まほろばの白影


良かれ悪しかれ、望まぬ再会にて賽は振られた。
一時はその事実に追いつけず、人並みに凹みもしたものだが、そもそも絶望とか後ろ向きな感情に疎いその頭で捻り捻った結果が、寝る間も惜しみ雨の日も雪の日も風の日も、たった一人を思い続けの修行を重ねる日々。
挫けぬ日が無かったかと言えば否定は出来ぬが、それでも耐え抜く為にあえてその身を傷つけるようにしてのし上がったのは、ただ一人を憎み続けたが故。
それはある意味、自分を振って遠く離れていった片恋の相手を想い想い続けて来た、蝶や花ではない生まれの自分が、身分や血筋やその他全てを吹っ飛ばして、この身一つで彼を捕まえられると思い込んでいたのかもしれない。
その努力が実ったか、・・・・それでも結局は神の残酷な掌で踊らされていただけなのだが・・・、あの兎の限りでまたのお越しの約束を果たすが為に、白き甲を携えた、たかが狩人の子でありながら、その身に何の役にも立たない高貴な血筋を持つ彼・アルコルの星を手にしたバドは、意気揚々とワルハラ宮の門前に辿り着いていた。




ま ほ ろ ば の 白 影




『今・・・、なんと仰いましたか?ヒルダ様!!』

星に選ばれた神闘士達が、戦巫女と化した聖巫女に揃う一刻前の事。
どこの匠の意志で造られたかは知らぬが、温もりも何も無い玄関代わりの回廊に足を踏み入れようとしたそのとき、バドの身は強制的に絶対的な小宇宙に包まれて、凝った造りではあるものの、やはり温もりの一言も感じさせない冷たい雪ばかりの石ばかりの庭園へと飛ばされていた。
何事かと訝るバドの目前には、既に名前でしか聞いたことの無いこの国の女主、黒衣の戦装束に包まれ冷然とした笑みを浮かべるヒルダがどこか冴え冴えとした眼で見下ろしており、その絶対的に君臨する佇まいにバドは反射的に跪く。

――慌ててはならない、そうだ、ここまで来たのだ。

『お初に御目文字つかまつります。ヒルダ様。』
若干慣れない言葉使いで噛んだのかもしれないと思いながら、俯きながら内心冷や汗を流すバドを、しかしヒルダは黙って見下ろすばかりだった。
『・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・。』

・・・・・・・・・。何か反応してくれよ。


自分の精一杯の挨拶に何の言葉も無いまま、ただ沈黙と共に注がれる視線を一身に受けて、たった今到着したばかりで、しかも初めてこの国の主を目の当たりにして、思わずバドは内心で悪態を吐く。
『アルコルの、バドよ・・・・。』
『は、はっ!』
うっすらと紅が引かれた小さな唇が、先ほど保っていた表情とは別に、どこか躊躇いがちに動き、それを言ってはならぬと、自分自身を叱咤するように口を閉じようとする彼女だったが、それを黙れと言う様に左手の薬指に嵌められた禍々しいが美しい黄金の指輪がきらりきらりと光っていたのだが、反射的に顔を上げたとは言え、絶妙なタイミングで声をかけられたが故にほんの少し萎縮していたバドはその光景に気が付かなかった。
『そなたは、表舞台に立つ事はままならぬ。』
『は?』
思わず間の抜けた声をあげて、目の前の彼女を我知らずぽかんとして眺める。
彼のダークオレンジ色の瞳の前のヒルダは、微かに一瞬バドから顔をそらせ、何かに耐えるように眉根を寄せて小刻みに身体を震わせたが、それもまたほんの一瞬の事で、先ほどと同様黄金の指輪が輝くと同時、すぐにまた先ほどの様な悠然とした冷酷な女王の表情を取り戻し、彼にとって最大のダメージになるであろう言の葉を投げつける。
『そなたの星、アルコルはζ星、ミザルの添え星で影。・・・・そなたはミザルの神闘士であり、そなたの弟であるシド の影として付かず離れず、姿を見せずに付き従うことを命ずる。』
運命が決定したその一言にバドは我知らず叫ぶ。
『なんと仰いましたか!?ヒルダ様!!』
身を乗り出して悲痛とは少し違う・・・それはどこか嬉しそうにも見えたが、すでに興味を失ったかのように・・・、しかしどこか彼の自分が言った言葉に対して傷付く姿を見たくないように耐え切れぬようにも取れるように背中を向けたヒルダには、バドの表情の変化には気が付かず、その声音だけで自身の判断をくだし更に言葉を繋ぐ。
『二度は言わぬ。だが・・・・・。』
もしシドが倒れることがあれば・・・その時はバド、そなたがζ星・・・・・。



しかし、バドの耳の中にはその続きの言葉は半分も届いておらず、その瞳には眩き程の光が淀むように宿っている。

シド・・・!
この十年間、一時たりとも忘れた事は無かった名前。

『・・・そういう事だ。アルコルのバド。そなたは、今この時から聖戦の最中・・・・シドが倒れ臥すまではζ星としての影としての勅命を果たすのじゃぞ。』
『・・・承知いたしました!ヒルダ様・・・・。』
『・・・・・・・?うむ。』
どこか清々しく晴れ晴れとしたその表情で再度跪いたバドを、今度はヒルダが訝るように一瞬顔をしかめるが、従順に頷いたのには変わりは無いと、すでにバドを除く神闘士達が集結している謁見の場へと踵を返していた。



その場に降臨していた小宇宙が遠のくのを確認して、一人その場に残されたバドは、すぅっと消えていく気配の中、影として身を潜ませるように柱の影になる部分に移動し、その背中を持たせかけながら鈍色の空を眺め、そしてオーディーン像の真下に造られた祭壇に集結している神闘士達の群を見下ろす。
その中で、山育ちですこぶる良い視力をフルに生かし、目ざとく黒い甲を纏う血を分けた弟の姿を見つけてその唇に笑みを浮かべた。

――やはり貴様とは、あれっきりの縁でなど終わる筈はなかったのだな・・・・・。

屈辱的なことを言われた筈なのに、知らず知らずくくっと喉の奥で笑い声を漏らす自分は、思っていた以上にあの弟に執着していることに改めて気がつく。

たった一人の双子の弟で、微笑み一つ残したまま、俺の前から姿を消した。
この辛い修行を乗越える事ができた、ある意味でここまでのし上がってこられた糧。
この手で、この身一つでその存在を乗越える為にここまで来た。
白い甲を手に入れることでその目的は達成されたかと思ったのだが、黒い甲を纏うお前が俺の前に光として立ち塞がるか。
それはそれで面白い!!

『障害は派手な方が面白いかも知れぬな・・・・。』
影としての立場の己。
光として君臨するべく弟。
平民の分際で今まで力を蓄えてきた俺。
貴族の加護と血筋の檻で囲われてきたお前。








遥か頭上から注がれる、どこか懐かしい視線を敏感に感じ取って曝されるシドは、頭を垂れながらもその方向をちらりと仰ぎ見る。
しかし視線を向けた先のバルコニーにはすでに人影は居なくなり、それは一瞬の幻かと落胆するが、すぐその後に真後ろの柱の影から再び視線が絡みつき、それは長年の憎しみと言うよりも、まるで獲物を捕食者である虎のようだと覚ったとき、それに魅入られた獲物の兎の様にシドは密かにぶるりと身体を震わせると、その柱の影から喉を鳴らして静かに笑う声が聞こえてきた気がした。





今度こそ、きっちりと望む形での賽は振られた。
泣こうが喚こうが、欲しいものは必ず手に入れる。
あの時逃がした兎だけではない、今度は光も、地位も、そしてお前もだ、シド――!!





戻ります。