仮想現実理想的家族
「痛い痛い、痛いってシド!」 午後の昼下がり、ワルハラ宮大浴場から雄叫び・・・もとい、抗議の声が響き渡る。 ガランとした浴場の隅には、小さな座椅子の上に小柄な身体の腰の部分にタオルを捲きつけて座る、狼少年ことフェンリルが、長身の青年-シド-に、わしわしと頭を洗われていた。 「もう少しだから、ちゃんと目を瞑っていなさい。」 目を瞑ったままシドの顔を見上げようと、淡々とした頭を上に上げて頷くと、シドは、よしよし・・・と言いたげに軽く頭を撫でてやり、シャンプーの泡の付いた手でシャワーを取り、適温になったお湯で、フェンリルの髪を濯いでやる。 ちなみに言うと、シドの格好はハーフパンツと半そでのシャツの軽装姿であって、半裸及び全裸では無い。 そんな事をしたら、彼の恋人兼肉親のいらぬ嫉妬を招いてしまうが故。 と言うかむしろ、その恋人兼肉親が出した最低条件がそれなのだ。 大浴場から続く脱衣所の更に外・・・、健康ランド宜しく待合室では、愛しい者が自分ではない他の人間・・・子供とは言えども油断はならぬ・・・と風呂に入ると言う状況に、苦虫を噛み潰した表情で腕組をしながら待つ、彼の恋人が立っている。 「バド・・・;いや、何でもない・・・;」 その横には、そんな彼に付き合わされた親友の姿。 まるで親友の恋人の浮気調査に狩り出された心境のミーメは、ギンッ!と、濁るガラス戸をぶち割らんばかりに睨みつけるバドの姿に、少々頭痛を覚えていた。 いや、実際そう言っても過言ではないかもしれない・・・。 事の起こりは、数日前、フェンリルが放ったある一言が原因だった。
忌まわしい聖戦からの傷跡が癒えて来たワルハラ宮で、今まで狼と共に野生の暮らしを営んできたフェンリルが、没落したフェンリル家を再興するとヒルダ様に謁見した。 だが、言うは易し行うは難し。荒れ果てたなどと言うよりもむしろ崩壊したと言っても良い、そんな状態から復興を目指すのはいくらなんでも不可能に近い。 その為にはまず、名門であるシドか、もしくはアルベリッヒに貴族としてのたしなみを学ぶことが一番の近道だとの事だった。 言わずもがな、断然前者が適任であるのは一目瞭然だったので、ヒルダ様はシドにフェンリルのお目付け役をお願いしたと言う訳だ。
『フェンリル!ちゃんと残さないで食べないと駄目だろう?』 ある日の夕食時間、今まで火の通っていない生肉やら動物やらをそのまま食していたフェンリルに、作法を教えがてら一緒に食事をしていたシド。 大勢の目の前で、失敗を注意されながら食事をしなければならないと言うのは、なるべくなら御免被りたいものであろうので、フェンリルの分は、皆とずらした時間に取らせる様に厨房に頼みに行っていたのである。 が、この時にシドが指摘したのは、作法の事ではなく、フェンリルの好き嫌いのことであった。 『だって、これ苦いし美味くねぇんだもん・・・。』 『駄目だ。そんな好き嫌いをしているようじゃ、フェンリル家の再興なんていつまで経っても無理な話だぞ?』 確かにフェンリルは、今が成長期。 そんな時期に彼は偏った食生活を送ってきたので、今からでも遅くは無い、ちゃんとした食事を心がけてやら無いと、将来何らかの悪影響を齎す可能性は充分にありえる。 しかしながら、ほんの少しばかり意地悪く言ってしまったことに、シドはあ・・・っと、小声を上げる。 気まずさから、フェンリルを盗み見ると、大きくないテーブルの向かいに座っているフェンリルは、シュン・・・と項垂れて居た。 『・・・・・・・』 『・・・・・。』 『・・・・・やだ・・・。』 『え・・・・?』 数秒間の沈黙の後、フェンリルは少し拗ねた様に、尖らせていた口をゆっくりと開いて、小さく、だがはっきりとこう言った。
『母様みたいに言ってくれなきゃ、イヤだ・・・。』
・・・・・・・・・・; きゅるん・・・と、まるで捨てられた子犬の様な瞳で見上げられ、突如放たれた爆弾発言。 『え・・・、えーと・・・・;』 珍しく恋人以外に焦りを見せ、狼狽するシド。 しかし次の瞬間、ウルウルと瞳が潤みだす気配にシドは、ハッとフェンリルの心情を察した。
成長期に特殊な生活を送った彼はまた同時に、一番甘えたい年頃に一番愛情を注いでくれる人物をいっぺんに亡くしていた事に・・・・。
甘えられる人間が居ない事が、どれだけ辛いことか判っていると同時に、もともと持ち合わせていた母性本能を思いっきりくすぐられ、そっと手を伸ばし、くしゃくしゃと頭をかき回し・・・。
『フェンリル・・・、好き嫌いは駄目だよ・・・?』
ふんわりと優しい微笑を湛えて、慈愛に満ちた声で一言。 シドのその姿に、亡き母を見出したのか、フェンリルはにぱっと笑い、嬉しそうに大きく頷いたのだった・・・。
「何だ、良い話ではないか。」 「そこまでだったら別に良いんだよ!良くないからこういう事態に陥ってんじゃねぇか!」 付き合わされた待ち時間、あまりにも退屈なので、ミーメは長椅子に腰掛けているバドの隣に座り、こうなった経緯を尋ねていた。 バド自身もシドからそう聞いて、どこか被る所がある自分と重ねてしまい、じゃああまりフェンリルに対して邪険にも出来ないなと思っていた。思ってしまったのだ。 その日以来、食事はもちろんの事、四六時中シドの周りを引っ付いて回っている。 それはもう、バドの入り込む隙間も無い位に。 シドの隣に自分以外の誰かがいることに、激しくムカつくバドは、何度目の前をうろつくこの子供を成敗しようと拳を胸の高さにまで持ち上げて小宇宙を燃やした事だろう。 しかし、いくらなんでもそれは大人気ないし、何よりも情けなさ過ぎる。 だがしかし、そうは言っていられないほど問題は想像以上に深刻な物と化した。 夜・・・、唯一狼少年に邪魔されず、二人っきりで過ごせる貴重な時間。 『何だか久しぶりですよね・・・、兄さんに会うのも・・・。』 闇が濃くなる中、二人の愛の巣でくつろぎがてらワインを軽く飲んだシドの頬はほんのりと赤く色づいている。 『ここ最近フェンリルに取られっぱなしだったからな・・・。』 仕事とフェンリルの教育に追われている弟にあまり無理強いはさせられない為、ここしばらくお預け状態になっていたのだが、その間のスキンシップを埋めようと、明日は二人とも非番なので・・・と、シドの方からお誘いをかけて来た。 勿論バドとしても、この手を逃す理由は無い。 『その分も、しっかりと埋め合わせしてもらうぞ?』 悪戯っぽく微笑んで、くい・・・と顎に手をかけて、弟の顔を上向かせると、シドは、そっと瞳を閉じ、兄の口付けを待つ構えを取る。 久しぶりの二人の時間の始まり。 だが・・・。
ドタバタドタドタッ!ガチャッッ!!
『シド~~~~ッッ!』 『『∑!!??;』』 真夜中の小さな来訪者に、二人はがばっと密着させていた身体を離した。 『フェンリル!?どうしたんだい?』 ベッドから起き上がったシドに、両手を広げて彼の腹辺りに飛び込んでくるフェンリル。 ただ事ではないと感じたシドは、とりあえず落ち着かせようと、微かに震えているフェンリルの肩を優しく撫でてやる。 『何があったんだい?』 『シド・・・シド・・・。』 ぎゅう・・・っと、身体に手を回してしがみ付いてくるフェンリルの頭をよしよし・・・と、撫でながら、シドはフェンリルの目線に合わせようと屈む。 『怖い夢でも見たのかい?』 『・・・うん・・・。』 こくん・・・と、幼げに頷くフェンリルに、シドはじゃぁ・・・と呟いて、そっと立ち上がった。 『一緒に寝ようか?』 『え・・・良いの・・・?』 『良いわけあるかーーーーッッ!!』
すっかり存在を忘れられていた兄が吠えた。
『あ、バド居たんだ。』 どこか残念そうに呟いたフェンリルに、バドは怒髪天を付く思いで、ビシィっとフェンリルを指差して言い放つ。 『貴様、いい加減にしろよ!シドの清らな心に付け込んでナニをする気だ!?』 『ナニって・・・。』 突然吹っかけられたバドの因縁に、きょとんとするフェンリル。 『えぇい!貴様を見くびりすぎていた俺も愚かだった!しかし今後はそうはいかんぞ!!シドに手を出そうと言うのならば、この俺を・・・!』 『兄さんっ!何言ってんですか!!』 今度は、顔を真っ赤にした弟が叫ぶ。 『フェンリルはまだ子供なのですよ!?』 『だからと言って、二人きりになぞ出来るか馬鹿者!』 終いには喧々囂々とまくし立てる双子。 近所迷惑甚だしい行為だったが、二人とも頭に血が上っているため、そこまで気が回っていない。 『あのさ・・・。』 そんなやり取りを見守っていたフェンリルが、おずおずと口を開く。 『ゴメン、シド・・・。折角バドと二人で兄弟の時間を過ごしていたのに、俺が来たから喧嘩になっちゃって・・・。』 頭を項垂れたフェンリルに、シドは慌てて取り成す。 『違うよ、フェンリル。君は全然気にすること無いからね!』 『でも・・・。』 『じゃあこうしようか・・・。』
「そうしてあのクソ狭いベッドの中、三人川の字になって寝たんだぞ!?仲良し親子でもあるまいし。第一俺達にはあんな大きな子供はいらん・・・云々云々・・・。」 「・・・そうか・・・、それは災難だったな・・・;」 そうとしか言いようが無いミーメ。 むしろ災難を被っているのは、異世界住民体験談を延々と語って聞かされた己の方なのだが。 まぁ、それが彼の選んだ道だというならば何も言うべき事は無いのだが。 「はーっ!さっぱりしたぁw・・・って、あれ?」 「今度からはちゃんと一人で洗えるように・・・、って兄さん・・・とミーメ?」 ホコホコと湯気を立てて出て来たフェンリルの髪をがしがしとタオルで拭いながら後に続いたシドが、兄とその親友の姿に目を丸くする。 ここ数日、眉間に皺が寄っている兄が、長椅子から立ち上がりずんずんと二人の方へと向かっていく。 「シド!お前も疲れているんだから早く休め!」 「ちょ・・・兄さん・・・痛いですって!」 ギュッと手首を引っつかまれてズルズルと引きずられていくシドと、後ろを振り向き、自分を威嚇するように鋭い眼光を飛ばしてくる彼の兄の姿を、フェンリルは、むーっとした表情で見つめていた。 「なぁ・・・、一つ聞いていいか?」 「ん?何?」 同じく取り残された・・・と言うか、しばらく親友と距離を置こうかと考えていたミーメは、長椅子に腰掛けながら、斜め向かいにいるフェンリルに訊ねる。 「どうしてフェンリル家を再興しようと思ったのだ?」 「・・・・っ!」 「答えたくなければ答えなくても良い。ただ、君はそんなものを復興させなくても、充分幸せだろうと思ってな。」 張り詰めた空気を和らげる為、言葉を繋げたミーメにフェンリルは逡巡するでもなく口を開いた。 「ギング達を見捨てるつもりは無い・・・。死ぬまで一緒にいると誓ったんだ・・・。ただ・・・。」 「・・・・・。」 「ちゃんとした形を一つでも証明しないと、きっと相手にしてくれないと思う・・・。たとえ叶わなくても良いんだ。きちんとやるべき事をやり遂げてからじゃないときっと・・・。」
ポンっ 不意にミーメの掌が、フェンリルの濡れた銀髪に置かれる。 「まぁ、頑張ることだな。」 「い、言われなくても頑張るさっ!」 少しばかり照れた狼少年は、肩に下がっているタオルで後ろ髪を包んで、自室へ戻る為大足で歩き始める。
その後ろ姿を見送りながら、ミーメはやれやれとばかりに苦笑した。
どうやら君達の子供が望むのは、親子関係では無いそうだぞ? 万が一の時は、精々愚痴でも聞いてやるが、そうならないと良いがな。
バド。
戻ります。
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