苦しかったらちゃんと言え。
そうすれば早く楽にしてやるから――・・・。
そう言いながらじわりじわりと首筋に食い込んでくる、絡められた両指先と時折立てられる鋭い爪が例え様のない程の恍惚感を覚えていく。
圧迫されていく頸動脈と遮られて行く呼吸の代わりに、あなたの心地良い体温が与えられていく。
「・・・・うれし・・・、も・・・・と・・・・。」
口元だけで伝えようとした意思が汲まれ更に力を込められて行く。
苦しみなんかよりももっと深いあなたの想いを感じ取り、私はそのままなすがままに瞳を閉じ、意識はそのままゆっくりと薄れていく――・・・。
漂 流 夜 空
~雨 ざ ら し の 祈 り~
人の心なんて本当はもっといい加減なもので、何かを得る代わりに何かを排他しなければ生きていけないように出来ている。
歴史を振り返ってみても、その馬鹿げたサイクルに乗っ取って同じ過ちを繰り返すのがいい例で、ある一定期間で色んなものが死んで、投げ捨てて、また新しい何かを得る。
それこそ愛情だってその人に満たされてしまえば、その器は膨れ上がりそれ以上吸収することが出来ないから捨てるしかないから段々と褪めていくのだろう。
たんたんと流れていく日々はとても平穏でとても理想的で、そしてとても怖いものだと実感せざるを得ない。
繰り返す日々に慣れきった心は、その一定期間のサイクルに乗っ取って新たなものを得ようとして掛け替えのないものまで棄ててしまえと諭す。
あの日に気づいた衝動や、あなたを想い募らせていった切なさの痛みや、初めて禁を犯して結ばれていった幸福も何もかもを少しずつ褪せさせる為に作用していく。
人の心は移ろいやすく、ひとつのものに執着して縛りつけて生きていくなんて無理なのだからと言っていたのは誰だったろうか?
苦く辛い記憶は心に刻み込められて一生枷となるのに、それが報われてしまうと忘れなければならないのか?
一点の曇りも無く、ただあなただけを想って隣に寄り添えただけでその瞳に映っていた永遠の均衡は少しずつ崩れていっていた――・・・・。
そばにいる事が当たり前になった、その日常に危機感を覚えたのは多分同時にだったと思う。
こういう時に、あなたとわたしは近しい半身なんだなと心底実感する。
あの時、わたしたちはお互いに顔を見合わせて笑っていたっけ・・・・。
本当はあなたを置いて先に行くのはもう嫌だったのだけど、こうして想いが通じ合えた今ならおまえに先行かれても良いから、何も怖くないからと言ってくれたあなたを見つけられて本当に良かった。
幸せだと思った。
だからほら・・・、奪われていくあなたの手はこんなにも温かいし、緩やかな殺意よりも狂おしいほどの想いが伝わってくる・・・・。
苦しくなんて無い。
後悔なんか微塵も感じていないから
もっと・・・もっと、ちからをこめてみせて・・・・。
あなたを愛したこと、を、忘れる前、に、あなただけの想いだけでみたされたままこのまま・・・・・。
カクン・・・と、俺の掌からシドの存在が吸束されていき、それが全身に回っていくのが判った。
俺の手によって手折られた椿の様に身を横たえる弟を見ながら、こうする事が俺たちにとって最良の選択だったと改めて思う。
この瞳に映していたのは互いだけの幸福の日々が、流れ行く時間の中に押し流される前に俺たちは決断を下した。
忘れたくない事まで忘れるように仕向けられてまで生きるくらいなら、
おまえだけを愛したことが風化されるくらいなら・・・・。
このまま、気持ちが擦り切れる前にここで終わらせてしまおうと――・・・。
「ちゃんと待ってろよ・・・?今度は俺もすぐ行くから・・・・。」
あの日と同じように静かに冷たくなっていく身体を、今はこれ以上に無いほど安らぎのままに抱きとめながら、小さなカプセル状の薬を取り出して口に含み、もう息をしていないシドの白くなっていく唇に重ね合わせてからこくんと飲み込んだ。
あたかも、愛しいお前から与えられた死の接吻の如く――・・・・。
死の翼が二人を別つまでの生涯など誓わなかった。
ひたすら願ったのは、互いに相手を愛し合ったまま逝ける事で、それすらも互いの手によって与えられてこその永遠の愛だと、彼等は最後まで信じて疑わなかった。
それでも彼等が何度も生まれ変わりを繰り返し、そして愛し合う運命にあるのだとしたら、それは本当の意味で永遠が見える場所を探し求める為の手段なのかも知れない――・・・・。
戻ります。
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