a hymn azure†clear†















その時も、二人が出逢ってしまった、否、出会う事の出来た二つの里を隔てている輪廻の河縁とその周りの風景は何時もと同じであった。
何時もと同じように、浄化の終わった無数の魂がまた新たにそれぞれの生を歩む為にその緩やかな流れに流されて、淡く何の障害物も無い乳白色が日に照る草原もそのままで二人の逢瀬をただ見守るように存在しているだけだった。

唯一つ違った事といえば、“狩”の方の岸辺に寄り添う天使二人の姿。
白と黒・・、それぞれ異なる役割を持つ彼等はただ互いに向かい合ってその背中に映えるそれぞれの象徴とも言えるその真逆の色の羽に手をかけては一心不乱に・・・、目の前に見えるその色を互いの手で消去するかのごとく、綿の様に狩の青年は白を、洗礼の青年は黒の羽を千切り取ってはそのまま虚空に放り投げて漂わせ舞わせている。
しかしそんな互いを傷つけるような行為に見えても、二人の天使が持つ同じ夕日と朝焼けを凝縮した色の瞳は、ただ優しく愛おしそうに相手だけを照らすように見つめあい、時には微笑みすら浮かべあって、そうしてまた互い背中に残る羽をむしり取っていく。
『・・・・。』
『・・・・・。』
それぞれに背負う役目の為に別の空を舞う、美しく線を描きながらくるぶしの辺りまでに映えていた翼は、今はもう見る影も無く、おおよそ最後の一掴みとなる・・・、それこそ背中の付け根の部分に触れて全てを除去する一瞬前、彼等は距離をつめて一度ひしりと抱き合う形になる。

――・・・行こう。何処に堕ちるか判らないけど・・・。
――えぇ・・・・、何処に堕ちようとも構わない・・・。

そうして触れ合う、翼のもげ落ちた彼等の体躯の線は儚い線画の様に儚くその像を結ぶだけで、周りの草原や河縁、煌めく水面といった景色たちは、透過した彼等の肌の彩を通して変わらぬ存在を誇示していた。
見つめあいながら、慈しむように紡がれた声は、唇の動きに合わせて解き放たれて、言霊になることはないままに、二人だけの心に直に響きあう。

――・・・・シド・・・。
――・・・・・・バド。

どうなるのか判らない不安は確かにあっても、それでもこうしていればきっと離れはしないと言う、根拠は無かったが確かな想いのままに、声にならない声で名前を呼び合い、そしてそのままゆっくりと唇を重ね合わせて行く。
ありとあらゆる生命の中で、最も知恵を持つが故に滅びかけている種族だけが持つ、その中で最も純粋な想いを確かめ合い、存在を刻み込める事の出来るそれを交し合いながら、二人のつま先は緩やかに岸辺から離れていった。




a hymn azure
†clear†




「あ・・・・。」
昨日の雪の中で交わした約束の時間、少し先にこの場所にやって来たシドは、碧い空に白い翼をさざめかせながらやってくるバドを眩そうに見上げながらも、手を上げて出迎える。
「バド。」
あの日、初めて出逢った日に比べればその白きに卑屈になることはなかったのだが、それでもその色の羽はまだその目には眩しすぎて、黒い羽をどうしても疎ましく思ってしまう。
「待たせたか?」
「いいえ、大丈夫ですよ?」
そう言ってはにかむシドを見ながら、バドはそうは言っても何時も自分よりも先に来ている、彼の几帳面な性格を知っていたので、ゴメンなと呟いた。
「・・・・・・。」
相変わらず洗礼の者達は、空の下にあるありとあらゆる生命の筆頭となる大多数の人類達の内の極々一部の権力者達が齎した、過剰な野心・傲慢による戦争や、分をわきまえない発明や文明の開発によるその他の生命体の怒りを買ったがゆえに、殆どが巻き添えを食らいその命を終えて、今この天上に浄化の為に留まり続けている。
それら全てを吸収し終えたバドの羽は、何時もよりも魂の痛みや悲鳴や阿鼻叫喚の重みを抱えた分、それだけ清かな純白の色が濃くなっていて、シドは思わず息を飲んで、無意識のうちにす・・・っとその柔らかき羽根に触れようと手を伸ばす。
しかしいつもならば身を捩ってその手をかわし、その羽に触れさせることを躊躇するバドが、筋張る大きな手で黒き麗しさとたおやかさを兼ね添えた・・・それこそ“死神”などと呼ばれる謂れは無いほどのシドの手を取って、畳んでいた羽を少しだけ広げさせてその白に触れさせた。
「判る・・か?」
生命の痛みに敏感で、繊細すぎる程の心を持つ彼には言葉を尽すより、きっとこうするだけでこの羽の抱え込む業が判ってしまうであろう。
“洗礼”の種族に生まれ付いてからずっと一身に受け止めてきた人魂の持つ奥底の膿や闇の汚辱の記憶。
例え一片の羽がひらりと生え変わったとしても、また新たに生えてくる一片に刻まれる事となる新たなる痛みの記憶。
沁み込んでいる血の匂い、負の感情に来るって迎えた死に際の生々しい情景、それら全てが一つや二つではなく、一片一片に刻まれている、死までの間に辿る絶望や闇の記憶の中で、光り輝く物などその羽にはありはしない。
触れた瞬間に掌から伝って流れて、溢れ出そうなほどの様々な人魂の持つ闇をまざまざと感じ取り、シドは思わずふるふると首を横に振る。
「“これ”はお前が思っているよりも、綺麗でも儚くもないんだ・・・。」
放たれたバドの言葉に、夕日色の瞳は一瞬大きく揺らぎ、そして次の瞬間には哀しそうに歪みはらはらと熱い雫が白い大地に静かに滴り落ちていく。
「ごめ・・・なさい・・・・」
突然に涙を零されてしまい、バドはたじろいで掴んでいたシドの手を離すと、そのまま零れさせる涙を拭い去る為に、濡れている下睫毛に触れて、その部分から目尻にかけて優しく指を辿らせていく。
「どうしてお前が謝るんだ・・?」
目尻に触れていたその手がそっと頬に落ちて行き、俯くシドをやんわりとした手つきで少しだけ背の高い自分自身を見るように上向かせる。
「何も・・知らなくて・・」
受け止める為に触れられた指先に涙は留められたものの、嗚咽はまだ押さえ切れていない、掠れ声でシドは言う。
「何も・・・知ろうともしないで・・っ」
何時も自分ばかりが忌まれていると思っていた。
大多数の生命を迎え入れるべく能力に、見ず知らずの者達に死を司る理の種族として蔑まれ、厭われて、こんな色でさえなければと、何時も割り切れずに居て鬱々としていた。
そんな中で眩い色のこの人と逢えて、少しずつ歩み寄っていって想いを深め合っていっても、その白い翼が羨ましくて、心ではずっと羨んでばかりで・・・。
その色にどんな痛みや重さを抱えているのかなんて考えもしないで・・・。
「ごめん、なさい・・・。」
もう一度声に出して謝るシドを、バドはもう何も言うなと囁きながら、漆黒の翼ごとその身体を抱きしめると、シドもまた一瞬だけ息を飲んでその白い翼ごと彼を抱きしめ返す。

互いの羽越しに回された身体を抱く手に知らず力が込められる。

白と黒・・・、天と地、光と影程に違う色の羽に宿っているのは、同じ、人の闇を垣間見る能力。
その異なる羽にそれぞれ詰め込まれているのは、名も存在も愛着すらも沸かぬ無数の魂の記憶。
互いに出会うまでは、その力に疑問や厭いを感じながらも、ただの“狩”と“洗礼”としての役割を果たすためだけの一個体の存在でしかなかった。
でも、もう今は何もかもが違って見える。

見惚れるほどに柔らかく、恐れるほどに禍々しくあっても、天翔けることの出来るその翼は、今はもうほぼ死に絶えた人間達にとって見れば憧れを刺激してやまないが、軽やかに見えるそれに課せられた物はおおよそ想像よりも遥かに重い。
そして何も知らなければ、あの日ここで出会う事がなければ、何も疑う事無いままそれぞれの空を飛んでいただろう。
だけど二人は偶然と言う必然の下で出会う事の出来た。
そしてそんな重みを抱えながらそれぞれ飛ぶ事よりも、どんな形であれど二人で共に道を辿って行きたいと言う願いを決定付けたのは多分二人とも同じ瞬間だった。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
互いに互いの羽にまわされたその手が、一度深く埋められそして棘を引き抜くように優しく蠢いては一片一片もがれていく。
相手を傷つけるためではなく、ただ相手と共に生きたいが為の、無意識的ではあるが、定められた本能的な慈しみを現すかのように。

主の背中に生える羽が、主以外の手に触れられて、離れて散っていくごとに、それぞれの色を亡くしては、輪郭だけを模っては宙に思い思いに舞っては、音も無く足元を流れる輪廻の河面に静かに落ちては、ふっと消えていく。



・・・・・・・・・。
そのときシドは、不意に幼かった、それこそまだ黒の羽が小さくて自分達が“狩”や“死神”と呼ばれている事など知らなかった頃を思い出していた。
遠くに離れた里には白い羽を誇らしげに広げながら空へと舞う“洗礼”の種族を、眩しそうに見上げる自分に、周りの仲間達はあまり見るのではないと窘めた。
それはどうして?と尋ねたところで、ただ住む世界が違うから、異なる力を持つ我等とは相容れないからとそう繰り返し教えられてきた。



そうまでして“洗礼”に憧れを持つ自分を遠ざけていた理由が、今ようやく判った・・・気がする。
きっとこの人と出逢ってしまうことを、周りの方が敏感に予感していたに違いない。

だけど、後悔なんてこれっぽっちも感じてなど居ない。
出会えもしない永遠に近い別々の空を飛ぶよりも、ずっと――・・・・。


身体を覆う羽が消え失せて、互いの周りを飛び散っていた羽根も全て無くなり、残るは透過した素肌のままの器だけとなった二人はかわしていた口付けを解いて、再び互いを見つめあい微笑みながら固く抱き合って、もう飛ぶ事の無い器を輪廻の河へと飛び込ませていく。
そこだけ時間が緩やかに流れるかのように、二人の足が穢れの無い色の岸辺から離れると、おおよそ初めて重力に導かれるがままに、煌めく水面に堕ちていく瞬間、彼等の表情はあくまでも安らぎのままで、シドはバドの胸に、バドはシドの髪に口づけるように顔を埋めて、今までの罪を浄化しきった魂がまた新たに繰り返す運命を歩む為に流れていくその中に吸い込まれるように墜ちていく。

まるで緩やかに溶けて行く様な心地良さを芯から感じながら、水中でそっと開く瞳に互いを映しあうも、その後意識の中にとろりとした蜜の様に入り込む心地良い睡魔に抗えず、抱き合ったその手はそのままで目蓋は意思に反して降りて行く。
これからどうなるのか・・・、待ち受けるのは一体何なのかは今の彼らに知る術は無かったけれど、この出会いが不幸であり後悔するなんてことは無いのは漠然と判っていた。
このまま無に帰そうとも、煉獄の炎に焼かれようとも、この時にもまだ感じる温もりがあらばこそ――。






文明が先走りすぎた結果の世界大戦の果てにほぼ大半の生命は死に絶えた下界の中、遥か北の大地・・・、厳しい自然の中でも慎ましやかに生きる事を選んだ、古代の神の力に湛えられし巫女の治める国は、その波動をそれほど受け付ける事も無いまま、その痛みを嘆きつつも、全ての国が今度こそ平和になるようにと中心になり世界の復興を手がけつつも、平穏な時を歩んでいた。
それから更に時が流れ、その国に住むある一つの夫婦に授けられた生命は、その胎内の中で双つ、ひしりと抱き合うように向かい合いながら、ふわふわと漂う夢の中でぎゅっと互いの手を時折取り合いながら、共に歩んでいける幸せな夢を見ながら静かにまどろんでいたのだった――・・・。



fin


an extra





戻ります。