双児宮のあくる日の朝のこと。いつも通りに教皇宮に出仕するため、法衣を纏い洗面所で髪を梳りながら、最終的な身支度を整えているサガの瞳にふいに飛び込んできたものがあった。 「…」 "俺にとってのそれは高貴な海そのものだ"と双子の弟に言わしめたロイヤルブルーの髪に、白く混ざったそれ。 年齢的には生えてきてもおかしくないのだが、いざ目にすると若干のショックを受けるのは否めないのは致し方がないが、爽やかな朝に似つかわしくないもやもやする感情に思わずしかめっ面になりながらそれを抜こうとしたサガを止める声が背後から響いた。 「何をしている」 振り向く間もなく洗面所の鏡にひょい、と映し出されるのはサガと寸分違わぬ姿の半身であるカノンだった。兄のサガが高貴な海の色ならばカノンの髪は今日のように晴れ渡る空の色をしていて、おおよそ白髪がが目立つような色ではない。 加えて二人は双子の兄弟という垣根を超えた絆を結んだ恋人同士でもある。生まれた時からともにいて気心の知れている仲とはいえ、恋情を抱く相手にはあまり見られて気分のいいものではないが、今更隠し立てをしてもしょうがないと小さく息を吐きながら、サガは指先で己の髪に映えたその白いものを摘まんで掲げる。 「白髪を見つけてしまってな。抜こうとしていたところだ」 そのタイミングでお前が来たのだということを暗に告げると、鏡の中のカノンはほんの少し目を見開いた後、我ながら良いタイミングだったと呟いた。 「ここじゃ狭いな。リビングに行くぞ」 「え?」 「俺が切ってやる」 「いや、しかし…」 ざっと見た限りでは白髪はせいぜいこれだけだ。抜いてしまえばいいだけなのにという意見は、俺の愛したお前の髪を不用意に痛めつけるような真似はたとえお前とて同意しかねるとさらりと真顔で言い切った弟によってあえなく却下された。 「俺とて聖闘士としての鍛錬などで体や髪に傷つくことをとやかく言わん。だがそれ以外のことでお前の髪が傷つけられるリスクが減る手段があるなら、それに越したことはあるまい?」 「っ…、」 相変わらずの口の旨さでサガを丸め込みにかかるカノンの海の緑を介する瞳はどこまでも真剣だった。そんな想いを目の当たりにして今までサガが勝てたためしはない。無言で顔を赤らめてしまった兄を見て了承を得たと判断した弟は、その手を取ってリビングへと場所を移していく。 ローテーブルに置かれた真鍮で縁取られた大きめの卓上鏡に映る双子の弟の海を介する緑の瞳は相変わらず真剣そのものだった。目立った白髪を小さな鋏で切り取った後も、”折角だから目立つ白髪は俺が切ってやる”という名目でさらさらと髪をかきわけていくカノンの指先から伝わる繊細な感触とも相まってしまい、何となく気恥ずかしくなったサガは思わずうつ向いてしまう。 「こら、動くな」 「う…すまないがそんなに時間はないのだ。ほどほどのところで切り上げてくれると」 気恥ずかしさに耐えられないといった表情をどうにか隠しながら、当たり障りのない言葉で弟の行動を止めさせようとするサガだが、寝食共に過ごしているこの恋人は騙されてくれるはずもなく。 「何を言うか、まだ時間は十分あるだろう。書類整理だの掃除だのをするために早くに上がっていくのは悪いことではないが、たまにはこうして俺に触れさせてくれる時間を設けても罰は当たらんぞ?」 「な、何を言うかっ!」 受け流されたどころか予想外のカウンターを見舞われてしまい、鏡の中で真っ赤になっていくのを止められないサガを見て、カノンはくつくつと笑う。揶揄い甲斐があるといわんばかりのどことなく意地悪気な顔でも、髪に触れる指はあくまでも優しく、丁寧に鋏を入れていく様子に慈しみを感じ取らずにはいられないから、サガも強く突っぱねることができない。 聖戦からおおよその年月が経ち、自分たちもまた情を交わしてからそれなりの月日が流れた。地上は海界や冥界の条約は未だ破棄されておらず、所々で小競り合いはあるものの、聖戦と呼べる大きなものは勃発していない。 聖域と海界を行き来し、互いの後進の者たちの育成に力を注ぐのが主な任務の弟と、正式に教皇となった射手座の聖闘士の補佐が主な任務である兄。机仕事にかまけて聖闘士としての肉体を衰えさせるわけにはいかないと休日の最中に鍛錬はしているものの、少しだけ弟と差がついてしまった体格。意識しないようにはしていたが、こうして鏡で二人で映し出されるとどことなくいたたまれない気持ちになるのも否めない。ましてやこんな風に丁寧に扱われてしまえば尚のことで、いっそのこと白髪も何も気にならないほどに短い髪にでもしてくれないかと声を出しかけたところで、ふいにカノンの瞳が一瞬だけ泣き出しそうに細められた。 「カノン…?」 それこそ瞬きをするかしないかの一瞬で、他の者であれば気づかれない程度の時間、しかしサガはそれに気が付いた。長いこと隔てられていたとはいえ同じ卵からなる双子の関係の上に、さらに新たな絆を築くことができた大切な存在の一挙一動に気づかない程鈍感ではないし薄情でもない。 「いや、すまない」 一方でカノンもある程度はサガにバレることを承知の上でその表情を見せた。構ってほしくて見せたものではないが、わざとらしく何でもないと取り繕うほど、むきになって隠すものでもない。むしろバレたのならば伝えるべきことであると、カノンはひそかに腹を括り、言葉を紡ぐために唇を開く。 「この高貴な海色の髪に白髪が混じるほど、お前が生きているという事実に、堪らない幸福を覚えただけだ」 そう言ってくしゃりと笑ったカノンだが、対照的にはっと息を呑んだサガの表情を鏡越しに認めると、恭しい仕草で持ち上げた髪の毛先にそっと口づけを落とす。 「そんな顔をするな。言っておくが謝罪の言葉も聞く耳は持たん」 「う…」 先回りして釘を刺されてバツの悪そうな顔を見せる兄。そんなサガに対して抱く想いは昔も今もそしてこれからも、ずっとずっと湧き出てきて枯渇することなどないと胸を張って言える。 「俺に申し訳なく想う気持ちがあるなら、兄さん…」 「カノ、ぁ…」 ぎゅう、と背後から抱き込まれて耳元で甘くささめかれる声にとくんと鼓動が甘く高鳴る。 「白髪だけじゃない、どこもかしこにも皺が刻まれて、筋肉痛が翌々日に来るようになって、お互いに老けたなと笑いあえる年月を俺と一緒に過ごしてほしい」 そしてその時もこうしてドキドキしていてくれればもっと嬉しいと鋏を置いたカノンの左の手が不規則に高まり続ける左胸に宛がわれて、ますますサガの鼓動は跳ね上がる。 もういい歳なのにと顔を赤らめて恥ずかしがるサガに、カノンはいい歳で上等だと挑発の言葉を投げかけながらも、祈りを捧げるようにゆっくりと瞳を閉じていく。 「あんな痛い思いをするのは、もう充分だからな?」 その言葉と同時労わるような小宇宙が流れ込んできたのを感じ取ったサガは、ゆっくりとカノンの手の上に己のそれを重ね合わせて、後ろを振り返る。 こんなに近くにいるのに鏡越しで見つめるのはもう物足りない。生身のカノンの姿をこの目で見て、その存在を全てで感じ、真摯に伝えてくる想いを正面から受け止めたい。 「約束する、二度とあんな真似はしない」 「ああ」 そして左手を両手で包み込み、先ほどまで自分の髪を慈しみながら触れていた指先にそっとサガは唇を落とす。 「二度と、お前を離さない」 「上出来だ」 カノンの右手が兄の肩に回されて行くのと同時、サガの両手も弟を抱きとめようと緩やかに背中に回されていく。 「明日は…、私がお前の白髪を探してやる」 「ああ、楽しみにしている」 カノンの左腕もサガの腰に回され、ぴたりとくっつきあった双子の鼓動は、胸中に広がる甘さのままに生きてる証を刻み続けている。 再びの生を得た今生もいずれはこの鼓動が止まる時がやってくる。それは再び蘇った邪悪との戦いの最中で止まるとも、平和の中で鈍っていくとも分りはしない。 ただもう二度と、耐えがたい痛みをもって、己で強制的に止めることは決してしない。 「この高貴な海の色が雪原のようになるか、それともロマンスグレーになるか、老後の楽しみが増えたな」 「期待しているところ悪いが、全部抜け落ちているという可能性だってあるぞ?」 「いらん心配だ。それはそれでお前の新たな魅力に気づくことができる」 「まったくお前というやつは…」 髪に触れながら無邪気に笑うカノンに、つられてサガも破顔する。 その容貌に一体どれほどの皺が刻まれていくのか。どんなふうにお互い老いていくのか。 どちらかが先に逝き、涙雨を降らせた後は、晴れやかな気持ちで生きていけるほどに、互いに恥じない、悔いのない時間を刻んでいきたい。 新たに決めた誓いと希望を託すようにして自らの唇に押し当てられた兄のそれを深く受け止めるべく、カノンは何年経とうとも翳りのない愛おしさを抱く半身をこれから先もずっと離さないという想いを両の腕に込めて抱きしめ続けていた。
何となく鏡でヘアセットしている最中に、白髪を見つけてどうこうっていうのは色々とありがちなシチュエーションだと思うのですが、双子の場合どういう風に思うのだろう…とぼんやり考えていたところに、御大の公式サイトでoriginの原稿を垣間見て感銘を受けて形になった話です/(^0^)\ あの原稿を読む限り、耐えがたい痛みを感じてサガを失ったことを感じたカノンだからこそ、こうしたことで「ああ、キチンとサガは生きているんだ」という感動を覚えていそうです。というか当家のカノンぶれないOAMTですから、天使が年を召したところで新たな魅力がまた増えたとナチュラルに感じてそう/(^0^)\ そして自分がHAGEたとしてもこういうスタンスなので落ち込まなさそうですねw サガに白髪を探させてもそれはそれで一緒に生きてきたあかしとして嬉しく思うんじゃないかなと考えるだけで幸福になれます! ちなみにタイトルはこちらからお借りしました。 かなり創作欲を誘うお題ばかりですので、ビビッときたらまたお借りしたいです(*´∀`*) (2018/12/03)
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