二人の華麗な地上の休日
冥界が誇る三巨頭の一人ラダマンティスとその副官であるバレンタインが揃って旅行に出かけたのは、厄介な案件を片付けた牢をねぎらわれて与えられた休暇がきっかけだった。平素は上官と部下である二人の逢瀬は、もっぱらラダマンティスの都合にバレンタインが合わせるのがほとんどであったので、この休暇はまさに彼らにとって貴重な時間だった。どこにも出かけることなくただのんびりと穏やかにラダマンティスと過ごせるならそれだけで良いのだとその旨を上官に伝えたのだが、『あまりに物分りが過ぎるのも考え物だな』と苦く笑われてくしゃりと髪の毛を撫でつけられた感触を夢現の中でぼんやりと思い返しながら、バレンタインはナイトフライト中のファーストクラスのシートの上でゆっくりと目を開いていく。
「起きたのか?」
隣から訪ねられた小さな声は、今、夢の中に出てきた人で愛する人のものだと判断したバレンタインは目をこする間もなく覚醒する。
「は、い」
小さく返事をし姿勢を正そうとするも、良いからもう少し寝ていろと身体をやんわりと押さえつけるラダマンティスにこれ以上眠っていては時間が勿体ないと判断してバレンタインは大丈夫ですからと言い募る。洗練されたホテルのスイートのようなファーストクラスのシートはふわふわとした座り心地で、隣にいる人との時間を楽しむ前に睡眠に屈してしまったであろう疲労がたまった身体を恨めしく思いながら、バレンタインは身を起こした。
「ならばいいが…」
片耳だけを外したイヤホンを指先で弄びながらラダマンティスは、眠くなったら遠慮なく眠れと言い置く。その気遣いを嬉しく想いながら、バレンタインは上官の席に備え付けられている液晶から流れる映像に気づき、折角見ていた映画なのですからとそちらに集中するように促した。
「…」
「え?」
しばしの沈黙の後、不意に差し出された上官の右手にバレンタインは面食らう。見ると男らしい指先に摘ままれているのは先ほどラダマンティスが耳から外したイヤホンだった。
「ローマの休日、に興味はあるか?」
「っ、は、い」
名前ぐらいなら知っている世界的に有名な映画。イタリアのローマにて、とある国の王女と新聞記者の、24時間きりの恋を描いた物語。
切なくも甘いラブストーリーとして長く時を経て愛されている映画であるが、バレンタインはそれほど興味はなかった。しかし現在、隣にいる公私共に愛する人が観ている映画と言うだけで際限なく興味が湧いてくる。
「くくっ」
我ながら現金だなと思いつつイヤホンを受け取ろうとした時に、不意にラダマンティスが小さく笑う声がバレンタインの耳に届いた。もしや自分の考えが見透かされてしまったのかと考えて固まってしまうバレンタインを見てますますラダマンティスの笑みが深くなる。
「いや、実は俺もつい先ほどまで特に興味はなかったんだがな」
「え?」
「お前が眠って手持無沙汰になった際、適当にチャンネルを回してみていただけなのだが」
「申し訳ありません」
「いや、謝ってもらいたいわけじゃない。とにかくまだ先は長いし、折角の機会だから見ておこうと思ったのだ」
あまりまじまじと寝顔を眺めれば、目覚めたバレンタインは恐縮し、この旅の間に無防備な寝顔を晒してくれることはないだろう。この恋人の生真面目さは美点だが若干玉に傷だと内心苦笑しながらも、ラダマンティスは話を続けた。
「目的地に着く前の暇潰しのつもりだったが、いつの間にか…」
差し出したままの上司の指から滑り落ちたイヤホンをバレンタインは慌てて掌で受け止める。熱い掌がその上に覆いかぶさってきたのはその一瞬後のことだった。
「ラダマンティス様…っ!」
「この映画に、感情移入している自分がいた」
「っ!」
画面では、王女と記者が飛び込んだ河から上がって、固く抱き合いキスをしているシーンに差しかかっている。ここまで惹かれあいながらも二人は成就しない恋を封じるため、想いは決して口にはせずに、別々の道を歩む結末を迎えるのだ。
「もしかしたら俺達も、彼らと同じ道を辿っていたかもしれない」
シャトルーズイエローの瞳で真っ直ぐに射抜かれるバイオレットの瞳。真剣な眼差しのままラダマンティスは言葉を紡ぐ。
「たられば、は論じるだけ無駄だ。しかしそれでも思わずにはいられなかった。こうした関係になり得なかったら、ただの上司と部下としてでしかなかったら…と」
その言葉にバレンタインは思わず息を呑む。それはまさに自分もふとした瞬間に思っていたことだったから。
「だからこそ、バレンタイン。今、こうしてお前と共に居られる事に幸福と感謝をせずにはいられない」
バレンタインをまっすぐに見据えているラダマンティスの片耳からはイヤホンは当に外れており、物語は音の無いまま、成就し得ない道に向けて歩きだしている。
「わた、しも…」
ラダマンティスの熱烈な告白に、バレンタインも懸命に言葉を紡ぐ。顔がどうしようもなく火照っていて熱い。そして目の前の彼の肌も薄暗い機内において、心なしか赤く見える。その光景が今もまだ、夢のように想える自分がいて。
「あなたの側に居られる幸福に、寄り添うことを許してくれた奇跡に…感謝せずにはいられません」
そう言ったのと同時、バレンタインの掌の上に更に深く重なる、熱い掌。冥界の貴い地位にいる人の片腕としてだけではなくそれ以上の地位も望み、手に入れてしまった幸福故に、覚えた”怯え”と言う感情。
宮殿に戻り公務を果たす王女と、想い出を取りスクープを形にしない記者のような結末を選ぶべきだと己が心に責めたてられても、この熱い掌を、真摯な瞳を手放すことは愚かな真似でしかない。

「…愛してる」
ただ、自分はこの方を、この、ひとを信じればいい。
「…私も、あなたを愛しています」
そして、この人に信じてもらえる愛情を与えて生きたいと、心の底から想う。

「ああ、終わってしまったか」
互いに想いを伝えあった後、バレンタインの肩をその熱い掌で抱き寄せたラダマンティスは、楽しい思い出だけを手渡し身を引いた記者と、涙の痕を残しながらも無言で別れを告げる王女のクライマックスシーンを見ながら、膝上に落ちてしまっていたイヤホンを拾い上げた。
「…では、着いた先のホテルで、もう一度最初から観ませんか?」
今度こそ最初から共に見ようと耳に嵌めようとしていたラダマンティスは恋人のその提案に、ああ、是非そうしようと大きく頷く。
「長い休日になりそうだから、今度こそもう少し眠っておけ」
「…はい」
肩に回されていた掌に目元を優しく覆われる感触と隣にいる愛しい人の温もり。しがらみも何もを忘れてそれらに浸りながら96時間の休日を堪能すると決めたバレンタインの意識は、再び眠りへと落ちて行った。




仲良くして下さってるフォロワーMさんからのツイッターお題から着想を得たラダバレ。 ※真夜中に飛行機乗って界外旅行(?)するラダバレで、飛行機の中でうたた寝していたバレンタインがふと目を覚まして隣を見ると暗い機内で映画を観ていたラダ様と目があってイヤホン外しながら「起きたのか?」って言うのが萌えシチュですが、その時ラダ様が観ていた映画のタイトル大募集 とのことで、頭の中に浮かんだのがローマの休日でしたw  何となく映画のストーリーもこの二人に似合うような気がしてあらすじと二人をリンクさせて書いたのがとても楽しかった記憶がありますw (2017/11/9)

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