恵みの唄:最初から取得。主に味方の心を癒す彼女の最初にして最大の奥義。



雪解けの季節の北の国。
大地に覆いかぶさった白いドレスを緩やかに脱がそうと、春の日差しが紳士の手つきの如く爛々と降り注いではいるが、はにかみ屋の淑女である大地の味方をするように、冬の精霊たちは天を味方につけて、あっという間にその青空を灰色の雲で覆い、溶かしかけた雪の衣をせっせとまた羽織らせる攻防が繰り広げられるのは、ここアスガルドでも毎年の事であったが、今日は春の精が勝利したのか、降り積もっていた雪は相変わらずではあるが、空は真っ青に穢れの一点も無くどこまでも続いていた。
その空と大地の狭間の中、白いドレスの裾を優美に翻しながら、しゃなりしゃなりと歩くよりも、本能のままに駆け出していくはつらつさが似合う少女が一人、更に鮮やかな景色に彩を彩らせながら、頬を紅潮しながら時折くるくると回りながら嬉しさに頬を紅潮させて現れる。
「わぁー・・・」
冷たさと、日差しの温かさに丁度いい具合にブレンドされた凛とした空気を胸いっぱいに吸い込んで、六花の下にうっすらと見え始めている碧の素肌に色づく野の花よりも尚輝く、豊かな金髪を陽に煌めかせながら、両手をうーんと上に上げるのは、このアスガルドを治める地上代行者ヒルダの妹君であるフレア姫だった。
「あ・・・いけない。」
この場にもし姉や、幼馴染の彼が居たならば少しは慎みを覚えるようにと諫められるようにと言われる事、そしてここがワルハラ宮の広い庭園の一部である事を思い出して、もしかしてどこかで誰かに見られているかもしれないことを念頭に置いて、慌ててフレアは佇まいを整える。
とは言っても、気取って散策するにはあまりにも勿体無い青天。春の精霊がもたらしたサプライズプレゼント。
さくさくと足跡を刻みながら聞こえて来るのは、近衛隊達の訓練中の号令、・・・その中にずっと一緒だった、彼の姿があるかと想うとひとりでに笑みが浮んでくる。
その笑顔のままくるりと振り返ると、荘厳に聳え立つ住まいであるワルハラ宮殿の一際見晴らしの良いバルコニー・・・そこにいるのは穏やかな笑みを浮かべながら、慈愛の小宇宙を持ってアスガルドの平和への祈りを捧げる姉・ヒルダの姿が小さく見える。 すこぶる目のいいフレアは思わず先ほどの逡巡は何処へやら、大きく片手だけではあるがぶんぶんと振り回すと、ヒルダもまた視力は良く、そんな妹に苦笑しながらも静かに片手を上げて応えてくれた。
「ふふっ♪」
何もかもが新鮮で心地良いそんな季節、そんな時間。様々な息吹がその耳に入り込んでくる。
時折少々冷たい風が、薔薇色のフレアの頬を掠めていくが、その冷たさにさえ優しさを感じるのは、自らの心が氷解したからだろうか。



“フレアはこの祖国を恨めしく思うことがあるのです――・・・。”
白銀の大地と灰色の空の境目には、寒々とした景色しか見えなかった、何も知らない平和を過ごしてきたころ、全てを判ってくれていた幼馴染のハーゲンにそう恥かしいとも思わずに零していた冬の頃。
それでも自分自身が何も不自由も無く、そして平穏に暮らしてこれた事への感謝の気持ちなど感じることも出来なかったほど幼かった。
“あれを御覧なさい。フレア・・・”
幼馴染にどうにもならないわがままをぶつけていることを優しく諫めるように静々と宮殿から出て来たヒルダに指をさされるまま、見つめた先には薄桃色の小さき野の花。
その時は、気難しい雪の女王の支配化の下で息づく小さな生命の燈りに感謝したのも束の間、また鬱々とした雪の精霊が訪れる度、小さく小さく些細な命が息づいている事など忘れて・・・ただただこの季節が去ることを願っていた。
姉ヒルダの主神に魅入られた者として課せられた祈りの意味、それが報われる事も無く延々と繰り返される無情も漠然とは知っていても全てを知ろうとすることは無かった。
本当の意味で知ったのは、ヒルダが堕ち、ただ耐えるだけのアスガルドが迎えた落日を示す、痛ましい記憶の聖戦であった。
八人の神闘士たちが命を落とし、己の弱さに目を背けず涙に濡れながらも、出現したバルムングの剣を自分の血に浸しながら翳し、オーディーンの小宇宙と同化して放たれた祈り。
そのあまりの神々しさ、気高さ、清らかさ・・・それこそがアスガルドを始めとする世界を支え、そして今の今までアスガルドの民達が笑ってこられた源であり、そして自分が安心して、この国の冬の厳しさを嘆いていられたこと、年のそう変わらぬヒルダが背負う重さに今ようやく気が付き始めていた。
それに気が付く事のできた年、自らも姉の支えになりたいと心底思えるようになって初めての冬の訪れに、もうさほど前の様にふさぎこむ事は無く、そしてこの冬の終わりと春の訪れのこの季節が、こんなにも眩く感じたことなども無く。




~♪~~♪~~~♪♪




薄い肉付きの、薄紅を差す唇から、そのきらめきの素晴らしさのまま感極まった彼女が作った即興の歌が自然と紡がれていく。 最初は吐息の様なその歌声が、澄んだ空を羽ばたく鳥たちの耳に届き、可憐な鳴き声がハーモニーとなり、それにつられるようにその声はヒルダとはまた違う、生きる源となりうるそれになって放たれていく。
拡声器など無くとも、遮蔽物の無いアスガルドの自然全てがその木魂を受け止めて、ワルハラに住まうものの耳に微かに届き、そしてそれは自然とヒルダの耳に届き、自然と笑みを零れさせた。
「全くあの子と来たら・・・。」
幾度と無く妹の歌を聴いてきたヒルダの耳にさえ届くのは、今まで聞いたことがない程澄んでいて、そして心の底から嬉しさを滲ませているそんな音程だった。
「即興で歌っているのでしょうか?」
ごくごく当然の様に側らに控えているジークフリートが尋ねると、ヒルダは苦笑しつつもそれでも穏やかな笑みを浮かべたままで、半歩後ろにいる彼を振り返って答えた。
「ええ。恐らくは・・・。」
「いずれはミーメと一緒にユニットを結成してデビューするとか言い出しかねないですね・・・。」
「ふふっ、それもいいかも知れませんね。」
半ば本気半分のジークフリートの言葉を、こちらも半ば本気でそれも良いと相槌を打ちながら、そろそろオーディーンの台座にて出向く時間を告げに来た彼の持って来てくれた毛皮の外套を羽織りながら、まだ風が運ぶ妹の歌を耳にすると、今度は静かに瞳を伏せる。 自分は、アスガルドと民達の幸せと平和を支えている祈りを捧げる。
彼女の披露する歌声とその笑顔は、ともすれば折れそうだった自分の心を支えてくれる祈りの力に他ならない。



昔も、聖戦を経て新生アスガルドとなった今も、そしてこれから先も。



「では、参りましょうか。」
空の乙女達もフレアのソロコンサートに協力するように、灰色の雲を退けて、碧のスポットライトを当てている今の内に。
「はい、ヒルダ様。」
この二人の姉妹の笑顔、それが永久に今度こそ続くように、共に祈りをそっと捧げる為に。




報われない痛みなんて無い。
明けない夜など無い。
どんなに時間がかかっても、必ず新たな希望の唄が生まれてくる・・・。今度こそそれを信じながら、ワルハラ一の歌姫の歌声に見送られながら、ヒルダとジークフリートは白銀に覆われてはいても、穏やかで優しい碧(みどり)の大地にそれぞれの馬を走らせて行ったのだった。





BGM:導(碧の風-ミドリノカゼ-/新興宗教楽団NoGoD)