純越悲境~後編~





「ここが・・・、例の場所か・・。」
昼も尚、鬱蒼と生い茂る、どこか禍々しさと言うより悲壮さを漂わす森に馬上の青年が一人ごちた。
緩く曲線を描く薄い琥珀がかる銀髪に、清々しい空色の瞳の涼やかな目元に、筋の通った鼻筋に引き締まった口元。
身に纏う、ワルハラ宮付き近衛隊の最高位である服飾の上から盛り上がる逞しい肉体は、伝説の英雄の如く。
じっと、漂う僅かな小宇宙を感じ取って、森の入り口を見つめて、ふと瞳を伏せる。
彼はここに来る事となった、主君から承った令を思い出していた。


純 越 悲 境

-後 編-



『ジークフリート、貴方は魔の森の噂を聞いたことがありますか?』
極寒の大地に位置するアスガルドを統べる、地上代行者ヒルダが住まうワルハラ宮殿。
その彼女を守るべく位置に立つ、近衛隊隊長ジークフリート。
この日、青白い炎がパチパチと爆ぜる暖炉のある広間にて呼び出された彼は、開口一番にこう訊ねられた。
『は?』
一瞬意味が読み取れず、思わず垂れていた頭を上げ、間の抜けた返事を返してしまうが、ヒルダは構わずに言葉を続けた。
『かつて、栄華を極めたフェンリル家の一族が、不慮の事故により命を落とした森に、その時幼かったご子息の魂が成仏できずに彷徨っていると言う・・・・。』
広く間取られた広間の大理石の床から緩やかに壇上に伸びる階段の上に設けられた玉座。
その後ろにある壁からは、暖を温存する為に、ゆったりとした紅の厚手の上等な布が垂れ下げられている。
『あ・・・、あぁ確か、その森に入っていった・・・、あの時に、フェンリル家の者達と遠乗りに出掛けた人物達が命を落としたのは、その少年の亡霊に取り殺されたとか・・・。』
『えぇ・・・。』
小さな玉座に腰を下ろす可憐な女王は、何かを思案するように瞳を伏せる。
『発見された遺体は見るも無残に、狼の爪や牙で引き裂かれていたと言います・・・。フェンリル家の紋章は狼・・・。その亡き息子の魂が狼を操り、その恨みを晴らしたとか・・・。』
『ですが・・・。』
ジークフリートの更なる言葉を聞き、ヒルダは伏せていた顔を上げ、そして核心部分へと話を突き進める。
『ですが私は、その亡霊とされるご子息が生きている気がしてならないのです。』
『え?』
思いもかけない言葉に、今度は驚いた表情となるジークフリートの視線の先には、再び・・・、しかし哀しそうに顔を伏せた主君の姿。
『と、言うのも時折、その森から怒りと不安・・・しかし哀しみに満ちた小宇宙を感じ取る事があるのです。しかしそれはすぐに消えてしまいますが、でもあの小宇宙は死せる者が放てるはずではありません。』
『ヒルダ様・・・。』
『生きているのに、亡き者とされ、そしてありもしない忌み者とされ怖れられている・・・。ジークフリート、お願いいたします。生きているのならどうか彼をここへ連れて来て下さい。』
この国の地上代行者として、生きているのに死される幼子を哀れに思う心もあるが、無残にも食い殺された民達の魂を弔う為の心もあるのだろう。
万人に平等に愛する博愛主義者の少女のたっての願いを、ジークフリートはその場に姿勢をただし再び傅いた。
『はっ!お任せ下さい!!』


カッポカッポ・・・と主人を背に乗せる白馬がひづめの音を鳴らしながら森の中へと入っていく。
ジークフリートはそこを油断のならぬ眼差しで見渡しながら、警戒して進んでいく。
ワルハラ宮の裾野に広がる、かのアスガルド一の秀才の所有地である、陰惨とした空気が立ち込める墓場の様な森だと思っていたのだが、何のことはないのどかな場所だ。
僅かな残雪に、緑に生い茂る葉から零れ落ちる陽光が反射し眩く煌めき、うっすらと顔を出す茶けた大地からは野生の花がひっそりと顔を出している。
かつてここで本当に惨劇が起こったのかと思わせるほどに、そこは静かな場所だった。
「!?」
その時、ヒュッと空気を切り裂く音と共に、幾数の何かが後方から襲い掛かって来た。
「ヒヒーン!!」
何事かと思った時、柔らかい脇腹と後ろ足に鋭い牙を食い込まされた白馬は、激痛のあまり主人をその背から振り落とそうと嘶き前足を高く上げ身を捩る。
「くっ・・!?」
咄嗟の事だったが、それでも何とか背中から落馬する事は避けられた。
振り返ったジークフリートの瞳に映るのは、襲い掛かった数匹の狼がすでに肉をそぎ落としていき意識を失いどうっと倒れこむ愛馬の姿。
「これは・・っ!」
そして彼にもまた新たな生贄を求めた別の狼達の群れが襲い掛かってきた。
「くそっ!!」
並大抵の人間では、その爪と牙により引き裂かれ息絶えていただろう。
しかし彼は不死身と謳われた伝説の英雄の血を引きし者。
無益な殺生を好まぬ主君に倣い、加減した小宇宙で狼達に当身を食らわせ気絶させていく。

ピィーーーッ!
微かな指笛が森の奥から響き渡ったのと同時、ジークフリートに群がっていた狼達は引潮の如く一斉に離れていく。
「性懲りも無く、またこの場に入り込むか人間が・・・!」
ゆっくりと森の奥から出て来た、この狼達の主人である少年の若干幼さが残る高めの声から、ひしひしと立ち込める怒りと殺意。
「お前が・・・亡霊とされる狼使い・・・っ!?」
ジークフリートの問いかけなど聞いていないかのように、幼さを留めた人狼は俊敏な身のこなしで真っ直ぐにジークフリートに襲い掛かってきた。
「つっ・・・!」
早い!!
確かに身をかわした筈なのに、人間とは思えぬほど鋭利な爪は気圧を切り裂いて、ジークフリートの顔に一閃の傷を負わす。
一瞬で体制を立て直す物の、間合いを取ろうとした刹那、今度は青銀の狼が襲い掛かってきた。
「くぅっ!」
先ほど当身を食らわせて気絶させた狼達とは格段に動きが違う。と言うよりも、この人狼と寸分変わらぬ素早さなのだ。
しかし、みすみすやられる訳には行かない!
「待てっ!私はお前に用がある・・・」
「問答無用だ!!」
力限りの声を張り上げて、説得を試みようとも、次の攻撃の一手を討つフェンリルの怒号に掻き消える。
「我等の領域を侵す、薄汚れた人間風情が!!」
身を低く構え、そのまま後ろに半歩下げた足に勢いを乗せばねにして懐に忍び込んだフェンリルは、ジークフリートの心臓目がけ爪を下から振り上げようとする。
だが。
「なっ・・・!?」
しかし既に見切っていたジークフリートの手が、その鶏がらの様に細い手首をがっしりと捕らえていた。
「答えろ。」
力では勝ると判断し、そのままぐいっとフェンリルを間合いを取れないほど引き寄せてその瞳をのぞき見る。
主の危機の警鐘を察したギングが、ジークフリートの死角となる部分から飛び掛るが、フェンリルの方を見据えたまま、勇者の拳が銀狼の腹へと深く打ち込まれた。
「ギングッ!?・・・貴様ぁっ!!」
ぶわり・・・と、長い銀の髪が怒りのせいで意思を持ったかのように逆立ち、まだ使える片手の爪を、ジークフリートの首筋に叩き込もうと振りかざす。

グサッ

だが、今度は先ほどギングを仕留めたばかりの片腕が、その猛攻を防ぐ為に肉に深く爪を抉らせた。
完膚なまで攻撃を封じられたフェンリルは、尚も怒りに満ちた形相でジークフリートを睨みつける。
「何故人を襲う?お前は人間だろう。」
民達の間で囁かれている噂。
ヒルダが危惧していた事。
それら全てが真実だと物語ると言う事は、今自らの身を以って証明したジークフリートは、鋭く睨みすえる視線を受け止めながら問いかけた。
「俺は人間などではない!狼だ!!」
ジークフリートの腕に深く食い込んだ爪を更に深く突き刺しながら、フェンリルは吠えるように答えた。
「狼として、自分達の領域を守るのは当然の事!それも薄汚い人間に侵略されようとあるならば尚更の事!!」
そして、突き刺した爪を勢い良く引き抜いて、今度こそ目の前の標的の命を貰おうと頭上高く掲げた拳をその勢いのまま振り下ろす。
「が・・・っ!?」
しかしそれはほんの瞬きする間もない一瞬の事。
盾の役目を果たしていたジークフリートの腕が、爪を引き抜かれた瞬間にフェンリルのみぞおちに撃を喰らわすのが早かった。
「ぐ・・・はっ・・・。」
大きく目を見開いて、がくんと力を失った人狼の身体をその腕で受け止める。
「ヒルダ様・・・、申し訳ありません・・・。」
痩せぎすの体系とほぼ一致する、軽すぎる身体を抱え、手近な木の根元へと横たわらせたジークフリートは静かに目を閉じた。
そして、思ったよりも深い傷口から溢れる腕の止血をしながらくるりときびすを返し、彼等の聖域であるこの森から立ち去るべく歩を進める。


「自ら人であることを捨て、人として生きる事を拒否した者が、どうして人の幸せを掴もうなどと考えられるでしょう・・・。」


この季節特有の、変わりやすい鈍色の空から、馴染みの深い冷たく綺麗な雪の結晶が舞い落ちてくる。
雲の裂け目から見える、うっすらと日の落ち始めた空に浮ぶ北極星を仰ぎ見て、ジークフリートは絶対的忠誠を誓う主君の命を果たせなかった事の謝罪を告げたのだった。



それは、悪魔の力に魅入られた巫女の授けた洗礼に、人で在りながら獣として生きる少年が、その姿に“神”を見出し、やがては自ら進んで傍らの銀狼と共にその傘下へと入る事になる数日前の事であった――・・・。









こ れ の ど こが お 題 ク リ ア ??

ポカーンとなっている皆様のお顔が目に浮ぶようです・・・(滝汗)
ええっと・・・、もう一度おさらいしますが、確か私の出されたお題って、フェンリルとジークさんが聖域で殺し合うと言う名目のはずでした。
えぇ、そうです。聖域です。せいいきです!
あのね、邪道だと思われるかも知れませんけど、今回の場合の聖域は、サンクチュアリではなく、リル君が持つ聖域、つまり大事な場所・約束の地(これは違うか?)と言う意味で捉えさせて頂きました。 屁理屈こねるのは負けない自信がありますので、思いっきり発揮させて頂きましたw
この作品を手がけている最中『世にも奇妙な物語・秋の特別編』で、パラレルワールドの日本があると言う話があったのですよ。で、その先日に読んだ「日本の中に在る秘境」と言う内容の漫画を読み、両作品の中に通ずるのが、“その場所にある価値観やルールは違う物で、何者にも干渉出来るものではない”と言う印象を持ったのです。それをこの話の中に少しでも反映したかったのです

あ、あとね、ジークさんとリル君の殺し合い・・・、まさか自分の書いたお題が回りまわってこっちにくるとか・・・日ごろの行いが物を言うんだってことを身を持って味わいました。この話の時間軸からいって、殺しちゃったらまずいだろうと言う事で、果し合いの様な雰囲気で無理やりまとめた感じです。

ただ、前半のシーンは書くのすごく楽しかったです(テヘッ)



今 回 お 世 話 に な っ た 使 用 曲♪

「自然児」「洗礼」「野垂れ死に」~BY人間椅子
今回でめでたくリル君イメージソング認定になりましたww最初の台詞の掛け合いは、「洗礼」を意識していますww
この音源を譲ってくださったK様とH様に深く感謝の念を申し上げますww



戻ります。