暗黒ポエ無集


1 見世物小屋口上


火吹き男、蛇女、角の生えた鬼女子、水の妖精人魚姫・・・ありとあらゆる異形の者。
それらをぐるりと囲った大きな大きな布張りの柔らかなテントの中に詰まっているのは、ある意味欠落している部分をを武器にして、ある意味の人間の心の底辺にある汚い部分を栄養分に吸い取って、それを綺麗な夢に咲かせる生業を持つ者達が集っている。
その中にはナイフ投げの名人物、動物曲芸師、最も華やぐ空中ブランコ等もあるにはあったが、私は昔からその身一つを張りながら、笑いを取って生活の糧にする前者に上げた芸目者たちに心惹かれるものを感じていた。
周りの人間達は、その花形芸に歓声を上げながら、そしてその異形の者達の外見に指を指して哂い、あるいは恐れおののきながらも心を揺さ振られそれに見あた金額を彼らの足元に投げつけて、満足そうに見世物小屋を後にする。
私はそんな彼らに対し、一種の憧れや敬意を持っていた・・のかもしれない。
ある種コンプレックスになろう筈の、覆い隠してしまいたくなる自身の身体を臆する事無く前面に押し出すその潔さ。
罵られる視線ですら、羨望の眼差しに摩り替えて生きる糧にする逞しさ。
そう思うこと自体、ぬくぬくと恵まれて育った人間として甘ったれた視点であるのかもしれないけれど、少なくとも今・・・お家の為、迷信のため、それに伴う災いを防ぐためと本当の姿・・・呪われた忌み児としてこの世に生を受けた事・・・を周りにひた隠している私なんかよりもずっと魅力的でよほど人間らしいと思う。
本当の意味での見世物は私であるはずなのに、周りは何も知りもしないからそんな目ですら見られずに居る。
一人閉じこもる事の出来る狭い密室だけで繰り広げらる、自傷と嘔吐の自己嫌悪という名の独り芝居。
誰も本当の私の醜さなど知りはしないのだと言う苛立ちに任せながら、毎夜毎晩垂れ流す感情祭。
でもそれも最近では、独りきりだったはずのこの自己満足の演目に背後からの観客が独り増える事になった。
寒々しい、そして蔑みと哀れみ・・・負の全てを込めた視線でこの汚らしい私の曝け出す様を今も尚鼻先で笑っていることだろう。

あぁ、バド・・・。
きっとそのすぐ先に訪れる未来にて、アナタに味あわせてきた苦しみ、屈辱全てを覆すほどの御代は近いうちにアナタに払われる事でしょう・・・。
だから今はもう少しだけ・・・、この私の孤独な道化芝居を見届けてください・・。

たった一人の、私が生まれたが為に自動的に捨てられる事になった双子の兄へと送る、背中合わせのサーカスの舞台は今夜もするすると幕を上げていく――・・・。











2 あんたは豚だ


雌豚、家畜鬼畜生!!
お前など死ねばいい死ねばいい!死ねばいい!!

それ以上に罵る言葉が見つからないのに失望すると同時、これ以上無いほどに私に当てはまるこの言葉を考え出した先人にうっとりと脱帽する思いだ。
今まで何の疑いも無く、ただ宛がわれるままに、言いなりのままに、私は本当の姿を隠し通するようにと、両親の手の中で飼い殺されていた。
髪を伸ばす事も、体の曲線に合わない服を着せられて、ひたすらに性別を隠蔽する。
それが全く全然異常なことなどと言う事に気がつかず、私よりも更に暗黒の闇から闇へと追いやられたアナタの事を知らずに生きてきたのだから、まだ飼われていてその肉を屠られて飼い主に献上する家畜である豚の方がずっとマシではないか。
この肉を切り裂いてアナタに喰わせ様としたところで、まずくて筋張っていて何より血生臭く汚らわしいこんな存在、家畜以下の何だと言うのか。

初めて出遭ったあの日のアナタの瞳の中の私は、一体どんなおぞましい生物に映っていたのでしょうか?
アナタと同じ哺乳類ヒト化ですか?そうであるならばせめて救われますが、自動的に自分が追いやられる羽目になった、醜い肉の塊のうっとおしい雌の私ですか??
いずれにせよ、この身体がはっきりとした形を持って、罪を犯すために生まれてきたことをまざまざと見せ付けられて、私は更に人外の物へと成り果てた気が致しました。
アナタと同じ種族であるならば1/2の確立で、紛れも無くアナタにもチャンスはあったのに、“私”が生れた時点で、既にアナタは何も機会を与えられずに踏みつけにされて雪の中へと廃棄された。
知らない方が幸せだ・・・その言葉も何度も頭の中で反芻して、気がつかなければ良かったんだと泣き喚き散らしてその度に死のうと思わずには居られなかった。でも今も尚死に切れずに居る。
それはもしかしたら、アナタにまた出会った時に全てを謝罪してやり直せるかも・・とか言うそんな淡い期待じゃなく。

――・・・こんな無様な存在のお前がそう楽に死ねる筈など無い。
自分の手によって俺に対する罪悪感の為に死ぬ、だって?!はっ、そんな綺麗な悲劇的な幕引きなどお前には似合うはずも無い。
のた打ち回って苦しんでもがいて、生き地獄の中、血反吐を吐いてくたばって逝け!!――


・・・何時しか頭の中に生まれ憑いて宿るアナタが、私がそうしようとするたびに現れては、そう言葉を吐いて咎めるからです。

――俺の人生を食い物にして生きていくお前に相応しい死に方は、それ以外にあるまいて――!!


今尚、扉の外にて私を射殺さんばかりのアナタを感じるようになってから、その言葉は更に明確さを持って私の中のアナタに同調して語りかけてくる。

本当に、人外の物に成り果てる事が出来ればどんなにいいだろうか――・・・。

あぁ・・・、許して、許して・・・許。











3 廃墟の街


ゆるゆると遠のく意識の回廊・・・。瓦礫と化したワルハラ宮内部の冷たい床から抜け出た私が立ち尽くしていたのは、あの日アナタと初めて出逢った丘まで続く果て無き雪景色の中。
それが死の間際に見る幻影であって、辿り着いた場所がここであったと言うことは、私が辿ってきた人生の中でここが一番思い入れと深い未練の念が渦巻いていると言う事になるであろう。
舞い落ちる死の翼になど恐れる時間等ももう既に無くなっていて、早く早く過去の現実の中、私は迷う事無く初めて彼と出会うことになったあの丘へと歩を進めて行く。
そこに行ったところで何になろうという躊躇いも、何をしたいのだろうという疑問も全て頭から追い出して、重く身に纏う光の甲-ミザルの神闘衣-の耳障りな金属音も感触ももはやこの身体の感覚に浸透する事も無く、幻影の雪を踏み締める音も何も耳に届かず、ただひたすらに二人の忌み児の運命が交差するであろう彼の地へと。

・・・どれだけ歩いたのかもう判らない、まるで出口のない迷宮の様な長い雪原の道なき道に諦めかけていたその時、突如視界の真ん中に振って沸いたかのようなあの日の記憶の中の私と彼の横姿。
真っ白な手負いのうさぎを背に庇う何も知らない私と対峙する、手に持つ意志を翳したまま固まるアナタ。
私が傲慢に投げて寄越した短刀を反射的に手にとって、愕然とした表情を私に向けているアナタ。
食用物でしかないうさぎを抱いて頬ずる私の背後から現れたのは、私達を引き離してこのような運命を受動せざるを得ないようにさせた罪深き親達。
目当ての物をこの胸に抱いて、ただ可愛がるがために家に連れ帰る事の喜びを溢れさせた私は、そこに立ち尽くすアナタに何の興味も示さなくなった玩具を打ち捨てるようにしてきびすを返してその横を走り抜けて彼らの元へと走りよる。
全てを受け入れることを余儀なくされたアナタの、その無垢であって強くあった力強い夕日色の瞳はずたずたに傷つけられ哀しげに細められ、そして雪の中に消ゆる家族-咎人の血の繋がりだけの一族-を見据えて大きく見開きました。
確かな憎しみと殺意を宿した身体、それを表現するように大きく手を振りかぶって私の短刀を雪の中へと叩きつけて。

――その短刀を拾いなさい。
――そして私を殺しなさい。

そう、声を出したつもりでもそれは音にはならず、無造作に投げ捨てられた短刀を拾おうとして歩いていこうとしてもその足は雪に埋まった鉛の様に重くそこから動く事すらできない。
だって私はここに存在しうるはずのない、ただの愚鈍な脆弱な無力な人間でしかないのだから。
ただただ自分の記憶の中にある、ずっと消えていかないあの日の昔年の後悔を最後にただ見せつけられたまま、急激に視界は歪んでいき、目の前は先ほどと同じ漆黒の闇に閉ざされていきました――・・。


この時、アナタの体に宿った復讐の炎が空を焼き尽くす前に、私ごと焼き尽くしてくれていれば、私をこの時に楽にしてくれればこんな事にはならなかった――・・・。
アナタを想って一人惨めに泣く事も、無様な情欲に身を焦がされて独り芝居を繰り返す事も・・・。
待ちわびていた復讐の邂逅は、更にアナタへの想いに気づかされ私はこのまま消えていくのでしょうか――・・・?

最後にこんな呪いの様に重く圧し掛かる想いを抱きながら。
結局何一つアナタに残せず、アナタへの気持ちも何も報われない、ま、ま――・・・。











4 常世の蟲


幾万、幾億と轟々と蠢くおぞましい阿鼻叫喚がここから立ち去ろうとする私の後ろ髪を引っ張っては足止めさせる。
おぞましいその男とも女とも大人とも子どもとも老とも若とも憑かぬその呻き声ばかりでなく、それに見合う数・・・否それ以上の無数のずるずるに腐り果てた手の群が伸びてきて、もう一度そこに引き戻そうと私の両足首や胴体、果ては両手首や首にまで巻きついて、脳内に直接響く呪いの声をあげてくる。

――・・何故お前などが選ばれた!?
――お前なんか所詮贖いの為にしかここから出る事の出来ない穢れ果てた罪人の分際で!
――きっと生れ落ちた先でもお前はすぐにここへ戻ってくるんだよ、それほどの絶望と痛みに満ちた人生しかお前には用意されて居ないんだ!
―――――そうだそうだそうじゃそうだそうだそうだ!!

割れるほどの痛みに頭を抱えてうずくまる事も出来ず、暗澹とした漆黒の断崖絶壁の下の、顔も見るに耐えられない、ここから脱出したがる醜い天使達がもがき苦しみながら、チャンスを得た私を再びここへと突き落とそうと口々に喚きたてていた。

私はといえば、既にこの場所に辿り着いた経緯も知らず、またこの異形の者達と一緒に居たという記憶も既に無く、気がつけば脱出した私が彼ら(彼女等)が出たくて出たくて仕方が無いこの場所がどんなところであるのかもう思い出せもしなかった。
ここから先、私はどこへ行くのか、どこへ行かなければならないのか、どこへ堕とされるのか何が待っているのか・・・、それは歩いて歩いて歩き続けていかなければ判らないのに、その無数の胸の潰れる様な声と動きを絡めとる呪縛で段々と元居た場所に引きずり戻されようとしている。

・・・――振り向くな。
その時不意に目の前に現れた・・・もしかしたら最初からそこに居たのかもしれない・・・“彼”の凛としたその一言で、私を飲み込もうとしていた声の群をピタリと止めさせた。
・・・――行こう。
再びその声がからからにひび割れそうに痛んだ頭の中に沁み込む水の様な癒しを持って私に向けられると、顔は見せずに黙って手が後ろ手で差し出される。
その手をおずおずと乗せると、そこから伝わる形と温もりは得体の知れないこの世界の中初めて・・・、いえずっと昔から知っていたかのように安堵する感触だった。

――何故それを連れて行く?!
――それはお前にとって災いを齎すものでしかないのに。
――えぇい!それによってお前もこれから行く先で全てを狂わされる運命にあるというのに、それを求めるとは何と愚かな!
――――――どうせお前もそれと同じ欠陥品だ!

――――――二人揃って常世の蟲に集られて嬲られて苦しめばいい!!!


・・・・・――負け犬の遠吠えが・・・。そんなにここを出られる俺達が嫉ましいか。
顔は見えない、この人が誰かも知れない。だけど乗せた手の平を包まれる感覚から伝わる懐かしさと温もりと安堵感を与えてくれるこの人は。
・・・・・・――貴様等全員集まったって、こいつの代わりになどなれはしない。
それは私も同じです。
・・・・・・――こいつでなけれれば意味が無い。
私もアナタでなければ嫌だ。
生きましょう・・・アナタとならばどこにでも・・・。

そう自分を奮い立たせるようにして、その指を絡ませながら、アナタと共に歩いていけば、声も腕もするすると解かれてただ静かな無骨な無機質な闇色の岩と赤黒い空の狭間にぽっかりと現れた鉄格子の様な重い扉に辿り着く。
そっと二つの手で封印を解けばその先に果てなく広がる現世地獄。
例えその先に何が待っていようかと、恐ろしいほどの強迫観念にも似た美徳に捕らわれた人間達の手によって長い時の間引き離される事になろう運命であろうとも。

だがそれでも私はアナタと共にこの世に降りて来た事実に悦びを見出せる。
今尚絶望の淵に立たされていても・・・・。
アナタの中にもう私に対する憎しみしかなくて、あの世界での記憶を亡くしていようとも――・・・。










5 青蛾の群


初めてこの手で自分の淫らな肌に触れたとき、そのあまりにも温かく還ってくる自身の温度に驚いた。
赤い月の女の病を見るようになって、それまで片時も忘れた事などなかったアナタが、あの夜からガラリとその姿と存在価値を私の中で変えていった。
それ以上もそれ以下もない、私のせいで雪の中にその存在を消されていった何よりも大事で、贖っても贖っても贖いきれない最も近しい私の半身。
それをこうして毎夜毎晩、アナタを想い耽る夢情の道具にするまでにその価値観を貶めて、そして全てを捨てても構わないとまで想える程その存在を高め出す。
隠蔽された曲線と直線が入り混じる、不協する肉と皮の継接ぎの四肢を、独り青い月の明りの下に干される寝台に投げ出して、その指を今まで雌を排出するにしか至らなかった奥まった部位に滑らせていく。
アナタを想って少しずつ膨れ上がる雌を象徴する突起に指の腹と指先で触れると、突き抜ける快楽と共に内部から滲み出るのは私の本性。
アナタにされていると想って目を閉じて、耳の中であの日から何日も何年も秘めやかに捏造していったアナタの声が、指で触れる膣と同じ熱さを持って私に語りかけてくる。

・・・――ド。
・・・・・バド・・・。
らせんに連なる記憶の殆どは、とうに色褪せている中で、アナタに初めて出逢ったときの情景は忘れようにも忘れられず、心の中の更に奥、聖なる杭で囲った領域の中で今も尚鮮やかに密やかに息づいている。
その中では、終わりの知らない白い景色の中、二つの短刀を握り締め、ただ私を睨みつけるだけのアナタは、私が穢れ果てていくのと比例して共に成長を遂げていた。
髪も瞳の色は変わらずに、あの時は同じ位の背丈だったのにもうすっかり私を追い越して、同じ位の高さだったあの時の声はずっとずっと低くなって、その身体は私なんかとはまるで違っていて、清廉潔白な逞しさを持つ青年へと・・・。

――シド。
頭の中に組み込まれているアナタへの想いが、まるで悪夢を見せる蟲の様に蠢くたびに、この身体は疼いてアナタを求めて已まなくて。
――・・・・してる・・・、いしてる・・・。あ
私も・・私も・・っ!アナタを・・・・。
アナタと見立てて突き入れた指が、濡れたそこをぐちょぐちょぐちゃぐちゃと音を立てながら出し入れする度に、聞こえてくるアナタの幻聴は何時も、この身体の奥底から突き抜けて湧き上がってくる無数の青蛾の群の羽音に掻き消されてしまう。


はぁ・・はぁ・・は・・。
ぐったりと汗ばむ裸体を投げ出したまま、息を整えるリズムに合わせて白く眩む視界のが緩やかに現の色を取り戻す。
そうして静かに更けていくこの夜も、また一つ私の中で潰えていき、湧き上がってくる孤独と自己嫌悪と絶望を糧にする青蛾がまた一匹、この身体の中で目を醒まし、パタリパタリとその羽を広げていた――・・・。











6 基準停止装置


混沌とした闇に染み渡る血溜まりの様に浮ぶ赤い月の夜。
初めて自分が何者で、どんなにおぞましい生物であるかを思い知らされました――・・・。

罪悪感に打ちのめされて、涙を流し、泣いて泣いて泣きじゃくり、アナタ以外の世界など既に歪んでしまっているのだかいっその事、その眼球が目蓋から転がり落ちて失明してしまえばよいと。
涙と共にすすり上げる鼻の中からは、何も考えなくても良い様に頭の中の脳みそが蕩けだして、かんでもかんでも止まらないほどに溶け出して排出されたそれを投げ捨ててしまえばいい。
そうする事でアナタが、自分自身が何者かを知ってしまったせめてもの罪滅ぼしになるのだという自己満足の罪滅ぼしになるのだと信じて疑いませんでした。それは今でも変わらずに・・。
少なくともこの身体が、罪の形状を為して行き、自らの足の間の温床から薄汚い赤く粘着いたソレを尿の様に放出する前に、溶けて溶けてナメクジの様に綺麗に溶けて、跡形も無く消えうせてしまえば良かったのです。
そうなっていれば今この時、背後から見つめてくるアナタの視線にぞくぞくとした狂悦に身を焦がらせて、こんなにも汚らしい欲液がじわりじわりと溢れ出てくる事もなかったのです。
身に纏う、偽りの白さに包まれた服の上からでもはっきりとわかるほどに勃ち上がった胸の突起に手を当てて指を這わせて、ヌルつき始めるソコに手を伸ばして必至に声を噛み殺しながら、触れられるどころか目にする事すら憚られるアナタに抱かれているというおぞましくも哀しい幻夢に身を浸らせる事も無く――・・・。


本当に私を殺したいほど憎いと言うのなら、億に一つでも私を哀れむ心が残っているのならお願いです・・・。


どうか軽蔑を込めた視線の中で絶頂に達したところで、私の首をその手で撥ねて下さい――・・。
アナタと繋がり合え、愛し合えているという妄想に取り憑かれたままの、最も幸せな夢に抱かれているところで――・・・・。











7 夜が終わっちまう前に・・

我は光にして穢れ 忌贄にして創造物――。


この石牢の様なワルハラ宮から放り出されるように散っていった、仮初である我等が同胞達の命を目の当たりにして、いかにこの聖戦と銘打った茶番劇が私にとって無意味であるのかを改めて思い知らされた。
築き上げてきた祖国の・・・、名も無き民達の苦難と受難に満ちた歴史と引き換えにして保たれていた平和と秩序は、他ならぬこの国を誰よりも愛していたはずの聖巫女自身によって唾を吐きかけられるようにして、ガラガラと崩壊していった。

――・・光ある世界を・・・・!
聖域に侵攻を決意した彼女の異変に気づかずに、ただ勇猛果敢にか弱き戦巫女を守る為に散っていった男達。
――この手に、あの楽園を我が手に、我が民に・・・!!
果たしてそれに気がついていたのは、彼女と同じように全てを封印してきて彼等とその周り全てを欺き続けてきた私と、恐らくはそんな私を背後から見続けていたもう一人の他に誰が居るであろうか?

既にこの世は生き地獄でしかないのを、己の人生を棒に振ることによって体感してきた私と彼にとって見れば、どんなに焦がれている地であってもどんなに実り豊かであり、燦々とした陽が照りつける楽園であったとしても、必ず人間が無意識にしろ何にしろ悪意と言う名の闇を持つ限り、どこか歪が生じてきて、いずれそこも瓦礫の廃墟と化すだけだ。
それでも私が表向きには、同じ本性でありながら、それを隠し立てする必要も無く言って見れば対極の立場に居る彼女に忠誠を誓い、偽りの浄土を目指すための、この馬鹿げた戦に身を投じた理由は、たった一つの言うに及ばない事情からである。
たった一人・・・、この世界でたった一人だけ、私と同じ細胞を共用して、同じほどの・・いや、それ以上の苦しみを与えて味わわせてきたアナタに全て、根こそぎ残らずにこの戦に乗じて私の持つ全てを相続させるためだ。
現実と悪夢の狭間の中、ひたすら自己嫌悪にまみれた排泄行為に時間を割いて身を任せることしか出来なかった私が、唯一アナタに出来ることは、多くの聖闘士を討伐したと言う名誉ある称号と地位。
そんな形の無い物を欲しがる価値がどれだけあるのか、今無様にこのワルハラ宮殿の石畳に冷たく転がる負け犬の私には最期まで判らなかったが、アナタが欲しいと思うものは全て残していきましょう・・・。

あぁ・・・、だけれども・・・。
こうしている間にも闇は段々と私を蝕んで逝き、夜の様な死の冷たさが私の体の上に舞い降りて包み込んでくる・・・・。

でも、まだ私にはやらなければならない事がある・・。
この命が尽きる前、最後の最期の仕上げとしてまだやらなけれ、ば・・・・・。


バラバラに痛む四肢から零れ出る命は、今この一瞬だけでも止まっていてくれるだろうか・・・・?
目の前に立つ、この聖闘士を後ろから押さえつけて、アナタがそれを撃つ間、だ・・けで・・・も――・・・・・。











8 黒髪


ザッ、ザクザクッ・・ザッ・・・
孤独だけれども唯一私が私で居られる空間にて、自らの髪が頭皮を離れて、立ったままの裸体のままの私の周りにもげた羽根の様にはらりはらりと床の上に重力に引きずられるまま落ちて逝く。
部屋に立てかけてある全身を移す姿見を見ながら、せめてもの抵抗としてずっと長く伸ばそうとしても、結局は掟の奴隷となることを妥協した意気地のない私は、姿形もとことん欺きつくさなければここでは生きて行けはしない。
不幸中の幸いか、それともただ絶望に拍車をかけただけか、私の身体は痩せぎすの男だと言うカモフラージュが出来るだけの構造で、念には念を込めているのか、それとも伸びていく髪の毛に乗せるアナタへの想いを断ち切るためか、前、横、後ろとナイフでざくざくと緑青の髪を切り落としていく。
「・・・・・。」
とりあえず今時点はと言う事で、完了した断髪を確認しようと、何時もなら長袖の近衛服で覆い尽くされていた自傷の赤い華が開くむき出された両腕の内片一方を伸ばして、固く角を描く金黒檀で縁取られたそれを手に取り、キャスターを動かし近づける。
「・・・・うっとおしい・・・。」
短く短く前髪を刈り込んで額を出し、その軽さゆえに重力に反するように僅かに逆立つ髪形にそのまま襟足だけを長く伸ばしたままにしたのは、結局は最後の意地だった。
「・・・未練がましくも、まだ私は私のままでいたいのか・・・。」
す・・っと自傷まみれの腕を伸ばし、いっそ自分の亡霊に鏡の中に引きずり込まれればいいと思いながら、冷たい硝子に額を押付けてみても何も起こらず何も伝わって来はしない。
判っていた筈の無機質な冷たさと無情さをまざまざと見せ付けられて、またもや汚らしい涙が押し出されてくる。

一体それは誰のための涙なの?
かわいそうな己の自己満足?
それとも、胸に秘めた届かぬ想いの齎す痛みから・・・・?

いくら外面を偽りで取り繕おうとも、この構造の中の肉体に息づく内部に黒々く咲く花弁は、きっとアナタにすら見えないまま一枚ずつ腐り散っていくだけで・・・。
逃れる事の出来ない、この閉鎖された雪国の、更なる狭い社会地獄に突き落とされた私とアナタはきっと誰にも救えはしない。
不浄の夜に溺れていき死に掛けている私達を、この国の慈悲深く無慈悲な神は黙って見下ろすだけで、何も手を差し伸べてくれはしない。
この乾き果てた肌に散る傷にすら、誰の目にも触れることは無く、閉ざされた記憶の中のアナタの声に誘われ、今日も私はそれを人知れずまたひっそりと咲かせて行き散らせて行く――・・・。


「それでも私は・・・アナタが・・・。」
誰にも何も聞こえないほどの声で鏡の向こう側に映る、全く違って同じであるアナタにそっと呟いて、一糸纏わぬ裸体のままに、必要ないからと切り捨てた、たかがクズと化した一寸違わぬアナタと同じ遺伝子が宿っていた、円陣を描くこの髪の中にしゃがみ込んで、一房掬い上げてそっと口吻けた。
せめてもの、私が私であることを許されたこの空間だけの密やかな、アナタへの想いの丈を込めて――・・・・。











9 白痴

勢い良く服を脱ぎ捨てて、貴方と二人ベッドになだれ込んで肌を重ね合わせるこの一時、長い間ああであれこうであれそうであれと押さえつけられて殺されていた本能が、脳みそから身体中からあふれ出しては弾け飛ぶ。
あれだけ周りが、私と貴方を忌み嫌って引き離そうと努力・・それこそ時間と労力の無駄遣いでしかなかったことなのですが・・・、我々の魂を野垂れ死なそうと足掻いてきても、結果的にあの無限に続く生き地獄は、互いを求め合う為に必要不可欠な過去・歴史にしかなりえなかったと言う訳だ。

フフ・・・。
クスクス・・・。
アハハハハハハ!

私が下で貴方が上で、互いに異なる性を愛撫しあって刺激を加え合って昂ぶりあいながら、痴呆の入っている耄碌した老神のご機嫌しか取れなかった両親を始め、この世界によって傷つけられた肉体に散らばるキズ口を舐めあいながら求め合う。
押し殺されていた私と貴方の中の野生が、インテリ気取りの間抜け面をした他人達にとって最も恐れおののく結果になった事。
私の肉の内部に侵入してくる貴方を身もだえしながらも受け入れながら、昔一人きりで慰めていたあの頃に巣食っていた青蛾に代わり、目の前にはバチバチバチッと無数の火花が音を立てて理性を焼ききっていく。

こうなる事に一体何を周りはこんなにも恐れていたのか、そしてこうなる事が齎した結果は無責任な他人達にとっては何の危害も及ばないのに、何故あんなにも私達を傷つけていたのか・・・。
私と貴方がこうして繋がりあい結ばれあう、こんな幸せなことを何故他人でしかないあいつ等が何を躍起になって小難しく考えて、あんな無駄な努力を科していたのか――?

両脚を高く高く抱え上げられながら、更に奥深くまで入ろうとして私の身体を激しく穿つ貴方の身体を、もう二度と手離すものかと言う執着と言う名の想いを込めて、しっかりとその逞しく広く大きな背中に両腕を回して爪を立てる。
交配なんて所詮は肉欲の解消法だから、せめて奥深く殿方をくわえ込ませる為に獣の様に四つん這いになりながらヤルのが気持ちいいんだとほざいていた馬鹿女がそう言えばどこかに居ましたっけ?
それはどこで聞いて来たのか、そんなこと思い出す価値も何も無かったのだが、それは全くもってお門違いな馬鹿意見でしかない事を、今私は実感している。
だって、貴方のその表情、私の中で気持ちが良いと訴えている貴方の性、それら全てを余す事無く見続けられることが出来るなんて、これ以上の快楽があるだろうか?
私の腐り朽ちていくだけだった、内部に咲く花の温床。
永遠に咲かすことの無いと思っていたそれを貴方の手によって開かれたのだから、更に大きく綺麗に鮮やかにそれを咲かせて欲しいと――。

私の両腕による拘束によって、私の中から引くに引けず、押し寄せてくる快楽に抗う事が出来ない貴方が、この腕を離せ!と焦ったように掠れ声で諫めるが、私は頑としてそれを聞き入れなかった。
だって私は全然構わないのですから。
今まで散々我慢させられていた貴方全て、その性の証をも欲しがって、一滴残らず私の中に注ぎ込んで貰いたいと思うのに何の咎があるのでしょう――?

もうどうにも止まらないと言った状態の貴方の、望みどおりにその情欲が身体の奥深くに放たれて満たされていく衝撃に、白く思考を霞ませがら私も一緒に昇天していく。



そんなに怯えなくても大丈夫ですよ・・・?
こうなった経緯を暴き立てられ咎められ、また引き離そうとする慈人気取りの理由を欲しがる馬鹿共には、形も何も見えない因習と言う悪魔に捕らわれて引き起こした悲劇だと仰れば良いんです。
何も貴方が心配する事なんてありませんよ・・・。
伊達にこの世の修羅場を垣間見て来たわけじゃありませんから、貴方を守るためなら全部この手で始末致します。
でも、結局はあの聖戦で聖巫女の豹変にも私の仮面芝居にも気がつかなかった馬鹿ばかりには私達の関係も想いも何一つ伝わらないと思いますけども・・・ね?










10 基準停止線の網目


独房である汚物排出場にて、腕に散らばる赤い自傷の痕を見るたびに、ぶよりとした胎盤が赤い膿として排出されるたび、アナタの残像が私の頭と身体に纏わりついて離れない。
こみ上げてくる吐き気と共に、私を憎むアナタへ向けて復讐の言葉の一つでも吐き出せればと想いつつも、逆流していく胃液交じりの感情放出でそれは何時も掻き消えていく。
頭の中と身体の中、それら全てをクリアにしたそのときに何時も浮ぶのは、初めて女として目覚めた・・・女としての病が目に見えて現れた、混沌の闇の中に血の様な赤い月が浮ぶ夜のこと。


何・・、何!?何何何何!?
コレは何なの――!!??
何の前知識も無く内股を蟲の様に這いずるようにして伝って行き、足の先にまで溢れ出てきた鮮血と齎される臭いに怯え、錯乱してそれを母親に訴えた。
自分の中に今まで押さえつけられて眠らされていた本性が、まるで悪魔の目覚めの様にしか思えずに、それが齎す不快を軽減させたくて本能的に母に救いを求めに行った。
そのとき彼女は、凍りつきある種の諦めにと嫌悪感を混ぜた表情を見せながら、怯える私を浴室に引きずっていき、その股間にこびり付いた不浄の汚れを冷水を最大出力にしたシャワーで清め始めた。
肉の裂け目に当たる水の冷たさにヒクンとそこが微かに痙攣するかのような感触を覚えたかと思った瞬間、急に突っ込まれた母のたおやかで白く綺麗な憧れだった優しい手の指が、まるで堕胎児を掻き落とすかのように動き始めた。

痛いイタイイタイ、いたいよ、やめてやめて!!母様ヤメテ―――!!

そのあまりのおぞましさと不快感に頭を振りながら泣きじゃくって訴えても彼女は止めてはくれず、それどころかまるで悪鬼の様な形相で下水に続く排水溝の中に水に押し流すようにして、溢れ出て止まらない私の目覚めたばかりの雌を掻き出し続けていた。

―――・・・オ前ハアノ児トシテ生キテ行クノデス。
優しく私を慈しんでいたその声は、おびただしい混乱に支配された私の思考に酷く無情に虚ろな音を持って私の中に響いていた。
その言葉通りに、その悪夢の様な母親の行為が始まりの合図でしかなくて、宛がわれたのは私の目覚めようとする母性を象徴するもの全てを潰やして封じ込めるための服達と、罪を為すであろう汚らわしい穴に突っ込む白い栓。

そして初めて告げられたのは、アナタの存在と呪われた自身の正体―――――・・・。


ぺたりとその冷たい床にしゃがみ込んだ私は、アナタと言う存在として生きていくことを余儀なくされながらも、それでも「希望」と言う二文字が書かれた紙切れをあの日から口に銜えたままで居る。
それを持つ事自体がおこがましく、残像のアナタが幾らそれを「絶望」へと書き換えようとしても、最後の抵抗として私はその口を緩める事はない。

私の、そのぱっくりと開いたままで居る本性としての肉の裂け目から、今もまだドクドクと放出される粘着質の母性と言う名の残骸はまるで闇の様に、アナタを・・・そして私をも否定するかの様に全てを覆いつくす。





全て覆い尽くされれば良い。
全てを覆いつくせ。全て覆い尽くせ。



私とアナタを否定した世界なぞ、全て重暗い闇に覆い尽くされてしまえ―――!!!











11 鬼火

どこからか吹き込む生暖かい風が、私の顔とむき出された腕の赤い華と、そして自らの手でざく切りに切り落とした緑青の髪を撫ぜながら静かに通り過ぎていく。
目の前に広がるのは漆黒の闇の様な霧に満ちた大地にぼんやりと青自く発光する名も知らぬ釣鐘状の青紫色の花の群。
足首まで埋まるほどの丈の、どこと無く腐臭の香を漂わせる花畑に、今まで隠し通してきたからだの線がくっきりと出る白い柔らかい服を身に纏う私の視界の遥か遠くに、同じように白い色の小さな塊が不規則な動きでこちらへとやってくる。
それは私と同じようにどこからか迷い込んだのか、それとも元々この世界に居たのか、そもそもここは一体どこなのかと訝しむ前に、私の足は其方の方に向かっていき、その小さな塊を受け止めようとしゃがみ込んで、引き攣れた赤が無数に散らばる両腕を差し伸べる。
――・・・おいで。
そうそれに呟きかけると、一瞬びく・・と、びっこを引く片耳を食いちぎられた赤い血の色の目をした小さな兎はその身を微かに縮こませて震わせる。
――・・・怖くないよ?
だがそう言って抱き上げようとした途端に、その小さく辛うじて息吹いていた塊はぱたりと横たえられて、小さく痙攣を繰り返しながらもう二度と動く事は無かった。
――・・・・・。
さぁ・・・っと一陣の風に乗った、青紫色の花弁が、たった今ここで息絶えた生命をあるべき場所へと還すかのようにして、その亡骸を覆い尽くしながら吹き抜けていく。
幾つもの夜を溶かしたかのような重い闇の中、足元の広大な青紫だけが鮮やかで、それはまるであの青蛾の群れの様に忌々しさを醸し出している。
目をどんなに凝らして見ても、ここまで辿ってきた道は見つからずに、風の吹く方へと棚引いていく、横広がりの裾の白い丈長服。

懸命にここに来た経緯を、記憶の糸を手繰り寄せて思い出す。
最も叶えたいと逝き際間際に願った、記憶の中の過去の残像だけを見せつけられた私がもう一つだけ温めていた願い。
それこそ諦めざるを得ないそれだったのだが、今まで居た現世ではあの赤い月の闇以来、袖を通される事も憚られた女を象徴するこの服を今この身に纏うと言うことは。
――・・・どこへ行こうか・・・。
これは冥土へと落ちていく私に贈られた死に装束なのだと。

古き因習のしがらみ渦巻く極寒地獄の中に産み堕とされた私とアナタ。
近親地獄と社会地獄の中で、叶わぬアナタへ抱いた恋地獄。
あの現世で味わってきた生き地獄以上の苦痛など私は知らない。何も怖くなど無い。
・・・あの一瞬、最期にアナタが見せたあの表情と振り下ろされたその手が、まだこの記憶の中に宿っている限り、一条の光はまだ私の中に差し込み続けているのだから。
――・・・どこにでも案内するがいい・・・。
来た道ももう判らない、だがもう戻れないし戻るつもりも無い。
そんな私の視界の遥か向こうに、まるで鬼火の様に闇の空に舞い上がる冥花の花弁。
微かに浮かべた笑みと裏腹に、滲むようにぼやける視界と共に頬を伝う涙を拭わずに、私は迷わずまた歩き続ける。


浄化と言う名の地獄に向けて――・・・・。











12 灯蛾


まるで糸が切れたように、私の身体を媒体にして巣食っていた毒蛾の群達は一斉に冥土へと向かって飛び立っていった。
それはまるで青白い火柱の様に壮大でいて、寒々しい身体に更に鳥肌が立つほど、この汚い私が飼いならしたそれとは思えないほど美しい光景で、冷たい床の上に投げ出されて転がっている、大きく穴の空いた高い天井に向けて瞳を見開いている中にだけそれは最期に鮮やかさを見せ付けて消えていった。
既に麻痺しかけている聴覚が、貴方の赤裸々に綴られる私への恨み辛みに満ちた独白と混じり、風を切って聖闘士の体を空に放り投げる音とその直後の衝撃音がまるで遠鳴りの様に受け止めている。
暴風雨の様な気流によって、高く舞い上がって床に叩きつけられた事によって感覚の狂い始めたこのいびつな存在の肉体は、青い毒蛾の葬列により、もう長くもたないことはうすうすと感づいていた。
この身に纏う、選ばれた神の戦士である光を象徴するミザルの神闘衣も、蝋燭に灯された火の周りをぐるぐると回る蛾が撒き散らす鱗糞の様に何の意味も持たない物と化していく。
このままここに居る人間達に誰にも知られる事無く、舌を噛み切って密やかに死のうかと思っていても、鉛の様に重くなっている身体は唇一つ動かせずただアナタが戦う姿を音だけで傍観しているだけで。
私の意識がまだしつこく残っている事などここに居る誰も気がつかず、ただ黙って唯一残された結末である死を待つ為に横たわり続ける思考のの届かない位置にある私の肉体。
誰にも引導を渡してもらえずに、死に掛けたその辺の虫けらの様に踏み潰されて、羽を引きちぎられて、火をつけて跡形も無く消えてしまいたくともそれが出来ないのであるならば、自分自身でこの惨めな生き様に幕を下ろしてしまいたいのに、何故未だにそれは訪れない――!?

・・・・だが不意に遠のいていた周りのノイズ交じりに聞こえていた音が急にクリアになる。
と同時に、離れていた思考が再び肉体に舞い戻ったかのように、凍り付いていた身体が少しばかり氷解したかのように、微かに自由を取り戻す。
反射的に・・それでも緩慢とした動きだが、アナタの方を見やると、今しがた虚空の果てに見上げていた青い炎とは違う、真紅に燃ゆる焔の鳥が放った炎がアナタの左腕に絡み付いて燃え上がっていく。
・・・・――俺の負けだ。
たった一言、低く覚悟を決めたかのようなアナタの声。
――・・・・・殺せ・・・。

―――!?
何を言うのですか――・・・?
今までアナタは私をこの手で殺して、全て私から奪う為に生きてきたのではないのですか?!
それをどうして、私にとどめも刺さずに、それどころか殺されることを甘んじて受け入れようとしているのですか――!!

その声が、何がしかの力を科したのか、私は既に抜け殻のようだった身体を起こし上げ、目の前に立ちはだかるその聖闘士を後ろから押さえつけようと手を伸ばす。
そうする間にも、ミザルの神闘衣が重くて仕方がない程なのだから、もうどれだけの力がこの肉体に残っているというのか判りきっていたが・・・。


――・・・バ、バドよ・・・。
諦めを見出したアナタに私が唯一最期に出来ること。
――・・・はやく・・・!
驚いて振り向いたアナタの瞳の先にある、息も絶え絶えの何もかも消えてなくなっていく私に、まだ利用価値を見出せる内に。


――・・・早くフェニックスを撃てぇ・・・っ!!

アナタのその拳によって私を殺させること――。


今までずっと温めてきてそれでも諦めかけていた最期のわがままを・・・。
どうか今この時、かなえて、くだ・・・、さ・・・・・・、い・・・。











13 路上

生まれて初めて触れた、既に事切れたお前の肉体は、その光の象徴である、俺が求めて已まなかったミザルの神闘衣を纏っていても、感覚が失われ始めているこの両腕がこの柔らかく降りしきる雪の臥所の上にお前を落としてしまえば、その華奢な四肢はバラバラに砕け散ってしまいそうなほどに軽くて、軽すぎて。
――・・・シドよ。
当て所も無く歩き続けていく路無き路の中、俺の中で散らばっていたお前への様々な感情を一つずつ拾い上げて行く様にして、お前の今まで辿ってきたであろう過酷なそれを思うと独りでに涙がこみ上げてくる。
――・・・今までの俺を許してくれ・・・。
俺はずっと俺だけがこの世界に否定されて生きてきたと思っていた。
お前さえ居なければその地位も名声も富みも、日の照る道すらも何もかもが俺の手の中に在るものだと思い込んでいた。
だがそれはお前が本当の自分を押し殺してきた犠牲に比べれば、そんなものはお前にとって苦痛でしかなかった事を、俺はつい先ほどに交わしたばかりの邂逅の一瞬まで気がつかないフリを決め込んでいた。
俺がお前の影として付き従ってきた日々の中、俺の背後からの視線の中で知ってか知らずか、何度も何度も自傷行為を繰り返し、そして自分を慰め続けていたお前の痛々しい身体と吐き下していた感情。
おぞましいほど軟弱で、所詮は女だと蔑視しながらせせら笑いながらも、そんなお前を見せ付けれて欲情を感じてしまった自分にひたすらに自己嫌悪を覚えていた。
だがそれも何時しか、その腕に切ないほどに赤く染め上げていく傷の華を増やし続け生かし続けるお前に、情が沸きあがっていたのだろうと今なら素直に思えた。
――・・・せめてその償いとして・・・。
先ほど繰り広げていた聖闘士との死闘、人形の様に冷たく転がるお前を敵の矢面に晒す事も出来たはずなのに、そうしなかったのはきっとそういうことなのかと。
勝つためにはどんな手段も選ばぬと豪語していたのに、それをしなかったのはあれ以上に傷付いて傷付き果てたお前をこれ以上に傷つけることは許されないと、無意識的にだが本能的にお前を想う俺が牽制的に叫び続けていたからなのだと。
だけれども、結局はその傷だらけの身体を押して、細い息の元に俺の希望を繋ぐため叶える為の行動のせいで、お前の命は更に死地へと転がり落ちる為に削られて・・・。
――・・・兄である俺の手によってお前を・・・。
男と女の双児の戒めを科されたお前は、一体この世界で何の幸せを見出せた?そして最期までに一体何を求めていた?
白銀の煌めいている幻想めく鍍金だけの美しさに覆われた、陰惨とした祖国の地にお前を帰すよりも、きっと同じようにして罪の児・不義の児として捨てられた俺ならば今からならまだ間に合うであろう・・・。

ピタリ・・・と轟々と吹き荒ぶ雪原の中足を止め、そっとその身体を偽りだらけの世界の中、唯一本物の美しさを持つ雪の上に横たえさせると、もう冷たい温もりしか感じられないお前の鋭く伸ばした爪の白いたおやかな手の平を俺の頬に当てさせる。
この手で、お前はおまえ自身を傷つけて、そして俺を何度も求めて・・・結局は何一つ報われないまま逝ったお前に、せめてもの償いとして、俺の体温と身体の形を覚えさせるように触れさせていく。
きっと一足早く向こうに待っているお前が、迷わずに俺を見つけて触れられるようにと・・。
――・・・・・・・そしてこの俺も・・・・。
その手を再び頬に当てて、そのまま首筋に辿らせると、お前のと俺自身の刃にてその血管をかき切っていく。

――・・・・この世に・・、堕ちる前に、居た・・・あの、場所・・・へ・・・。
真っ赤に飛び散っていく雪の上の俺の鮮血は、お前のこの腕に赤く咲くそれとは比べ物にならないけれど、鮮やかに綺麗なコントラストを滴らせていく・・・。

哀しみも苦しみも憎しみも・・、初めて気がついた俺の愚かしいお前への愛おしさと反比例しながら、この雪と共に白く蕩けるようにしながら褪せていく・・・。

お前に味わわせてきたそれとは比べ物にならないほどにその痛みは一瞬で、薄れ果てていく意識の中、白く霞むここに吹く吹雪にも似た霧霞の中、その向こうにて優しく手招いているお前の姿は、きっと幻影などではない・・・。
そして、その手招く方向に歩いて行き、段々と近づいていく俺の視界の中のお前が見せる表情が、綺麗な微笑みの姿であるのも、きっと・・・・。


――・・“バド”・・・。
そう俺の名を呼ぶお前の声に、万感の愛情が込められているのも、きっとそう――・・・。










14 地獄の子守唄


――・・・ほゥら、やっぱり戻って来たよ?
――ハハやはりな、この身の程知らずが!
――やはりお前にはあちらの世界など分不相応だったという訳だ!!
――はははははっはははははははははっははははははははあははっははははは!!!!ざまぁ見せらせ!!

青い焔の先に導かれて通った路の終着点であるこの扉を開けて突き進んでみれば、ココは私とアノ人が一緒に産み堕とされる前に居た断崖絶壁のあの場所で、立ち尽くす私の前には散々私達を妬み嫉み、生かせまいと引きずり落そうともがいていた亡者達がひねくれた眼差しと侮蔑な言葉で出迎えてくれていた。
――どら、向こうの世界で散々被った罪の味はいか程の物か?
――我等を差し置いて出て生ったからには、それ相応の土産は当然じゃて。
――その穢れ果てた魂の味を、我々に曝け出してみろ!!

怒涛の様に渦を巻く、その声はもの凄い衝撃波になって私を遅い、それと同時にあの日以上の腐った触手がうねりながら私の肉体全てに巻きついてあちらこちらを弄りだす。
・・・・好きにすればいい。もう好きにすれば、いい・・・。
死して尚、この穢れた存在を嬲られだす感触に私は抗う気力も無かった。
彼らが焦がれ求めている、あの世界はココ以上に苦痛に満ちた場所なのだ。
それすらも判らずにいて、ひたすらに憧れ続けられるその一種のひたむきさを、知ってしまった私は少しだけ羨ましく思いながらされるがままにこの身体を投げ出していた。

どうせココにはアノ人は来ない。アノ人とは二度と出会えることも交える事も無い・・・。
最期まで私は呪いの様な想いを科せられ続けながら、その運命を変える事も出来ずに踊らされ続けて、そしてこの場所で惨めな存在に成り戻る。ただそれだけの・・・。



――・・・ッ、汚い手でそいつに触れるな!!
だがその時、突如凛とした、あの日以来に聞いたその声は、まるで闇を切り裂く光の様な力を持って私の頭の中に直接入り込んでくる。
その途端、私の身体に絡み付いていた無数の触手は断末魔の悲鳴と共に焼き尽くされて、その持ち主達も消滅の一途を辿っていった。
呆然として立ち尽くす私の後ろに、馴染みの深い気配が・・・しかし今までの日々に感じていたそれとは全く違う、冷たく蔑むあの眼ではなく、でも私に向けられるはずは無いと諦めていた温かさを感じる視線が注がれて来る。
――・・・コイツでなければ意味なぞ無い・・・。
あの時に聞いた、全く同じ言葉と声音で囁かれながらふと背後から抱き込まれる。
声を上げる事も出来ず振りほどこうとも思わず、ただ金縛りにあったかのようにその優しい両腕の拘束にひたすら身を任せている事しか出来ない。
――・・・ゴメン・・・。
振り向けない私の耳元に吹き込まれるその声は、忘れる事など出来ないと、忘れたくないと切に願ったあの最期に聞いたそれと同じ。
――・・・ゴメンな、シド・・・・。今まで辛い想いばかりさせて本当にすまなかった・・・・!

ねぇ・・・、私は今夢を見ているのでしょうか・・・?
今ここで感情に任せて振り向いてしまえば掻き消えてしまうほどに儚く悲しいそんな夢を・・・。
振り返る勇気が持てず、でもその存在を確かめたくて抱きしめられているその腕に両手で触れると、そこからは紛れも無く伝わるアナタの存在。

――・・・バ、ド・・・?
――・・・あぁ、俺はここに居る・・。
――バ、ド・・・。
――・・・あぁ・・・、俺はもうお前を一人にさせない・・・。
――・・・ッ、バド・・・ッ!

もう幻でも何でも構わずに、たまらなくなって振り向いて、その顔を見る間も無く、ただその広く逞しい・・・あの日々の中に思い描いていた以上に優しい胸に顔を預けて泣きじゃくる私を、アナタは消える事も無く突き放す事も無く、きつく抱きしめてくれる。
・・・アナタがここに居るということは、結局はそう言う事なのだろうけれど、でも何よりも私を選んでくれた・・、ずっと一緒だと言ってくれたその言葉を信じてもいいですか?
アナタにはもう少しあの世界に居て欲しかったのだけれども、でもそれすらも捨ててココに来てくれた其の事を、長い長いあの日々の中望んでいたそれよりも最期に私を想って選んでくれたと自惚れても良いですか――?


――・・・共に、逝こう・・・。また一緒に在る為に・・・。今度こそ引き裂かれぬように・・・。
――・・・はい・・っ!・・・アナタと今度こそ離れない様に・・・。

ココから先にはどんな責め苦が待っているのか、どんな拷問が科せられるのか・・。
そんなものはもう何も怖くなど無かった。
二人寄り添って向かう遥か向こうから聞こえてくるのは、全てを裁く冥土の鬼達の怒号に似た呻り声。
それすらも、地獄の底で響く子守唄の様な安らぎをもってして私とアナタを包み込む。


――・・・・バド・・・・。
――・・・何だ?シド・・・。
――私はアナタを・・・・。



だって、アナタがココに来てくれた事、その事実が私にとってのどんな永遠浄土にも勝る真実だから・・・。
それが例え死して結ばれたものであっても、呪いの様なそれであっても、ずっと消える事など無い絆をアナタは私に与えてくれたのだから・・・。









アナタを愛してます。
あなたを愛しています。
貴方を愛しています。
貴方を愛しています・・・。
貴方を愛しています・・・・。
貴方を愛しています・・・・・。








愛して・・・、居ます・・・・。ずっとずっと・・・・。









ご清聴有難うございました・・・・!