たとえば──もし、

双子がこの地で忌まれる存在ではなく、
二人は同じ場所で同じ時間を歩いてきたのだとすれば。

俺たちにはどんな未来があっただろうか。



Ifーたとえばこんな世界でー



「シド、どうしたんだい?そんな所で。」
そう声をかけられたシドは、声の主を見上げて口を尖らせた。
「・・・兄さんを待ってるの。」
「バドは勉強中だ。邪魔するんじゃないよ。」
「分かってます、お父様。」
そう言いつつも拗ねて廊下に突っ立ったまま動かない次男坊の頭を父親はくしゃっと撫でた。
「兄さんはいつも勉強ばかりでかわいそう・・。」
小さな口からは不満の溜息が漏れる。
「バドは長子だから沢山学ばなければならない事があるんだよ、シド。」
名門貴族であるこの家を立派に継承してもらわなければならないのだ、バドには。
「・・・僕はしなくていいの?」
シドは小首を傾げて父親を見上げる。

もっともな質問だ。
バドとシドは共に10歳で同い年──双子だ。
歳も背格好も全く一緒の兄弟なのに、少しの産まれた時間差で何故こんなに立場が違うのだろうか、と幼いながらに疑問に思っても不思議ではない。
だが双子に生まれたとはいえ家督を継ぐのは一人だけだ。
もちろんシドにも充分な教養は身に着けさせている。
けれども帝王学は一切学ばせてはいない。
頂点に立つ者は一人で良いのだ。二人、対を為してしまえば均衡は崩れてしまう。
それは争いの火種であり、家系の存亡を危惧するものだ。
「シドはバドを支えてあげなさい。」
短く立たせたクセの強いペールグリーンの髪を撫でてやると、シドはにこっと微笑んだ。
「うん。僕、兄さんを助けてあげる。」
そう言ってシドは納得したのか、踵を返してたたたっと廊下を走っていった。
「家の中では走るなと何度も言っておるのに・・・。」
残された父は、苦笑して肩を竦めた。

         
「兄さん・・・?」
そおっと扉を開けると兄のバドは一人、机に向かっていた。
良かった、家庭教師はもういないみたいだ、とシドはほっとして部屋へ入る。
机に向かうバドの、ぴんと背筋が伸びていて、ペンを持つ手を顎にかけ思考に耽る横顔を眺める
シドは、同じ双子でもやっぱり兄さんは凛々しくてかっこいいなあ、と誇らしい気持ちになった。
「兄さん。」
今度はもっと大きい声で呼んでみると、バドは振り返り、シドの顔を見ると嬉しそうに笑った。
「シド。」
その笑顔に安心したシドは扉を閉めて、バドの傍へ駆け寄る。
「まだ勉強、終わらないの?」
「んー、まだ自習の時間は残ってるし、第一これが全然進まなくって・・・;」
そう言ってバドは一枚の紙切れをシドに見せる。
それはこの家の家系図で、所々空いている空欄部分を埋める問題形式になっていた。
家庭教師に出された課題のようなものだろう。
「じゃあ手伝ってあげるから、終わったら一緒に遊びに行こうね?」
そう言ってシドは隣に立って、ペンを握る。
「え、手伝ってもらったら課題の意味ないだろう?」
バドは長男らしく、真面目で固い性格だった。
「大丈夫だよ。だってさっきお父様が『シドはバドを支えてあげなさい』って言ってたもの。」
次男のシドはバドに比べて手をかけられず育ったせいか奔放な性格だった。
「それ、意味違うだろ;」
苦笑するバドはあどけなく笑うシドを見つめ、同じ双子でもやっぱりシドは可愛いよなあ、と思うのだった。
そんな事を考えてる内に、シドはさらさらとペンを走らせ空欄を埋めていく。
「・・・シド。なんで俺の勉強がそんなにすらすら出来るんだ!?」
「え?だって家系図っておじい様のお部屋にかかってるでしょう?」
「・・・・。」
もしかしたら自分よりシドの方が後継者にふさわしいんじゃないのか?と考えてしまう。
シドは頭もいいし、器用に立ち回ることに長けている。
そもそもほんの数十分の産まれた時間の差が、人生に於いて大きく変わるなんておかしいと思う。
けれど、家の当主はただ一人であって、二人でするものではない。
そしてそれは無条件に先に産まれた自分に課せられたものなのだ。

そんな事を考えている間にシドはさっさと課題を終わらせてしまった。
「出来た・・・さ、行こう!」
「まだ終わっていい時間になってないからダメだよ。」
バドがそう言うと、シドはええ~、と悲しそうに眉を下げて兄を見上げる。
そんな弟の表情が可愛らしくて、バドはその白いほっぺにキスをしてにっ、と笑った。
「ウソだよ、早く行こう!」
そういって二人分のマフラーをクローゼットから取り出した。

双子はそおっと辺りを見回し、顔を合わせて頷くと、無言で窓枠を乗り越えた。
バドの部屋は二階だったが、小さい体はぼすん、という音を共に階下に高く積もった雪の上に落下し、怪我の心配も要らないのだ。
そこは双子のいつもの脱出経路だったが、わざわざ使用人に言ってバドの部屋の下に雪を集めさせているのが両親のはからいだとはシドもバドも知らずにいた──

彼らはシドの希望で山に遠乗りに行くことにした。
雪の積もるデコボコ道にも臆さず軽快に手綱をさばくシドに遅れることなくバドも馬を走らせる。
二人は気付いていないがそのずっと後にはお付きの従者が距離を保って二人の少し後を走っている。
風は冷たいけれど雪の降った後の透き通った空気は気持ちよく、いい気分転換だ、とバドが真っ白な景色を見渡していると、前でシドが急に馬を止めた。
「どうしたんだ、シド?」
馬から下りたシドを見て、何かトラブルか、と思ったバドは自分も急いで馬から下りる。
するとシドは前方に数歩歩いた所でしゃがみこんだ。
「シド?」
怪我でもしたんじゃないだろうな、とシドの前に回りこむと、
「あ。」
しゃがんだシドの足元には、罠にかかった白い仔ウサギがいた。
「兄さん・・・。」
シドが涙声で兄に訴える。
ウサギの脚にしっかりとくい込んだ罠はウサギの肉を突き破り、白い毛に覆われた脚を赤く染めていて、一見するだけでとても痛々しかった。
「可哀想に。今、逃がしてあげるからね。」
そう言って罠に手をかけたシドを、バドは静止した。
「駄目だ、シド。」
「大丈夫、怪我しないようにするから。」
「そうじゃない!」
バドの声にシドはびくっと手をひっこめた。
「・・・兄さん?」
「シド・・・。あのね、このウサギはこの罠を仕掛けた人のものになるんだよ。」
「え・・・?」
「罠を仕掛けた人は別にいたずらで仕掛けたわけじゃない。・・・生きていくためにこのウサギを必要としてるんだ。わかるだろ?」
「・・・・・・・でも。」
そんなことはシドでも分かっていた。
生きているものは生きているものを糧にしてまた生きる。
「・・・でもっ・・・・兄さん・・・。」
でも手を伸ばせば救うことができる命があるのに、それを放って行く事なんて出来ない。
白い雪の地面にぽたぽたと涙が零れ落ちる。

そんな弟の姿を見て、バドは苦しそうに顔を歪めた後、仕方無さそうに口を開いた。
「分かったよ、シド。・・・外してあげなよ。」
バドの声に涙に濡れた瞳を大きく開いたシドが振り返る。
「いいの・・・?」
「うん。いいよ。」
シドは急いで罠を外してやり、震えるウサギを大事そうに抱き上げた。
チャリン・・
ウサギの血が付いた罠の所にバドが手持ちの何枚かの硬貨を置いた。
「ウサギ一匹分の代金にはなるだろう。・・・これが決して正しいやり方ではないだろうけど。」
「兄さん・・・。」
バドはシドの腕の中のウサギの背をそっと撫でた。
「早く家に帰って手当てしてやろう。」
「・・・ありがとう、兄さん。」
兄さん、大好きだよ、と呟くシドを見て、バドはこれだから自分は弟に弱いんだ、と苦笑して
ウサギを抱くシドを共にぎゅうっと抱き寄せた。

その後、ウサギはこの仲の良い兄弟に、たっぷりと愛情をかけられて育った。





双子は時間の許す限り一緒にいて、傍から見てもほほえましい仲のよい兄弟だった。
それは二人がぐん、と背も伸びて大人びた顔つきになってきた15歳の春になっても変わらずにいた。

「あの子達ったらパーティへ出かけていってもまるで二人ワンセットのように一緒に居るんですもの。ほんとにもう。」
くすくす、と楽しそうに笑う母親とは対照的に、父親は難しい顔をしていた。
「どうなさったの?そんな顔をして。」
父親はふう、と溜息をついた。
「兄弟仲がいい事は良いのだが・・・実は少しあの二人を離してみようかと思っている。」
「えっ・・・?」
「あのままではお互いが依存し過ぎて、足を引っ張る事になるだろう。双子は二人で一人じゃないんだ。これではひとり立ちも出来やしない。」
父の指摘は的を得ていた。
本人らに自覚はないが、いつも一緒の二人は公の場へ連れていっても、二人で一人、というような目で見られるのが常になっていた。それではいけない。
長子のバドは言うまでも無く、シドだって一人前の男子として立派に成長して欲しい。
もう15にもなるのだから、お互いにそろそろ自立心が芽生えてこなければいけないのだが。
だがバドはシドに、シドはバドに依存したままだ。
「あんなに仲の良い子達を離すというのですか?一体・・どうなさるおつもりですか?」
可哀想だわ・・・母は二人の息子を想って瞳を伏せた。


「父上、今・・・なんておっしゃいました?」
シドはまるで意味が分からない、というようにぽかん、と父親を見上げた。
「来月からワルハラ宮に仕官しなさい、と言ったのだ。」
──ワルハラ。
         地上代行者であられるヒルダ様の居城であり、この国の中枢であるワルハラ宮には多くの貴族達も神官、文官、士官などに就いている。
基礎教育を終えた貴族の子息が社会勉強の一環として士官に入るのも珍しくない。
けれどまさか自分が急にそんな事を言われるとは思っていなかった。
「・・・兄さんは?」
シドがためらいながら聞くと、父は
「お前だけだ、シド。」
と予想通りの返答をした。
二人で行くのなら二人一緒に呼ばれるだろう。一人で呼ばれた時点で嫌な予感はしていた。
「・・・お断りします。士官に興味もありませんし、僕はこの家に、兄さんの傍にいます。」
「お前たちに自立してもらいたいのだよ、私は。」
「兄さんを支えてやれと言ったのは父上でしょう!?」
シドは語気を荒げる。
「言ったとも。バドを支えてやれとな。だが依存しろとは言っていない。」
「・・・っ。依存ですって?」
父はシドとは対照的に冷静に淡々と話す。
「そうだ。お前達は互いに依存しあっているだけで自立しようとはしていない。今のままでは支えるどころかバドの足を引っ張ることになるんだぞ。」
「な・・・。」
父の言葉はシドにとって衝撃的だった。
僕が、兄さんの足を引っ張ってる?
「どこへ行くのも一緒、何をするのも一緒。これでは世間は一人前には見てくれまい。分かるだろう?シド。」
「・・・・・。」
シドは俯いたきり何も言わず、沈黙だけがしばらく続いた──



「シドをワルハラ宮に・・・?」
バドは父の言葉に目を見開いて、呆然と呟いた。
「そうだ。年齢からいってもちょうどいい頃合だろう?」
「・・・・・では、俺も一緒に行きます。」
「駄目だ。」
「何故!?」
怒りに顔を紅潮させるバドに父は厳しい表情を崩さず続けた。
「お前達二人の為だ。お前たちは双子だが二人で一人ではない。個々の存在で別々の道を歩むのだ。・・・私の言っている事は分かるな?バド。」
──分かるも何も、自分とシドはもちろん別個の存在だということは嫌というほど理解してるさ、とバドは思う。
自分と同じ存在と思うなら、こんなにまでシドのことを愛しく想ったりするものか!
小さい頃から可愛いシド。同じ顔、同じ姿。でもどこか自分とは違うんだ。
それにシドだって同じ思いのはずだ。
「シドは・・・?シドだってワルハラに行くなんて絶対嫌だと言うはずです!」
「シドは行くと了承したよ。」
「まさか・・・。」
「本当だ。本人にも聞いてみるといい。」
父の言葉が終わらぬ内に、バドは部屋を飛び出した。


「シド!父さんの話、本当なのか?」
シドの部屋の扉をノックして、シドが顔を見せた瞬間、バドは詰め寄った。
シドは力なく頷く。
「どうして・・・。ワルハラなんか行ったら、ほとんど帰ってこれないんだぞ!?」
「・・・・・っ。」
シドの唇がきゅっと噛みしめられる。
「シドは・・・シドは俺と一緒に居たくないのか?」
バドがそう言うと、シドは弾かれたように顔を上げた。
「違うっ!」
「じゃあ、どうして!?」
「それは・・・だって・・・。」
シドは小さな声で、父と交わした会話をバドに伝え始めた。

「お前の存在が俺の足を引っ張るだなんて・・・そんなわけないだろ?」
「・・・・・。」
兄の言葉にシドは幾分、表情を和らげる。
「シドはいつだって俺を支えてきてくれた。」
バドはシドを引き寄せ、ぎゅうっと抱きしめた。幼い頃、いつもそうしたように。
「長子としての責任をストレスに感じる時はいつもお前のことを想った。シドの為にもこの家を守るんだ、って。」
「兄さん・・・。」
シドは兄がそんな想いを抱いていてくれた事を初めて知った。
彼はただ運命に従ってレールの上を歩いているだけだと思っていたから。
「兄さん・・・僕は、本当はワルハラなんて行きたくない!」
シドは兄の背中に回した腕に力を込めた。
「離れたくなんか、ないよ・・・。」
「シド・・・。」
シドの本心を聞き、バドもほっと安心する。

だが二人は分かっていた。
きっと父親の命に逆らえず、シドはワルハラへ行ってしまうこと、もし行かずに済んだとしても、結局二人は別々の道を進むしかないということを・・・。
「なぜ僕たちは別々に別れて生まれてきてしまったんだろう。」
シドが呟く。
「ずっと一緒に居られないのなら、初めから一つに生まれてきた方が良かった・・・!」
そんなシドに、バドは顔を寄せて、ちゅ、っと口づける。
我がままを言う弟をあやすお兄ちゃんのように。
「これで一つだよ、シド。」
「・・・今更子供扱いしないでよ、兄さん。」
口を尖らすシドにくすくすと笑っていたバドだったが、ふいに真剣な表情に戻る。
「じゃあ、子供扱いじゃなかったら・・・いいんだな。」
え?何が?と言いかけたシドの唇は声を出す前に再び塞がれた。
さっきのキスとは全然違う、もっと深い交わりによって。
同じ形をした唇が何度も角度を変えて重なり合い、水音と共に舌を絡めあう。
大人のキスに二人は夢中になった。
お互いの口中で分け与えた熱はそのまま彼らの若い性に火をつけた。


「シド・・・いいのか?」
白いシーツの上に上気した身体を投げ出したシドに、バドはもう一度確認をする。
身じろぐと既にお互いで慰めあって何回か放った体液が肌の上を滑っていく。
これからの行為をまだ漠然としか理解していないシドは、それでも不安な気持ちを隠してバドにすがりついた。
「大丈夫。・・・もっと深く、一つになりたいから。」
「シド・・・。」
シドと同じく初めての経験に戸惑うバドも、シドを求める一心で、二人が一つになるべく、身を沈めた──



その後彼らは新しい遊びを見つけたように、その行為に毎日没頭していた。
たどたどしかった動きも幾分慣れ、お互いがお互いを慈しみ、快感を与えることができるようになって二人共が更に溺れていた頃・・・。

「入隊式まであと5日か。」
上がった息のままベッドに倒れこむバドが呟いた。
シドも疲れた体を横たえ、毛布を手繰り寄せる。
結局シドのワルハラ行きは決定となってしまった。
だがシドもバドももう以前のようには反発しなかった。
彼らには例え離れていても、心は繋がっているという信頼感があったからだ。
もちろん本心を言えば一緒に居たいに決まっている。
しかし二人には、兄弟同士で行っているこの禁忌の行為の後ろめたさがあったのだろう。
休暇になったら真っ先にバドに会いに来るから、ということでシドはワルハラに仕官する決心をしたのだ。
「・・・向こうで浮気するなよ、シド。」
「まさか!」
「俺は心配だよ・・・。」
そう言うわりには余裕の笑みを浮かべながら、先ほど自分が散らした紅い跡を再びキスで辿っていった。
だがそんな幸福でゆったりとした時間は急に打ち破られた。

ガチャン・・と閉まっていた鍵が開けられ、扉が開いた瞬間、二人はベッドの上で固まった。
「お前・・たち・・・。」
ベッドの上で戯れていたのとは明らかに違う、部屋に漂う濃厚な性の匂いに、父親は眩暈を感じた──
         
最初に気付いたのは父ではなく、母親の方だった。
仲の良い兄弟以上のもの・・・本人達も自覚がない異質な愛情を敏感に感じ取ったのは女性ならではの感受性だったのか。
そんなはずがあるまいと一笑した父親はマスターキーを持ってバドの部屋に向かったのだった。
妻の言っている事が真実であったとしても、まさか二人がそんな事をしているとは夢にも思わず。
「・・・・・二人共、服を着てから・・私の部屋に来なさい。」
厳格な父親はその場に突っ立ったまま、かすれた声でそう言うだけで精一杯だった。

再び閉じられた扉の中で、双子たちは蒼ざめ、震えていた。
彼らは大人びていても、まだ15歳。
自分達のしている事が罪だと理解っていても、責任を取る術も知らないのだ。
「どうしよう・・兄さん・・・。」
震える声で呟いたシドの身体を抱きしめるバドも酷く動揺していた。
「どうしようって言われても・・・。」
父に知られてしまった──それは怒られるとか軽蔑されるとかいう問題ではなくて、自分の中の一番見られたくない醜い欲望を曝け出されたような痛みがバドの心を抉り取る。
両親の望むよう、全ての期待に応えて送ってきた人生。
その中でたったひとつだけ、譲れなかったもの。
だがそれは神をも冒涜する罪の行為で・・・。
「──逃げよう、兄さん。」
「・・・・え?」
シドの言葉にバドははっと我に返る。
「逃げよう、二人で。誰も僕等を知らない地で二人で暮らそう?」
シドは名案だといわんばかりに顔を輝かせた。
「家も兄弟も関係なく、誰にも邪魔されず、朝も昼も夜もずっと一緒にいるんだ。それがいい。・・・そうするしかないよ!」
もう隠れて逢瀬する事もない、一人だけワルハラに行くこともない、こんな幸せな選択肢があったなんて!
「・・・・兄さん?」
だがいつも自分に賛同してくれるはずの兄は黙ったまま返事をしてくれない。
「にい、さん・・・?」
不安げに呼びかけるシドに、バドはためらいながら口を開いた。
「・・・・・それは、出来ないよ。シド。」

「え・・・?」
シドにしてみればそれは予想外の答え。
「どうし・・て・・・?」
顔が強張る。
「アスガルドで二人きりで生きていくなんて無理だ。この 極寒の地で人知れず、どうやって暮らしていけるというんだ。例え国外に出ようとしたって父上がきっと探し出すに違いないし、国境警備だっている。出れたとしても隣国の文化すら分からない俺たちが生活していけるはずもない。」
それは妥当な「現実」だった。
だが逃避に理想を描いているシドはそう思えなかった。
「大丈夫だよ。不自由したって慎ましやかに生きていけばいい。僕は兄さんさえいれば何も要らないから・・・!」
「俺だってお前が一番大事だよ、シド。でもここで家を出ていくのは無理だ。現実的に考えてみなよ。」
現実的に、か。よく言う。
シドを説得しながらバドは心の中で吐き捨てる。
そうじゃない。俺はただ臆病なだけなんだ。
二人きりで生きていく自信がないだけ・・・。
「嫌だ!兄さん、行こうよ・・・。」
シドはふらふらと窓際に歩いていき、窓を開けた。
冷たい風が吹き込んできて素肌を震わせる。
「行こう、あの日みたいに。ウサギを拾ったあの日のように、ここから抜け出して・・・二人で。・・・ずっと二人で・・・・兄さん!!」
涙を流し、心が千切れるような悲痛な声で叫ぶシドを抱き寄せて、分かったよ、と安心させてやりたかった。
──でも今だけは・・・。
「・・・これから一緒に行くのは、父さんの部屋だ。」
今回だけはお前の言う事は聞いてあげられないんだ──
少しの沈黙の後、シドは、
「・・・・分かった。」
と一言だけ呟き、窓を閉めた。
バドは、自分の好きな彼の夕焼け色の瞳が輝きを無くし、鈍い光をたたえていた事に気付かず、ほっと溜息をついた。


それから二人は自分達の犯した罪を懺悔し、父と神に許しを請うた。
シドは予定を早めて、翌日にワルハラ宮に発つことになった。見送りの時も、双子は一言も口を利かず──
シドはワルハラ宮に姿を現すことなく、そのまま行方知れずとなった。





五年後。
静かだったアスガルドの生活は、地上代行者のヒルダ様が光ある地を求めてお立ちになったのを境に、急変した。
それは、これまで家で地道に文武共に修練に励んでいたバドにも突然に変化は現れた。
「ゼータ星、ミザルの神闘士・・・。」
凍てついた湖に姿を現した神闘衣がバドのものだと分かると、父や母、一族の者は皆、なんと誉れな事だろう!と歓喜に湧いた。
一族の誇りだ、と讃えられる中、当人のバドだけは一人、冷めた目をしていた。
祖国とヒルダ様を守るために選ばれた神闘士──だが俺が守りたいのはただ一人だけ・・・。



「まだ見つからないのか!?」
ギリシャ、そして日本から帰ってきたバドはヒルダ様の元に向かう前に、家の使用人の一人と会っていた。
「申しわけありません・・・。」
「・・・くそっ。」
バドは苛立ちを隠さず舌打ちする。
「一体何処へ行ったんだ、シド!」

五年前、飢えと寒さで行き倒れになったシドを発見したという知らせが家に入ったのは、彼が行方不明になってから6日目の事だった。
自らも必死でシドを捜し歩いていたバドは駆けつけて、冷え切ったシドの体を抱いて半狂乱になったが、父はシドを家に帰すことをしなかった。
シドは意識のないまま、彼を発見してくれた山に暮らす狩人に頼んで世話をしてもらう事になった。
二人が食べていくには有り余る程の資金を与えて。
そしてバドには一つの条件を出した。
お前が立派に一人前になって父から家督を継いだら、シドを再び家に迎え入れる、と。
その頃には自分もシドも婚約者あたりが決まっているんだろう、と予想したが、とりあえずバドはその条件に従う事にした。
自分が当主になれば、多少の融通も利くだろう、と。
それからバドはシドに会いたい気持ちも押さえ、全ての事において努力をしてきた。
全てはシドの為に。
だがそのシドがまたいなくなってしまったのだ。
ちょうどバドの前に神闘衣が現れた日から・・・。
もしかしたらシドも神闘士の一員に選ばれているのかも知れない、と期待したが、ワルハラに集結した7人の神闘士の中にシドはいなかった。
それからずっと捜し続けているが、どこにも見つからないのだ。
自分が宣戦布告をしてきたアテナの聖闘士達がこのアスガルドにやって来れば、ここは間もなく戦場になる。
巻き込まれないように、無事でいてくれ、と願う。
お前が帰ってくるべき家も祖国も、、俺が守るから。
きっと、迎えに行くから・・・何処かで待っていてくれ、シド。
バドは祈るように目を閉じ、シドの為に闘う事を一人誓った。



「ネビュラストーム!!」
「・・・ぐあぁっ・・・!」
アンドロメダの作り出した恐ろしく勢いのある気流は俺の体を吹き飛ばし、柱と床に叩きつけた。
「・・・・・・・っ・・。」
口の中に血が溢れる。
日本でこの男と対峙した時には、まさかこの俺が負けるなんて思いもしなかったのに。
──俺は、死ぬのか?
何箇所も骨が折れているはずが、既に痛みが麻痺して感じなくなってきていた。
俺は死ぬ──。
それでもいい、と思った。
俺が死ねばシドは家に帰ってこれる。
正当な後継者として。
それなら、死んでもいい。
ただ一つ、心残りなのは・・・。
・・・・・。」
呟いた言葉は息を吐き出すだけで声にならなかった。
──シド、せめて最期にお前に会いたかった・・・・。

「情けないものだな、ミザルのバドよ。」
「──?!」
薄れつつあったバドの意識は、求めていた声を耳にして、一気に浮上した。
近づいてくる足音。
仰向けに倒れたまま、目だけでその姿を捉える。
神闘衣・・・?
白い、ミザルの神闘衣。
そしてそれを着ているのは・・・。
「シ、ド・・・。」
五年ぶりに見る、愛しい弟だった。

「同じ顔・・・?貴方は何者だ?」
アンドロメダの問いにシドは恭しく礼をして名乗った。
「私はゼータ星、アルコルのシド。」
──アルコル?
・・・そうか。ミザルの、双子星。
俺達は最初から決まった運命に翻弄されていたのだろうか・・・?
「そこのミザルのバドの、双子の弟だ。」
そう言ってシドは力なく転がっている俺の前に立ち、見下ろした。
シドの顔を捉えた瞬間、俺はショックを受けた。
彼の瞳は激しい憎悪を持って俺を見ていたのだ・・・。
いつだってきらきらとまっすぐな光をたたえていたあのオレンジ色の瞳は、今では突き放すような暗く鋭い光を放ち、憎悪に燃えている。
「貴方が正統なゼータ星の神闘士だなんて、笑わせる。弟一人すら守れなかった貴方が祖国など守れるはすもないでしょう?」
──ああ、なんてことだ。
「この邪魔な聖闘士共を葬ってから、ゆっくりととどめを刺してあげますよ。どの道、貴方は私がこの手で殺すつもりだったんだから。」
──俺はシドにこんな憎しみに満ちた顔をさせる為に五年間、我慢したんじゃない。
いや、もうあの時点で俺は間違っていたんだ。
あの窓から、一緒に出て行かなかった時点で・・・。
許してくれ。
許してくれ・・・シド・・・・。
そこでバドの意識は途絶えた。


「鳳翼天翔!!」
鳳凰の羽ばたきが紅蓮の炎となってシドの凍気ごと体を砕いた。
「・・・ぐ・・ふ・・・っ。」
もう立っているのも精一杯でこれ以上技を撃つのも出来やしない。
私もここで終わりか、と観念する。
死は怖くなかった。
あの日、家を出た日から私は死んでいるのも同じだったから。
あの時、一緒に逃げる事を拒否し、私が家を出ていっても捜すこともせず、普通に生活を続けた兄。
愛し合った時間はきっと彼にとってはひとときの過ちでしかなかったのだ。
自分を裏切ったバドが憎かった。
彼に復讐する事だけを考えてこの五年間をただ生きてきた。
だがそのバドも今や瀕死の状態だ。
もう、自分の生きる理由など、ない。
本当はこの手で殺したかった。
あんな聖闘士などにやられるなんて・・・。
だがそれももうどうでもいい事になる。
フェニックスがとどめの一撃を繰り出す。
シドは覚悟を決めて目を閉じた。

「・・・・・・・?」
だが衝撃も痛みも一向に来ず、不思議に思って開いたシドの瞳には、フェニックスの拳を受けて血を流しているバドの姿が映った──
「・・・兄・・さ・・・・な・・ぜ・・・・?」
動けなかったはずのバドがシドを庇って立ちはだかっているのだ。
だがそれももうあとわずかな時間でしかない、と微弱な小宇宙が伝えていた。
「・・・お前を守る・・・のは、俺の・・・役目だろ・・?」
気丈に笑顔を作ったまま、崩れ落ちるバドをシドは慌てて抱き起こす。
「兄さん・・・兄さんっ!」
「五年・・間・・・すまなか・・た。あの・・時・・のこと・・・ゆるし・・・。」
ひゅうひゅうと嫌な音がバドの喉から漏れる。
「嫌だ、兄さん・・・兄さん・・・っ!」
自らの手で殺そうとまでに憎んでいたはずのバドの生命が尽きようとしているのが怖くて堪らない。──死なないで!
バドはゆるゆると手をシドの頬にあてた。
「お前は・・・何・・も・・・変わっ・・てない・・・よかっ・・た・・・。」
頬を流れる涙はバドの手を伝い落ちてゆく。
「俺も・・・変わらず・・・ずっと・・・・愛して・・・・・。」
「兄さん?・・・兄さん!!」

──シドの声が段々遠くなっていく。
ああ、シド。そんなに泣かないでくれ。
お前は俺の分まで生きてくれればいいのだから。
「兄さん、嫌だ!置いていかないで!」

              "──俺を置いていかないでくれ・・・。”

・・・誰かの声がする。
「一人にしないで・・・。」

              ”俺を、一人にしないでくれ・・・シド!!”

・・・・・。
俺は、知ってる・・・?
一人で残された者の引き裂かれるような痛みを。絶望を。慟哭を。
シドに、あんな思いはさせたく、ない。
あんな思いは・・・。
バドは遠ざかる意識の中、必死に言葉を繋いだ。
「シド・・・ひとりには・・・させない・・・・・俺と・・・一緒に・・・・逝こう・・。」

              ──俺と一緒に・・・・





「・・さん、兄さん!大丈夫ですか?」
聞きなれた声に、バドははっと覚醒した。
「・・・あ・・・?」
目を開けると心配そうに覗き込むシドの顔があった。
さっきと同じ体勢なのだが、シドは神闘衣も着ていないし、ここはあの回廊でもない。
第一、流れている空気が、軽い。
「さっきから急にうなされて・・・心配しましたよ。悪い夢でも見たんですか?」
「夢・・・・。・・・なあシド。お前はミザルの神闘士、だよな?」
俺がおそるおそる訊いてみると、シドは、
「ミザルは確かに私の方ですけど・・・兄さん、何寝ぼけてるんですか!」
と笑い出した。
その笑顔と、「アルコルだったシド」の顔を思い浮かべ、バドはシドをぎゅうっと抱きしめた。
「わ・・何するんですか、兄さんっ。」
「・・・お前がミザルで良かった。」
「は?」
捨てられたのが俺の方で良かった。
きっとこの「現実の世界」で俺がまだシドを憎んでいた頃、俺もあんな憎悪に燃えた目でシドを見ていたんだ。
俺がアルコルで良かった。
シドに、あんな顔はさせたくない。
それにシドを残して先に逝くなんてことは絶対に出来ない。
「どうしたんですか?・・・やっぱり寝ぼけてるんでしょう・・・?」
シドはくすくす笑いながら、俺を優しく抱き返した。

光と闇。
ミザルとアルコル。
どんな世界であっても俺たちの運命は穏やかなものではないのかも知れない。
だが、どんな世界でも、俺はお前を決して一人にはさせないと約束しよう。
「シド・・・。」
「ん?」
「俺と一緒に・・・・生きよう。」
「・・・はい。」
そして双子は幸せそうに微笑んで、口づけを交わした──


Bravest Dragon・matosさんから頂いてしまいました。8×4の質問にてお答えくださった、もしもの世界の双子話!(*^0^*)
前半の純粋な無邪気な幼少時代の双子と、一人称が“僕”なシドさんに何て可愛いんだこの子は!と悶え、初めてのヲトナの秘め事の二人が初々しくて可愛いやらで激しく妄想を駆使しては悶え、その後の展開の黒シドさんには、自分がむしろ殺されても本望ですー!(≧▽≦)ノとのたまうほどに素敵過ぎて悶えv
そしてラストのもう一度兄貴からのプロポーズにも似た言葉に、もう、身がよじれる程の甘甘な幸福が画面から伝わって来て、もう本当ずっと幸せに生きていって欲しいと切に思いました。

それでも、やはり貴族と平民との考え方、理想と現実それらを余す事無く表現できるmatosさんの手腕にはただただ感服致しました。

matosさん、こんな素敵な双子物語を、授けてくださってどうも有り難う御座います!