Sweet Kiss Wish・・・












可愛い子。可愛い坊や・・・。
大きくなるまで貴方は私たちが守ってあげるわ。
私たちの掛け替えのない宝物――・・・。

遠く白く霞む景色に朧ぐ二つの影は、もう思い残す事のない無いあの頃の世界の中で、唯一生き残した優しい記憶だった――・・・。


Sweet Kiss Wish・・・

「・・・・・。」
ひどく寝覚めの悪い夢を見た彼は不機嫌に目を覚ました。
ぼんやりとする視界の中には、既に朝日の上がった景色が、檻の様な宛がわれた部屋の窓枠の向こうに見えていて、各一室一室に備え付けられている簡素なベッドで眠る事は未だに慣れないので、そのすぐ下の床の上に身を横たえて寝起きしている少年の傍らに居た“現親”が、彼の心境を覚った様に優しく呻りながら、ペロリと温かい舌でその頬を舐めた。
「おはよ、ギング・・・。」
ギングと呼んだ、大きく逞しい狼の青銀の毛並みを優しく撫で付けて、まだどこか幼さの残る少年は、ズルリとした長い寝巻を纏う身体を勢い良く起こし上げた。
「どうにもこうにも、寝起きが悪くなっているような気がする・・・。」
そう一人ごちて、元々逆立つ銀色の髪をわしゃわしゃとかき混ぜながら、フェンリルは毎朝迎えに来る待ち人を迎え入れるための準備を始める。
「森の中の暮らしが懐かしいな・・・。」
思わずふと口を付いて出た言葉をギングは聞き逃さず、弱音を吐く我が子を叱咤する様にぐるる・・・と呻り、ずるずると引きずる寝巻きの裾を軽く引っ張った。
「・・・っと、それはもう言いっこなしだったよな。」
ごめん・・・と口にしながら、ここまで育ててくれて尚且つ、自分の判断に妥協を示してくれた恩人であり愛すべき家族であるギングに向き合いギュッと抱きしめる。

一度は捨てた人間の世界。
愛していた人達が殺されるのを、何も出来なかった自分は泣き叫ぶだけで、ギング達が居なければあの日にとっくに死んでいたかもしれなかった過去。
人間の持つ醜さ・汚さ・愚かさを見せ付けられ、且自分もそんな感情が渦巻いているのかと思うと吐き気がして、狼として生きてきたあの頃。
信じられるのは狼だけだと言うのは、多分一度死んでからも変わっては居ないのだと思う。
それでも狼の世界から人間に戻ろうと決意したのは、生れて初めて自覚した・・・、


コンコンと、不意に扉が軽くノックされ、返事を待たずにガチャリと開いた。
「リル、起きているかい?」
「起きてるよ、お早うシド。」
扉の向こうに立つのは、品の良い雰囲気を醸し出す麗しき青年。
すらりとした長身に、ワルハラ近衛隊の上位に所属する制服に身を包んで勤務に出る前に、毎朝彼を起こしに来るのがここ最近の日課になっていた。
「どうだい?ここの生活にはもう慣れた?」
「・・・完全に慣れたって言うには嘘になるけど、まぁ・・そこそこは・・・。」
パタン・・と後ろ手に扉を閉める訪問者を、ギングは警戒もせず、主の傍に傅く様に腰を下ろす。
そんなギングに敬意を払うように、シドは『お邪魔します』と小さく微笑みながら呟いて、静かに部屋に入っていき、まだ寝巻き姿のままの幼く小さく見える、兄とは違った愛おしさを持つ彼の方へと歩んで行った。
「今日は少し遅くなるけど、それまで昨日の復習をしておくこと。」
「・・・はい。」
彼の立つ身長に目を合わせる様にしゃがんだシドは、母親が子どもを慈しむようにその両頬に手を添えて、それでも教育係としての自分の役目をうやむやにせず、フェンリルに今日の課題を示す。
そして、フェンリルからぎこちなく与えられる両頬へのキスの洗礼をくすぐったそうに受けてから、そのまだくしゃくしゃのくせっ毛の銀色の髪をを軽く手ぐしで整えてやると、にっこりと微笑んで立ち上がった。
「行ってくるからね。」
「・・・行ってらっしゃい。」

胸が苦く軋むのを感じていた。
そして今朝見た夢の、柔らかな記憶が残したほの苦い痛み。


守ってあげるからと両親から落とされたキスは、もう二度と味わう事は無い。
最後まで自分を守ろうとして、彼等は死んでしまった。
もう、守られるだけの“可愛い坊や”でいられる時間は要らない。

子どもの様にじゃなく、一人の存在としてシドをちゃんと抱きしめられる様になりたい。
自分よりもずっとずっと大人で優しくて綺麗で鈍感なこの人は、“可愛い子”のままでは対等になれず、気づきもしないだろう。
だから・・・。

「さて・・・っと、シドが還って来るまで、課題を終わらせようかギング!」
軽く伸びをして、シドの気配が完全に行ってしまってから、張り切るようにギングに視線を向けるフェンリル。
そんな我が子の姿にギングは、少々寂しげなものを瞳に宿らせたが、それでも本当に我が子を思うならばの成長だと割り切ったように、頑張れと言わんばかりに優しげに目を細めて、ぐるる・・と静かに呻ったのだった。



可愛い子、可愛い坊や――・・・。
何時かきっとあなたにも愛する人が出来るわ・・・。
その時、私達は嫉妬してしまうかも知れないけれど、大切なあなたの選んだ人。

是非その人と幸せになれるように遠くから見守っているわ――・・・・。






戻ります。