還元への改竄-Ma Che`rie-
-Ⅰ-
固く瞳を閉じたまま、俺への呼びかけにも答えずに、ただそこに在るだけのお前――。
だけども、今はそれでも良い――。
だってもうすぐ、全てがまた始まるのだから――・・・。
ここは名も無き、小さな場末の町。
既に住む者も少なく、ひっそりとしたメインストリートを乾いた風が吹き抜けていく。
ゴーストタウンに等しいその大通りから、灰色の建物同士が密着しあう僅かな隙間から伸びる抜け道をしばらく進んだ所に、それは建っていた。
そこは古びたアパートで、コンクリートの壁もひどくくすんでいて、辛うじて雨風の防げる程度であろう造りだった。
その一室に、この住居と町の雰囲気には到底浮いている雰囲気の青年が越して来たのは、つい最近のことだった――。
「シド・・・・。」
部屋の中央に位置する簡素な椅子に座らされている、シドと呼ばれた青年は、目の前に居る彼の呼びかけには答えずに、ただ力なく頭をうなだれさせている。
しかし、呼びかけた声の主は、それに憤慨する様子も無く、ダークオレンジ色の瞳を、申し訳なさそうに伏せ、自分と同じ淡い森林色の混ざる銀髪に手を伸ばし、指を絡ませる。
「そうだった・・・。お前は今、未だ眠っているだけなんだよな・・・?」
そう嘯いて、椅子に座らせていた身体を背もたれから僅かに浮かせて、背と膝裏に手を差し入れてベッドに運ぼうと持ち上げるが、やはり彼は何の反応も示さずに、だらりと手は下げられて、白い喉を晒して頭を仰け反らせている。
「さぁ・・・。」
シドをベッドに運び終えたその青年は、ベッドサイドに置かれている木の机の上から、一振りのナイフを鞘から取り出す。
そして、同じ場所に置かれている小さなコップに、自らの腕を平行になるように差し出して、むき出しになった刃で、幾筋の傷跡が残る自分の手首を勢い良く引いた。
「っ・・・、」
痛みに僅かに顔をしかめるが、もうこれは慢性化している行為の為、すぐにその痛みは、迫り来る歓喜の予感へと打って変わる。
塞がっていた傷口が、また新たに開かれて、ぽたぽたとコップの中に赤い鮮血が滴り落ちてくる。
「薬の時間だ・・・。」
コップの底に僅かに溜まった自分の血液の中に、懐の中から、幻想的に透き通った灰色の小瓶を取り出す。
止血をしながらその蓋を開けて、サラサラと音をたてながら自らの流した血の中に砂金の如く細かい粒子を注ぎ込み、溶けていくのを確かめてから、コトンとそれを傍らに置き、
代わりにコップを手に取り、その中身を口に含んだ。
そして、シドの唇を僅かに開かせるため、親指で上唇を軽く押し上げてこじ開ける。
「・・・・。」
自らの流した血だと言うのに、まるで甘美なワインの様な味のそれをシドの口内に流し込む為に、彼は開かせた唇に誘われるように口付ける。
「ん・・・。」
力なく横たわっているシドは、相変わらず何の反応も示さないが、白い喉が幽かに上下していて、青年から与えられていく“薬”を抵抗するでもなく嚥下していく。
「はぁ・・・っ。」
そっと唇を離すと、眠り続けているシドの頬にそっと掌を押し当てた。
寝息こそ聞こえないものの、初めてこれを飲ませた時よりは、確実に白い顔に赤みがさしてきている。
精密な造りの、美しい人形の様な、自分と同じ顔を見下ろしながら、彼-バド-はこれ以上無いくらいの至福の笑みを浮かべる。
「早く目を覚ましてくれ・・・。」
そうしたら――。
「今度こそ、ずっと一緒に居られるから・・・。」
お前が望むものを、全て与えてあげる――。
未だ血の味が残る己の唇を、セルロイドの様なシドの手の甲に押し当てるバド。
ひどく冷たいシドの熱が、バドの唇に真実を突きつけている。
バドが愛でる双子の弟は、数ヶ月前に、この世の者ではなくなった。
しかしバドは、こうしてシドの傍に寄り添って、共に眠りに落ち、次の日の夜にまた己の手首を掻き切って、その血で弟の喉を紅く濡らしていく。
気狂いじみた行為に彼を駆り立てた理由。
それは彼等がこの世に生を受けた時にまで、遡らなければならない――。
|