◆赤痣の娼婦◆
きしり・・・と圧し掛かる貴方の存在に、私は緩やかに押しつぶされながら、汗ばむその逞しい肉体から与えられる快楽に溺れていこうとするも、何時もその白い首筋にまだ痛々しく残る鋭い傷跡を目にすると、否が応にも忘れよう忘れようとしている、あの辿ってきた冷たく暗い日々がじくじくと思い出される。
「・・・どうした・・・・?」
荒い息の下で私の中に入ってくる貴方は、他の何者でも無いこの部分に私と・・・そして貴方自身が付けた傷痕に私の指が触れると、切なく瞳を閉じかけてか細い吐息を吐き出した。
まるで締められた跡の様に・・・、一生残ってしまうであろうほどに深く深くその肉を切り裂いたその傷は、再び貴方と共に蘇った際に、貴方の手が唇が私の赤い腕を愛撫している時に気がついたもので、それに至る経緯を問いただしたところ、貴方は辛そうにその綺麗な朝焼けの瞳を伏せた。
――・・・・・・お前は、何も知らなくてもいい・・・・。
これ以上の枷を私にあえて背負わさぬようにと、その言葉と共に押し黙った精一杯の貴方の優しさに触れた時、きっと貴方がアノ場所へと私を追いかけてきてくれたことに密接な関係が在ると直感で覚ってしまった私。
聖巫女と耄碌老神の大いなる祈りと癒しを込めた小宇宙ですら、治せぬ傷口は相当に深い情念が込められている為に完全には塞がりきらないと言うことは、この腕に散らばる赤い痣がそのままで蘇った私には容易に想像出来る事だった。
現に貴方の傷痕は、貴方一人の爪では到底切り裂く事のできないほど裂傷が激しくて、いくら出血を止めた状態で蘇ったとしても、それは目に見えて明らかに引き攣れている。
「・・・また、余計な事を考えていたんだろ・・・?」
そう苦笑しながら、じっと見上げる私の髪をくしゃくしゃと優しく撫で付けながら、額に口付けを落として静かに抱きしめてくれる貴方。
私の腕と貴方の首に取り憑く爛れた痕。
それを見るたびにどれだけ私達が歩んできた路が異常なものなのか・・・、そしてこうした関係がどれだけおぞましい事なのか、微かに残る私の理性が警鐘を鳴らしても、私はそれを一切聞かぬようにして、きつく私を抱きしめながら激しく内部を穿ち始める貴方をその赤痣の腕で抱きしめ返しながら、その赤縄に舌を這わせていく。
「っ、く・・っ、・・・シ、ド・・・ッ!」
私のこの腕に散らされた赤い痕は、もう二度と貴方が私から離れていかぬように、失わないようにと打算を込めて、貴方自身の爪で掻き毟られる事を望んだが、貴方のその首の痕は私が抉る必要のない程に痛々しく、そして私を捕らえ続けているには充分なほどにきつく縛り上げるために在る。
「あっ・・あぁ・・っ、あぁっ・・・、・・バ、ドっ・・・!」
寝台の軋むと音と、肌と肉と欲情が擦れて奏でる水音と、密着させる互いの身体からの滑る汗。
それら全てが私達を興奮させて、白く思考を霞ませて、今まで蝕んでいた私達のあの過去をそれらで覆い尽くして塗り替えて欲しいと願っていても、結局はあの日々があってこその私達がある訳で、何一つ棄て去る事は不可能で。
ただ想い合って、互いに恋に落ちて、身も心も蕩けるようにしながら睦み合うような出会いをしていれば、きっともっと貴方に抱かれるたびに幸福を見出せていた。
望んでいた至福の時間をようやく手に入れられたのに、折角貴方をこの手に取り戻したのに、まるで合わせ鏡の欠片が粉々に砕け散って、一つずつそれが記憶の中に突き刺さる、そんな諸刃の様な関係に産まれてしまった事。
無いもの強請りだと言うのは百も承知なのに、貴方を愛おしく想う程それは色濃く、鮮やかに・・・。
やがて、内部に泡立つモノを注ぎ込む一瞬前、貴方は私から身体を離し、私がそう望んだ通りに貴方の欲情全てを呑み込んで取り込む為に、開いた口に貴方自身を受け止める。
どくどくどくと熱く泡立つ白く濃い液体を一滴残らずに飲み干して咳き込む私を労るようにして背中を撫でてくれる貴方の胸に、安らぐ様に顔を埋めていく。
何時も消える事なく目の前に置かれている忌々しい現実から目を背ける為に、貴方に求められているという喜びと快楽から湧き上がってくる一時の夢うつつの甘い睡りにそのまま身を浸らせていく。
目覚めれば、貴方と私に内包する記憶が全部塗り替えられて居ますようにと、淡くも残酷な期待を胸に秘めながら――・・・。
◆エナメルを塗られたアポリネール◆
おとうさん・・・。
おかあさん・・・。
かみさま・・・・。
鋭く伸ばした己の爪が、まるで栄養の回っていない鶏がらの様な腕を更に貶めるようにして紋様を描く為にガリガリと掻ききって行く瞬間、私はこの世で最も惨めで醜い肉隗に成り果てる。
年月と共に成長していく私の肉体は、段々と熟れて熟れて熟れすぎて腐っていくざくろの様に、死臭を撒き散らしながら朽ち果てる為に存在している。
それを欺く為に、アナタの幻を背負わせるようにして、この歪な身体を隠すためにアナタが袖を通すはずだった服を着せられ続けている。
それで腐敗は封じきれたのだと周りは安心しきっていても、私のこのむき出された両の手と合わせて十枚の白く磨かれた爪は、何もかもの事情を知っていて、隠された私の身体の唯一晒す事の出来る一部であり、ありとあらゆる私の感情を込めて引っ掻き回したこの爪を持つその二つの手が、欺き続けているこの世界のありとあらゆるものに直に触れている時、私は密かにほくそ笑む。
――この手は、この爪は、私が飼っている蟲の屍骸を叩き潰してその塊から滲み出た、体液と言う名の膿にまみれたそれなのよ?
気安く私のこの手に興味を示して、お前の手って相変わらず綺麗なそれだよな?何か特別なケアでもしているのか??、ううん、別に・・・と、会話を交わしながら近くによる君等には、私の身体から何の臭いはしないのかい――・・・?
この仮面生活の中で常に感じている息苦しさはまるで、飾り立てる為に塗りたくられて悲鳴を上げたくても上げられない、真っ赤なマニキュアに覆われた両手両足の爪の虫の息のよう。
この両の手までが、エナメル質の偽りの輝きに覆われてしまったのならば、きっと私は発狂する。
常に狂気が渦巻く私の内部にある感情を、たった一人で抗わなければ贖わなければならない重さを吐き出す唯一の手段、唯一の掃き溜め場所を奪われたのならきっと。
父様、貴男に与えられた絶望を
母様、貴女に植え付けられたトラウマを
そして絶対神であるオーディーンよ、貴神に見殺されたその屈辱を――・・・。
私は死ぬまで許さない。
もう一人の私の分まで許しはしない。
この病んだ世界で想い慕い最も近しい存在を遠ざける出来損ないに私を産み堕とし、アノ人を愚弄した貴様達を、決して許しはしない――!
◆竹田の子守唄◆
深々と降る雪の檻の中で、両手を付いて蹲るお前の背中が俺の瞳に映った。
白い白い大地の向こうには暖かく灯る無数にある橙色。
そこからはよくよく耳を済ませれば、その灯の色に似つかわしい、楽しそうな声や優しい声、温かく慈しむ声が風に乗って聞こえてくる。
お前もそこに行きたいのだろうか・・・?
でも辿り着けなくて俯くお前に俺は何をしてやれる――・・・?
「・・・シド。」
真夜中に目を覚まし、さらりとした・・・、きっとこのまま伸ばし続けていればもっと美しくお前に映えるはずの、その俺と同じ色をした髪を梳くって撫でながら、白い身体をしどけなく横たえて眠るお前の名を小さく起こさないように呼ぶ。
しなやかに真っ直ぐな白樺のような華奢な肉体をうつぶせて眠るお前の両脇に置かれる、その両腕の赤い痕はこんな夜の闇の中にでさえ鮮やかにくっきりと存在を誇示し続けてていて、それを見るたびに俺はお前を苦しめてきたのだと言う塗り替えようの無い過去に胸が締め付けられる様に苦しく遣る瀬無くなる。
俺が自分だけしか考えられずにその憎しみに身を焦がせていたあの時間、お前はそれを一身に受け入れて、それをどこか別の場所に吐き出したくても吐き出せずに重い柵を心の中に溜め込み続けて、膨張した感情をそうした形で浄化していたのかと思うと、己の情けなさに見舞われる。
俺の家族は、俺が生れたその時にいなくなった。
正確に言うと、俺がいなくならなければならなかった子で、俺の方が彼らの前から“いなくなった”とされて当然の存在だった。
でもそれは今にして思えば、全く嘆き哀しむ必要のことではなかった。
雪の中で、泣き疲れて死に掛けるように眠る赤子の俺を、通りがかり拾い上げてくれた今は亡き養父は全て教えてくれたのだ。
実の両親、そしているのか居ないか知れないきょうだいから与えられるはずの、人として必要な情を、血のつながりもしない俺に惜しみなく注いでくれたから、今こうして生きていられるのだ。
そして訪れた俺の分岐点。
自身が何者であって、そして自動的に俺を貶める事になった女であるお前を知ったあの時こそ、一瞬だけとは言え忘れかけていたが、こうしてもう一度だけやり直せるこの時に、“愛する”と言う感情を残してくれた養父を持った俺は本当はどんなに恵まれていたのかと。
富も地位も名声も・・・、そして血の繋がった家族すらもこの手に持っていたお前は、それでも報われ続ける事の、当て所も無い無限に続く苦しみの吹雪の中、たった一人で耐えていたかと思うと、一体それに何の価値があるというのだろうか?
「・・・・愛している。」
罪悪感とか同情だとか罪滅ぼしだとか名付ける前に、俺はお前をお前は俺を求め合い一つに結ばれたあの夜の記憶。
俺のせいでこんなにも傷付いたお前を、そしてお前が望んだとは言えその腕の傷を治すどころか、この手によってこじ開けていく男が何を言うのかと、他者から見れば滑稽でいて歪んで狂っていると言う感想しか抱かないかと思うが、それら全てを受け入れるだけの器を俺は持っている。
「何だってしてやるよ・・・、お前が望むなら・・・。」
何時も他人に素顔を仮面で覆い隠し、悲痛な叫びをこの腕に散らしていたお前にようやく堂々と向き合うことが出来た。
俺だけの前で全てを曝け出すことを受け入れてくれたお前のその綺麗な部分も汚い部分も、俺が全部受け止めるから。
懇々と眠り続けるお前の、そのうっすらと頬に残る乾きかけた涙のあとに唇を落とすと、ピクンと震えたその異なった性の身体を、ゆったりと軽く撫でていく。
幼い頃に朧気に聞いていた子守唄はもう思い出せないから、せめてそのようなリズムを纏う手つきで――・・・。
――・・・行こう・・・。
動けないでいるお前に、雪を踏み締めて近づいて羽織っていたマントを頭から被せると、驚いたように目を瞠るお前の腕を静かにとってその身を起こし上げる。
――・・・お前が帰れる場所はここではない・・・。
腕を掴む俺の手を振りほどくでもなくただ黙って立ち上がったお前の肩を抱いて、その被せたマントに俺も入り込んでピタリと身体を密着させる。
――・・・お前が帰れるのはここだけだ。
視界に果てなく広がるは、飲み込むように口を開いている白と黒のコントラストを描く闇の果て。
きっとそこが俺達が辿り着くべき場所。
その言葉と共にそのたおやかな手を取ると、お前は嬉しそうに微笑んで来る。
寒さに蝕まれ、雪原の中に座り込み、泣いていたお前を今度こそ守り抜いて離れない様に、隣に立つ俺は更にその手を強く包んで歩みだす。
背を向けた雪の向こうに見える橙色から風に乗って聞こえてくる家族団らんの在所の声は、やがて段々と静かな風雪の音と同化して行き、俺達二人の背中に緩やかに吹き付ける。
もうここには戻ってくるなと優しく追い立てる追い風のように――・・・・。
◆少女地獄◆
この屋敷は常に息苦しいどす黒い空気に包まれていた。
多分私は気がつけなかっただけなのだ。
きっと私の中には事実に気が付ける能力とやらは胎内へ・・・否、彼と引き離された際に壊れてしまったに違いない。
何故ならば、どうしてあんな至近距離で対面した貴方の宿す面差しにこれっぽっちも気がつかずに、あんな無神経な事を言
えたのかと頭を抱えて悶絶するも、それももう遅い。
赤々と暖炉の炎が消えた部屋、身体を預けているベッドシーツは一向に温まる気配を見せず、ただ悶々とした睡魔とも覚醒ともいえぬ狭間の中で私は圧し掛かってくる影から逃れる素振りを見せないまま、ただ彼女の蛇の様に冷たい十の指が私の首に回されじわりじわりと肌に食い込んでくる。
――・・・・ごめんね。
一時置いて唇から漏れるのは涙に濡れた謝罪。
――・・・・・赦して、ちょうだいね・・・・・。
その一瞬後にはまたか細く華奢な指に力が込められる。
毎夜毎晩に繰り返される母の潜在意識の底の底に蓄積された罪悪感が蓋を開けたが故の行為、しかしシドは拒絶も悲鳴も一声も上げずただ死体の様に眠り続ける、ふりをしている。
彼女が、母がどうしてこのような行動を繰り返すのか、もう判っていた。
たった一人、私の双子の兄の命を、何も罪も無い彼に忌み子と言う名の消えぬ焼き鏝を押付けて雪の中に放り投げることに
よってその面目を保つ事を選んだ父、その暗黙の決議にただ黙って付き従うしかなかった母、そして彼の存在を踏みにじってのうのうと笑いながら生きて来て、少しばかり息苦しさを感じていながらも、今もまだこうして息を繋いでいる私。
この館はあの雪の日から呪われ、そして居なくなった筈の我が子と対面したと気がついた、私の目から見て気丈で優しく美
しく憧れすら抱いていた母の心は耐え切れずに脆くなってしまったのに違いない。
ちらりと薄目を開けて母の顔を見上げてみれば、その美しかった筈の顔は慟哭のそれより先に、憎しみに歪められている。
・・・・・あぁ。
でもそれだけじゃないでしょうお母様?
――バド、あなたを失ってしまってからあの人は私に触れようともしないの。
あなただけ生まれてさえくれればそれで良かったのに、ずっと平穏で居られた筈なのに・・・・。
こ の 子 が 生 ま れ て さ え 来 な け れ ば !
幾度と無く繰り返される血を吐くような呪いの詞ももう私の心を凍て付かせるだけの威力は持たず。
そう、私は記憶にも無い遠い昔に犯したらしき罪を贖う為だけにこの世に、出来損ないの器として産み落とされた。
本当はこの家を継ぐ跡取りだけを欲していた筈なのに、生まれてきた私が女だと言う、それだけで彼は生きながら墓へと葬られるかのごとく遠くへ追いやられたのだ。
所詮男として育てても、このぶくぶくと越え広がった館を継ぐ血族は私ではなく、私の身体を使って産み落とされた子でしかない。
私は、ただこの家の種の存続を残すためだけに生かされている。
高貴な血を保ち、残すそのためだけの価値しかない私。
だけどそのご立派な血族を残すのであれば、他家から嫁いできたあなたよりも私のほうがきっと優れている筈ですが?
あなたに触れなくなった代わりに、あなたが愛する男・・父と言う名のあの男は、あなたが触れて欲しいと願っているその手で一体誰に触れているのかもうお判りですよね?
最も、恐れ慄いて泣き喚いても何も変わらない事実・・・・彼を踏みにじっていると言う事実が変わらないのなら何をされても感情なんて起伏させるだけ無駄だと言う事を覚らされましたし、婚姻の儀を取り交わしてから云十年後にようやくあなたの胎に実ら大きく滴った果実は、祝福もされない呪われた双つの仔しか宿らせられなかった彼の種が私の胎(なか)に挿入ったとしても、癒着するにはどれだけの年月がかかるのでしょうか皆目検討も付きませんが。
それでもお父様は泣いていた。
女の病を見るようになってから数日後、訪れた父は眠る私の上に覆いかぶさるように組み敷いて、ぼんやりとしている私の上にぼたぼたと血を吐くような涙を流して泣いていた。
母に触れられなくなった変わりに私に触れるようになったその手は、ずっとずっとか弱く感じ、毅然として見せていた表情は小さく弱々しい子供の様にちっぽけだった。
そんな脆弱なお父様を見ているうちに、どうしようもなくなって居たたまれなくなってかき抱いている内に、ふと兄の幻影が過ぎった。
兄も・・・バドも、こうして私に全てを曝け出してくれるのかと。
肩を押さえつけて、すまない、すまない・・・と謝罪を繰り返す声と言葉、それをアナタは掛けてくれるのだろうか・・・・・。
これはただの利害の一致。
どちらかが一方的な被害者でもなければ加害者でもない事を貴女が知れば、今度こそ貴女は壊れてしまうでしょうね。
いっそこのまま意識を手離してしまって、もう一度黄泉の国へと戻ってしまえば良い。
アノ人に逢える一縷の望みを待ち続けるのは、もう疲れてしまったから・・・と微かに思ったと同時、目尻がじわりと熱く滲み、次の一瞬に頬に濡れた雫が通っていく感触。
そして小さく息を呑む声が聞こえ締上げられていた指が外されて、今宵もまた死に損なった私。
――もう・・・・。
いい加減に楽にして下さい。もう私にアノ人の事を思い出させないで下さい。これ以上この重苦しい場所に私を置き去りにしないで・・・・・・。
願わくば、アノ人に殺されたいと大それた事は言いませんから、お願いですから、もう・・・・。