Platonic jelous



ギリ・・・と、頭の中で何かが軋む音が聞こえた。
そしてそれに伴う、脳内に異質でいて同等のその異物が入り込み、直接記憶を抉られ弄られかき混ぜられていく激痛と、それに抗おうとする己の意思。
「ぐぁあ・・・っ!」
真っ白い拘束服に身を包まされて、舌を噛み切らないように猿轡をかまされた“彼”を冷たく揺れていた陽炎の様なオレンジ色の瞳が、一瞬悲痛に歪む。
「まだ・・・縛られていたいのですか?」
優しく問いかけるその声と、白くふわりとした絹の様ななめらかなその手が彼のペールグリーンの髪にそっと置かれて一瞬優しく撫ぜ、長く伸びた前髪を書き上げて額に寄せる動作は、床に悶えて転がっている彼を傷つけているようには到底思えないほど、いたわりと慈愛に満ちていて、全てを許す聖母の様だが、触れた額から流し込まれるその力は、ひっきりなしに彼を追い詰めては苦痛に満ちる悲鳴をあげさせていた。
「シ・・・・ドっ!」
息も絶え絶えの低い声で自らの名前を呼ばれながら、脂汗を滲ませた同じ色の闇の色が混じる瞳で見上げられても、シドは首を横に振る。
「あなたが手離せば楽になるんです。」
あくまでも静かで穏やかなその声。
しかし今の彼にとって見れば、その声が示す意味は罪人を断罪する死刑宣告にしか聞こえずに、身動きできない身体と、苦しさのあまり舌を噛み切ろうとしてもそれを許さずに遮る固く縛られた布をぎりり・・・と噛み締めながら、膝をついて自分の頭を掴んで見下ろしてくる弟を射殺さんばかりの形相で見上げる事しか許されてはいなかった。




Platonic jelous




バドの額を包み込むように翳したシドの掌に結集された小宇宙は凝縮されて真っ白な結晶になり、まだ抗おうと無駄な努力を積み重ねているようにしか思えない兄に無情に降り注いでいく。
「ぐぁ・・・っあぁっ!」
あの哀しくも激しい聖戦ですらもそのような激痛を表す声などあげたことの無い兄に、シドはそのような行為を施しているという自己嫌悪と、だがしかしこうまでされても、まだ自分の思い通りにならないバドに対して苛立ちに蝕まれながら、これは自分達二人の未来のためだと信じて疑わずになおも力を緩める事無くただひたすらに、双子として生れたが故に背負った兄の消せないでいて苛まされている過去を消去しようとしていた。
「楽になって下さいな?」
もういい加減に観念したらどうですか?と、囁くシドにバドはくわえ込まされた猿轡と、纏わされた真っ白い拘束服に身を動かす事も訴える事も出来ないまでも、それでも視線には生気を宿した殺気を孕んで、漆黒のローブに身を包む弟を睨みつけると、シドは苦笑しつつも、その綺麗な穢れのなかったはずの夕日色の瞳に黒い焔の色を翳らせて、更にその掌に宿した力を高めていく。
「ぐぉおぁあぁっ!!」
まるで獣の様な咆哮だとシドは思う。何も出来ないとたかを括っていた、自分の腕と身体と囁きとで甘ったるい水に飼いならして支配していた同族だが劣性遺伝だと心の片隅で思っていた獣に反旗を翻されて、今こうしてあれだけ過去の自分が力でねじ伏せようとしていたそのヤキが回って、後悔の断末魔の悲鳴をあげている、伴侶と言う名の兄と言う存在の野生の獣の。

元は一つの魂と存在を分け与えて生まれてきた双子。
別の存在であっても持って生れた力は同等の物で、シドはあえてこの愛しい者の前ではその毒を帯びた爪と牙を見せずにいた。
愛する者の前では綺麗なままで居たいから。醜い部分など見せずに、申し訳程度にくすぶる自らのその部分だけをかき合わせて、前面に押し出して愛し愛される存在で居たいが故に。

だがあえて彼はその力を・・最も醜く後ろ暗い部分をむき出して、床に転がる兄の前に対峙して、その手でその力で兄を傷つけている。

こんな事、本当はしたくは無かったのですよ?だけどあなたが・・・・・。
シドの呟く哀しげな声は、青白くバチバチと音を立てて散っていく火花にかき消されて、どこまでバドの耳に届いたかは定かではないが、決して憎くて傷つけている訳ではないと誓って言える。



アスガルドに古くから伝わる多くの因習の殆どはカビの生えた馬鹿馬鹿しいこけおどしの迷信にしか過ぎないが、神の天罰に怖れをなした臆病者の人間達は従順に逆らわず従うものが殆どだった。
その中の最もたる双子が齎す災いとやらで一度は別たれさせられた兄と弟。
しかし幾多の哀しみを乗越えて、手に手を取り合って時間を埋めて、兄は弟を慈しみ、弟は兄を慕い、新たに積み重ねていく記憶の中で新たに紡がれた運命の意図。
人として想いあい、受け入れ合い、求め合い、兄は弟を人として慈しみ労り愛し、弟は兄を人として慕い、恋をして愛し合うようになっていった。
幸せの絶頂にいたはずの二人、だが、一度上り詰めてしまったものは何であれ、愛欲にしろ純想にしろ転落していくのが世の条理。
何時しか二人に訪れ始めた“転落”は、平等に条理に反する事無くじわじわと悪夢となって入り込む。
愛すればこそ色濃く臭い立つおぞましい過去形真実。
兄は弟を殺意に満ちた憎しみを抱き、弟はそうと知りながらその気持ちを煽るように振る舞い、その負の感情ですら逆手にとって自分自身だけしか想えない様にバドの目の前でその命を散らした。
必死で堕ちないようにお互いを繋ぎとめる為に愛情を注ぎ合って、今流れていく幸福の時に全てを塗り替えようとしてもその条理と言う名の魔手は緩むことは無かった。
そしてそれに最初に絡め取られたのは、何よりも誰よりも強く逞しく、そして優しく自分を抱き守ってきてくれたはずの兄の方だった。

“俺は本心ではこんな醜い目でお前を見ていなかったんだ。”
“俺はこんなふざけた思いででしかお前を抱けていなかったんだ。”

許してくれ・・・・。 許してくれシド・・・・・。



最初の方こそ涙ながらに訴えかける兄を、シドは声も無く悲痛に満ちた面差しで、ずっとそんなことは無い、そんなことは無いのですと、見守りながら受け入れながら、以前よりも過去よりもはるかに凌ぐ労りと慈しみを持って兄を支えてきたが、それが限界に達したのは弟の方だった。
もう聞き飽きた自らに手向けられる謝罪と懺悔。
もう昔の様に笑えなくなった兄に、吊られるように弟の花の様な笑顔は消えていった。
戻って欲しかった、戻りたかった。
過去を幸福に満ちた未来へと還る為に、欲するがままに、何も罪の意識を感じないままに、お互いの気持ちだけに正直であるがまま欲して求め合って満たされたあの頃と、二人に。
今のままではきっと、不明確な時の流れはここにある“現在”を決して形にしないままで、実る事は無く朽ちさせて、ただ暗いだけの未来へと紡ぐだけ。
起こってしまった過去の現実を塗り替えることも許されずに不可能だと嘲笑う様にただの真実として君臨し続けて永遠に残される無情。
ならばいっその事――・・・。
そのときのシドは、良いことを思いついたと無邪気な毒を孕んだ子供の様に瞳を輝かせて、唇の端を吊り上げたのだった。

いっその事その20年間の忌まわしい出来事だけを冷凍して木っ端微塵に砕け散らせて封じてしまえば良いのだと。



同じ力を持つ者だからこそ施せる記憶の反魂術。
その悪意に満ちたものだとしても、これが二人のためだと信じて疑わないシドが送り続ける忌力によって、激痛にのたうつ兄の意識の裏側に自身の意識をつなげてその繰り広げられる過去の亡霊に苛まされる映像を垣間見るも、封じるどころか蓋をしても溢れ出る汚水の様に、更に捻じ曲げられた奥底にある亡霊と言う名の過去は悪鬼と化して更にバドを追い詰めて苦しめていた。
自分への罪悪感から、自身を追い詰めるようにその身を抱く幻から、その果てに破滅への道を辿る悪夢に、まだシドは目が覚めないのかと押さえつけていた憤りを沸々と沸き立たせながら、容赦なく兄の額に掌を押し当てて、その意外にも柔らかい髪の毛に五指を絡ませながら頭皮に食い込ませて、暴発ギリギリになるまで力を込めて送り続ける。


「何故未だそんなに忘れられずにいるのです?」
苛立ちと、そして組み敷かれ続けてきたこの男をある意味で支配していると言う暗鬱とした想いから、青白く大きく弾け飛んだ小宇宙にバドは一瞬身体を感電させたように仰け反らせ、次にはずるずると冷たい床に倒れ伏すものの、ここで意識を手離す事は許されないという本能からか、禍々しく空を照らす朝焼けの色に変わった瞳をうっすらと開いたそのすぐ後に自分の顔を睨みつけるように見つめるバドに、シドは本気で不思議だと言わんばかりにそのすぐそばに跪く様に屈み首を傾げる。

過去を乗越えていけると言うのは夢物語だったのはお互い理解した筈だ。
その過去に最初に弱音を吐かされたのも兄だった。
だったら自分は、それを現実にすり替えただけで、互いの持つ過去の事実が苦痛しか齎さない事が判ったから、それに曝されて愛しい者が苦しめられるならば忘れてしまえば良いだけの事だ。
罪悪感に満ちた顔をさせ、苦痛に呻く心でこの身を抱かせ、そしてまた焼き鏝を中てられたように苦しんでそしてまたこの身体を抱く連鎖を断ち切りたいだけだ。
ただ最初の頃の様に想い合って愛しみ合って、そして時折恥かしげに俯きながらそれでも互いを深く愛していると実感できる営みの時間を取り戻したいだけだ。

それなのに、何故そんな今となっては汚物の様な記憶を後生大事に持っていて封じられようとしないのだろう――・・・?

「にいさん・・・・。」
でもイイ、まだ私たちにはたっぷりとした時間がある。
地位も名誉も何もかも投げ捨てて、この人知れない空間の中では昼も夜も関係なく流れ続けるだけの時間がある。
それにそろそろ抗う小宇宙も途切れてきた事は、双子だから故に判る事。
もうすぐで全てが元に戻り、またわたし達は絶頂にだけ上り詰めることを考えられるのだから・・・・。
猿轡をそっと外されて、時折送り込むその小宇宙で少しだけ焦げた前髪を優しく撫でながら、辛い思いをさせてしまってばかりでゴメンなさいね?と微笑みながら、シドはバドの身体を起こしてその膝の上に立て膝で跨って、もう何も言う気力も無く呆然と半開きになっている兄の唇に己のそれを寄せていく。
ひどく虚ろな眼差し、だがその視線は変わらずに仄暗い焔色を持ちながら、黒いローブのシドの姿を映し続けている。
その色は瞳を閉じて、その唇に触れ合わそうと夢中になるシドに気づかれる事は無く、バドはただ焦点の合わないぼやけた瞳に近づいてくる弟を微動だともせずに待ち構えていた。
「また、いっぱい愛して下さいね・・・?」
もう後一押しするだけで、バドはきっと苦しめる記憶を手離してくれる。
悪戯に痛みを与え続けて元凶の痛みを追い出すのは、全ての膿を放り出すために伴う苦痛・・・即ち産みの苦しみなのだから。
そうしながら、シドの顔はバドの鉄の味がする口腔とだらりとする舌を無理矢理に絡め取り堪能した後、拘束服の上からでも悦ばせられる様に慣れた手つきで兄の欲望に触れて昂ぶらせて、そこからソレを取り出して、兄の事を考えただけで開ききって潤っている己のソコに導いて自ら腰を振って快楽を追い求めて互いの欲望の解放へと向かう・・・筈だった。
「にぃさ・・っ!」
だがそれは今夜は・・・否、今夜を最後に二度と叶う事は無くなった。
痛烈な痛みがシドの声を遮ったと同時、生温かい血を口から溢れさせながらその黒いローブに包まれた身体は崩れ落ち、仰向けに倒れる。
『・・・・・な、んで・・・・?
声にならない声で呟くシドの瞳に映ったもの。
衰弱しきって一本の指すらも自由になる筈の無いバドがその口にくわえている赤黒い物体。
それが自らが先ほどまで、バドの口内を堪能していた舌なのだと覚った瞬間に、シドの瞳はしとどに溢れる涙で濡れていく。
そんなシドの姿をバドは感情の無いままただ憮然とした冷ややかな瞳でじっと見下ろしている。
その視線が、かつての少年の頃に初めて出会い向けられたあの忌々しい過去に通ずるものだと頭を過ぎり、自分もまたその過去に捕らわれていたと覚る前に、その意識は永遠に途切れて逝ったのだった。













冷たい床にへたり込んだままの姿で、バドは物言わなくなった弟だった筈の骸を感慨も無く見下ろし続けている。
「・・・お前は、シドじゃない・・・・。」
紡がれる声はひどく虚ろでひどく低く、そしてひどく安堵したものだった。
「シドは、こんな事はしない・・・・。」
そう、俺の愛した弟はこんな時、優しく抱きしめてくれてその身を抱かせながらも俺を包み込んでくれていた。
俺の馬鹿げた弱さも痛みも罪の意識も全て全て、隠す事は無く何時も許してくれていた。
傷付いた心を、同じように傷付いた心をおくびにも出さずにそっと包んでくれていたのだ。
「お前はシドなんかじゃない。」
感情の無い同じ言葉が繰り返される。
「シドの身体を借りただけのおぞましい魔物だ。」
だからずっと隙を伺っていた。
限界にまで体力を消耗させたと油断させて、そして今夜はようやく息の根を止められたのだ。
「シド・・・。」
どくどくと口腔から止まらない赤黒く汚らしい血潮。
だがそれが全て流れきったらきっと、このおぞましい悪魔に乗っ取られた弟の魂はきっと還って来る。
あの優しく慎ましやかで綺麗な聖母のような俺だけのシドが戻ってくる。
「早く戻っておいで・・・・。」
そして俺たちの隠れ家に帰ろう?
またたくさん愛し合おう??
シド、シド・・・、シド――・・・・・・。


そう虚ろに壊れたレコードの様に繰り返すバドの瞳は、自らの手で退治したと思い込み、そしてまた蘇ってくると信じて疑わない、無情なまでに無垢な夕日色に染まっていたが、だがその目からは訳も判らないままに溢れる涙に濡れて、微かに血が飛び散った頬の上をなぞって行き、もう何も無い冷たさだけの無機質な床の上にぽつぽつと落ちていくだけだった。














BGM:Dir-en-gray"cage""JEALOUS"











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