはあまりにも激しく熱量に満ちたその口付けは、分厚い雲から天使の梯子が降り、姿を見せた空に虹の道がかかり、二人を隔絶する小さな世界を打ち鳴らす雨が上がるまで繰り返されたのだった。 ちなみにカノンが買ってきたチーズケーキを二人が味わうことができたのは、誕生日もそろそろ終わりに差し掛かる頃であったことも一応付け加えておく。
ビバ!2018年双子座誕! もうぶっちゃけ間に合わないかと思いましたが、何とか形にすることが出来ました~♪ 実はこれ、先日にアップした雨降り双子の別バージョンとして考えていて、かなり出来上がっていたのですがどうにもこうにもアップする気にはならなかったんですよね。 でも双子誕が近づいてくるにつれ「もしかしてこれ、双子誕用に改稿してアップしろって言う思し召しか?!」と思い立ち、ひーひー言いながら色々手直ししていったら、割と納得する出来になってホッとしています(*´∀`*) このお話は、GEMINI FESTIVAL2018さんに出品しています!今年で15回目となる双子誕を細やかながらに盛り上げられたなら非常に幸福です♪ (2018/05/30)
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