【腐敗のコッペリア】(ビャク→ミー) 「ああ、これも潮時ですね」 ぽい、と、指先から伸ばしていた糸をしまうと、繋げられていた躯がグシャリと地に落ちる。 「貴方の作ってくれる人形は、私に忠実ですが、如何せん長持ちしない」 「申し訳ありません」 長年使えてきた、美しき青年の喜びに満ちた笑顔は、昔に比べて己に向けられる頻度は確実に減っている。 なまじ美しい笑顔を知っているだけに、失望に歪む顔もさぞや美しいのだろう。しかしビャクはその飢えを押さえ込む。失望されてもいいから、己だけを見てほしい…などと、まるでどこぞの駄犬のようではないか。 この方の操り人形でいられるうちはまだいい。しかし糸を切られたマリオネットは役目を終えるべきだ。己の作るゾンビのように醜い思慕は美しいこの人に似つかわしくない。 「ビャク」 自分だけの甘やかな神の声が耳をくすぐる。 「次こそは私の糸に耐えられる人形を、ね?」 「…は、」 ビャクは気づいていない。 この白き麗人の次が、幾度となく繰り返されていることに。もうとっくに、彼の生み出す腐敗した人形では、彼の織りなす糸に耐えきれないことを承知の上で、彼に人形作りを命じていることに。 煌めく死の糸と崩壊する命を操る二人の真の想いはこれから先も永らく交わらない。 【マエストロ】(ビャクミー) 「私は死体を操れない。現世において死体は空の器です。」 だから、と見えない糸を操る指先がビャクの胸に触れる。 「貴方が私を補いなさい。ビャク」 優美に微笑んで命令を下すミーノスにビャクは、約束された勝利の戯曲をこの人の隣で永遠に奏で続けようと誓った。 【その身に相応しい物を】(LCアイミー←ビャク) 「な、何をなさっているのですか!?」 三巨頭が一人、グリフォンのミーノスの腹心であるネクロマンサーノビャクが悲鳴にも似た声を上げたのは、荒れ狂う冥界の荒野だった。 出かけてくるからと言い残し、第一獄を出たミーノスだが、そのミーノスでなければ判らない案件が持ち込まれ、主君の小宇宙を追いかけていったのが数刻前。 赤黒い空とむき出しの土しかない荒野でもひときわ輝く美しきグリフォン。空っ風に吹きすさびながら揺れる漆黒の羽根はいつも己を魅了してやまない。 が、次の瞬間、そのグリフォンは突如空中へと持ち上げられる。 「!?」 ビャクの黒目が大きく見開かれ、慌ててミーノスのそばに駆け寄ろうとする、が。 「近づくな!」 突如張り巡らせた強大な小宇宙によってビャクの体は弾き飛ばされる。 顔面の前に腕を交差させて衝撃に耐えようとするが、この圧倒的小宇宙はミーノスと同じ三巨頭が一人の迦楼羅王の物だ。努力もむなしくビャクの体は無情にも吹き飛ばされる。 「ぐっ、な、何を…」 地面に這いつくばらされたビャクがどうにか顔を上げて見た光景は、天雄星必殺技であるガルーダフラップによって吹っ飛ばされ、落下してきたミーノスを、×印の代わりに横抱きで受け止めるアイアコスの姿だった。 そして、冒頭の台詞へと戻る。 「お前ではミーノスを守れんよ」 軽く意識を失っているミーノスを横抱きに抱えたまま。アイアコスはあざ笑うかのように言い放つ。 「美しいこいつに腐った盾など似つかわしくない」 ぐったりしたグリフォンの顎先に舌を這わせる迦楼羅に、死霊使いは這い上がる怒りに背を震わせる。 「腐敗した人形の盾なんぞ、こいつの魅力を損なわせるだけだ」 自身の能力を貶されているにも拘らず、ビャクの心を苛立たせているのは、気安くミーノスに触れているそのことに対してだ。 触るな、触るな、触るな――…! 彼を護るのは私の役目、そう私の役目だったのに――…! 「ふぅん」 黒目の中に浮かぶ紅いルビーの瞳が血走るのを見て、アイアコスは不敵に笑い、その一瞬の後にミーノスの身体をビャクの方へと投げて寄越す。 「!!」 慌てて気を失ったミーノスを抱き込んだビャクに、アイアコスはこれ以上ないほど侮蔑しきった目で言い捨てた。 「自分の力が否定されたことよりも、こいつに触れてるそのことが気に喰わないか」 「っ!?」 「身の程をわきまえない奴ほど、興ざめする者はない。」 そう言ってくるりと踵を返して去っていくガルーダの背中を、ビャクは直視できずに逸らす。 「…ミーノス様」 腕の中でぐったりとしているミーノスは未だ目覚める気配はない。 「…」 それを見こしてビャクはミーノスの糸を手繰る指先を取り、そっと口づける。 この指先から織りなす不完全な糸、それを補うのは己だけでいい、あなたに相応しいのは自分だけだという、万感の意を込めながら。 【壁ドン】(LCアイミー) もうこれで何度目になるのか、細く白い首を掴まれてミーノスは岩壁へと叩きつけられる。 「かはっ!」 寸分違わずに同じ場所を的確に掴み挙げる迦楼羅の爪。白銀の絹糸でその部分を隠さなければ誤魔化しきれないほどの痣が刻印のように刻まれつつある。 新たにミーノスの首に自分の痕を付けることに成功したアイアコスは嬉しくてたまらないと言った体で、純粋な笑顔を見せる。 「俺の爪でお前の首が捥げるのと、お前が俺を噛むのがどちらが先かな?」 白い佳人の体を叩きつけたことで、粉々に砕け散る岩壁。壁から地面へと押し倒され、酸欠にあえぐミーノスの横っ面擦れ擦れに振り下ろされる迦楼羅の拳。その風圧がプラチナの髪と共に白い頬に微かな紅い線を走らせる。 「っ調子に乗るなっ!!」 封じられていない右手でコズミックマリオネーションを発現させようとするミーノスの身体が、瞬時にして宙に浮く。 ガルーダフラップで再び宙へと舞いあがったミーノスの妖紫の糸がくっついているのを確認したアイアコスはそれを引きちぎりつつ、今日はこの手で受け止めてやろうかという気まぐれからその糸を引っ張る。 可愛らしく無力なグリフォンが勢いよくその腕の中に飛び込んでくるまで、残り、一秒。 【何時でもいっしょどこでもいっしょ】(ラダミー) 「じゃあ行ってくる」 「はい、行ってらっしゃい。あ、ラダマンティス」 「ん?」 「あれ、持ちましたか?」 「ああ、お前が作った編みぐるみは確かにここにある」(懐の中) 「全く、冥界三巨頭の一人がぬいぐるみが無ければ眠れないだなんて聖域の者たちに知れたら…」 「仕方が無かろう。長年の習慣なのだから。」 「…それもそうですけど」 軽く頬を膨らませるミーノスにラダマンティスは苦笑する。こちらはミーノス手ずから作られた、”ちみミーノス編みぐるみ”があるが、目の前の恋人はこれから数日の間独り寝なのだ。口には出さないが明らかに拗ねているミーノスをそのまま放っていけるほど、ラダマンティスは淡白ではなく。 「…ほら」 「…別に私は…」 軽く両手を広げてこちらへ来いと促すラダマンティスにミーノスは照れたように顔をそむける。 「編みぐるみだけじゃ物足りん。」 「っ、仕方がない人ですね」 若干早口になりながら、広げた腕の中へ躊躇いなく飛び込んで、肩口に顔を寄せて思う様しばらく会えない温もりや匂いを堪能するミーノスの細腰にラダマンティスは両手を回し、こちらも同様に彼の低い体温や匂いを堪能する。 【# あなたがMAXキレると】(ミーノスとアイアコス※ラダミー前提) 「永久氷壁をぶち破ったワンパンで沈黙させます。だからね?C・Mの糸で無理やり寝台に括り付けられている内はまだ華なんですよ?判ってんのかこの天眉星」 「返事がないぞミーノス。屍になってんじゃあないのか?」 【受戒の意図】(ミーノス受) 「私の糸は思うがままにあなたを操れる。」 す、と目の前の男の身体にすがりつきながら、何かを言いたげな男の唇にミーノスは己が唇を重ね合わせる。 「ただ、それは懐に入ってしまえば意味はない」 白くしなやかな腕が、彼のたくましい首に回されていく。 「例え糸が使えなくても、あなたの舌を、急所を噛みちぎることだってできるのです」 耳元に艶を込めて吹き込む声に、男の興奮するさまが見て取れた。 「だけど私はそれをあなたにしたことがない…その意味がお分かりですか?」 矢も楯もたまらないと言わんばかりに押し倒されながら、ミーノスは笑う 「その意図こそが私の真意。まさか読み取れないなどとは言わせませんよ?」 もう黙れと言わんばかりに再び重ねられる唇をこじ開けられ侵入してくる舌を、ミーノスは甘く噛む。 引っこ抜かれれば意味も音もなさない陳腐な愛の言葉なんてあげたくない。ただ、その意図を信じよという想いをこめて。 【繊細と不器用は比例する】(ラダミー)※元ネタ ラダマンティスはミーノスに触れる時、明らかに及び腰になる。ミーノスにしてみれば外見を夢見がちな表情で褒めそやされるのは確かに悪い気はしない。しかし、それを壊れ物を扱うように触れられるのはどうにも我慢ならない。 今日も仕事が終わって引き上げた私室にて、ラダマンティスはミーノスに触れようと手を伸ばした。が、やはりおずおずと言った体で触れてくる。 「うわっ」 それにじれたミーノスがついに糸を出す。至近距離では効果は薄いが攻撃する訳ではないので問題はない。指先を巧みに操りラダマンティスの手を捕らえ、そのまま首に回すようにと促した。 「何を躊躇っているんです?」 「躊躇ってなど…」 涼やかな白い面差しから続く、その気になれば片手でへし折れてしまえそうなほどたおやかな首。琴を聴くことを始め、花を愛でるような趣味なども持ち合わせていないラダマンティスは、確かにミーノスに触れることに躊躇っていた。 「あなたって人は…」 苦虫を噛み潰した顔で自らに触れている恋人に小さくため息を吐きながら、白い貴人は無骨な手に絡めていた手繰り糸を解く。 「貴方が不器用なことくらいとっくに知っています」 ラダマンティスが息を呑むのが判る。人の首すらねじ切り落とす糸を操る指先が、充てがったままの手を取り、滑らかな頬に押し付けたからだ。 「ミーノス…ッ!」 振りほどこうとしたが、下手に動いてミーノスを傷つけたりはしないかという躊躇いから、ラダマンティスは彼のなすがままになっている。 「私はあなたのお人形になるつもりはありませんからね。」 ごつりとした、その無骨な指先に口付けて、ミーノスは、つと舌先を這わせていく。 長い睫毛に縁取られた瞳を閉じて、ゆっくりと手首に向かって下りてくる赤い舌先。その扇情的とも言える仕草にラダマンティスは堪らずその舌先を掴んでいた。 「…」 そのまま白く麗しき人の顔を持ち上げれば、その乱暴な仕草に対して満足気に黄昏の色の瞳が細められている。 「良くできました」 舌先を離した指を顎先に持っていき、荒々しく唇を奪った直後に紡がれた言葉。 「お前という奴は…人の気も知らないで」 「あなたこそ、あなたにならどう扱われても多少は目を瞑る私の気概も覚らないで」 そう返したミーノスはどこか拗ねたような寂しげなもので、その表情にラダマンティスは言葉に詰まる。が、そんな顔を見せられては、やはり力任せに触れるのはどうかという思いと、恋人の思う通りにしてやりたいという本心がせめぎ合う。 そんな困惑した小宇宙を間近で感じ取ったミーノスは、擽ったい気持ちを抑えつけながら、しょうがないと言わんばかりに肩をすくめて今回はこれで妥協したのだった。 【本日は初体験日和】(アイミー)※おばかなことをする2人が見たいで”初めての釣りで片方が魚を釣り上げテンションが上がるも、うっかりリリースしてしまい結局落ち込むアイミー” 冥界ではお目にかかることのできない清々しいばかりの青空と、優しく深い色を称えた海。人もまばらなこの場所は、地元の人間以外では知ることの無い釣りの穴場スポットとして知られている。そんなゆったりとした空気と景色と釣りを楽しむこの場所で、何やら少々場違いな声が響き渡る。 「お、おいミーノス!これどうすれば良いんだ!?」 健康的に焼けた肌と黒髪を持つ青年が、焦ったように黒水晶の瞳を海から横に移動させ、傍らにいる青年の名を呼ぶ。 「え、ええと…とりあえず落ち着くために深呼吸してください」 白地を基調とした青い模様が描かれたロングスリーブメッシュシャツを着たミーノスと呼ばれた青年は、強く海の中へ引きずり込まれようとする釣竿を持って格闘している青年に的外れなアドバイスを寄越すが、彼は釣り自体が初めてなため素直に深呼吸を繰り返し、どうにか焦りを落ち着かせることに成功したようだ。 「よし、落ち着いた。何となくだが次になすべきことが判った気がする。礼を言うぞミーノス」 「いえ…」 自分でもテンパってしまった自覚のあるアドバイスは結果的に役に立ったようで、釣竿を持ち直した青年-アイアコス-は、海の中にいる獲物を吊り上げようと腰を入れる。その瞳は戦に赴くときに見せる好戦的なもので、ミーノスが好む彼の表情のうちの一つだった。 きっかけは確か、聖域のカノンがラダマンティスのところに遊び来た際に持ってきた海産物だったと思う。両手いっぱいに海の幸を抱えてやってきたカノンの土産を見て、どのように取るのかとアイアコスが興味を示したのだ。 カノン曰く、高速の動きを持って泳ぐ魚をとらえてしとめる方法を用いているが、それでも多くの魚を捕まえる場合、逃げられる可能性が非常に高くなるので、初めて魚を確実にとらえる場合は釣りが一番手っ取り早いとのことだった。 そんなやり取りを経ていてはアイアコスが釣りをやりたいと言い出すまでにさほど時間はかからず、案の定今度の休みはお前の故郷にある釣りスポットに連れて行けとミーノスは切り出された。 それは良いですけど、あなた、釣りのやり方判ります?と呆れ半分に尋ねれば、カノン経由で今生のアテナの生まれ育った国では有名な釣りの教本を読んだからバッチリだという答えが返ってきた。 ミーノス自身も釣りは軽く嗜んでいたが、冥界に下ってからは当然のことながら一切やっていない。改めて道具をそろえるのも大儀なので、じゃあせめてあなたの釣り上げた魚で美味しい料理を作りますよと付き添いを了承すれば、お前は自前の糸があるからそれで釣ればいいじゃないかと真顔で返され、思わず突っ込み代わりの左ストレートを入れてしまったのは無理からぬ話である。 そんなわけでやってきた今生のミーノスの故郷であるノルウェーの無名の海岸で奮闘しているアイアコスだが、いかんせん教本だけの知識で技術面を習得するには少々荷が重すぎた。 しかしそこは冥界三巨頭。闘いのセンスは非常に高い。よって今のこの状況を闘いと見立てれば、たちまち優れた順応力で次になすべきことを弾きだしていく。 「ミーノス。悪いが少し離れていてくれ。」 「え、アイアコス何を…ってまさか!?」 声のトーンが低くなったことに訝るミーノスだが、ごつごつとした岩の上にピンスパイクシューズに包まれたアイアコスの足が×を描くのを見て思わず顔色を変えた。 「止めなさい馬鹿!シャレになりませんよアイアコス!」 「心配するなミーノス。魚相手に全力を出すなぞ三巨頭の名折れ。せいぜい1/250の力で間に合わせる」 魚相手に必殺技を使う時点ですでに名折れていることに気づかないアイアコスは、握りしめる釣竿に小宇宙を込め、ガルーダフラップ(1/250)をさく裂させた。 「せぇぇえい!」 技の勢いを持って釣り竿を持ち上げれば大小さまざまな魚が空高く舞い上がり、3秒後、白いひっかき傷のように描かれた×印に次々と落ちてくるのを見て、ミーノスはあわててアイアコスをその場から退かせ、蓋を開いたクーラーボックスをその上に滑り込ませる。 どさどさどさ、と音を立てて綺麗に収まっていく色とりどりの魚…の他に海藻や貝。そして数刻遅れて浮き玉なども落ちてくる。それを認めたミーノスは目当ての物を詰め込んだクーラーボックスの蓋をパタンと締めてすっと退かし、代わりにアイアコスのジャケットの裾を思いきり引っ張り、×印の上に立たせた。 「おわっ!」 丁度よいタイミングで浮き玉や長靴などが小気味よい音を立ててアイアコスの頭に着地していく。最後に穴の開いたバケツが狙ったかのように、アイアコスの首にエリザベスカラーのようにすっぽりと装着された様を見て、ミーノスは思わず吹き出してしまう。 「ちょ、アイアコス…!あまり笑わせないでくださいよ…!」 「笑うなミーノス!そもそもお前がだな」 しかしアイアコスの文句はそこで途切れてしまう。腹を抱えて笑うミーノスの顔は、清廉なものでも妖艶なものでもない、子どものように無邪気なそれだった。 「~~ったく…!」 辛うじて隠されていない視界でその姿を見るにはあまりにも惜しすぎたが、珍しいミーノスの笑顔を見ていたいがために、少々不格好ながらもしばらくはそのままでいる事を選んだアイアコスの姿がそこにあった。 【例えば僕が死んだら】(アイミー) ――…お前が死んだら俺は…。 いつかの閨の事後の時間。肌を重ね合わせるようになって久しい時が流れ、何となく、それとなく、話題に上らせたその答えに、思わず目を丸くしてしまったのを思い出す。 「え、どうした?ミーノス」 恩恵をまき散らしているという体で、人の身体を腐らせることも厭わない、必ず影を生み出す陽の光。そんな光など届かない安らかな闇に包まれた冥界において、彼の、アイアコスの肌は、どこまでも温かな陽だまりを髣髴とさせる。 「いえ…、意外だなと思って。」 そう口にしてしまってから、見る見るうちに顔が熱くなっていったのが判った。何故、私はそのようなことを聞いたのか?彼の答えを聞いてどうしようと思ったのか?そして、もしも彼が、それ以外の答えを口にしていたら、私はどう思ったのかと、様々なたらればが浮かんでは掻き消えていく。 「そんなに意外か?少なくとも俺は、お前が死んだら生きてはいけないと言えるほどにはお前のことを想っているのだが」 さも当然のことのように言ってのけるアイアコスの燃えるような黒水晶の瞳に晒されて、私は思わず目線を逸らす…ことは許されず、そのまま顎先に指をかけられて、そのまま絡め捕られてしまう。 「まあ、実際にそんな状況に陥ることなどありはしないからな。 ありもしない仮定の上に成り立つ事実としての俺の本心を、受け止めてもらえれば光栄だ」 喉の奥で笑い続けるアイアコスに対して、どこか悔しい気持ちを抱きながら、それ以上しゃべらせないようにと、歯が当たる勢いで唇を重ね合わせる。 ありもしない想像の上で語られた本心。 抱き合う摩擦すら心地よい相手。 ならば、私もあの時に――…。 「ねぇ、アイアコス…。」 第五獄のひび割れた灼熱の大地の上でこと切れたアイアコスの身体を抱え上げる。 陽のような肌は青ざめはじめていき、温もりはこの手の中から零れ落ちていく。 「…私も、あなたがいないと、生きていけませんよ…。」 これは、あの、たらればの夜の続きの答え。 ありえない仮定の上に成り立つ事実だからこそ、伝えられる本心。 そして、現実の世界で残された時間は、もう、僅かしかない。 だからこそ、今この時は、愛しい躯を置いて立ち上がり、暗き冥府の空を舞う。 あなたの死を、私が死んで、無駄にしないためにも。 【今日の発見】(アイアコスとミーノス) 何となく今日の裁判は気疲れする案件が多く、とにかく甘い物を摂取したい気分だったミーノスは、休憩時にトロメアへ戻ると、今日のお茶用のアイスココアを取り出して二つの器に注ぎ淹れる。 「はい、どうぞ」 「おう」 丁度そちらも休憩時だったため、トロメアの館へとやってきたアイアコスの前に、すっかり彼専用の物になったカップを差し出す。 「甘いな」 意図的に甘くしたアイスココアを飲みながら若干顔をしかめるアイアコスを見て、あなたの淹れるドゥッ ジアーも同じような物ですよとミーノスは苦笑する。 「むぅ…お前はあまり普段は甘い物を飲まんだろう?俺の淹れる茶もストレートで飲む癖に」 お前が淹れるものにしては甘すぎて驚いただけだ、と憮然としながらもカップを離そうとしないアイアコスに、せめてもの詫びではないが、茶請けはニムキにでもしようかと、盆を持って立ち上がりかけた時、不意にミーノスは気づいてしまった。 聡明な彼なら歯牙にもかけない些細なこと。しかし、今のミーノスは普段とは違い、糖分を摂取したいと思うほどには疲れていた上、色々な沸点が低くなっていた。 「……」 アイアコスが文句を言いながらも自分の淹れたアイスココアを飲んでいる、ただそれだけのことだ。しかし、その事実に気づき、そこに導かれるのに至るには、ただそれだけのことで十分すぎた。 「?おい、どうしたミーノス?」 急に立ち上がって持っていた盆を額に宛がうようにして顔を隠すミーノスにアイアコスは立ち上がる。 「いえ、…何でも…」 顔は勿論、声が震えないようにするのにも苦労はしたが、どうにかあなたの好物である作り置きのニムキを取ってきますと言えば、思いよらない甘さに見舞われて下降気味だったアイアコスの機嫌が上昇していくのが判る。 その隙にキッチンに駆け込んだミーノスは、盆で顔を隠したままその場にズルズルとへたり込む。 「く…ふふっ…」 何て事だろう。 アイアコスとアイスココア。こんな身近に思いもよらないアナグラムがあっただなんて。 勿論両者にそれ以外の共通点はなく、アイスココアの名前の由来がアイアコスであるわけはないし、その逆は更にありえない。全くもってくだらない、得意げに他人に話せば我に返った時のた打ち回りたくなるようなどうしようもない事実。しかし何だか久しぶりに、声を殺してだがそんなくだらないことで笑ったような気がする。 きっと近いうちに、今、この時のことはめったなことで思い出さないほどの、記憶の泡沫となるだろう。しかしアイアコスとアイスココアを組み合わせればツボを突かれる位にはインパクトがある。なのでしばらくは、アイアコスのお茶は彼好みの味付けにできるドゥッ ジアーにしようとミーノスは密かに決意し、ニムキを温め直すとともに、新たな茶葉とスキムミルクを取出し、それぞれ鍋に開けて煮始めたのだった。
(2017/09/11)
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