「兄さん｡」
時刻は2月8日の日付を周ったばかりの深夜｡
パチパチと暖炉の炎と､普段よりやや明るめな部屋の照明が灯る夜､仕事終わりの身体をくつろいでいたバドの部屋に､上質の赤ワインと二人分のグラスを持って参上した双子の弟の声と姿を認めた彼は早く入れと促すために寝台の上から身体を起こし上げる｡
「待ちましたか？」
「ほぼ時間通り･･･だな｡」
待ちわびたとばかりに､この日に尋ねてくるであろう訪問者を出迎える為に既に準備は終えていた､ささやかな祝事の小さな会場となる部屋の中には､小さなナイトテーブル､その上に1本で10と見立てる蝋燭が2本と普通に数どおりに数えるための蝋燭が数本､アンティーク燭台に挿されており､その炎は揺ら揺らと揺らめいている｡
「一応今の今まで冷やしていたから､温くはなっていないと思うが･･･｡」
「こういう時は､凍気が使えて良かったという気もしないでもないですよ｡」
「良いのかなぁ･･･？」
自分の分と弟の分､一人用にカッティングされている苺のショートケーキを見つめながら､間の抜けたようにうーん･･･と考え込みながら､テーブルを挟んで向かいに座る兄を見てシドは笑いながらグラスを差し出した｡
「おっと･･･｡」
慌てたように逆さにされたグラスを受け取って､そのままシドの方へと差し出すと､トクトクと注がれていく｡
一通り注いだ後､今度はバドがシドのグラスの中へと静かにその紅い液体を注いで行くのを､ただ静かに燃えるキャンドルの炎が揺らめきながら見守っている｡

「お誕生日､おめでとうございます｡」
「ありがと｡」

カチン･･･と小さく打ち鳴らされるグラスとグラス｡
一口二口双子は口付けてその祝い酒を堪能すると､バドはおもむろに､ふっと大き目の蝋燭の内一本を吹き消した｡
「お先に｡」
「ええ｡」
時間的にはまだ生まれていないのだが､今日一日だけ１つの年の差が生じることに何となく誇らしげに顔をほころばす兄に､シドはどこと無く苦笑しながら､バースデーケーキに手を付けていく｡

双子でありながら若干の年の差が生まれる日｡それは二人の誕生日｡
寒さが厳しいアスガルドで最も冷え込む2月の8日の終わりと2月の9日の始まりを挟んで二人は産まれ､そして長きに渡る隔たりの道を歩むこととなる｡
その道は9の灯火を数えるまでは二人はそれぞれに幸せな道を歩んでいたが､ 10の蝋燭が灯されてからの道は､その炎の明るさは前どころか足元も照らさず､深く暗き道のりを進む事を余儀なくされた｡
兄は深く運命と弟を呪い､弟は兄の不遇を強いているのが他ならぬ自分自身と知り深く涕し､互いに産まれた日を拒絶しながら生きてきた｡
20の灯火を数え終え､そして迎えたかつての聖戦の終焉の間際までは･･･｡

『今までの俺を許して欲しい｡』
死の淵を微睡んでいたのが嘘の様に授けられた新たな､この手でかき消してやろうと思っていた炎が再び､しかしバドにとって見れば生まれて初めて目にする生命の灯りの前で､彼は詫びた｡
消え逝くあの刹那の瞬間に感じ取ったのは己が過ち故に失うことになった半身への深い愛情と後悔｡
やり直せるならば､気の遠くなる程の長い時を経てでも待つ覚悟は出来ていた｡しかしそれを待たずに甦ることが出来た今､すべき事は唯一つ｡
『･･･顔を上げて下さい･･･｡兄､さん｡』
甦ったばかりで白いゆったりとした衣服の下から除く怪我の跡を示す包帯を痛々しく除かせて､ベッドの上で横たわるシドの兄と呼ぶ声はぎこちなかったものの､今際に絞り出すようなそれではなく滑らかに耳に響いていく｡
『許す事など何もありません･･･｡』
ためらいがちに放たれた言葉の前に､思わず弾かれたようにバドは面を上げるが､しかしシドは静かに首を横に振った｡
『私にはあなたを恨むことなど何一つ無いからです｡』

兄の憎しみ・悲しみ・怒りは当然のものだとずっと思っていた｡
私さえ生まれてこなければ･･･彼の存在を知ったその日から思わないことは無かった｡
だからあの邂逅の時､全て終わらせられるそのことがどんなに嬉しく思ったか｡貴方の存在を知って初めて生きてきた価値を見出せたのだ｡
『どうしてあなたが謝るのですか？私の方があなたにとって･･･｡』
『それ以上言わないでくれ･･･｡頼む｡』
弟の口からさも当然とばかりに紡がれようとする言葉を､バドはシドの肩口に顔を埋め､涙を流しながら止める｡
当てこすりなどではない､そう本気で彼に思わせてしまうほどに歪んだ感情を孕んでいた己｡生まれたことに歓びを見出せないでいる､互いに長く険しかった道のり｡

ならば･･･｡
新たに授かったこの生命は､シドと自分にとって生まれてきたことの歓びを取り戻すために生きよう｡
お互い自分の命を軽んじないがために､二人､生まれてきた日を噛み締めるように互いに祝おう｡

そうすることを､ぜひお前に許して欲しい｡

今はまだ､その身体の傷よりも深く負った心の傷を取り除く事から始めよう――･･･｡

他愛の無い話を交わしながら､ただ特別な事も何も無く､緩やかに流れる時間に身を任せる｡
思ったよりもこのケーキは甘さが控えめだとバドが言えば､シドは少し首をかしげそうですか？と不思議そうに兄を見つめ､少し急ピッチでボトルを開けたため､弟が顔をほんのりと朱にしてちょっと気だるそうにしていればバドがそれ以上飲むなと釘を刺し､大丈夫ですからとまたシドが笑う｡

本当に､ただそれだけの他愛の無い時間なのにこの上なく満たされる時間が､生まれたときは悲しみに包まれていたなど嘘の様に双子の周りを包んでいる｡
憎しみが全ての原動だったここ１０年間･･･それを全否定するつもりなど無い｡B 彼を憎しみと不幸の底に突き落としてしまったと自責の念に駆られた１０年間･･･それは無かった事になど出来ない｡
そして､甦った直後､弟の傷の深さと､それに悲痛に沈んでいた事を無かった事になど出来はしないが､和らげることなら出来ると証明するかのように､今の双子達は心底自分たちが生まれてきた日を歓喜に想い､祝っている｡

共に生まれてくれてありがとう――･･･｡

本当は､プレゼントもキャンドルもケーキもいらなかったけど､ずっとこうして兄弟で祝すことに憧れていたというシドの言に従って祝い始めて何本目かの灯火が灯されて､そしてこれからも灯されていくのか､それが今のバドにとっては掛け替えの無い歓びであり､そして双子の弟への愛情を示す証でもあった｡

微妙に違うバージョンはこっちから｡