Last a memory
~零 れ 散 る 色~
トクトクと一定の緩やかな心音のリズムが聞こえてくる。
仰向けのまま、長い手足を投げ出していたシドは、その音で夕陽色の瞳を緩やかに開いていく。
「あ・・・・。」
眠っていたのは白い革張りのソファーの上で、長い背もたれに顔を埋めるようにして眠っていたシドは、まずそこに手をかけてからゆっくりと上体を起し上げた。
寝覚めにしてはやけにクリアな思考を空々しく感じるより先に、目の前に広がる景色に魅入る。
白いソファー、白い薄地のカーテンが目に見えない窓かどこからか吹き込まれる風に柔らかく揺らされており、白い植木鉢に植えられているモノトーン色の観葉植物。
白と名の付くものは、祖国の厳しい自然の中見慣れているはずなのに、こんなにも鮮やかに映るのは箱庭の様な部屋に置かれている数少ない嗜好品が白一色で統一されているせいか。
そしてシドの視線上にあるこの部屋の出入り口と思われる扉も真っ白く染められており、疎らにぽつぽつとそれらが置かれている為か、実際よりも部屋の奥行きは広く感じられた。
「・・・・・・。」
異質な空間に慣れるより先に、とん・・・とシドは爪先を限りなく白に近い灰色のフロアに下ろし、すくっと立ち上がった。
この色の失せた白ばかりが強調される世界に何の違和感も無く溶け込めそうな予感はしているが、ここは自分がいるべき場所ではないと頭の奥で鳴り響く警鐘。
「早く行かなければ・・・・。」
ひんやりとした床の冷たさがまるで鋭い刃の歩くかのように素足に伝わる。
行かなければ手遅れになる。
ここに取り込まれて身動きが出来なくなる。
ここがどこなのか、何故ここに自分は辿り着いたのかを知る前に早く行かなければならないとシドの心を急き立てる。
「ここは俺たちの新たな世界だよ、シド。」
不意に背後から聞こえてきた声。
しかしその声にもシドは驚く事はせず、振り向きもしなかった。
「・・・・・・・・・。」
黙ったままでいると、するり・・・と背後から前に回されていく両腕。
「お前だって望んでいただろう?」
すぐそばにいる彼のなすがままに、その人物の両腕に大人しく絡め取られなすがままに身体を預けたまま、身動ぎ一つしないシドの耳元に吐息を吹き込むようにして囁かれる低い声。
その声の持つ力・熱・甘さ・そして飢え、全てシドが欲しかった全てが耳の中から入り込み、思わず胸の前に回された彼の手を取ろうとする、が。
「駄目・・・ですよ・・・・、バド・・・・。」
ようやくの思いでその手を押し止めて、ここに居たいんだと言わんばかりに崩れ落ちそうになる膝をどうにか持ち直させて、天を仰いでやり過ごそうとする。
「私は行かなければ・・・・、あなたを置いて・・・・。」
小さく唇を戦慄かせながら、心がもげる思いで口にした言葉と共に、天窓から差し込む白い光が、瞳を閉じてしとどに涙を溢れさすシドの上に降り注ぐ。
「お前は何時もそうやって・・・・。」
至近距離から耳元で囁かれていた声が段々と遠くなり、不意に自分を戒めていた腕が緩んだ。
早く、早くしないと――!
本当にここに取り込まれてしまう――!!
はっとして弾かれるようにして前に進もうとして歩を踏もうとしたが、時間にして瞬きほどの刹那の間に、それでも躊躇う心の葛藤の迷いが判断を鈍らせたためか、今度は身にまとう白いブラウスをの裾を掴まれ阻まれた。
「そうやって、おまえはオレからいつも去って行く。」
「・・・っ!」
もがれた心の傷口を更に抉る、先程よりも幼い声で紡がれる言葉。
「そんなにこのオレがにくいのか?」
「~~~・・・っ!!」
違う!
そんなことは無い、そんなことあるはずが無い!
そう振り返って、彼の瞳を真っ直ぐに見て叫びたかったけど、これ以上ここにいれば弱い私はあなたを連れて行くことになる。
それだけは絶対に出来ない・・・!
「・・・・どうかお元気で・・・・。」
また会える時が来るまであなたは私の居ない場所で・・・。
あなたがこれから生き続ける世界で、私はあなたの記憶の中に宿るでしょう。
振り返る事無く真っ直ぐに前を見据えたまま、あの日初めて出逢った時の彼の縋りつく小さな両手をもぎ払い、シドは扉の向こうへ一人歩き出した。
去来するのは押しつぶされるほどの罪悪感と、彼への思慕。
背後から呼びかける、悲痛な必死なまでの声は段々と小さくなり、全ての音がシドの耳から遠ざけられて、無音のざわめきが辺りを包み込み、今や開かれていく扉から溢れ出る白い闇に塗り潰されて行く。
「に、いさ・・・。」
扉の向こうの先の世界に進むたび記憶が少しずつ浄化されていく中、シドの魂から零れ落ちる雫は白きこの場所にすら映えるほどの銀の雫となり沁みこんで行く――・・・。
一つの時代の役目を終えた魂が通る忘却の洗礼。
掛け替えのない時間すらも、掌を合間をすり抜けていく砂の様にさらさらと・・・。
過去、そして現在、私はあなたを置き去って逝く。
でもせめて未来は共に・・・・。
だから急がなくていいからあなたはゆっくり来て下さい。
心が通ったあの時を忘れてしまったあなたが、同じようにこの世界で待つ私の元へ、いつ、か――・・・・。
戻ります。
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