還元への改竄-Ma Che`rie-Ⅳ





還元への改竄-Ma Che`rie-

-Ⅳ-



彼等がその町に辿り着いたのは、本当に偶然だった。
前もって決めていた訳ではない、当てがあったわけでもなく、
家中の財産を全て持ち、ただ弟と二人で見知らぬ土地でやり直したかっただけであって。

あの国にいれば、皆が皆、シドを大地に還元させようとする。
ただ眠っているだけの、俺のシドを――。

狂っている。
狂っているのだ全てが――。

だから出てきたのだ。
俺達二人を誰も知らない場所へと――・・・。

適当な駅で降りたったのは、名前も無いようなちっぽけな町だった。
祖国とは違う、灰色の空、そこを目指すように聳え立つ陰気な建物の群れ。
だが、人通りはほとんど無く、ひっそりとしていたその町を、バドは車椅子に座らせたシドと共に、とぼとぼと歩いていた。
人が少ないに越した事はない。
こうしてモスグリーンの厚手の外套に身体を包まれてはいるものの、自分だけのシドを他者の目に晒すことは極力避けたかったから。
だがメインストリートを歩いていたら、何時何処で何者に遭遇するか判らない。
バドはキィキィと軋む車椅子を押して、どこか裏道が無いかと、辺りを見渡していた。

と、その時だった。
空と同じ灰色の建物の群れの間、明らかに周りの雰囲気から外れている、レンガ造りのこぢんまりとした“その店”が目に入ったのは。
「・・・・。」
何だろう?

看板も出されていない、その得体の知れない建物に、ひどく心を惹かれるのを感じたバド、しかし今は塒を探すことが優先だと、その場を後にしようとする。
しかし、それでも何故かこの“店”から視線を外す事が出来なくなったバドは、少しの間だけと決めて、シドと共にその中に入っていくことにした。

リン・・・ チリン・・・

薄い木の板一枚で作られたドアを軽く押すと、上部に備え付けられている、金色のベルが、涼やかな音を奏でて、軽やかに店内に鳴り響いた。
「・・・・。」
外から見ただけでは、もっと狭いと思っていたのだが、意外に中は広く車椅子一台がちゃんと入れるような造りだった。
広々とした店内の壁際には、所狭しと棚や瓶詰めの商品が陳列しており、祖国ではおおよそ見かけたことの無い珍品が並べられている。
店内に立ち込めるのはうっすらと甘い香の匂い。
店の内部が薄暗いのは、その広さに見合わないほど低い位置にある、一定の間を置いて天井から吊り下げられている水晶形のランプからは、か細い蝋燭の光りしか放たれていないからである。
「いらっしゃい。」
不意に、出入り口から奥に進んだ位置にある、黒檀のカウンターの中、そこには一人の少年が座っていた。
(いつの間に・・。)
つい先ほどまで、自分とシド以外に気配を感じなかったため、突然降って湧いたかのような少年の存在にバドは内心驚いた。
「ここを見つけたということは、貴方は何かを・・・、そう、例えばそこにいらっしゃる貴方の想い人、この方の心が無くされたとか。」
「!?」
いきなり断言的に語りかけてきた、淡い炎の様な髪の色を持つ少年。
右目はその淡い赤毛に隠されているものの、長い睫毛に縁取られた、ややキツメにつり上がった瞳の色は、人を惑わせるような深い緑色で、整っている顔立ちは妖しげな雰囲気を醸し出している。
襟元から裾にかけて、複雑な金糸の刺繍が施された、白地を基調としたローブ身にまとう少年は、口元の端だけを吊り上げて笑い、いや、失礼・・・と言葉を付け足す。
「この場所は、選ばれた人間にしか見えないのでしてね・・・、久しぶりのお客様なのでつい差し出がましい事を申してしまいました・・・。」
アルトとテノールが入り混じったその声が、まるで呪文の様にこの異質な空間に・・・、そしてバドの耳に届く。
突然、己の身の上を言い当てられ、そのような現実離れしたことを言い出されれば、普段の彼ならば一笑に付すか、足音を荒げてその場を後にしたことだろう。
しかし、この土地を初めて訪れたバドにも判るほど、回りの風景から浮いた存在のこの店。
その店がひどく気に掛かり、その扉を押した己。
それにこの少年が言い当てた事もあながち嘘ではない。
シドは死んでなどいないと、バドは思い込んでいたが、それでも自分が語りかけても何も返してこない。
それどころかあれ以来瞳を開こうともしない――・・・。

否定も肯定もせずに黙りこくるバドを、若い店主は気にも留めないように、ついと立ち上がり、静々とカウンターから出てくる。
背丈はバドと、そしてシドの腹ほどしかないであろう、その小柄な少年は、低い位置の棚に陳列してある小瓶の群れの中、透き通った灰色の小瓶を手に取った。
そして、バドとシドの横を通り抜けて、出入り口付近に吊り下げられている鳥かごの戸を開けて、その中からぐったりと動かない一羽の小鳥を取り出した。
「ご覧下さい。」
出入り口の扉に備え付けられた鈴の様に程よく響く声は、素直にバドを其方の方へと振り向かせた。
それを確認した少年は、掌の小鳥の嘴をその華奢な指でこじ開けて、既に開けられていた小瓶の中身の粒子を開かれた嘴の中に注ぎ淹れた。
すると,
今までピクリとも動かずに、彼の掌で横たわっていた小鳥がむくっと起き上がり、何事も無かったかのように、その青い羽根をはためかせてその手から飛び立った。
「!?」
「いかがですか?」
目の前で繰り広げられた突然の光景に、息を飲み見守るだけのバドに、空中を囀りながら飛び回る小鳥を見上げていた少年が再び視線を合わせて、その小瓶を親指と人差し指で挟み込んで、自分の顔の横に持って来て、バドに見せ付ける。
緑色の瞳と、驚くばかりのダークオレンジ色の瞳が、一定の距離感を保ち、しっかりと絡み合った。


まやかしか・・・、それとも手品か・・・。
得体の知れないこの店と少年。

逡巡するように、先に視線を逸らしたのはバドの方だった。

しかし・・・・。

逸らした視線を今度は、外套に包まれてピクリとも動かないシドの方に向ける。

ここへ来たのは、シドとやり直す為だ。
だが、シドはいくら俺が呼びかけても目覚めない。
この調子ならば、声が涸れるほど呼び続けても、多分目覚めはしないのではないか・・・?

「そう、貴方の想い人はただ眠りに堕ちているだけです・・・。」
「な・・・っ。」
口に出して言った覚えはないのに、不意にまるで読んだかのように自分心をそのまま言い当てられたバドは、再びその少年に視線を合わせた。
「だが、彼は貴方の呼びかけに反応を示さない・・・。たったそれだけのことなのに、周りの人間は彼が死んだ者と思い込み、貴方とその方を躍起になって引き裂こうとする・・・。」
よどみなくスラスラと、まるでその場に居て見て来たかのように、彼らの関係とその過去を言い当てる。
「貴方はその方とやり直したい。ただそれだけの願いを叶えたい。
だがそれすらも許さない輩達は、今もまた貴方達を引き離さんと、必死になって探している・・・。」
足音を立てずに、長い裾のローブを引きずりながら、バドの前に移動した少年は、憮然とするバドの手を取り、その小瓶を握らせた。
「ただ・・・。」
まるで血の通わぬ死人の様な冷たい手。
その両手が握らされた手を包み込み、そこから凍えた熱と共に、彼の言葉も、バドの心にゆっくりと浸透していった。
「彼が目覚めれば・・・、周りの人間も貴方達を引き裂くという、無粋な真似はしないでしょうね・・・。」

そうだ・・・。
シドが目覚めるのならば。
目覚めて、その瞳に俺を映してくれるのならば――。
あの声で俺を呼んでくれるのならば――・・・。


俺はどんな犠牲も厭わない。


ぼんやりと・・・、だが、徐々に仄暗い狂気に心を灯らせていくバドの姿に、少年はまるで悪魔の様に清廉な笑みを浮かべた。


「持ってお行きなさい、それを。あぁ、しかし・・・。」
さも、たった今思い出したというような口調で、少年は言葉を付け足す。
「ただその中身だけを飲ませても彼は完全には目覚めない。」
「何?」
ぴくりと訝しげに睨みつけられるが、彼はその眼差しに怖じる様子もなく、肝心な部分を口にする。
「今夜から毎晩、貴方の血液をその薬と共に飲ませるのです。
そうですね・・・。今日から七日七晩、それを続ければ彼はきっと目覚めます。」


「判った・・・。これを貰っていく・・・。」

そう言って、車椅子を押しながら店を後にする彼らの後ろ姿を見送った少年は、さも愉快そうに笑った。
「何も失くすものを持たないこの町の奴等と違い、余所から来た人間だけに、多少は楽しめるかな・・・?」
しかしながら・・・。
とっくに息絶えている人間の身体を片時も離さずに、純粋なまでに甦ると信じ込んでいるあの青年――・・・。
「そんな物が、一体何になる・・・?」
自らの欲と保身、そして自分達と異なる者達を畏怖し、排除する種族。
自分以外のものを愛する事など出来ない、出来損ないの人種。
それが人間だと、彼は信じて疑わなかった。

「まぁいいか・・・。」
せいぜい楽しませて貰おう。

失った心を無理に取り戻そうとした暁に、あの青年が見るのは果たしてどんな絶望か――・・・。

赤毛の少年-アルベリッヒ-は、一人ごちながら、カウンターの奥へと入り、その中から一塊の紫水晶を取り出したのだった――。