新たな朝に満ち満ちて(誕生日SSカノバレ)







前提にラダバレ・カノサガの破局描写があります。
泥沼ではありませんが、苦手な方はご注意下さい。























「ん…」
窓の外から聞こえてくる馴染みのない軽やかな鳥のさえずり。それを耳にしたバレンタインの意識は眠りの泉から浮上していく。
「まぶしぃ…」
そのまま目を開けようとしたが、窓の外から零れ落ちる朝日は、冥界の眷属であるバレンタインの瞼を容赦なく突き刺していく。
緩慢な動きで温もったシーツとシーツの間から自らの腕を取り出して瞼を覆う。その中で少しずつ目を開けていく最中、ふと隣で身じろぐ気配があった。
「起きたか?」
耳を揺らすのはどこかぶっきらぼうな、あの人とは似ても似つかないバリトン。不意にそんな考えがバレンタインの頭をよぎり、知らず小さく頭を振った。
「起きてるんじゃないか」
そんなバレンタインの仕草を、”起きていない”というジェスチャーと取った男はくつくつと笑いながら腕を伸ばし、彼のチェリーピンクの髪をわしゃりと撫で付ける。
「朝飯のリクエストは?」
「…いや、特にはない」
「作り甲斐がないな」
大きく軋んだスプリングから、隣の男が身を起こし、ベッドから降りたのが判る。
「そう言われても、思いつかないのだから仕方がないだろう」
ようやく目を突き刺す朝の光に慣れてきたバレンタインが腕を退かせ、それでも瞳を細めながら完全にベッドから降りて立ち上がった男の、所々乱れている白群の癖のある髪が滝のように流れる背中に言い募る。
「しょうがない」
くるりと振り返るその顔は、年齢よりも幾分か若々しい。
「代わり映えの無い、いつも通りの朝食でいいな?」
「…任せる」
無愛想に呟いた自分に対し、男はあんまり期待はするなよと言い置いてダイニングへと向かっていく。
ああ、やはりこの男はあの方と違うのだと、未だぼんやりと思考しながら、バレンタインもまたゆっくりと身を起こして、今しがたベッドから出て行った男が脱ぎ散らかした衣服を拾い上げ、クイーンサイズのベッドから足を下ろした。

◇

この男と何とも形容しがたい関係になってからしばらくが経つ。最初の内は、今でも尚、敬愛の対象である上司を相討ちに持ち込んだ聖域のリーサルウェポンとしての認識しか無かった。聖戦後、神々の協定が結ばれ、この男と上司の翼竜が敵味方の垣根を超えて交流を深めていた姿をバレンタインは何度も見かけた。
だがその当時バレンタインはこの男のことは眼中になく、瞻仰する上司のラダマンティスに懸想していた。その気持ちは押し留めようとしていたバレンタインだったが、あるありふれたきっかけで翼竜に知られることとなる。だがラダマンティスはそれを拒絶することはなくバレンタインの気持ちを真正面から受け止め、二人は上司と部下の関係を飛び出した。


「…」
身に付けていた寝間着を脱ぎ、拾い上げた衣類と共に洗濯機の中に無造作に突っ込んだバレンタインは、木材で作られた戸棚から洗剤を取出し適量を入れる。色落ちして困るものはこの中には無いのでまとめて洗っても良いだろう。
「おい」
「ん?」
ふと顔を出した男にバレンタインは視線を向ける。腰まで届く長い白群の髪は項の当たりで一纏めに括られ、普段着であろう水色の修練服の上には何ともシンプルな白いエプロンが装着されている。銀河を砕く技を繰り出す左手にはミスマッチとも言えるフライ返しが握られているがそんな姿も相変わらず様になるなとバレンタインはぼんやりと考える。
「パン、どのくらい食える?」
そんな己の気持ちを知る由もない男の口から飛び出した台詞に、そういえばとバレンタインは初めて空腹を覚えた。次の瞬間、自覚した空腹を煽るように漂ってくる美味しそうな匂いに釣られたバレンタインの腹の虫は、切なげに鳴り響く。
「くくっ、大盛でいいな」
笑いをかみ殺す表情が小憎らしくてバレンタインは三白眼で睨みつけたが、男は意にも介さず、手に持っていたフライ返しを持ち直してキッチンへと引っ込んだ。

◇

飛び出した自分をあの人は確かに受け止めてくれていたとバレンタインは今でもそう思う。ただ、自分が彼の望むように触れられなかっただけだった。
恋人としてのラダマンティスは確かにバレンタインを愛してくれていた。そして自分もその愛を享受していた、つもりでいた。彼は恋人であると同時に冥界三巨頭という貴い身分と実力を持つ人で。誰よりも部下を思う心を持ち慕われる存在で。部下として側にいた時間が長すぎたのか、自分がただ臆病だっただけか、恐らくはきっと両方なのだろう。思うように手を伸ばせない自分を見るラダマンティスのシャトルーズイエローの瞳は、日に日に寂しさの翳りを帯びていった。
そんなラダマンティスの気持ちをバレンタインは勿体ないくらいに感じていた。だが彼は、恋人であると同時に憧憬の存在だった。彼に庇護されるだけの存在に成り果て、部下としての信頼を失ってしまうことをバレンタインは何よりも恐れていた。きっと自分がそれを恐れるあまり、飛び越えることを望んだはずの枠組みに戻ることを望んでいるようにラダマンティスは感じていたのだろう、次第に熱烈な恋情は緩やかに鎮静化していくように彼らは求め合うことをしなくなった。
燃え盛る炎が、水面に描かれた波紋がいつしか消えるように、周りに不自然さを感じさせないほど二人は元の関係に戻っていった。そうだ、これでいいとバレンタインが納得しかけた矢先のある日、彼はラダマンティスに呼び出された。
『すまない』
そう、彼はバレンタインに向けて頭を下げた。
『お前を幸福には出来なかった』
頭を下げてくる上司の姿とその言葉を耳にした瞬間、バレンタインはこの時になってようやく自分が彼に心底愛されていたのだと実感した。そして、もう二度とこの手に戻らないということも。
バレンタインにとっては、ラダマンティスの真摯な愛情が永遠に失われたことよりも、貴き人が不甲斐ない自分のために頭を下げていることの方が重要だった。頭をあげさせ、自分のためにこんなことをしないで欲しいと言い募った瞬間、漠然と感じていた恋の終わりが唐突に現実味を帯びてきたが、それでもバレンタインはそのことに対して涙を零すことはしなかった。


「未だに思うのだが…」
「ん?」
もくもくと出来たての四つ目の白パンを頬張りながらバレンタインは、向かいに座りハムエッグにフォークを入れている男-カノン-を見ながらある感想を口にする。
「あなたがこんなに料理上手だとは未だに納得出来ない」
「何だそれは」
可愛げのないバレンタインの言葉に、カノンは小さく苦笑を洩らす。
「仕方あるまい、あなたはよくラダマンティス様に酒と飯を集りに来ていたのだからな」
「…ああ」
その一言にカノンの顔が一瞬曇る。痛いところを突いたのだろうなと思いつつも特に気にすることなく、バレンタインは五つ目のパンに手を伸ばした。

◇

カノンとの関係が急変したのはそれからしばらくのことだった。おおっぴらに公言していなかったので当然と言えば当然だが冥界の誰もが自分とラダマンティスの恋が終わったことに触れては来なかった。だからそのことについて最初で最後に触れてきたのがカノンであったことにバレンタインは純粋に驚いた。
――…なんだ、アイツとは別れたのか?
あれは確か地上への視察に赴いた後だったように思う。冥界へ戻る前に何となくだが一杯煽りたかった気分だった。名も知らないうらぶれた酒場のカウンターにかけていた自分の隣に腰を下ろしながら投げかけられた明け透けな物言いに憤慨する前に、何故この男が?という気持ちでいっぱいだった。そんなバレンタインの気持ちを見透かしたように、カノンは苦く小さく笑った。
――…あいつから色々聞かされていたからな、それに…、俺もお前と同類だ。
平素なら聞かなくても良いことはバッサリと切り捨てるバレンタインが彼の言葉に目を見開き、聞いてやっても良いと思えたのは酔っていたからでも前半の部分を聞きたかったわけでもない。自分と同類であると言ったからには彼もまた一世一代の恋を失ったのだ。しかしそんな風には見えないカノンの態度に、本当にラダマンティスを愛していたかどうかわからない自らの気持ちが少しでも見えるような気がしたからだ。

甘ったるいウーゾをほぼストレートで一気に煽ってカノンは語りだした。彼曰く共に生まれ落ちた兄に懸想していたのだと。ずっと共に生きていけると思っていた二人は憎しみの末別離し、そのまま人生を終えたのだが、神々の協定が結ばれ、予期せぬ人生を与えられた。だからこそ新たに始まった生では今度こそサガを大切にしようと彼は今までの態度を改めたのだという。共に寝食し贖罪のために生きようとするサガを宥め無理をしないように言い包め、心身ともに労っていたのだと。
だが、そうしているうちにカノンは覚った。もうサガが唯一の世界でも、サガという光がなければ存在しえない影の自分ではない。サガを大事にするために手を伸ばし触れる度、彼が済まなそうな顔を見せたのは、自分に負い目があるからだと思っていたが、それは半分当たりで半分は違っていたのだと。

『お前はもう双子座のサガの影だけの存在ではない』
話があると切り出され、告げられた言葉。その声は優しさに満ちていたが、同時に一抹の寂しさも感じ取れた。

『海龍のカノンであり、双子座のカノンであり、私の大切な弟だ』
その言葉でカノンは抱いていた恋が静かに崩れる音を聞いたのだという。しかしそれは焼け付くような痛みも切なさもなく、やわらかな雨に砂の城がゆっくりと打ち流された、そんな感覚だったと彼は穏やかに語り終えた。

その直後からお互いを隔てていた距離は急速に縮んでいくことになった。焼けつくような胸を焦がすような痛みも、彼を独り占めにしたいという気持ちも微塵もなかった。ただ漠然と互いに引き寄せられる茫洋とした感覚に身を任せた結果が、今の自分達の関係の全てだった。

「ふふ」
「何だ?」

初対面では表情筋が固まっているのではないかと思うほど感情の表現に乏しかったバレンタインだが、こうして共に過ごす時間が多くなってからは表情が豊かになっているのが判る。ただ、それでもこんな風に柔らかく笑う顔は滅多に見ないのでカノンはその笑みの理由が気になった。
「いや、色々と思い出したのだ。私とあなたがこうなったきっかけを」
「それはまた」
複雑そうな顔で呟いたカノンを見てますますバレンタインは笑みを深くする。八つも年上の彼は今も尚敬愛する上司よりも子供っぽい顔を見せる時があるが、そんな表情は嫌いではない。
「しかし何でまたそんなことを思い出した?」
蜂蜜をたっぷりとかけたヨーグルトをスプーンで掬いながら訪ねてくるカノンに、バレンタインはそうだな、と呟く。
「多分、ラダマンティス様のお誕生日が近いからだ」
「…全くお前は、別れてからもラダぞっこんか」
「悪いか? あなたこそ兄君にご執心ではないか。私に会うたびサガがどうしたこうしたと語るくせに」
しばしのにらみ合いが続いた後、どちらからともなく二人は噴き出す。
「そうだな、折角非番が重なったのだから、あいつのプレゼントでも物色しに繰り出すか」
「ああ、悪くはない」
カノンの提案にバレンタインは即座に乗りかかり、この後の予定をざっと組み立てていく。
回した洗濯機はそろそろ終わりを告げる頃だ。今日は一日中晴れのはずだから雨の心配もいらないので、気兼ねなく干していても大丈夫なはずだ。
結局六つものパンを平らげてしまった自分を見て苦笑するカノンに、少々バツが悪い思いをしながら憎めない年上の男の整った顔を軽く睨めつけて、バレンタインはキイチゴのジャムを入れたヨーグルトを口元へ運んで行く。

今だから思う。恐らく自分達は、恋でもって相手を手に入れることには長けていないであろうことに。何よりも大切にしたい、手に入れたい、特別な関係になりたいという気持ちはあったが、それは恋愛ではなかったことを身を持って知らされるまで判らない、そんな厄介な類の人間なのだと。
そしてあの日から、周りから見ても己らから見ても何と名前を冠しても良いのか判らない、ぬるま湯のような関係を結んでいるが、不思議と心地よいものだと感じている。
きっと自分達はこうした関係の方が合っているのだろう。少なくとも、この繋がりを失えば、二度とは立ち直れないと考えるくらいには。

「なら早めに出るか。昼は多少遅くても大丈夫だよな?」
「ああ」

腹ごしらえが済み、カノンは食器を下げてそれを洗う最中、バレンタインはブザーのなった洗濯機へと足を運んで中から綺麗になったそれらを取出し籠に詰め、勝手口の扉を開く。

聖域と海域、そして冥界の入口の中間にそびえ立つカノンの私宅である小屋から眺める、生きとし生ける全ての者達に優しさと光を与える空は相変わらず目には慣れない。
だがあの男と同じ髪の色というだけで、自分の身体が緩やかな幸福に満たされるくらいには彼を想っているのだとバレンタインは改めて自覚しながら、まだ少し冷たい空気を持つ外へ小さく踏み出したのだった。










BGM:Aurora・朝に満ちて(AURORA/Origa)
仲良くして下さっているフォロワーMさんのお誕生日に書かせて貰ったカノバレです。
深く練られている設定を生かせたかどうか微妙な感じの話で、しかも二つのCPを破局させたという誕生日に相応しくない物を送り付けた感満載だったのですが、受け取っていただけてホッとした代物です。
書いている内に私の中でこのカプ(というか友情以上恋人未満)の二人はお互い別に特別に想う大事な人が居る、ただそれは恋という形ではないというイメージで固まっていきました。ある意味で恋愛下手の二人がやがて二度目の恋に発展するかどうか、そんな絶妙な関係性に萌えるのだと思います。
改めましてM様、私にカノバレを書くきかっけを与えて下さってありがとうございました!
(2017/11/09)



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