あの日々で、磨かれた氷の様に輝く硝子の中に見詰めていた自分の顔は、自分でありながら自分ではなかった。
髪色、瞳、鼻梁、そしてその姿を持つ私は私ではなく、母の胎から共に出て血と細胞を余す所なく共用した貴方がいた。
どうしてか・・・、あの頃は本当に同じなのだと頑なに思い込んでた。
頭の先から爪先まで、異なる所など何も無く、呼吸をするタイミングだって一ミリのズレもない、そんな存在だと思っていた。
オ ル タ ナ テ ィ ヴ
「兄さん、もう起きる時間ですよっ!」
「・・・んー・・後もう少しだけぇ・・・。」
寝起き独特の掠れた甘えたような声で訴えながら、ゴロンと広いダブルベッドに横たわったまま、ぐるんとその半裸の体に毛布を巻きつけて惰眠を貪ろうとする兄・バドに、惚れた弱みで絆されそうになりながらもすっかり身支度を整えて、いつでも出勤できる姿の弟のシドはゆさゆさとその少しだけ自分より大きくて逞しい身体を毛布の上から少し勢いをつけて揺さ振る。
「い・い・か・げ・ん・に・・」
それでもしかし、しっかりと目蓋を閉じて本格的に寝入ろうとする兄のやんちゃ坊主の様なあどけない寝顔はこの時ばかりは恨めしく感じながら、かっしりとシーツを両手で引っつかんで勢い良く引っぺがす。
「起きなさーいっ!!」
まるで母親が息子を叩き起こすかのような光景。
まだ身体を丸めて気持ちよい睡りの水布団から蹴り落とされるような錯覚を覚えつつ、ビターンと芋虫の様に転がった結果、壁に思い切り鼻先をぶつけてその痛みで呻きながらも、どうして毎朝こいつは朝が早いんだ・・・、昨日だって散々啼かせてやったのにと、まだぼんやりとする頭の中で昨夜の記憶を思い出して悦に浸ろうとするも、鼻の痛みに否応にも起きやがれと言われているようで、んんー・・とようやく抵抗を諦めたといわんばかりの声を上げながら、かしかしと頭を掻きながらむっくりと起き上がる兄をシドはよし、と確認して自分は最後の身支度の確認のため、姿見の方に身体を向けた。
どことなく鼻を押さえてどことなく痛がっているのはさて置いて、かっちりと近衛隊服に身を包み、ペールグリーンの柔らかい髪を短く刈り込んで形の良い額を出し、長く伸ばした後ろ髪はきっちりと絹紐で結わえている、通常通りの自分の姿。
普段はあまりこの姿見は、身支度を整えるくらいしか使わずにいて、それも何時も兄を叩き起こすのに必死なので本当に最低限の短い間しか確認できないで居るのだが、今朝はほんの五分位早く兄が身体を起こしてくれたおかげでその分だけ時間が空いたので、少しまじまじと鏡の中にいる自分の姿を見詰めていた。
――こうして見るとあまり似てないなぁ・・・。
ぼんやりとそんな事を考える。
そう言えば昔は良く鏡を覗いていては、遠く隔てられていたバドを思いながら、きっと自分達は全く同じと言って良いほどそっくりなのだと一人思いに耽っていた事を思い出す。
確かに今だって周りからは服と髪形さえ違いがなければ区別が付かないとか、本当にそっくりだなとか言われる。
それはあの消えない忌まわしい聖戦の一つの終焉の際に交わした再会から、共に生き返って暮らし始めてからちょっとの間自分でもそう思っていた。
でも・・・、こうして見るとやっぱり自分と兄は違って当然の存在なのだと改めて思う。
髪形や服装を別にしても、考え方や物の語り方から滲み出る雰囲気の違いで一個人の存在としては確立されているのだが、それは多分外見にも表れているのではないかと特に最近思う。
それは端から見れば他人からは全くもって理解出来ない違いではあるのだろうけど、私の目から見た彼は自分には無い逞しさや優しさ、それらに満ちた表情で何時も私を安心させてくれる。
そんな風に思えるようになったのは、きっと・・・。
「・・・何してんだ、シド?」
「あ・・、もう起きたんですか;?」
「・・・・・・お前が起きろって叩き起こしたんだろうが?」
不意に気の緩んだ朝の喧騒の中の一時の静瞑に思考を浸らせていた弟に、すっかりと支度を整えたバドがその斜め背後に立ち、姿見の前で放心状態になっていつつも兄の鼻先を見て、何時ぶつけたのだろうと素で考え込むシドと、鏡の中で今少し驚いたように背後にいる自分を見つめている後ろ姿を見やりながら首を傾げていたが、やがてははーんと言った表情になり、腕を伸ばして絡め取るようにしてこの日一番の抱擁を弟に施した。
「ぅわ・・//」
あっという間に抱き寄せられるその腕の逞しさと体温は、欲しかったもの全てを兼ね揃えていて、許すことなど出来ず、消せぬ過去に苛む私をいとも簡単に癒す力を持つ。
「なに?今夜は鏡を使ったヤツが良いのか?」
「っ、違いますっ!」
慌てて首を振ろうとするが、強く抱きこまれてしまい否定する事もままならないシドをバドは可愛くて仕方が無いと言わんばかりに、その顎を捉えて軽く持ち上げ唇をそっと重ね合わせて、あっという間に抵抗を奪う。
「・・・シド・・・。」
少し遅めのお早うのキスを解いて、熱っぽい声で何者にも変えがたい弟の名前を呼ぶバドに、シドもまた少し潤んだ瞳で上目遣いでそんな兄を見詰めながら、同じ原子を分け合って生れた、同じようで全く違う何よりも近しい半身を示す字をそっと紡ぐ。
「・・・バド・・・。」
そしてまた、するりと猫が甘えるように温かな血の通う胸に頭を摺り寄せて少しその温もりを感じる為に軽く瞳を瞑る。
きっと・・・、お互いに受け入れ合えたから、私は私を見出す事が出来たのだろう。
もう鏡の向こうの自分に、幻の兄を見ることは決して無い。
鏡の中にいる自分の姿は、想いを受け入れてくれて今尚注いでくれる兄が新たに与え、そして育っていく命。
「そろそろホントに行かないと・・・。」
「そうだな、今日は何時くらいになりそうだ?」
「えぇっと・・、今日は・・・・。」
パタパタと、少し慌しく揃って歩く同じ顔と瞳と髪と姿を持ちながらも全く違う個二人を、立てかけている姿見は歪や翳りなく、朝日をその中に織り交ぜながら扉が閉まるまで照らし出していたのだった――・・・。
戻ります。
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