あぁ・・・、今日も一日が終わろうとする。
うだつの上がらなかった村人の子供であった彼が、ある日を境にしてこの国の超名門家の跡取り息子と迎え入れられてからもう数日経過する。
今までなら考えられなかったような豪華絢爛な衣服と、狩をするでもなく不自由する事の無い食事と、多すぎるほど設えられた召使。 そのどれもがかつて自分がこの手で奪って手に入れようとしていた・・・・、
・・・・・・・・。
手に入れる・・・・・?
何の、為に――・・・・・?
彼はいつもそこではたと我に帰る。
そしてまた最初から整理して物事を考えながら、何と無しに日課になった散歩すがらにそれを思い返す。
吹雪こそは無かったものの、黄昏が近づくこの時間、昼でもなければ夜でもない、どこかの国では魔の物が冥界から徘徊するとされて外出が避けられる時間帯。
そこを彼は、俯き一人で悶々としながら歩いていた。
ほぼ視界に入るのは地面を覆う白い雪なのだが、不意に視界の片隅に映る鮮やかさに気づいて顔を上げると、何の変哲も無かったはずのこの雪原の丘に、禍々しいほど赤く染め上げられた布が張られた小振りのテントがポツンと立ちそびえている。
「・・・・何だ?・・・これ、は・・・・?」
呆然と立ちすくんで、驚きに見開かれていく夕日色の瞳の目の前で、それはまるで意志を持つ生き物の様に、闇の様な入り口をぱっくりと静かに静かに広げられていく。
「・・・・・・・・・。」
何事かと一瞬息を呑んだのも束の間、自身の中のもう一人の自分がそこへ入れと訴える。
そうすれば、“何か”が判るだろうと。
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そもそも最初から、どこかかけ違いのボタンの様な何とも言えないすれ違いは感じていたのだ。
今日よりももっと大荒れの落日の時、一瞬白くフラッシュバックするように脳内がクリアになったと同時、今まで始終頭の中を占めていた“何か”が強制的に廃除・・・、否、消え失せて逝ったような感覚。
一緒にいた養父に、今何かを感じなかったかと聞いても、どうしてそんな事を聞くのか?ヘンなヤツだなぁと一笑されて終わった。
それよりもバド・・・と、狭くも頑丈な造りの丸太小屋の空間に置かれた椅子に座るように促されて腰を掛けると、今までお前はわしの大切な宝物だった・・、だがもうすぐでそれも終わる・・・と告げられて、一瞬目の前が真っ暗になった。
どういうことかと食って掛かると、養父は辛そうに目を伏せながらポツリポツリと語り出す。
以前からわしとお前は実の親子ではないと言う事は話したな?お前は、さる大貴族様のたった一人の跡取り息子であり、そこの奥方様がお前を産んでからの産後の肥立ちが悪かったのがきっかけだった。
そこの旦那様が、お前を真の意味で平等さを持った時期当主にしようと、生まれてから十年余の間、家から遠ざけて平民として育てようとお考えになって、今日この日までお前を育てるようにとわしに言った。
そこで言葉を切った養父が立ち上がり、カタン・・と古びた木造の戸棚の引き出しを開けて、両の手に“それ”を持ってやって来た。
――!!
それを双眸に認めたバドは思わず息を呑む。
生活と狩で荒れた大きなごつごつとした養父の手に持つのは、黄金の鞘に包まれた、それは見事な短刀だった。
だが、それが一つではなく、まるで番の様な生き写しの様なそれがもう一つ養父の手にあったことに、バドの中に言い知れぬ何かが競りあがってくる。
――にでも、換えるが良い・・・・。
どこかで聞いた声が、頭の中を反芻する。
たった一度だけ聞いた声。
それを聞いて、俺は“お前”・・・を・・・・・・?
いや、そんなことあるはずは無い。
だってこんな立派な短刀、目にしたことすらない。
だがしかし――・・・・。
どうして二つ・・・、まるで重ね合わせて初めて一つになるような、フルムーンを模るような短刀を実の両親は造ったのか?と養父に問うと、それはお前自身が彼らに聞けと、苦笑しながら軽く頭を小突かれて。
そしてその翌日に、実の両親の元に帰るべく、やって来た数名の従者に傅かれて実家へと戻っていったのだ。
その日から始まった、天と地ほどの開きがある何不自由ない暮らし。
だが、自分が本当の帰るべき場所に戻っても、拭えないしこり。
それは日を覆うごとに檻の様に淀んで行くばかりで。
確かに両親は、今まで離れていた時間を取り戻すかのように己を慈しむように接してくれるが、それを受け止めるのは俺ではない。
周りに仕える使用人やメイド達にも同様の事が言えて、自分を通して他の誰かを見ているような違和感を常に感じていて・・・・。
そんな折に現れたのが、この真っ赤な血の色の様なテント。
そしてそこへ入れば何かがわかると叫んでいる自分。
しかしそれは、ふもとの村々で噂になっている、怪奇譚のそれに他ならないと言うのも直感的に判ってはいた。
だけど・・・。
出くわしてしまったそこから、バドは踵を返して帰路へ付くことは出来なかった。
日ごと大きくなる違和感。気味が悪くて仕方が無い。
何時か成り上がってやる・・何のため? あの日に感じた悔しさをバネに・・それは何時の事?この場所で出逢ったあれをこの手で・・・それは誰?
断片的に思い出される、ピントが合わない記憶。
これは一体何なのか?
それを知る手がかりが此処にあるのだと、バドは無意識的にその闇の様な口を広げるそこへと足を踏み入れていった。
中は一面の鏡張りで、陽を遮るような内部はまるで化け物の胃の中の様な陰惨とした暗さだった。
「・・・・・・・。」
そしてそこへと映し出されるのは、上等な衣服を身に纏う、バドと同じ色を持つ短い髪をして、無垢で穢れの無い同じ・・・少し淡く見える夕日色の瞳を鏡の中からこちらへ向けてくる少年。
「っ!」
その彼と目が合った瞬間バドは、どこか胃が焼ききれるほどに激しい感情が湧き上がって来るのを感じた。
それは、ありとあらゆる・・・焦燥、憎しみ・・・そして言い知れぬ程の何か。
断片的にチラついていた記憶が、今段々と紡ぎ上げられていく。
そうだ・・・、俺は・・・。
「シ、・・・ド・・・・・」
腸が食い尽くされるほどに、寝ても醒めても、その憎しみ故に思考を支配されていたたった一人の双子の弟。
双子ゆえに、俺は忌み子の烙印を落とされて、現在共に住んでいる彼らによって存在を消され、そして養父へと引き取られたのだ。
それを全て知らされる羽目になったのは・・、あの日、ここで出逢ったこの弟が引き金で・・・・・。
憎々しげに鏡を睨みつけるバドの目の前で繰り広げられる、あの日の邂逅の残像。
やがてはあの日と同じように、傷付いた兎を抱いて子馬に跨り立ち去ろうとするその刹那、バドのほうを振り向いたシド。
「!?」
だが、それはあの日の様な笑顔ではなく、一瞬でひび割れる薄く張り付いた氷の様にほどに強張って、次に凍りつくそれに変化する。
呼吸する事すら忘れたように、絡み合う鏡と外と内部からの視線。
だがそれは、ぴしぃと音を立てて磨かれた硝子に一筋のひびが入ることで途切れさせられる。
「っ!?」
ひびは段々と広がっていき、いつの間にかぐるりと周りを囲まれた無数の鏡も時計回りにドミノ倒しの様に、残像の中のシドを歪ませていく。
からからに干からびていく喉。両脚が根付くように張り付いて動けない。
ひりつく眼球で、ピシリピシリと崩壊していく鏡の中、既に最後の枚数に近い無傷のそれに目を向けると、シドは哀しそうに微笑みながら、小さく頭を振る。
そして、唇だけで小さく言葉を紡ぎだす。
さ
よ
な
・・・・
ら・・・。
気が付いた時には、バドは最後の一枚になった鏡の元へと駆け寄っていた。
そして勢い良く鏡の中のシドを取り出そうとして手を伸ばすと、そこはまるで泉の様な柔らかさを持って、バドの腕を招き入れた。
水の様な冷たさは無かったものの、異質な空間的無機質さを一瞬だけ感じつつも、確かな手ごたえを感じそのまま両肩を掴んでこちらへと引きずり戻していく。
一切の生命が途切れたようにぐたりとして瞳を閉じたままの弟の身体は、その腕には重く感じる。
だがバドは、それを手離そうとはせず、大事なものを抱え上げるようにして、最後の両脚のつま先部分を閉じ込められていた鏡から完全に引き出したのと同時、パリーンと甲高い音をたてながら、煌めく無数物欠片を床に撒き散らしていく。
次の瞬間、一息つく間もないままに、ぐらりと揺らぐテントは、まるで怪物の断末魔の悲鳴をあげるように軋みながら崩れ落ちていく。
意識を取り戻さないシドの両腕を自分の肩に回して持ち上げたバドは、折角取り込んだ魂を無理矢理に吐き出させた悔しさからか、それならば二人ともこのまま喰らい尽くしてやると言うように外界を繋ぐ唯一の入り口を塞ぐようにして崩れて行く中から懸命に脱出を試みていく。
・・・何故、この者を助けたのか?
そんな地を這うような声が聞こえたような気がしたが、そんな余裕など無いバドは、しっかりとシドの体を支えながら歩を進ませ、吹雪き舞う雪原の柔らかい地面につま先を下ろした後、前のめりに倒れこんだ。
その瞬間、シドが取り込まれていたあの日と同じように、すぅ・・・と煙の様に消えていくそれ。
――折角の極上の魂だったのに・・・。
――まぁ良いわ。ここいらでは沢山の生贄を搾り取った事だしねぇ。
――ならばもうこんな辛気臭い国には様の無いと言う事で。
――次の街へと繰り出そうか・・・。
この世は我等にとって
丁度良い餌場
正にこの世は
生き地獄
アッハハハハハハハハハハハハハハハ――ッッ!!!
様々な男女の声が入り混じりながら段々と遠ざかる不気味なそれの後に残るのは、冬の精が轟かせる雪と風の音と、忌まれるべきの双りの児。
いまだ意識を取り戻さないシドを少しでも温めようと、着ていた外套をすっぽりと羽織らせながら、同じ色の遺伝子を共用する緑青の銀髪に付く粉雪を優しく頭を撫でる様にして払い落としていく。
その閉じられた瞳を見つめながらバドは呆然と思う。
先ほどは余裕が無い為に考えられなかった疑問。
どうして俺はこいつを助けたのか・・・?
あんなに憎んでいた・・・、いや、今だって・・・。
そしてこれからどうしようか・・・。
きっとこいつが戻って来たのなら、俺はもうお払い箱だ・・・・。
あぁ、でも・・・。
ゆるゆると突き刺すような寒さと共に襲うのは残酷な現実。
それを一時和らげるかのような甘い甘い睡の誘いに、いとも簡単に堕ちて行くバドの両腕にしっかりと抱え込まれるのはシドの抜け殻。
そんなことよりも、
今はこうしてこいつを・・・・・・、
やっとこうして出会えたお前を・・・・。
抱きしめて、いよう――・・・。
その後のことはその後の事でで考えれば、いい、さ・・・・・・・。
――――、・・・・・・・・・・・・・・・・。
戻ります。
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