白昼交差愛模様



どちらが悪かったとか、どれだけより想っているのとか、そんなもの言い出せばキリが無い。
ただ酷く痛む、腫瘍の様に頭の中に巣食う、もう既に過去でしかない記憶を抱えて生きていく事に疲れていることはあるにはあって。
そしてそれを誰にも吐き出す術を持たないで、半ば本気でここから消えてしまえばいいのにと思う。
お前のことなどこれっぽちもこの時ばかりは思いも出さずに。



白 昼 交 差 愛 模 様



ワルハラ宮から歩いてすぐにある場所、かつて双つの神闘衣が出現した湖は、今は仕事に疲れたバドにとっての恰好のエスケープ場所だった。
辛く苦い記憶が蘇る場所なのに、そこを選んだ当たり相当俺も自虐的だなと思いながら、静かにその畔に腰を下ろしてぼんやりと何をするでもなく、相変わらず見るものを凍らせるほどの涼やかな美しさと怜悧な温度の水を抱負に湛えながら、白い湖面に映し出されている空の青を眺め続ける。
「・・・はぁ・・・。」
平和な平和な昼下がりに似つかわしくない、溜息と共に吐き出されるのは指先に結わえられる煙草の吸い込んだ煙一筋。
彼の前ではすっかり止めきったそれを吸う時は、決まって腹の中にしまいこんだ毒素が蠢く時で、結局何も変わってなど居ない自分に更に嫌悪感を強める。
青と白とを巧みに映し出す鏡の様な湖から出現したのは、黒と白の相反する存在の甲で、かつてここで白のそれを眺めていた自分は、彼を憎んで来た路がまさかこの平和な時間に到達するとは思いもよらなかった。
だからこそだろう、こんな綺麗な青の水に照らし出される湖面に反射する陽の光や、ずっと続く森から聞こえてくる鳥のさえずりとか、ありとあらゆる全てが眩く世界に、自分がまだ馴染み切っていないことを思い知らされる。
血の絆を疎んで、彼がいなくなればいいと思い、あまつさえこの手にかけようとした昔の真実。
途絶えた路の直前でそれは浄化されて、もう一度やり直せたらと強く祈った臨終間際。
今、それら全てが少しずつだが叶えられようとする世界に、彼と二人で蘇る事で、望んでいた者が傍らに居る日常に、取り残してきた影の記憶が不意に酷く臭い立つ今この時。
それらを考えないようにして気を張り詰めて仕事に向かうときは忘れられていても、一人になって気が緩んだ時に、不意に過去の真実を知っている己の影が頭の中に巣食う消えていかない腫瘍の中に入り込んで雑音を喚き散らす。

お前はそれで良いのか。
本当にここに居て良いと思っているのか?
そんなものでお前は本当に許されたと思っているのか??
煩い、五月蝿い!!俺は・・・。


必死に反論を試みても鬩ぎあっても、軍配がどちらかに傾く気配などまるで無く、結局は現実逃避しか方法が見つからない。
確かに自分はヒルダ様に泣きながら謝罪されて、そして当の本人である双子の弟にも許されて共に歩く事を望んでずっと傍に居たいと思っていても、それでも心の中で割り切れない部分もあって・・・。

ああもう――!!

と、その時何の気配も無く、水面に映る自分の斜め背後にその弟がひょっこりと不意に映し出される。
「・・・何?」
何時もなら歓迎するところなのだが今は精神状態が揺らいでいるバドは、それでも銜えていた煙草を外して携帯用の灰皿に押付けて、視線だけで彼の方を見やりぶっきらぼうに声をかける。
「・・何してるんですか?」
「別に・・、休んでいるだけだ。」
のどかで麗かな雰囲気に似つかわしくないほど不機嫌な表情と低い声の兄に怯えるでもなく心配するでもなく、シドはさも当然といわんばかりにその場に腰を下ろす。
「・・・・・・・・。」
それでもバドはそれを厭う事無く無言のままでそれを促した。
たった今まで考えていたこと、それが後ろめたさに尾を引いて更に無言になる。
対等になれた光と影、愛しているのは兄として弟として、そして人として。
だからこそこんな考えをずるずると引きずる自分を見せたくなくて一人になれる場所を選んだのに、どうしてかシドはやすやすと領域に侵入してくる。
それがバドにとって救われている部分でもあったが、今は疎ましく思い、苛立ちを隠せずに無口になる。
眉間に皺の寄ったまま、自分と瞳を合わせないままで水面から前方の空と緑の境目に視線を追いやる兄に倣い、シドもまたそんな兄を視界に映さずに単刀直入に切り出した。
「まだ光に慣れませんか?」
「・・・!」
思わずキッとなってシドを睨みつけるが、それに気づかない様にして弟は更に言葉を続けた。
「まだ感傷に浸る事があるんですか?」
「・・シド」
これ以上は許さない、もう黙れと言わんばかりの声音。
「じゃあ、一緒にここで死にましょうか。」
「!?」
思いもよらない言葉に愕然とするバドの顔を初めてシドが見据えた。
淡々とした声と張り付いた無表情は、ずっと影として見つめていたあの時と同じ。
「あなたがここに居るという事が受け入れられなくて、過去を吹っ切れないというのならもう一度死ぬのをやり直しましょうか?」
ふつふつと沸きあがるのは初めて自分に見せるであろう、静かなる怒り。
それは他人には能面の様に接していた彼が、唯一自分に向けるむき出された感情。
「私達におあつらえ向きのこの場所で・・・。」
ふとその白い手が伸び、強く抱き寄せられたかと思うと不意に感じる浮遊感。鏡の様な水面が大きく揺らいで歪む。
「!!」

沈む。次に感じるのは冷たい感触・・・。
「ふふ・・・。」
不意に目の前にあるシドの表情が笑みを模る。
沈んでいく体を重く感じる・・どころか、重みがあるのは自分の上に跨るシドの身体の質量と体温と、浸る程度の浅い水底で、濡れたのは水に僅かに浸かっている部分の服と体を支える両手と飛沫が飛んだ髪のみで。
「ここは浅瀬なんですよ?知らなかったでしょう??」
心底驚いた顔のバドに、シドは何時もの無邪気な笑顔を向けて、一緒にダイブして濡れた両手で兄の頬を包み込んだ。
「疲れたときは素直に休めばいいんです・・・、忘れられない事を後ろめたく感じなくても良いんです・・・。」
そして何時もの様に切なげに歪めた綺麗なその表情から紡がれる声は、バドにだけ向けられる慈愛に満ちた聖母の様で居て。
「私だって、忘れられる訳は無いのですよ・・・?忘れて忘れて全てその過去を都合よく悪夢にして、今の時間だけを大切にしようなんてあなたにしたくない。」
それで居ても、腹の底から汚泥を見せ合った共犯者で居たいと希うような声でもあって。
「私達は私達の持つ全てで、互いに許し合う為にもう一度出会って望んでこうなった。」
木漏れ日よりも濃い色の日の色の瞳が不意に緩やかに鋭く煌めいて、頬に添えられた手がバドの首にゆっくりと回される。
「それを忘れたのなら、今度こそ沈めますよ?」
そしてまた笑う。
そのにっこりとした笑顔にどこか黒さを感じても、それはバドの愛した者の可憐なそれでしかなく。
「・・お前には、適わないな・・・。」
成すがままの状態になっていた、体を支えていたバドの片手が不意にシドの頬に触れてそのまま後頭部に回される。
その感触に逆らう事無く、そっと瞳を閉じるシドもまた首に回していた両手を兄の逞しい肩へと腕ごと移動させていく。
ずぶ濡れたままの冷たい身体と、蠢いていた心を解きほぐすような甘く温かいキスを、バドは下からシドは上から交わしていく。
「どんなに壊れてもいい・・・、私はいつでもあなたを受け入れられる為に居るのだから。」
「その言葉、お前にもそっくりそのまま返すぞ?」
唇を離して、シドを膝の上に乗せるようにして見上げた後、濡れたその胸に頭を預けた。
水に濡れて冷たいながらも、温かい血の巡る音が心地良すぎて泣きそうになる。
その背にそっと回されるしなやかな両腕は、バド一人だけを受け入れるだけの温かさを持つ。

甘やかされるその声と腕と存在を捨てて、自分はどこに行こうとしていたのか?

「もう大丈夫・・とは言わなくてもいいですから。」
大きな虎を抱きしめる行為が気に入ったのか、シドはもう少しこのままで・・・と思ったのだが、不意にバドの手が シドの膝裏に両腕を回して縦抱きにしたまま立ち上がる。 「そんなこと言えるか・・・。」
すっかりと形成逆転・・・と言うかいつも通りの立場に戻ったのだが、バドもまた上に位置するシドの顔を見上げる事が気に入ったのか、抱き上げたまま畔に戻る。
いっそこのまま戻ろうかと思ったのだが、さすがに力はあるとは言え、青年一人の身体を抱えて帰るのは無理そう・・・と言うかシドが断固拒否するであろうが・・・そのままストンと弟の身体を下ろす。
「・・・ありがとうな・・・。」
「いいえ、どういたしまして・・・。」
そしてそのまま静かに指を絡めて手を繋いで、もう一つの人生を歩む“家”へと戻っていく二人。

散らばっている過去の痛みは今はまだ全て回収できそうに無いけれど、それでもその存在がある意味を知った今は、それと上手に向き合って行けるだろう。
そしてそれはシドも同じ事で。




ちなみにその後、昼休み延長届けなるものを出したバドが水に突き落とされたお礼をシドに要求した事は、言わずもがなの結末である――・・・・。








イラストBGM:COCCO『ザンサイアン』より「四月馬鹿」




戻ります。