あなたがくれた誓い。私が見せる碧の世界。



目が痛くなるほど澄み切った碧の空から降り注ぐ日差しに反射して、キラキラと光る蒼の水面にヒルダはまぶしそうに目を細める。
その狭間にある景色・・・山々もまだ純白の雪化粧ではなく、ほんの一時の紅葉(くれは)の祝い化粧をその全面に施し、碧の空すれすれに飛んでいく鳥たちの今年最後になるであろう澄み切った鳴き声が耳に心地良く響いていく。
ほんの少しの恵みの季節に訪れる日差しとこの時期にしては柔らかい空気。
これから訪れる閉塞的で試練となる、でも、この恵みを忘れないため、感謝するために必要な季節に入る前触れ。
「・・・・・・・・・。」
アイスブルーの網膜にじっと焼き付けるように見開いて、空から贈られたふわりとした羽根をそっと包み込みながら、白い石造りの噴水の淵に白いその手が置かれている。

この不毛の北の大地ではなく、燦々と陽が灯り降る南の異国を求めて、神の封印を解き、8ものの尊い命を生贄と捧げてしまった愚かな日々。
あのときの自分を思い出すだけで今でも羞恥心にかられて消えてしまいたくなる。 この噴水で、妹姫とその幼馴染・・・そしていつも側らに控えていた彼と、来る筈の無いアスガルドの災厄に現れる神闘士について、そしてそれを憂いていた自分。

思わずぶるりと身震いが起こる。そして知らず、重ねられている羽根に置かれた手にも力が微かにこもる。
「・・・あ・・・。」
その刹那、不意に半歩下がった後ろからふわりと被せられる、涼やかなヒルダの装いを包み込むような暖色の少し厚めに織られている愛用のショールが掛けられた。
「あまり長くそこに居られると・・・風邪を召します。」
「あ、りがとうございます。」
気配も感じず、突如優しく掛けられたショールを素直に羽織り、ヒルダは首を少し後ろへと向けると、そこには変わらない笑みと忠誠を浮かべる伝説の勇者の字を持つ、騎士がいた。
「何時から・・・ここに?」
戦巫女に豹変してから培われた能力ではなく、祈りを生業とする聖巫女だからこそ他者の小宇宙を感じ取れる事のできるヒルダが気が付かないほどに突然、しかし何の違和感も無く付き添うジークフリートの手が、ほんの少しショール越しに触れたときに冷たいと思い問いかける。
「いえ・・・たった今来たばかりで・・・。」
「そうですか・・・。」
ごつごつとした両手が、寒さを拭うように微かに擦り合わせられるのを見て見ぬふりをしたヒルダは、ふんわりと微笑みながら、その両手を自らの両手で包み込んだ。
途端真っ赤になってうろたえかけるジークフリートだが、その表情を見る前に、ヒルダは俯いた。
「ヒルダ、様・・・?」
「ごめんなさい・・・。」
「は・・・?」
前触れなくか細い声で謝罪するヒルダに、一体何のことだろうと思った瞬間、ぽた・・・と熱い雫が一滴重なる掌に落ちる。
「この場所で、あなたに言った事を思い出していました・・・。」
「私に・・・?」
「戦いなど・・・災いなど起こらないことを祈ると私はあなたに言ったのに・・・。あなたの前で、アスガルドの平和を祈ると言ったのに・・・。」
結果的に争いを起こしてしまったのは自分。
彼を死地に赴かせてしまったのも自分。
妹を悲しませ、神闘士として選んだ者達を利用し、踏みつけるようにして命を弄んでしまったのも自分。
そのことについて胸が潰れるほど今の様に涙を零しながら、甦った神闘士達に謝罪をしていたのはジークフリートの胸の中には新しい出来事だった。
「ヒルダ様・・・あれは仕方の無いことだったのです・・・もう自分を責めるのはおやめ下さい・・・。」
「っく・・っ、う・・・っく、ジーク・・・。」
小さな肩を震わせて嗚咽を漏らすこの少女をためらいも無く抱き寄せる事は、聖戦を経てもまだ勇者にとってはおいそれと出来ない。
でも、あの日にヒルダの言った言葉には偽りなど無かった事、そしてたった一人でアスガルドの平和を祈り続けて、どんなに負担がかかろうと泣き言など言わなかった彼女を思い返すと、今、こうしてこの胸を貸している・・・それだけで充分に満たされる。
「ヒルダ様・・・。どうしてもお気が済まないとこの私に申されるのならば、一つわがままをお聞き入られますか・・・?」
「っ・・・はい・・・っ」
しゃくり上げていた顔を離され、蒼に潤む瞳で見上げられるヒルダを見て、赤らむ顔を隠すように跪いたジークフリート。
冷たい騎士の手が、たおやかな白い聖女の手を取り、火照りを一瞬で静めた顔を上げて、真剣な眼差しを主に向ける。
「これからも・・・このアスガルドと、そしてあなたをお護りすることを・・・ヘルへと赴く覚悟ではなく、この“ジークフリート”の名に掛けて、あなたとアスガルドに勝利と平和を齎すことをお許し下さい・・・。」
「っ・・・。それでは今までと同じ・・・。」
「同じではありません。地獄へと堕ちる覚悟と、真にあなたをお守りし勝利へと導く覚悟は違います・・・。お許し願えませぬか?」
少しだけ眉を下げた状態で見上げるジークフリートに、涙の余韻では誤魔化しきれない紅を顔に上らせるヒルダだが、逆光に遮られているため、ジークフリートは恐らく気が付いては居ない。
「・・・許します・・・。でもこれだけは約束下さいませ。」
「・・・はい。」
結局許す許さないの問題ではない、起こってしまった過ちを、痛みを、彼女が真っ直ぐ前を向いて歩いていくための痛み止めのための約束。
それでも構わないとジークフリートは強く変わらず思う。
彼女は神の代行者であり、聖女である以前に生身の人間の少女なのだ。
叶わない想いではあっても、彼が護りたいと全ての意味で捉えられることのできる一人の少女だ。
そんな彼女を想い、吐き出す弱さを受け止められるのならば幾らでも約束は交わそう。そして必ずや守ろう。

真の約束とは破られる為にあるのではない、必ずや果たす誓いと同じ位置にあるものなのだから。




ヒルダの言葉がジークフリートに告げられる最中、噴水の淵に置かれた羽根が、突如風にさらわれた。
一片の羽根は、当ても無い、だが優しく吹く風と共に自由に弧を描きながら舞い踊っていく。
どこまでも碧い空と、全てを受け止める優しい大地が横たわる、この平和なアスガルドを自由に、思うが侭に。




――・・・もう二度と・・・、藍色のビロードの天の上からなど私を見守らないで。この地上で、碧の空の下、生きて近くで見守っていて・・・――。




ヒルダのジークフリートに囁かれた唯一無二の約束を現した言霊を、その軽やかな身に乗せながら――・・・。





BGM:約束の地(碧の大地-アヲノダイチ-/新興宗教楽団NoGoD)