それは、きっと無意識のうちに封じ込めていた夢。
何かがきっかけで煌めくようにあふれ出す、途方も無く求めていた夢物語・・・。
思い出すことも憚れるほど、痛く千切れた心の中で幾重にも封じ込めていた不思議な不思議な――・・・・。
燦 浄 土
†seacret my sweet a sense of happiness†
「もう少しゆっくり走って行ってよ~!!」
短い恵みの陽光が照らし出す夏の森の中、駆け巡る白い仔馬に跨る小さな小さな彼は、そのふっくらとした頬を、ほんの僅かな距離ながらでありながらも遠出の高騰感で薄紅に染めながらそれでもその手綱を捌いていた。
何時もは付いてくるお供も無く、この日は両親も揃って出かけていたため、この開放感溢れる季節に伴って、この年頃の子供が持つ小さな冒険心をくすぐられて、初めて一人で遠乗りをしたいと侍女長であって乳母であるエーヴェルにほんのちょっぴりとだだをこねて、それがようやく許可された事、・・・ただしこの屋敷から南に下った私有地までと言う条件付きでだが・・・、にようやく八の年を数えたばかりのシドは時折愛馬の出すスピードに翻弄されつつも嬉しさを隠し切れずに、その唇には笑みを模りながら、仔馬を走らせ続けていた。
両親と同伴だが、何度も何度も南にある私有地である森・・・いつかはそこは別荘地へとなるのだが、その時点ではまだ森は森のまま存在していて、暗く鬱蒼としたイメージとは違い、そこは光を招き入れてその緑の生い茂る葉からはふんだんに木漏れ日を生み出していた。
緑と、それを生い茂らせている無数の枝と幹の色とのコントラスト、そしてそこら中に散りばめられた野の花達はまるで大地を彩る宝石の様で、人工的な手が加えられていない分だけ優しく幻想的な空気に満ち溢れている。
優しくも凛とした空気に触れて、シドはますます真っ白な愛馬にじゃれ付くようにしながら庭同然の森の中を駆けていくが、ふと、ふうわりと心地の良い風にも似た・・・それとは微妙に違う軽やかに空気が歪むのを肌で感じぴたりと彼女の足を止める。
「?」
そのとき不意に幼いそのきらきらとした夕日色の独創的な双眸にうっすらと白い靄がかかったように見えて、シドは一度馬上の上で目を擦った。
「あれ?」
何者をも受け入れるようなその森の更に拓けたその位置はまだ足を踏み入れたことは無かったものの、確かにそこに無いはずの物が存在していた。
無数の大きな頑丈な大樹を組み合わせただけの、自分が今暮らす屋敷に比べて遥かにこぢんまりとした風体の三角屋根の小屋・・・、の四角く区切られた硝子がはめ込まれた窓。
そこに一つの人影が見える。
「だれ・・・・?」
得体の知れないものに近づいてはいけないという警鐘が鳴るよりも、むしろそれ以上入り込んではいけないという、どこか神聖な雰囲気を感じ取ったままシドと、そんな主人を背から下ろしたままの愛馬は足元にある生い茂った滴が滴る草を噛み締めている。
立ち尽くしたまま、距離にしては若干離れている位置で、シドはまるで絵物語でも見るようにしてその窓辺に佇む人影を見つめていた。
形からして、窓辺に椅子を持って来て窓枠に肘をかけてうとうととまどろむようにして揺れているその人の髪の色は自分と同じ淡い緑を混ぜた銀の銀の髪で、よく見るとそのシルエットは今の自分よりも少し伸びているとは言え、殆ど形は一緒だった。
服装やその身体つきは近づいていけば確認は出来るのに、どうしてだかそれをずっと眺めていたい自分がいて、シドはまるで魅入られたようにしてその小屋の中に在る人を見つめ続けている。
そうしている内に、ゆらゆらと転寝のためか不規則に動いていた身体が一瞬ぴくりとだけ身じろいで、ゆっくりと窓辺に顔を向ける素振りを見せても尚。
白い靄、そして窓硝子に遮られてその人物の顔はくっきりとは見えなかったけど、向けられた視線は平等に何者をも包み込む夕日の様な柔らかい眼差しのように、幼いシドを包み込む。
「あ・・・・・・。」
あなたは、だれ?
そう言葉にしようとしても、その遮られた窓辺にいる人物から溢れ出る、たった一人で居てもさみしくない、むしろ幸せなんだと言う空気に触れて、シドは柔らかく緊縛されていくのを感じた。
どうしてそこに居るの?
独りなの?
ぐるぐると巡る質問もどれもこれも声に出して解き放たれる事は無く、その代わりに自分自身に流れ込んでくるのはくすぐったいような、・・・でもつきんと胸を刺す寂しさ。
やがて、独りだけだった窓の向こう側に、もう一つの人物らしい影がやってきて、窓辺にいたその人にそっと耳打ちするように顔を近づけ、その頭部に優しく手が置かれる光景を見て、シドはこれ以上自分は見てはいけないんだと言うどこか千切れるような寂しさに居たたまれなくなって、腹ごしらえもそこそこに済んだ彼女の鬣を優しく撫でながら、そっとその上に跨って静かに踵を返していった。
その刹那、曇る窓ガラスのかの人から透明なか細い声が聞こえたような気がしたけど、それを振り返って確認など出来ぬまま。
後から後からぽろぽろと零れる涙の理由も、その小屋の中の滲み出るような幸せに触れて染み入る寂しさの理由も何も判らないまま――・・・・。
その日の事は、あの十歳以前の記憶で思い出すことも無かった。
“彼”のいない過去など、もう無いものとして自分の中で葬ったのだと思っていた。
だけどそれは今この時、確かな現実だったとシドは確信する。
「・・・シド、シド・・・・・。」
夏の白昼、窓辺の外の煌めく、自分達が暮らす終の住みかに広がる眩い緑を愛でるように見つめているうちに浅い睡りに触れたシドは、その温かすぎる手が肩に置かれてゆっくりと瞳を開く。
「あ・・・。」
振り向いた先には、優しいながらもどこか心配そうな顔をして自分を見つめてくる、寸分違わぬたった一人の肉親の双子の兄の姿が目に入る。
「幸せそうな顔で・・・どんな夢を見ていたんだ?」
頬を優しく指先で突かれながらそう、訊ねてくるその声はずっとあの日から求め続けていた音をもって、シドを包み込む。
窓辺でうたた寝ていたがため、少しだけ冷えているシドの身体を、自分の身体を持って包み込んでくるバドの温もりに、少しだけ暑いです・・と、くすくすと笑いかけながら訴えながらも、自分もまた、前に回された両腕をぎゅっとその両手で触れていく。
「ええ・・、懐かしい記憶を夢に見ました・・・・。」
あまりに幸せそうに微笑む弟に、バドは自分の居ない間の時間でこんなに至福に蕩ける顔を見せていたと言う事に、少しだけ胸が焦されるのを感じたが、それを打ち消すように、低くそうか・・・と平静を装ってシドの耳元で答える。
その一言だけで、兄が一体何を思っているのか、流されてしまった頃よりも微々たる時間だが、深く寄り添う中で悟るほどに近づけた事に更に喜びを噛み締めながら、猫が顔を擦りつける様にしてその腕の中に捕らわれたままそっとその頬を寄せる。
「・・・思い出せたのはあなたのおかげですよ・・・・。」
「?」
いたずらっ子の様に告げる弟の答えに、磨かれた硝子窓に映された思わずぽかんとなった兄の顔を見つめて更に笑みを濃くするシド。
そして同じように硝子窓に映った弟の笑い出す顔に、教えろ!と半ば脅すように問いただしながら、絡めた腕に力を込めて、シドの頭を抱え込んでじゃれあうバド。
苦しいですってば・・と訴えながらも、シドは自分たち二人を隔てる透き通った硝子窓の向こうに、あの夏の日の自分の白昼像が朧気に見えたような気がして、そっと唇だけの紡ぎ言葉を贈る。
いつか会いに来てね――・・・・・。 彼のいない幸せから抜け出して、本当の今の幸せと言う宝物が溢れんばかりにある、この場所へ、この時間へ。
それは、きっと無意識のうちに封じ込めていた夢。
何かがきっかけで煌めくようにあふれ出す、途方も無く求めていた夢物語――・・・。
遠く離れた彼の場所で、いつか出逢えたら良いなと温めていた心の中で紡いだそれが、今静かに、でも確実に解き放たれていくのを感じて。
戻ります。
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