霧華



まるでそれは儚い夢の様な瞬間だった。
偽りで覆いつくされた、貴方と言う存在の犠牲を余すとこまで呑み込んでそれを踏み台の上に成り立つ私の人生は、周りにも、そして貴方自身にも誇れるものなどどこにも無くて、それが何時か壊されてしまえばいいとそればかりを願うように今まで歩いて来た。
「・・・貴方の憎しみは当然だ・・・。」
軋む四肢、霞む視界。
引き攣っていく喉の下、絞るようにして出す声は本当に虫の息さながらで。
壊れかけるこの身体、存在、それら全てを叩き壊すのは、目の前に居る聖闘士達ではなく。
「でも・・・、これだけは伝えたかった・・・っ!」
その権利があるのは他でもない、母の胎内からずっと意識を共にして、この血肉を分け与えて生まれてきた双子の兄の貴方だけ。
「このシドも・・・、父や母も・・・、決して貴方のことを忘れた事は無かった・・・!」
拳を携えたまま固まっている貴方の耳には、こんな言い訳がましい言葉は、死に際間近の世迷言としか取れないかも知れないけれど、それでもこれは私自身ずっと吐き出すことが無いと思っていた本心だから。
私たちを産んだ彼らよりも、ずっと強く私は貴方を想いながら今まで生きてきた。
貴方が傍に居なくても、その想いが何時も傍らにあったからこそ、私はこの道を歩んで来られた。
「さぁ・・・、今度はこのシドが貴方を助ける番だ・・っ!」
私に構わず拳を・・・、
拳を放つのです――・・・!!




霧 華




・・・・・ぐらぐらと足元が崩れ落ちるような感覚。
真下にあるのは真白い雪の臥所。
薄らと目を開けてみれば、そこはただ白だけの墓標に覆いつくされた私が今居るその場所で。

――あぁ・・・、またあの日の夢を見た・・・・。
そのことばかりが、ここに在るべきはずではない私をどこまでも捕らえ続ける。

あの言葉を放ったその次には、既に視界は砂嵐がかかるブラウン管の如くに歪み、聞こえてくる音も電波の悪いラジオの様な音を持ってでしか私を包まなかった。
それでも蒼白な死の翼に包まれる最期の一瞬まで、見つめる貴方の視線だけは両腕に込める力だけは、最後まで緩め続けまいとそこに神経を集中させながら、放たれる拳とその衝撃を今か今かと待ちわびていた。
金鍍金の様にきらびやかな嘘と偽りとまやかしで固め込められて、それを唯の真実だと信じ込んでいた私が一番欲しかったもの。
それら全てを打ち砕いてくれる、貴方が与えてくれる筈だった地下の煉獄行きへの片道切符。
崩れ落ちる膝を、未だだ・・・、未だだめだと叱咤しながら、貴方以外の周りの光景は黒く狭まれようとも貴方だけをただその双眸に映しながら・・・。

そして、高く掲げたその拳に込められた力。
その次の衝撃に備えて微かに目を見開く私・・・。







・・・・・・・・・・。









・・・・・・・・・・・・・・・・・。









――その、後は・・・?









その後は、どうなったのだろう・・・?





私の望みどおり、彼の望みどおり、私は兄のその手で命を散らしたのだろうか?
彼はその手で私を討ち、予てからの願いを叶えたのだろうか・・・?




思い出せない・・・。それだけがどうしても・・・・。



あぁ・・・・、また睡の時がやって、来る・・・・・。




天上はおろか、地の底の国にも堕ちる事の出来ない私は、ただこうして緩やかな甘水の様に訪れるそれに身を任せることしか・・・。





後どれ位睡の中で、漂う記憶を見ればこの魂は消えていくのだろう――・・・・・・?






「・・・シド。」
丁度そこにバドが現れたのは、シドが微睡みについた直後の事であった。
シドの亡骸をその場所に埋めて、バド手ずからで組み立てた枯れ木の墓標に降り積もる雪を軽く払いながら、彼は今日もそこに訪れていた。
「・・・お前は今頃、俺を嗤っているのだろうな・・・。」
あんなに憎んでいたお前を、この手で殺したいと思っていたはずのお前を、あの日に俺を兄と呼んだお前の声を忘れられずに、今もこうして縋るような想いでこの場所に足を運ぶ俺を・・・。
この手で殺せと叫んだお前の表情、崩れ落ちたお前の最期の姿、それら全てを今思い返しても、お前はもう二度とここには戻らないと言うのに・・・。
「俺は・・こうしてお前に捕らわれ続けて生きているのに・・・。」
どんなに辛くても何が何でも生き続けること、それがシドに対する最大の償いだとあの日に誓ったはずなのに、心の底ではここに現れてその手で命を奪い去ってくれる事を願っている己の愚かさに知らず目頭が熱くなる。

地位、名誉、富。
この手で掴もうとした筈の、シドが持つ全ての物。
だけどシド一人の存在と推し量ってみても、それらが一体何の役に立つと言うのだろう・・・。



はらはらと舞う雪の結晶は、無情にも流れ逝く時間の欠片さながらに、それと反比例して募っていくのはたった一人への想い。
「俺が生きている限り、俺はお前を決して忘れはしないよ・・・。」
その言葉も、どこまでシドに届くのか知る由も無いけれど、そうすればきっとお前は俺を受け入れてくれるだろうから・・・。
例えどんなに辛くとも。









また、来るよ・・・。








どこかで感じた響きの持つ温かさに満ちた声がまるで、湖面に静かに落ちる雫の様に響いて、またゆるゆると目蓋が開いていく。
朧に瞳に映るのは、去って行く後ろ姿。
さらさらと雪の華に縫って緩やかに棚引く緑青の銀の髪に何故か胸が酷く切なく軋んだ。




何処で聞いた声だったのだろう・・・?
あの優しく耳に届くそれは、何処で出逢った人の声だったのだろう――・・・?









あぁ、あの人は・・・・・、
誰だったのだろう・・・・?









もう一度睡れば、また儚い夢の中で見ることの出来るのだろうか・・・・?













そしてひどく切なく痛むこの胸の中に閉じ込めてしまえば、思い出せるのだろうか・・・・・・・?










緩やかに遠のく、霧のような記憶の中でしか見られない貴方のことを・・・・。










戻ります。