銀の月が冴える 冷たく あー と意味を成さない喃語が口からただただ漏れていく現実を打破しようと何か意味をなす単語を頭の中に探した ふと浮かんだのはなんてことはない 愛しい顔と愛してる彼の涙に濡れた顔だった。 **** さながらこの銀の月のような冷たさと美しさと気高さを持ち合わせている。 それが俺がミーノスに抱いていた心象だった。我儘で時として高慢なところもあったが、それすらもミーノスの例えようのない魅力の一つだ。 だから聖戦が終わって目を覚ました際、お前の顔が映った際、どんな皮肉がくるのかと内心覚悟はしていた。 たかが青銅に不覚を取るなんて、それでも三巨頭なのですか?そんな懐かしさすら覚える毒舌が聞こえてくると思っていたが、実際に目に飛び込んできたのは予想外の表情だった。 魔(ここめ)を思わせる金色の瞳が一瞬見開いた後、まるで真珠を思わせるような透明な雫がほとほとと白い頬を伝い落ちてくる光景はまるで雪解けの季節の清流のようで、俺の未だ霞んでいた視界を一気にクリアにするには十分すぎるものだった。何故おまえが泣いている?冷徹なグリフォンのミーノスが。 無様に敗れた己を嘲笑うでも皮肉るでもなく、惜しげもなく涙を流すそんな姿は俺は知らない。俺が目を覚ましたことに気づかない程に真珠の雫を降らせる姿は酷く弱弱しい。 だけど一刻も早く、こいつを安堵させてやりたいという想いが沸き起こる。もう泣くな。俺は目が覚めたのだからと伝えるのが先だ。 「…何を泣く?ミーノス」 久方ぶりに出した声は自分の物とは思えないほどにか細く、文字通り蚊の泣くような声だった。しかし静寂に満ちたこの空間ではそれで十分すぎた。 声を発し終えたタそのイミングで、はっと我に返ったように身を震わせるミーノスに、そっと手を伸ばそうとした。 しかしその掌が、しっとりと濡れた滑らかな肌に触れることは叶わなかった。 「っ、」 これはただ眼にゴミが入っただけですからと言った皮肉も何もないままにミーノスが立ち上がる。そして手の甲で乱雑に目元を拭うとそのまま踵を返すと部屋から出て行ってしまったからだ。 それから一ヶ月が経過するが、あれ以来ミーノスと話をすることもままならない。 話し合おうとする機会を設けようとしても、あの時は未だ両神との協定によって冥界を立て直している最中だったから思うようにはいかず、ひと段落ついたかと思えば、ミーノスは地上へと視察へ行ってしまい今に至る。 地上と冥界を結ぶハインシュタイン城の中庭で、冴え渡る月を眺めながら何度目かのため息を吐く。この現状をどうにかして打破しようにも本人がいない今の状況ではどうにかしようにもない。 「あー!くそっ」 ガシガシと頭を掻いてゴロンと寝返りを打つ。このままくさくさしているのは性に合わないのは自覚している。 本人がいない状況だのなんだのと言うのは言い訳にしか過ぎない。実際のところミーノスと対峙する勇気が持てないだけだ。 あの涙はまず間違いなく俺を想って流したものだろうことは間違いない。しかし何故、俺に触れられるのを拒んだのかが判らない。 ただそれを聞けばいいことだというのは判っているが、それでも躊躇ってしまうのは、情けないことに一度死んで臆病になっているからに他ならない。 もう一度悪態を吐いて夜露に濡れた草をむしり再び寝返りを打つ。せめて今夜はこの恋人の面影を宿す月光に包まれて眠りに着こうと目を閉じた。 ***** 視察から戻り、パンドラ様に報告をした後、トロメアへ戻る気にならず地上へと出てきた。 ようやく冥界の機能も立ち直り始め、余裕のなかった日々から解放されつつある。しかしそうなることで先送りにしていた問題が見え始めてきたが、それに向き合うことが未だに出来ないがための一種の現実逃避だ。 銀の月を眺めて歩きながら、私の館の隣に位置するアンティノーラに住まう愛しいガルーダを想う。 彼が目覚め、そして避け続けてからすでに一ヶ月が経過していた。 私の目の前であっけないとすら思えるほどその命を散らしたアイアコス。何故?どうしてあなたが…と、胸をかきむしられる思いを飲み込んだまま、震えが止まらない指先を伸ばしたけれど、結局はその身に触れることが出来なかった。 少し高い熱を持つ身体が少しずつ冷たくなっていくことに、さぞかし無念を抱いたであろう死に顔を見ることに、私の目の前であなたが死んだことを認めなければならない現実に、どうしても耐えられなかったのだ。 それが、最初にあなたへさらけ出した私の弱さ。 二度目に見せた弱さは、私が目覚めても未だ眠り続けるあなたの顔を見た時。 アンティノーラの自室で静かに眠るあなたの表情は苦痛も安らぎもなかった。 ただそこに横たわるだけの器のように見えて、気づけばみっともなくボロボロと涙を零していた。 本当にあなたは私やラダマンティスと同じように息を吹き返したのか? これは都合のいい夢なのではないか? そもそも超次元に飲み込まれた私も本当はまだ生き返ってなんかいなくて、何かの拍子でここにいるのではないか? そんな、支離滅裂な考えが泡沫のように浮かんでは弾けながら、それでも彼が目覚めるまでの間だけと決め、ただ泣き続けていた。 『…何を泣く?ミーノス』 しかしそんな感傷に浸っていたせいで、彼がか細い声を発するまでその目覚めに気づかなかった。 ゆるゆると黒水晶の目が開いていき、茫洋とした表情のまま差し伸べられた、手。 それを見て私は、自分の晒した醜態を思い知らされる。 雄々しく空を翔るガルーダの純粋なまでの強さ。 その強さは私には無いもので、だからこそ彼に惹かれた。 そして同時に私の持つ弱さは決して彼には見せないと決めた。 弱さはきっと彼の強さの翳りになる。感情が表れやすい目を前髪で隠したのもそのためだった。 なのに、こんな事で露呈してしまうなんて。 アイアコスの手を振り払うように、勢いよく椅子から立ち上がり、私は乱雑に手の甲でそれを拭う。 そしてそのままアンティノーラを飛び出してトロメアへと戻り、アイアコスを避け続けて今に至る。 銀の月が冴える 冷たく はぁ、 と意味を成さないため息ばかりがただただ吐かれる。 これ以上、彼を避け続けるわけには行かない。彼は何も悪くはないのに。 現実を打破しようと何か意味をなす単語を頭の中に探しても見つからない。 凛とした夜の空気の中を歩いていけば、目の前に飛び込んできたのは、一月前と似た光景で。 「!?」 たまらずに私はその場へと駆け寄った。 **** うとうととした浅い眠りの中、冷たく降り注いでいた銀の月光が遮られる。黒雲にでも遮られたのかと夢現で判断し、せっかく恋人の面影に包まれて眠っていたのにと、若干の苛立ちを抱えたままアイアコスはゆっくりと目を開いていく。 「!」 しかし月を遮ったのは黒雲などではなく、自分と同じ黒曜石の衣を纏っていながらも、清廉な美しさを持つ天使だった。 「ミ…ノス…?」 前触れもなく現れた恋人に驚き、アイアコスは思わず上体を起こしかけた、が。 「アイアコス…っ」 月の光をそのまま束ねたプラチナブロンドの長い髪が、ふわりと舞い上がった瞬間、たちまちその身体はミーノスにかき抱かれることになる。 「え、え…?」 寝起きの状態で与えられた突然の抱擁に、上手く頭が回らないアイアコスの後頭部に添えられたミーノスの手は微かに震えていた。 「…っ、…ぅっ…」 さらさらとした香りの良い髪が頬をくすぐりながら、不定期にぽつぽつと落ちてくる雫は、一か月前と同じ感触を与え、これがようやく夢ではないことをアイアコスは覚る。 「…何を泣く…?ミーノス」 今度は逃げないことを確信して、アイアコスはミーノスに抱かれたまま、泣き濡れている頬へと指を伸ばす。 一か月間、触れることが出来なかった誰よりも美しく、大切なもの。涙に濡れた滑らかな肌は夜露に濡れた草とは違い温かい。 「…あなたが…っ、三度も私の前で…っ!」 アイアコスの冷えた掌が頬に触れられた瞬間、ミーノスは堰を切ったように感情を吐き出していく。 暗闇を照らす月に誘われ歩いた先にあったのは、あの時と同じように地面に倒れふしていた、彼。 矢も楯も堪らずに駆けよったミーノスの目に映るのは、青白い月明かりに照らされたアイアコスの姿。 心臓が、今度こそ射抜かれたかと思った。 情けなくその場にへたり込んでしまったミーノスの手は彼に触れるのを躊躇っていた。最初の時と一か月前と同じように。 大丈夫、ただ眠っているだけだと自らを落ち着かせようとしても、フラッシュバックする彼の最期の光景。 この期に及んで手を伸ばすのを躊躇う己の弱さに心底うんざりする。 だからせめて、彼を死に誘うかのような月光を遮ろうとした時、アイアコスの黒水晶の瞳がゆっくりと開かれ、小さく名前を呼ばれた瞬間。 己の本能が、ただアイアコスを抱きしめるようにと、その両の腕に命じた。 **** 「…俺のために泣いてくれているのか?」 アイアコスは水のヴェールに覆われた金色の瞳をまっすぐに覗き込む。 返事に詰まったミーノスの腕の中で、アイアコスはもぞもぞと体制を変え、恋人を見上げる姿勢から真っ直ぐに見据える姿勢へ整え、とっさにその瞳を覆うとした掌を封じるため、細い手首に指を回す。 「っ…」 違う、そう言い切れる自信はミーノスにはとうになかった。何度も彼の前で弱さを露呈しても、彼が死してしまったことの絶望、恐れ、そして哀しみの涙は三度とも止めることなどできなかったではないか。これが彼のためではなくて何と言おうか。 「…えぇ」 観念したように瞳を閉じ小さな声で肯定する。 「幻滅しましたか?」 涙を流す頬にくちづけようとしたアイアコスの動きが止まる。 彼の返事を待たないまま、ミーノスは自嘲するように言葉を紡ぐ。 「あなたが目の前で死んだ時…、あなたの目覚めを待ちわびた時…、そして今、あなたがいなくなるのではという弱さに取り憑かれている」 三度味わわせられた別離の恐怖。とじこめていた弱さが漏れ出すのを止めることはすでに無理な話だった。 「どうか嘲笑って下さい。」 アイアコスの視線を受けながら、ミーノスは弱々しく笑う。その姿はアイアコスにとって初めて見るものだった。 プライドの高いこの恋人は、自分とラダマンティスが討たれたあとに、単身嘆きの壁に出向き、聖闘士を止めようと赴いたと聞いている。 そんな強かさを持つ彼の本心を聞き、嘲笑う気持ちなど起こるわけがない。むしろいじらしくも健気であるとすら思えてくる。 アイアコスはそんなミーノスを思い切り抱きしめる。一ヶ月ぶりの彼の身体、匂い、体温、その全てが懐かしくも愛おしかった。 「嘲笑うわけないだろう。」 腕の中で硬直するミーノスの身体をことさら強く抱きしめる。黒闇に浮かぶ銀の月のように、これ以上遠くに行かないように。 「いや、むしろ…嬉しい」 「え」 思いもよらないと言った体のミーノスの声に、アイアコスもじわじわと顔に熱が上っていくのを自覚する。 最初に目覚めた時こそ毒舌や皮肉もどこかで期待していた。しかしたった今伝えられたミーノスの言葉は、最初に期待していた以上のものをアイアコスに齎した。 「…俺が思う以上に、お前は俺を想っていてくれたのが判ったのだから」 「っ」 こう言えばきっとミーノスは焦ってアイアコスの腕の中から飛び出して行ってしまうだろう。それを見越してアイアコスはひたすらミーノスの冥衣越しの華奢な体を抱きしめ続ける。 しかしミーノスは逃げ出すそぶりを見せない。それどころか、ゆっくりと彼の黒い翼が生える背を白い掌で包み込んでいく。 「っ!」 己の肩口にある黒髪が微かに揺れたのが判る。それでもミーノスはそのまま緩やかな力でアイアコスを抱きしめ返した。 「ええ…、悔しい、ですが」 少し拗ねた感情を滲ませた口調に、ガルーダが小さく噴き出したのが判る。だが、仕方がないだろう。自分の意志ではどうにもならないほど、弱さをさらけ出してもそばにいたいと思うほどにアイアコスを好いているということが、他でもない彼の言葉で初めて自覚したのだから。 そんな恋人の本心を、彼らしい言葉で聞け、満たされたアイアコスは抱擁を解く。 「悔しくても構わない。だからもう、俺のそばから離れるな」 これ以上ないほどの真剣な想いを口にして、アイアコスはミーノスの前髪に手をかけてかき分ける。そこに現れた金色は、魔(ここめ)の瞳ではなく、ガルーダの前では、彼を想うことで生じる弱さをありのまま受け入れることを選んだグリフォンの柔らかな黄昏の瞳だった。 銀の月が照る 柔らかく もはや喃語は意味をなさず この夢のような現実を彩るように ただ唇と唇を寄せ合うことに集中する ふと目を開けて盗み見れば 同じように愛しいきみが 幸せそうに笑っていた
BGM:銀の月 黒い星(Alice Nine)
Крестの月黄泉様がツイッターに上げられていた素敵な詩から触発されて書いたアイミです。
冒頭の詩が月黄泉様の物で、それ以外の同じ書体の詩は畏れ多くも勝手にアレンジして使わせて頂きました。
月黄泉様の詩は常に私に創作意欲を与えてくれます。この詩でアイミーを書かせて頂き、ありがとうございました!
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