夢寓話~天国で結ぶ想い~



夢 寓 話

 ~天 国 で 結 ぶ 想 い~

「ん・・・。」
白い世界の彼方には、敷き詰められた草原の中に、無数に咲き乱れる花々。
それらを軽く撫ぜる様にそよぐ柔らかい風は、寒さも暑さも無く、ただ心地良い物だった。
その風に軽く頬をくすぐられて、野原に寝転びまどろんでいたバドは、ゆっくりと目覚める。
辺りをくるくると、何かを探すかのように見回すと、そのすぐ隣でうつぶせたまま眠る弟の姿を見つけて、ほっと胸を撫で下ろした。
その背中に生える翼は真っ白で、今にも羽ばたきだしそうな程大きく、そして美しかった。
バドの背にも羽は生えていたが、いかんせんここに来たばかりで、翼と言うにはまだまだ小さなものであって、広げても背中にすっぽりと隠れてしまう。
傍らで眠る弟の寝顔をしばらく見つめていたが、ふと彼の手が、銀と緑を混ぜ合わせた自分と同じ色の髪に触れ、さらさらとした手触りを楽しんでいると、不意に長い睫毛に縁取られた瞳が開かれる。
「う・・・ん?」
はっきりと覚醒しない思考のためか、しばらく不思議そうに目を瞬かせていたが、すぐ上の方に兄の姿を確認した透き通ったダークオレンジ色の瞳は安心したように細められた。
「悪ぃ・・・、起こしちまったな。」
ばつが悪そうに、す・・・っと髪に触れていた手を引っ込めると、先ほどまで夢うつつに感じていた心地よさが離れていってしまう。
もう少しその感触を感じながらまどろんでいたかったシドだったが、こうして兄と一緒にいられる時間に眠っているのは勿体無いと思い直し、ゆっくりと身体を起こし上げる。
背中に生えている翼もそれにあわせて軽く揺れ、一枚の羽根がひらリひらりと草原の中に舞い落ちた。
バドは、その様子をとても綺麗だと思った。
ここに来る前―生きている時―は、そんな感情を抱く間も無く、シドに先立たれ、幾年が巡り、バドも同じ場所に来る事が出来て、こうして生前の時間を取り戻すようにして二人寄り添って過ごしていた。


ここは天上の世界。
時間の流れも、昼も夜も無い、ただ魂の疲れを癒す優しい場所。
ここに来た人間の背中に生える羽はその魂が現世で受けた傷にの度合いを表すもので、大きくなるのにつれて、その魂が負った傷痕も癒えてきたということになり、次の転生も可能になる。
傷を負ったままの魂の転生は、前世の記憶を持ったままの危険性も伴う為、大半の魂は羽が翼になった時に転生の令が言い渡されていた。
シドはここに来てしばらくは、ずっと羽の大きさは変わらなかったが、まだバドが現世で生きている時、何らかの偶然で地上に落ち、帰ってきたときから徐々にそれは大きくなっていった。
そしてバドが全ての命を全うして、この世界に来た時にはそれは翼となり、彼よりも先に転生してしまうのではないかと危惧していた。
しかし、同じようにあの戦いで命を落とし、ここに居た仲間達が次々にこの世界から旅立った今でも、シドには転生の令が出ずにいた。

その理由は、彼らの送った生前にあったのだ。
双子でありながら、因習によりすぐに引き離された二人は、共に生きる事を許されなかった。
それが神の心を動かしたのか、はたまた気まぐれかは知らないが、来世こそ二人は共に生きる事が出来るようにと采配を振られたのだ。
その旨を伝えられた時、双子・・・、特にシドは涙を溢れさせながら、何度も感謝の意を表した。


今度こそ、共に歩んでいける・・・。生きていける・・・。


「兄さんの羽も大分大きくなってきましたね・・・。」
時間の感覚が麻痺しているこの空間でも、バドがここに来てからそう長くない間に、彼の持つ羽も大きくなり、今ではシドの持つ翼と負けず劣らず美しいものになっていた。
「そうだな・・・。もうそろそろか?」
バドはどうにも見慣れないらしい、自分の羽を横目で見ながらそう言った。

転生の頃が来た。と言い渡されるのは、各々の頭の中に直接“声”が伝わり、この園の遥か北にある川へ行くように言い渡される。
通常その川は、転生の宣告を受けた者にしかみえないもので、それ以外の者がそこへ行こうとしても、ただ延々とこの花園が続くだけなのである。

「シド。」
「?はい?」
呼ばれた声に彼の翼から同じ色の瞳に視線を移すと、バドはシドの方を真っ直ぐに見据えていた。
その一瞬後に、シドの身体はバドの腕に捉えられてそのまますっぽりと抱きしめられた。
突然の事だったので、シドは動揺する、だが、抵抗はしなかった。
翼ごと包み込まれる感触に、シドは心地良さに身を委ねながら自らもまた、兄の翼に触れようとその背に手を廻す。
ふわりとした手触りと、温かい体温。
言葉を交わす代わりの様な抱擁を続けていた時、不意に頭の中で重く、威厳に満ちた声が響いた。


“次の世界へ、旅立つ時は来た。”と・・・。


「行こうか・・・。」
「はい・・・。」
同時に頭に響いた声に促され、抱きしめていた腕を解き、まずバドが立ち上がり、その手をシドに差しだして身体を起こし上げる。
そして遥か向こうにある転生と忘却の川を目指して歩き出す。
その際に二人の背中に生えていた翼は少しずつ白から透明へと褪せていき、そこから羽根も一枚ずつ散り落ちて、花々と緑の草木の中に紛れていった。

やがてどれ位歩いたのか、川のほとりに辿り着いた時、二人の背には翼の面影は残っていなかった。
そして、あれほど豊に咲き乱れていた花や緑、風さえも止み、川の周囲は、初めてこの世界にやってきたときと同じように、白一色に包まれていた。
「・・・・。」
双子はしばし見つめ合い、どちらともなく瞳を閉じて、互いの唇に口付けを交わした。
それはほんの一瞬の、ただ触れ合うだけだったが、互いの存在をしっかりと刻み込むには充分すぎるものだった。
「来世でも宜しくな。」
笑顔でくだけた物言いのバドに、シドもつられてにこりと笑い、こくんと頷いた。
「こちらこそ。」


そして、全ての記憶を抹消する、忘却の川の水を同時に飲んだ二人の身体は、徐々に魂へと変化し、次の世界で幸せに暮らすべく旅立ったのであった――。