「ミーノス」 「はい?」 「…俺、ちゃんとお前に触ってるよな?」 「ええ、しっかりと」 確かめてみますか?とミーノスが、褐色の指先と己の白い指先が絡み合った掌を持ち上げて、向いあうアイアコスの目前へと突き付ける。 「じゃあなんでこの扉は開かないんだ?」 「…私に言われましても」 ミーノスは肩をすくめながら、突如閉じ込められた白い空間の中に現れた文字を流し見て軽くため息を吐く。 先日、同僚のラダマンティスとその片腕のバレンタインが遭遇したという不可思議な現象。何となく今までの二人と距離が違うように見えてそれについて尋ねたら、原因の大元はこの空間だと伝え聞いていたため、二人にさほど驚きはなかった。 何せ、ラダマンティスとバレンタインとは違って、アイアコスとミーノスは唇は元より体も繋げている、所謂”恋人”の関係だった。 なので例え自分たちが接触しないと出られない部屋に閉じ込められても、さほど苦無く出られると考えていただけに、この状況は予想外の一言に尽きる。 「…私たちの関係を考えると、この程度の”接触”では出られないということでしょうか?」 「…じゃあ」 繋いでいた手を解いたアイアコスの指先が、つ、とミーノスの顎に触れられる。当然のことながらその程度では空間は開かれない。 「ん…」 アイアコスの熱い唇が、ミーノスの艶やかな唇を奪う。触れるだけのキス。空間は開かれない。 「っ、ぅ、ん」 アイアコスの舌がミーノスの唇を割って侵入し、水音を奏で始めても空間はそのまま。 「ちょ、ま…って」 うんともすんとも言わず、何の変わり映えの無い空間に流石に焦りを覚えたミーノスが、口付の激しさを増すアイアコスを半ば無理やり引きはがそうともがく。が、アイアコスの獲物を屠る両腕はミーノスの細腰に回され、更にその先に進もうとする。 「っ、や、め、なさいっ!」 蹂躙し終えた唇から離れ、首筋に咬みつかれそうになったところでミーノスはついに糸を出す。 「ぐえ」 首輪の様に絡みついた糸を引っ張られ、蟲惑的な首筋から強制的に離されることになったアイアコスは、眦を上げて水膜に覆われかけた黄昏色の瞳をじっと見る。 「こんな、ところでこんな…!」 半分息が切れた状態で抗議するミーノスを見ながら、そう言えば、とアイアコスはある事を思い出していた。 ラダマンティスとバレンタインがこの空間から抜け出せたのは、ただの”接触”ではなく、バレンタインの本心が伴わなければ無理だったとラダマンティスは言っていた。その本心のおかげで知り得なかった感情を知ることが出来たとどことなく嬉しそうに語っていた同僚の表情はひとまず置いておくとして、この空間が開かれない理由は、お互いに隠している本心があるからではないかとアイアコスは思い至り、それと同時にミーノスに対しある望みを持っていることを思い出す。 「アイアコス…?」 するり、とアイアコスの両腕がミーノスの腰から退けていき、密着していた身体も離れていく。接触だけが鍵となるこの空間で何故?と訝るミーノスの頬にアイアコスの指先が触れた。 「この程度じゃ空間は開きませんよ?」 「知っている」 「ならば何故?」 「ラダマンティスから聞いたことを思い出した。ここは本心を伴った接触じゃなければ脱出できない事を」 「え…?」 その言葉に狼狽えたミーノスの頬からアイアコスは手を滑らせ、グリフォンの冥衣に包まれた華奢な両肩をがしりと掴む。 「…アイアコス…?」 何を、言われるのだろうかと知らず身を硬くするミーノスに、アイアコスは口角を持ち上げて笑いながら、肩に載せていた左手で、先ほど自らの首に巻き付いた糸を繰り出す恋人の右手を取った。 「お前から求めてほしい。その糸で俺を縛り付けるほどに」 「は…?」 唐突なその言葉に、想像しがたいことを言われるかと思っていたミーノスはポカンとした表情を見せる。が、その一瞬後、ぶわりという音が聞こえるのではと言うほどに白い顔が真っ赤に染まっていた。 「な、そ、な…!」 想像しがたい話を持ち掛けられるのかと身構えていたがそうではないことに安堵したのと、唐突な恋人の要求に考えも言葉もまとまらない。とりあえずみっともないほどに取り乱している顔を隠そうとするが、依然右手は捕えられており、唯一残った左手で顔を覆うとしたがそれすらもアイアコスに阻まれてしまった。 「離してくださいっ!」 「ダメだ」 「アイアコス!」 「お前はそうやって、”本心”を隠そうとする」 「っ!」 真っ赤に染まった顔を見られたくないがために、俯いて頭を振るミーノスの動きが止まる。 「…確かに俺は、三巨頭としての冷静沈着なミーノスを見て惹かれていった。それは紛れもない事実だ。」 身体がまるで自らの手繰る糸で縛られたように動かない。なので俯いたままなのでアイアコスの顔は窺い知れない。でも、呆れている訳ではない。彼が自分に与える言葉は混じり気のない”本心”であることは、疑いようもない事だと判るほどには共に居た。 「だが、それ以外の時まで、”本心”を隠す必要はないだろう?」 「…ですが、私は」 本当の自分は冷静とは程遠く、入れ込んでしまうと周りが見えなくなる気性なのだ。かの聖戦時、最後の一人になった際…否、正確にはアイアコスが倒れた際、冷静沈着であろうとする気持ちは蒸発し、結果、あのような最期を迎えた。 それを彼は知らないわけではないだろう。しかし、だからこそ尚更、冷静であろうと、本心をさらけ出して本来の自分に立ち返らないようにと律していた。 「私、は…」 「…何だ?」 「………怖い、んです…」 出来ることなら言いたくはなかった。だが、”接触”だけではなく”本心”を伴わなければ出られないと言うのなら、自分もそれに倣う必要があるのだろう。それが、吐き出すつもりのなかった膿のような感情だとしても、だ。 「何がだ?」 ともすれば途中で止めようとする、ミーノスが膿と称する本心を、アイアコスは少しずつ絞り出していく。 「周りが見えなくなる自分の気性が…、あの時の、様に…、私の浅慮があなたを巻き込むかもしれないと思うと…どうしても…」 「そうか」 アイアコスの両手は依然としてミーノスの両手を捉えたままで、俯いた彼の顔を捉えて上げようとはしない。本心を露わにしたその顔を自ら上げ、そして触れてくるのをどんなに時間がかかっても待つつもりでいる。 「…アイアコス…」 「ん」 この白い空間では時の流れは曖昧だ。ミーノスが顔を上げたのは数刻が経過したのか、それともほんの一刻かは定かではないが、アイアコスにとって待った時間などはどうでもいいことだった。 捉えっぱなしだったミーノスの手をアイアコスは静かに解く。それと同時にミーノスの指先から発現した妖糸にその身体は捕えられ、その胸に白皙の恋人が飛び込んでくる。 「それでも私は…あなたが、」 ――…欲しい 想いを乗せた唇がアイアコスのそれをふさいだ瞬間、何の前触れも歪みもないまま、白い空間はあっけなく二人を解放する。 不可思議な場所へ飲み込まれる直前まで居たのは、見回りに訪れていた第八獄のコキュートス。 どれだけの時間が経っていたかは定かではないが、ラダマンティスとバレンタインの一件を考えれば、さほど時は経過していないだろう。 「…さすがにここでは続きは無理だな」 「でしょうね」 ああでも、とミーノスは横に立つアイアコスの頭に手を伸ばし、そのまま耳へとキスを贈る。 「続き、の予告くらいは出来ますね。」 「っ」 思わずミーノスの方を見やれば、これ以上ないほど嬉しそうに笑う姿が目に入る。 そのあまりにも無防備で無邪気な表情に、アイアコスはまるで初恋を覚えた少年の様に胸が高鳴るのと同時、彼から齎された予告の接触をこの後実施しても良いものかどうかと、そのジレンマに内心頭を抱え込んだのだった。
接触しなければ出られないお部屋のアイミー編でした。 ミ様は、原作の最期からして、アイコやラダに何かがあったら頭に血が上って周りが見えなくなりそうなそんな自分を自覚しているから、なかなか本心を表さないというイメージが強いです。 そんな本心をさらけ出した後は、もうでっろでろに甘えてくるんじゃないでしょうか?
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