狂人遊戯(くるいとゆうぎ)



狂 人 遊 戯




厳かにそびえ建つアスガルド一・二を争う名門の邸。
空は藍色をベースにした灰色に染まり、そこからははらはらと冷たい真っ白な雪を降らせている。
そんな中をごとごとと厳かな飾りをほどこした馬車が屋敷の門の前に止まると、従者がその戸を開ける。
「ありがとう。」
そう優美に笑うのは、淡く緑がかった銀髪を持つ、この家の現当主の青年だった。
落ち着いた雰囲気醸し出しているとはいえ、未だどこか少年のあどけなさを持つ顔立ちからして若すぎる主。
彼の父親が崩御したのはもうずい分昔の事であったが、彼がこの地位を引き継いだのはつい最近のこと。
それまではワルハラ宮内の近衛隊副官と言う肩書きだった。
後釜も無く、そのポストから引退する事も出来なかった為、その話は保留状態になっていたのだが、母も他界した今、そろそろ引き伸ばすのも限界になっていた。
それは彼自身判っていたし、逃れられぬものだという事も理解していた。
だからここまでギリギリに引き伸ばしていたのだし、ようやく自分の後任となる人材を選別し、その研修期間を終えた数ヶ月前に、父の地位を正式に引き継いだ。

自室に引き上げた彼は、外套を脱ぎ捨てて、くつろぐ間も無く己の服の下に肌身離さずつけている鍵のペンダントを取り出した。
ちゃりん・・・とか細い音をたてて、手の中でそれを弄びながら、備え付けの机の引き出しの鍵穴に差し込んだ。
カタン・・・と音をたててそれを引くと、二重底になっているそこから、鍵束を取り出すと、うっすらと笑みを浮べ再び自室を後にした。

寝静まった屋敷を息を潜めながら歩いていくと、使用人達は誰も知らない、奥まった古びた扉の前にて先ほど持ち出した鍵を取り出して差し込む。
その頑丈な外見に似合わずに、さして音もたてずに開かれて行くその先には、ぽっかりと闇の空洞が口を開いて待っていた。
しかし彼は慣れた様子でその中に身を投じ、扉を閉じると手にした燭台の蝋燭に火を灯すと、己の手元を中心に照らされる灯りを、その火と同じ色の瞳に映しながら、下に伸びている階段を一歩一歩下っていく。
やがて途切れた階段の前に阻む三つ目の扉の前で再び足を止めると、鍵束をもう一度取り出して最後の扉の鍵を探し出し、それを開いていく。

ガシャン・・・ギィィ・・・
そこは更なる暗闇の支配する場所だった。
しかし地上に比べると、ここは若干だが温かい。
それほど広くない空間に在るものは、古びた寝台と、その横脇に位置する小さな棚、そして・・・。
「ただいま、バド兄さん。」
寝台の上に眠っている双子の兄、バドを目に映しながら、彼-シド-はにっこりと微笑んだ。





かつてアスガルドで起こった聖戦にて、神闘士達はその命を落とした。
だがしかし、オーディーンの加護と地上代行者であるヒルダ様の祈りの小宇宙で彼等は全員甦り、再び生きる事を許された。
ここアスガルドでは、双子は家を滅ぼすものとして忌み嫌う因習に運命を翻弄された、シドとバドは離れていた時間を取り戻そうと互いに歩み寄っていった。
すぐにはお互い癒えない傷痕、それでも二人は時間の許す限り、二人一緒にあてがわれた部屋で酒を酌み交わしたり語り合ったりと、溝を埋めようとしていた。
こうして兄弟の仲は修繕されているかのように見えていた。
しかし引き離されていた長い年月が、二人の心に何らかの影を落としていたのも真実だった。

誘ったのはどちらだったのか・・・?
それはもう判らない。

ある晩に二人は兄弟としての一線を越え、兄は弟を抱く事を、弟は兄に抱かれる事を望み、互いを道連れに堕ちていった。
その日から、語らいの場であった部屋は閨と化し、二人は飽くことなく毎夜毎晩睦み合った。





「兄さん・・・。」
燭台をベッドサイドの棚に置き、服を脱ぎ捨てた状態で、ギシリ・・・とベッドを軋ませバドの身体の上に跨ると、眠っていたかの人の瞳はゆるゆると開かれて行く。
その、虚ろで焦点の合っていないダークオレンジの瞳は、シドの姿を映すと、ふ・・・っと微笑んだ。
「貴方のそんな顔を見るたびに、私は貴方に恋をするんですよ――?」
判っていらっしゃるんですか?と、くすくすと笑いながら、その体勢のままでシドの唇はバドの唇に重なっていく。
無意識のうちか、それとも意図的にか、両手の繊細な指先ををバドの首筋にあてがい絡めながら、シドの舌先はバドの口内に侵入していく。
「んっ・・・。」
すると、バドの舌先もそれに応える様にシドのそれを捕らえて絡めだす。
互いの舌先を吸い上げ口内を堪能しながら、シドの手はバドの衣服を剥ごうと下へと降りていく。
「ふ・・・ぅん・・・っ」
唾液の交わる濡れた音が耳に響き、胸元をはだけ様とした手に不意に力が込められ、衣服に留められていたボタンがぷつ・・・と音をたてて千切れ飛ぶ。
「はぁ・・・っ。」
息苦しさを感じて、シドは一旦口付けを中断して顔を上げる。
その際に濡れた透明な儚い線糸が互いを繋ぎ、やがて消えた。
「兄さん・・・。」
頬に手を添えなおし、切なげに潤んだ艶やかな瞳が、寸分違わぬ人形のように無感情だが、鋭さを併せ持つ瞳に捕らわれながら、熱病に浮かされた声で呪文のように繰り返した言葉を今もまた紡ぎだす。
「愛しています、貴方だけを・・・。」





身体を重ねてからと言うもの、シドは蜘蛛に捕らわれた獲物の如く、その心をバドに奪われていった。
思考が全てバドに支配されていき、もう自分自身の足で立つ事も忘れてしまいそうなくらい、彼はバドに捕らわれていた。

貴方以外何もいらない・・・。

その想いが、少しずつ狂いだし、倒錯していっている事などシドは気づく由もなかった。
兄がワルハラ宮内の女官や、衛兵達と談笑する姿を見るたびに、凶暴な感情が芽生えだす。
しかしバドもまた、シドだけしか求めなかった。
毎晩のように彼を求め優しく囁く、嘘偽りの無い愛の言葉――。

その兄の言葉に安心はするものの、次の日、また次の日には湧き上ってくる嫉妬の火柱。

こんなにも愛しているのに――!!

その狂気にも似た想いは、ある夜、一気に堰を切って暴発する事になる・・・。





「う・・・ぐぅ・・・。」
バドのズボンも脱がし終え、下着を剥ぎ取ったシドは、半ばそそり立つバド自身を口に含み、拙いが、懸命に奉仕を施していた。
「ん・・っぐ・・」
いくら愛おしい者のソレとは言え、生々しく口に広がる苦味のある先走りの液と、熱い先端が喉を抉るたびにシドは咽そうになる。
「ぅ・・・んん・・っ」
しかしそれでも続けていくうちに、兄の口からはかすかだが甘い息が漏れ、自身は段々と膨張していく。
シドはソレを一度口内から引き抜くと、再び兄の身体に跨り、彼の表情を見下ろした。
頬は上気し、瞳は潤み、半開きになった唇からは先ほど耳に届いた吐息のような、甘く喘ぐような呼吸・・・。
「貴方でもそんな顔をするんですね・・・。」
自分だけの宝物を見つけた子供のように、くすくすと笑いながら、首筋、鎖骨、胸元へと唇を滑らせて行き、一晩だけの朱く儚い華を散らしていった。
その感触にくすぐったさを感じてか、それとも物足りなさを感じてか、バドの身体はピクンと震え、声にならない声でシドの名を呼ぶ。
「兄さん・・・。」
待ちきれなかったのはシドも同じようで、己の秘所を自らの指で広げるように愛撫を繰り返し、その指を引き抜くと、先ほど育て上げた兄の欲望の先端に其処を宛がった。
「来て・・・。」
その言葉を合図にしてか、ゆっくりと腰を下ろし、白い裸体を反らしながら、兄自身を飲み込んで行く。
「は・・・ぁああぁっ!」
先端が入っただけで既に快楽に打ち震えていた身体は、根元まですっぽりと喰わえ込むと、熱い兄自身を最奥まで感じて、くったりとして甘く忙しない呼吸を繰り返す。
「あ・・っ、ぁあ・・ッ!」
やがてゆっくりと腰を動かし始めながら、兄の表情をまた見下ろすと、彼もまた恍惚に浮かされた眼差しでシドの狂態を見上げ続けている。
「に・・・さぁ・・んっ・・・!」
その表情に愛しさと嬉しさが湧き上り、尚且つ恥じらいと言う相反する感情を抱え込んだシドの動きは、無意識のうちか段々と早くなる。
「ん・・・っや・・ぁ・・あぁっ!」
中に入っているバド自身がシドの奥の性感帯を的確に刺激する度に、その動きは大胆になっていった。
「も・・・っとぉ・・・、もっ・・・と・・・。」
兄の胸板に両手を付き、艶やかな肢体を惜しげもなく晒しながら、ただ快楽を貪るこの家の若い主は、第三者がここにいてその姿を見たならば、引き込まれるくらい魔性の者の様に淫らで美しかった。
ギシ・・ギシ・・・ッと古いスプリングが軋む音と、粘膜が生々しく擦れる音、そして二人の甘い喘ぎと荒い呼吸が狭い檻の中に響き渡る。
「やぁ・・・っん・・・ぃ・・・くぅっ・・・あぁあっ・・・!」
思考が全て塗りつぶされていくのを感じながら、嬌声を上げて兄の上で達したシドは、今宵もまた飢え続けていた心が満たされていくのを感じていた。





月も星すらも出ていない、混沌としたあの晩――。
シドは兄の飲むグラスの中に、酒と共にある薬を混入した。
それは禁じられた妖かしの薬で、一口飲めば常人は発狂するものだった。
やがて部屋に引き上げてきた兄がそのグラスを持ち、一口中を飲んだ瞬間――、
床に硝子の破片が粉々に砕け散り、その中身の血の様な赤いワインが飛び散った。
そしてそのまま倒れこみ、意識を失った兄。
その様をシドは驚きもせずただ淡々と見つめていた。

これでようやく貴方は私一人だけのもの――。

その腕の中にバドの身体を愛おしそうに抱きしめた彼は・・・、笑っていた。

それからすぐに、シドは兄の身体を実家の地下牢に閉じ込めた。
“灯台下暗し”そんな言葉が頭をよぎりながら。
誰の目にも触れさせないし、誰にも触らせない・・・。
私の事しか考えられないように、飲ませたそれと同じ物を、毎日静脈に打ち込みながら・・・。





「はぁ・・・っ。」
己の体内に、兄の欲望の熱が広がっていくのをうっとりと感じながら、シドはしばらくバドの身体の上でその余韻に浸っていた。
しかし兄の腹や胸に飛び散った、自分の欲望の残骸である白濁が目に映ると我に返り、名残惜しそうに体内からバド自身を引き抜くと、持ってきていた冷たく絞ったタオルで 汚れてしまった箇所から、そのまま全身を綺麗に拭いてやった。
その冷たさに、身体を震わせたバドに、シドは優しく・・・しかしどこか歪んでいる微笑を浮かべながら、何度目かの口付けを彼に与えた。
「また明晩来ます・・・。お休みなさい、兄さん・・・。」
服を着て、また彼に服を着せ終えたシドは何十夜過ごしたこの場所と、そして兄へ一度別れを告げる。
引き裂かれそうな気持ちには確かになるが、あの頃に比べればこんな寂しさは全然何とも無い。
ましてや家を継いだ彼にあれこれ言う者は、ここには居ないのだから・・・。


自分がいなければ死ぬことすら出来ない愛おしい人・・・。
だけど、安心してください。そうなる時は必ず貴方も連れて行きますから・・・。


こんな彼等を第三者はきっと罵るに違いない。
しかしそれでもシドはその端正な顔に笑みを浮かべてこう言うだろう。

“一番悪いのは、私達を引き離した周りでしょう?”






帰らせてください。