夢見の現





睡りに誘われる時、それは死を辞さない時。
意識を失くし、柔らかい泡沫に身を浸らせるのは、そのまま生を喪うのも同然の日々。


だけどここはあまりにも心地良く、鼻先で笑っていたあの日の自分が、あまりにも滑稽で、そして何よりもこの瞬間を欲しがっていたのかと、目蓋の裏側でそっと想う。



夢 見 の 現



うつらうつらと眠りを誘う、雪がけぶる冬の午後。
暖が取れる室内に、横たえる身を受け止める柔らかな寝台。
それほど疲れてなど居なかったのだが、どうにもここは居心地が良すぎてふとした瞬間に緩む気持ちが、今までとは違うくすぐったいようなそれで居て胸が締め付けられながらも温かくぽぉっと灯るような感情を抱く自分は嫌いではなかった。
「・・・・どうですか・・・?ここは・・・・。」
「・・・・居心地は悪くは無い。」
それだけ言って、ぐるりとベッドの上で手狭そうに寝返りを打つバド。
その傍らに座り込んで読書をしていたシドはそう問いかけた双子の兄の答えに、ふと困ったような、でもある程度予想はしていたような兄の答えに笑みを模る。
「・・・こんな風になるなんて思っても見なかった・・・。」
「・・・・えぇ。」
そしてまた仰向けに向き直って天井に視線を向けながらぽつりと呟いた兄に、少し憂いを滲ませながらも、それでも笑みはそのままで、シドは相槌を打つ。

満たされない慟哭、存在、そして愛憎。
その気持ちに気づかされていたのは何時も、この雪荒ぶ白い季節で、無垢で純粋なその華は、同時、過ぎ去りし過ちの色にとめどなく染まっていた。
雪に沁みる引き裂かれた痛み、運命が齎した再会の使者の流した赤、そして崩れ落ちた光の喪失と、それを抱え上げた途方も無い哀しみが静々と歩むたびに零れ落ちて行ったあの日の黄昏・・・・。


雪の白は何時も彼らにとっては綺麗で儚いそれではなく、苦難を思い起こさせる棘の華だった。


「・・・・シド。」
「はい・・、兄さん。」
頭の後ろで組んでいた片手をつと伸ばし、すぐその傍にある絹糸の様に柔らかい緑青の銀髪に触れ、その手触りを無言で無表情で楽しんでいるかのような手の動きにシドは厭うでもなくそのまま黙って身を任せている。
そしてその筋張る大きな掌は、さらりと伸ばされている後ろ髪に移動して、そして線の細い首筋から肩へ・・・と流すために持っていったところで、ぱたりと動きは止まる。
「・・・。」
その背後に聞こえてくる安らかなゆったりとした寝息に、シドは身体を兄に向けて、だらりと落ちているその手を起こさないように静かに取り、その甲に触れるか触れないか程の口付けを施す。
「・・・・兄さん。」
ベッドの上の兄の横にその手を戻すと、温もりが離れて不満げな声を漏らしつつ、あの日から少しだけ伸びた前髪から覗く閉じられた瞳が、子供がむずかるようにしてしかめられるのを見て、また苦笑する。
こんなに無防備な寝顔を見せ付けられてしまっては、それほど疲れてなど居ない休日の午後の予定は既に決まってしまったなと思いながら、ベッドの脇に座ったとと同時、お前も此方に来いと言わんばかりに無意識のうちに伸びてくるその腕にあっさりとシドは絡め取られてしまい、いよいよ以って予定は決定事項へと摩り替わる。
「・・・判りましたよ。」
はいはいと溜息交じりに、我が子を諭す母親の様に、まだ一人分しか眠れないベッドによじ上るようにして腰を掛けても尚、夢を見ている猫の様に不機嫌な兄がまた微笑ましくて仕方が無いといった感じで、起こさないようにして頭を持ち上げてその膝の上に乗せてやると、ようやくまた当初の機嫌のよい物に戻る。
「私も・・、こんな風になるなんて思いませんでしたよ。」
ふわりと頭を撫でた後、少し固めの髪を撫ぜながら、ふと窓枠に切り取られた雪の景色をその夕日色の瞳で照らす。
「こんなにまで“今”を思うなんて・・・あの頃は全然・・・・。」
雪の景色を見るたびに、哀色に霞む夕暮れの色の瞳に映っていたのは、幼き彼の悲痛と憎しみに満ちた顔で、その度に雪の白は悲涙の透明に潤んでいた。

そしてたった一つだけ望んだこと。
訪れる未来の“死”。
望まれざる自分がここまで辿る事ができたのは、一重に彼の手によって殺されます様にという最後の祈りと願い。
「でも今は・・・。」
その寝顔を見下ろしながら、子守唄を唄ってあやすような手つきで、優しくゆったりとした手つきでその肩を叩きながら、今自分が望む願いを静かに解き放つ。




「あなたと生きたい・・・・。」




幸せになりたい・・・。共に、道を違える事無く今度こそ――・・・。


そう呟く声にふと一瞬無防備に柔らかく緩んだのはまだ人馴れしない虎の寝顔。


その母性満ちる優しい双眸が見守る中で眠る彼の意識は、もう一つの切ないながらも最後は幸せになることの出来る物語を静かに夢見、歩んでいる途中であった――・・・。






戻ります。