抜けるほど気持ちの良い空気と、清々しい程の青色が天一面に広がる日々。
まだ寒さは残るものの、春の訪れ特有のぽかぽかとした陽気な日差しは、触れるもの包み込むもの全てを優しい気持ちにさせていく。
「ふはぁー・・・・。」
まださらさらとした雪の残るが、だいぶ顔を出した、舗装されたワルハラ宮の長い階段を、どこかぼんやりとした声を出しながら、思わず空ばかりを眺めながら危なっかしい足取りで歩いているのは、誰もが認める優秀な近衛副官長。
毎年この季節になると、通常の任務と重なりながら、入典式の準備やら本番やら新人達の手ほどきに負われて怒涛の日々を送ることになる。
それが食い込んでいく為に、ここ数日はやり残した仕事を必死にこなして居たのだが、一山片付いても次の日になればまたすぐにもう一山・・と言う毎日だったため、休日は勿論、ワルハラの部屋の一室で同棲している彼の人とはもう何日も顔を合わせていても、それはほんの一瞬だったり、もしくは待っていてくれていても睡魔に抗えずに眠っている顔だったり・・・。
こんなのだと寂しく感じるのも同然で、肌を触れ合わせないまでもせめて一緒にいたいと思うのは当然だったのだが、そんな日々もこの間ようやくピリオドを打ち、今日が珍しく部署の違う彼と休みが重なり合った日。
久しぶりに兄と一緒に休日を過ごせる事に、浮き足立っていたのも事実だった。
「いい天気だなぁ・・・。」
そんな独り言を言いながら、空ばかりを見上げながら一歩一歩階段を降りて行くシドの心はここにあらずといった感じだったのが災いしたのか、ついうっかりとまだ滑りやすくなっている箇所に足を踏み入れてしまっていた。
「あっ・・・・!」
「、シド!」
転んでしまうと身構えたまま、視界が一転するその瞬間、すぐ下から聞き望んで止まない低い声が慌てたように自分の名前を呼んでくる。
「・・・っとに、危なっかしいなお前は。」
「あ・・・・。」
その身体は、先に待ち合わせの場所に足を運んでいた、双子の兄の優しい温もりを湛えた両腕で支えられ、そしてその表情を見上げる間も無く、すぐにはぎゅっと抱きしめられていた。
“Spring” has come
ぴかぴかに磨かれた窓の外に広がるのは、眩いばかりの爽やかな青で、その広大な天空の庭を泳ぐかのように、白い雲が幾つも幾つもゆったりと流れていく。
「・・・すみません。」
「謝る事ねぇよ。」
滅多にお目にかかることのない程、今日は外出日和で、この日を楽しみにしていたのは否定はしないバドだが、ここ数日触れ合っていなかったのも相俟ってか、弟が思っていた以上に疲れていることを先ほどよろけた身体を支えた際に顔を覗き込んでみたところ覚り、あまり人ごみの多い市街地へ行って却って疲れさせるのも忍びなく思い、急遽自室でのまったりとした時間を過ごす事を提案したのだった。
ベッドサイドで腰を掛けるように促され、外出用の衣服から部屋でくつろぐために着る柔らかな素材で出来た部屋着に着替えさせたシドのすらりとした両脚を、バドは風呂場から持って来た温かいお湯の張られた桶を零れないように気をつけながら床に置き、弟の足元に傅く。
「わっ、兄さんっ?」
くるぶしより上の、ゆったりとした裾を急に膝のあたりまで捲し上げられてしまい思わずシドは身を捩るが、バドは違うよと苦笑しながらその滑らかな両脚を手に取って、そっとそのお湯の中に浸からせて行く。
「・・・・///」
何だか自分一人だけ空回っているような感じがして、シドは顔を赤らめながらもぷくーっと頬を膨らませるが、そんな弟にバドは可愛くて仕方ないというよう笑いながらも、お湯に浸かっている足を労るように触れて、息をゆっくり吸って吐くように促しながら、ゆっくりと裏側から指圧していく。
「っ、いたっ痛いです・・っ!」
「そうか?あまり力を入れていないんだが?」
足の裏にある、緊張感やストレスをほぐすツボを刺激しながらもここが痛いと言う事は、相当精神的にも疲れていたんだなと思いながら、少しばかりその力を緩めながら繰り返し繰り返し施していく。
そして次は、両足の親指をもげない程度の力で緩やかに回しながら、その中央部分を軽く押して行き、かかとまで指を辿らせながら優しく押し時には小気味良く叩きながら、弟の日頃溜まった疲れを取り除いて行ってやる。
「あ・・、そこ・・・・っ、」
その度にどこか掠れた声で違和感と痛みを訴えるようなその声に、バドは少々ムラムラとしてくるが、それをどうにか押し留めながら、最愛の伴侶の疲労回復に力を注いでいく。
「ふぅ。」
意外にも多い、足の裏にある神経のツボを余す所なく刺激され終えた時は、足湯の効果も相俟ってかシドの身体は湯上りと同じ位に火照っていた。
熱を持った体のままとろとろとした微睡みに身を任せようとした所、バドに清潔なタオルを手渡され、そのまま寝てしまえば風邪を引くからいったん身体を拭いておけと言われ、彼は浴場に足湯に使った桶を返しに行っている。
心地良い疲れと汗を流し、とりあえずは身体を拭き終えた途端に更なる睡魔に襲われてしまうが、折角の休日の時間が勿体無い為に二人で眠るには手狭になってきた寝台の上に横たわる事無く兄が戻ってくるのを待っているシドの口元は知らず知らず綻んでいた。
一緒に出かけるのも嬉しいけど、こうして同じ場所同じ空間に居て一緒に居られるのも嬉しい。
そして更に輪をかけたように、愛されていると言う幸せを噛み締めながらぽふんと照れ隠しに手に取った枕に顔を埋める。
「兄さん・・・。」
本当は今日は市街地へ、このベッドをもう少し大きめなものに買い換える為に出かけるはずだったのだが、しばらくはまだこのベッドに頑張ってもらうことになるだろう。
「・・・すき・・・。」
恋を知り始めた少女の様な純粋さと甘酸っぱいような兄への想いが、どうにも溢れて止まらないシドはその枕に埋めたまま、小さくか細い声で呟いた。
「俺も。」
「っ、ひゃっ?!」
と、その時不意に耳元で聞こえてきた低く優しい声と共に、ぴとりと頬に当てられた冷たい感触にシドは思わず跳ね上がるようにして顔を上げた。
見ると、何時の間に戻って来たバドが、自分も汗をかいたのか首にタオルを巻きつけながら二人分の冷たい水が入った少し大きめなグラスを持っている。
「ほら、ちゃんと水分も補給しておけ。」
「あ、りがとう御座います・・・///」
そうして、そこに座るのがもはや当然といった感じで、バドはシドの隣にゆっくりと腰を下ろして、そのグラスを手渡す。
「さっきのマッサージ、本当に身体が楽になりました。」
「それは良かった。」
まだ火照っている顔と身体をどうにか兄が差し出してくれた水で冷ましながら、先のマッサージの感想を嬉しそうに述べるシドに、バドはあっけらかんと笑いながらつ・・っとその身体を抱き寄せる為に手を伸ばす。
「大事なお前の身も心も全てを管理するのは俺の役目だしな。」
「そんな・・・」
抱きしめられたまま耳元でそう囁かれて、引いていった熱が一気にまたぶり返してくる。
「これくらい何てことないけどな・・・。」
「?」
ふと真面目な声音になった兄に、シドはきょとんとグラスを両手で持ちながらその顔を見上げる。
「お前はもうちょっと自分を労ってやれ・・・、もう何にも気兼ねする事ないんだから。」
「・・・はい。」
その言葉の示す真意・・・、即ち先の聖戦の記憶と、それに至るまで辿ってきた経緯を慮っての兄の全身全霊の想いだと実感しながら、シドは優しく背中を撫でる様に叩く心地良さに心酔しながらゆっくりとその広い肩に頭を預ける。
「にいさん・・・・。」
うっとりとした様子で目を瞑りながら、猫ならばゴロゴロと喉を鳴らすが如くにしなだれかかるシドに、バドは優しく額に口付けながら、手に持っていたグラスをそっと受け取りながら、自分の膝に頭を乗せるように優しく身体を引き倒して行ってやる。
「大好きです・・・。」
半ば目蓋が下りかけた状態で、もう一度、何度でも紡ぐ言葉に、バドは静かにシドの髪を梳いてやる。
いつもならこうした形で膝を借りるのは自分のほうなのだが、今日はとことんシドを甘やかしてやりたかった。
「俺も大好きだよ。」
そう声をかけると、シドは安心しきったような、蕩けるような笑みを浮かべて静かに寝息を立て始める。
静かに窓の外を流れていく白い雲と青い空、そして平等に照らし出す太陽が、ふわふわと買い替え時のベッドの上で穏やかで濃密な休日を過ごす恋夫婦を見守り続ける。
微かに軋むスプリングの音が、既に二人分の体重を支えるのは限界なんだと言うようにも聞こえるが、その訴えが幸せな二人に届く筈もなく。
それでもしばらくしてから緩やかに聞こえてきた二人分の寝息を聞き届けてか、微かに寝返りを打ったシドに合わせ、仕方がないもう少し我慢してやるかと言わんばかり、キィと静かに音を立てて鳴いた。
戻ります。
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