私はココから這い出てきたの。
アナタという存在を蹴落とすために。
私はココから産まれて来たの。
掻き落とされたアナタと共に・・・・
無 限 回 廊 の 血 の 疼 き
~Blood Moon~
「ぅ・・っっ、うぐ・・・、うぇえ・・」
はあはあ、ゲホゲホと荒ぐ息と共に、今しがたその細く華奢な身体の中身全てを吐き出した汚物を流していく水音を聞きながら、シドは涙目になりながら顔を上げる。
「ぅ・・ぅええ・・ぐ・・」
すっぱい臭いと味が口内にまだこびり付いてる事に、その身体はまだ拒否反応を催すのかまだこみ上げてくる吐き気と不快感に、もう出てくるのはただの胃液しかないのだけれど、兎に角彼女は全てを空にしたくてもがき続けている。
ペッタリと座り込んだユニットバスの床の冷たさが、その華奢で白い身体一枚に薄い白い近衛のシャツを纏ったまま、すらりと伸びたむき出しの下肢を伝って、ますます心は暗く澱んでいく。
蓋を開けたままのトイレの座に折り曲げた片腕の上に自分の頭を乗せたまま、ぐったりとして動けない。
その間にも腹を突き上げてくる鈍痛と共に、生温かい薄気味悪い感触と共に、シドの内部を濁流してその壁を剥ぎとす為に外に外にと押し出されていく赤い膿。
忌まわしいその穴に栓を摘めていても、その気持ちの悪い感触まで拭いきれるはずは無く、決まってこの日々は全てを吐き出したくて仕方が無い。
ここ・・・、否、このアスガルドの中で、彼女はシドという一人の女ではなく、この世に堕落させられた罪を背負った不義の子どもでしかなく、このワルハラ宮殿でも彼女の本当の姿を知る者は誰も居なかった。
そう、ここには居ない、たった一人血の繋がりを持つ、自分を死ぬほど憎んでいるであろう双子の兄でさえ・・。
この国の貴族の間に伝わる古い因習で、双子が産まれた場合その家に災いを齎すとされてどちらかを選ばなければならない因習がある。
それが同性同士の双子ならば別にどちらかを選んでも支障は来たさないが、それが男と女に別って産まれた場合、更にその事情は悪化の一途を辿る事になる。
男女の双子・・・、それは前世で恋人同士だった二人が心中したその魂が、自ら死を選んだ罰として天上に行けず償いの為にこの世に産み堕とされた成れの果て。
馬鹿馬鹿しい事この上ない、たかだかチープな安っぽいロマン話の類にも取れるが、この閉鎖された国にとって見れば、それもまた一つの暗い要素として死活問題に関わってきていた。
男はただ女に誑かされるまま、楽園追放の破滅の道を辿るためにしか存在しない愚かな存在であるが、外の世界に行ってもその持って生まれた機能で一人で生きていっても何の咎も害も無い。
だが女は男を誑かす存在として、それを外に出してしまえばその性が目覚め始めた時、その罪を増長させるかのようにして次々に男達を堕落させ、その魔性に魂は更に穢れていく。
例えどんなに跡取りとしての男児を欲していて望んでいても、女児と共に産まれてしまえば、それは強制的に後者を選ぶ羽目になる。
子宮を借りて生まれてしまった、女としての前世での罪穢れを、親としての責任と務めを持って封印する為に。
それは選ばれた個にとっては人間としてではなく、まるで人形としての一生だった。
女としての悦びはおろか、物心がつく前から仕込まれる男としての立ち居振る舞い、女の嗜む遊びも禁じられて、その動きを逐一厳しく監視される毎日。
それでも彼女の両親及び、周りの人間達は、そんな娘の苦痛を察して少しでもそれを和らげようとする、人間としての心を少なからず持っていた。
それが十年前に親子で遠乗りに行った際、彼に出会ってしまい、彼女が自分がどういう存在であるかを無理矢理に気づかせてしまう引き金となった邂逅に繋がったのは、全く持って皮肉としか言いようが無いだろう。
全てを知ってしまったシドが思春期を向かえ、所謂女としての目覚めの病を覚えた頃、彼女の両親は最後の仕上げとしてこの女人禁制のワルハラ近衛隊に入隊させた。
彼女の家の階級が格調高いということもあり、更なる名誉を求めて放り込まれたこの場所は、“男”として育った彼女にとってはもう逃げる事のできない尼寺同然だった。
彼女はそれでもその辺の男と手合わせをしても負けることは無い戦いの嗜みやセンスを持っていたので、男ばかりの周りからは本当の性別は知られる事無く、近衛隊副官にまで登り詰めて行った。
だけども、それは女としての悦びや幸せを犠牲にして成り立つ、前世の償いでしかないことで、覚えることの無い快楽とそこに用意されている子宮の褥はただただ赤い月に合わせて排泄して生きていくだけの一生。
「・・・・~~ッッ!!」
そのまま床に座り込んだままのシドは、更に一枚身に羽織っていただけのシャツを脱ぎ捨ててむき出された二の腕に手を掛けて、鋭く伸ばした爪を突きたてた。
「・・っバド・・・!」
十年前、たった一度だけであった兄の名をか細く呼んで、それを引き金にするかのようにありったけの力を込めて肌を切り裂き、肉に爪を食い込ませて一気に赤く引き攣れた線状を描く。
それはもう一度や二度のことではなく、多い時で一日何度も何度も・・、腐っていく心の中の膿を取り除く為に模索して考え出した結果の事で、唯一シドにとって許された、吐き出される感情の行き場。
捨てられてしまった兄への様々な想い・・・、罪悪感、逢願、自己嫌悪・・・・そして僅かな憎しみがその傷の中に込められていく。
私さえ生まれてこなければ、アナタは捨てられる事無く、地位も名誉も何もかもがアナタだけの物になった・・。
アナタさえ生まれてこなければ、私はもっと私として生きてこられた・・・。
垂れ流しのままのメスの日々で、不浄の場にへたり込んでアナタを想っているときの私はこの世で一番惨めな存在だと想わざるを得ずに、何度も何度もこの両腕は引っ掻き抉れて血に染まる。
「もう嫌、もう嫌・・・・っ、もうやだぁっ!」
この身体を這い巡る血の色は鉛色のはずなのに、私の中から出てくる血は紛れもなく赤い色。
気持ちの悪い血と傷と、目から溢れ出るのは押し流されるだけの涙。
無限に続く無言のままの阿鼻叫喚は、捨てられた忌み児の憎しみの裏に隠された、選ばれたが故に課せられた彼女を苛む生き地獄。
大量に溢れ出る、その間も止まる事を知らぬ、彼女の中から漏れ堕ちる血まみれの胎盤はやがて、詰められた白い栓から垂れ伸びる白い紐を伝って、ゆっくりじわりと小さく血だまりを染み出していく。
そのまま座り込んだまま、だらりと床に下ろした両腕の零れだした、しなやかな白い肌に扇情的に描かれる朱色のシドの感情も、その血だまりに交わるように静かに落ちていく。
涙を溢れさせながら血と胃液に塗れて、とりあえずは全てを吐き出し終えても尚、新たに湧き上がり始める永遠に続く責め苦の様な不快にぐったりと閉じられた蓋の上に顔を押付けて項垂れる彼女を、小窓の外の仄赤い月だけが笑うようにして見守っていた――・・・。
使用音楽:犬神サーカス団『怪談 首つりの森』より「無限の海の阿鼻叫喚」
戻ります。
|