エーゲ~共に過ごす日々と共に~
カタカタ…カタカタカタ…

眩いほど白亜の部屋に静かに響く記憶を紡ぐ音。それはまるで古の神話のモイライが奏でる紡ぎの糸の音色のようだとラダマンティスは感じた。
『ほら、ラダマンティス。そんなしかめっ面をせずにもっと笑いなさいな。』
無機質なモイライの紡ぎの音にかぶさる柔らかな声。現代においては極めてレトロな物になってしまった映写機が映しだすは、幸福な表情を見せる、白き佳人。
壁、シーツ、天井に至るまで真っ白な部屋。遠くにエーゲ海を臨める彼らの最も古い記憶にある故郷のホテルの一室がささやかな上映会の会場だった。決して安価ではなかったが、傍らに微笑みながら映写機の移す映像を眺めている、ラダマンティスにとってかつても今も頭の上がらない佳人のたっての願いを叶えるならば、大したことはない額だ。
『ずいぶんと楽しそうだな…ミーノス。』
『ふふ、あなたが私のお願いを、受け入れてくれることが嬉しいんですよ』
『っ!』
過去の自分がミーノスと呼んだ、今も隣にいる人物に無邪気にすり寄られて息を飲む場面。映像に残された己を眺める事は、ある意味で精神力の強さが試される。これは二年ほど前に映された物で我ながら動きも表情も固いと感じるが致し方がない。ミーノスの”お願い”と自分自身の精神的衛生面を天秤にかけた結果が、二年前とさほど変わらない表情で映像を見続けている現在の己に繋がっているのだ。
だがさすがに過去の自分の動揺ぶりにいたたまれなくなり、ちらりと隣に座るミーノスを見やる。アイボリーのシーツをかけられたソファに寄り添うように座っているミーノスは、映像の中のそれよりも楽しそうに、そして幸福そうに笑っていた。



地上の女神と我らが主神・ハーデスとの聖戦から三年。瓦解した冥界と散っていった冥闘士達の生命は、女神の慈悲と一定の条件下の元で復活を果たした。
慌ただしかった冥界も復興の目途が経ち、聖戦前のサイクルを取り戻した頃、仕事がひと段落ついたラダマンティスにミーノスは願いを持ち掛けた。


――…共にこれから過ごす日を、二年毎に形にして、共にそれを観ましょう
と。


これが聖戦前のミーノスの言葉であれば何の冗談かと疑ってかかった。しかし今は、お互いに果てた覚えのある聖戦後であり、”二度目”の喪失の痛みが癒えないラダマンティスは少しは考え込んだが、黙って首を縦に振った。


***


魔星に選ばれた人間は、冥衣を纏えばその身に小宇宙を宿す。その仕組みは冥衣に宿る記憶によるもので、かつて冥闘士として選ばれてきた人間達の膨大な記憶も引き継ぐことで、今生の冥闘士が誕生する。
しかしラダマンティスにとって、かつて冥闘士として選ばれた自分以外の人間の記憶など興味のないものであり、それに共鳴して耳を傾けるつもりも覚えてやる気もさらさらなかった。たった一つ、神話の時代の記憶を除いては。


エーゲ海に浮かぶ真珠と謳われたこのクレタ島に、高度な文明を齎した王・ミノスとその王弟であったラダマンティス。神の力を借りてクレタの玉座を掴んだ敬虔なる王は、その名声から嫉妬を買い、他国滞在中に暗殺される憂い目にあった。
その訃報に嘆き、怒れたラダマンティスは国を出てミーノスを取り戻そうとしたものの、その目的は叶わずに海の藻屑へと消えていった。
あまりにもあっけない最期を迎えた二人。胸に抱いていた思慕は、ついに形に表れることはなく潰えていった。

再びまみえたのは今生での冥界三巨頭として。冥衣の押し付けがましい煩わしい過去の冥闘士の記憶は、互いに顔を合わせた瞬間に、たちまち静かになったのを今でも覚えている。


”お久しぶりですね。ラダマンティス”
思わずあの時代に立ち上って涙を零しそうになった。あの頃と変わらない、柔らかな自分を呼ぶ、声。


”ああ、ミーノス”
その一言を返すだけで精いっぱいだった。


”今度はあなたを置いて逝きはしませんよ”
優美にほほ笑むその表情に混じるわずかな哀しみの色が見て取れて、今、自分も同じような顔をしているに違いないとラダマンティスは思う。
別離らしい言葉を交わせずに輝かしい時間を終えた二人には、その言葉こそが新たな始まりであり、そして二度目の終焉告げるものでもあった。

***

ミーノスの申し出た約束は、出来るだけ自分たちの思い出を形に残したいとのことだった。
一度目は先に、二度目は後に。
一度目は後に、二度目は先に。
互いが互いを失い、置いて行かれたその記憶は、いくらその身に強大な小宇宙を宿したところで、精神の最も脆弱な部分を容赦なく抉る。


前代未聞とも言えるかつての聖戦にもあり得なかったはずの今生の女神側の処置は、冥府に仕える者としても人並みの幸福を得よという達しなのだろう。
自分を含めて最初は憤慨していた冥闘士側であったが、敗者が勝者に従うのは古の時から取り決められていること。その計らいに従い、再び冥界で生を歩むことになった恩恵に預かろうという、かつては兄でありながら想いを募らせたミーノスの願いをラダマンティスは一笑に伏す気にはなれなかったのだ。


***


「ん?」
不意に、ソファの上に無造作に置かれているラダマンティスのごつりとした手に触れる滑らかな感触。
隣に視線を移すと、映写機の映像ではなくじっとこちらを見つめるミーノスの、金色の夕日のような穏やかな瞳。
「…見ないのか?」
「見ていますよ。」
あなたを

パタタタタタタタタン、ジ、ジーーー

いつの間にか二年前に記録した映像は終わり、映写機が役目を終えたとばかりにフィルムを巻き戻す。静かな音に掻き消えて聞こえないほどの小さな声で紡がれた言葉を飲み込むように、ラダマンティスは唇を合わせた。

「ん…っ、」
陽を遮る白のカーテンの向こうからは波の音が聞こえてくる。はるか昔に聞いたことのある、どこか懐かしい音。

「…ラダマンティス」
”ずっと、愛していましたよ”
”今生こそは、あなたの望むように”
”だから、今生こそは生き抜くことを約束してください”


腕にあるのは、三度出会い、ようやく手に入った、愛しき者の温もり。




「…また、二年後…、いいえ、今度は一年後に、形に残しましょう」
「ああ、何なら半年ごとでも構わんぞ?」
「そこは一ヶ月ごとではなく?」
「馬鹿を言うな。そんなに撮り貯めたフィルムをどこに保管する?」


密やかな笑い声を奏でつつファに沈み込む二つの影は、共に生きる歓喜と夢のような甘美な時間を紡ぎ始め出す。


真っ白な部屋で執り行われた上映会は静かに幕を下ろす。
一年後に執り行われる、幸福な記録の記憶の序章の始まりを見守りながら。

BGM:エーゲ~過ぎ去りし風と共に~(MALICE MIZER/Merveilles)     エーゲ海に捧ぐ(MALICE MIZER/memoire)

当サイトの初のラダミー。
冥闘士は神話の時代から同じ魂を転生していると公式では言われていますが、当家ではその部分の記憶はあまり重要視していません。
過去は過去、今は今とある意味割り切っているのが基本スタンスです。






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