全てを統べる北極星の掌サイズの宝物



蒼の空に、碧の風がそよぐ季節は儚く短く、一年の大半を白銀と藍闇に覆われる、神の加護を受けし聖巫女がたった一人の祈りによって支えられる、奇跡の国アスガルド。
人々は神に愛された彼女を崇め、そしてその愛した神に祈りを捧げ、そしてひっそりと慎ましやかな暮らしを送る毎日を繰り返すものの、彼らはその他は全くの自由に行動できる。
鉄格子は嵌められてはいない物の、高さは独居房に相違なく感じる、しかし内部は精一杯の調度品で設えられた一室で、銀の真っ直ぐな髪を背中に流し、薄い青色の衣を纏った少女が一人、磨かれた窓の外から遠めで見て純白の羽根を広げて空を渡って行く鳥たちの群を見ていた。
冷たい掌を磨かれた硝子に押し付けて、そして小さな華奢な薄皮の足を窓枠に乗せて、内部に入り込んでくる寒さに微かに白い吐息を吐きながら、じっと食い入るように、アイスブルーの瞳はその群を追い続ける。

地上代行者に選ばれた、今代の聖巫女の名はヒルダ。
若く・・・と言うよりもまだ幼さの残る彼女は、オーディーンに選ばれて任命されてからは禊の身・・・より神の加護を受けるに相応しくなるために・・・であり、与えられた一室から気軽に出ることすら叶わない。
その間、山積みになった資料に目を通し、アスガルドの歴史を、先代、先々代、その先の代の巫女たちが書き残した書物に目を通し、神に愛されその声を聞き、顔の知らぬ民達を愛し、この国を想う・・・その力を付けるためのいわば修行の身であった。 その間、民達へのお目見えは別途として、決まった時間にしか誰であろうと面会は許されず、血の繋がった妹姫でも会う事は許されない。
時間の感覚が麻痺する中、丁度所業に挟まれた己の誕生した日が今日であることに気がついたヒルダと同時、控えめなノックが室内に響く。
「お姉様、私です。」
「フレア?!いけませんよ。今日の面会時間はとっくに・・・!」
こうした事を見越してか、常に自室の鍵を掛けているヒルダは、ガチャガチャと音を立てるフレアを改めて諫める為に慌てて扉の方に駆け寄っていく。
「でも、今日はお姉様のお誕生日なのに・・・!」
「いいえ、いけません。私は今修行中の身。これしきの事を乗越えなければ、地上代行者としての長き道のりを歩む資格はありはしません。」
「お姉様・・・。」
頑なに扉を開けないヒルダの耳に、悲しそうな妹の声に胸を痛める。
まだ少女である自分の妹のフレアは更に幼い少女なのだ。
姉の誕生日を祝いに来た・・・と言うよりも、日に決められた時間にしか会えない淋しさ、それを誕生日に託けて来たに相違ない。
特別な日だから、せめて大目に見てくれるかもしれない・・・そんなフレアの甘い期待にせめて今日だけは、自分自身への贈り物として答えてあげたかった。
でも、まだ修行あるその身で、軽々しくそれを破ってしまうのは自分自身が許せずに、そして見回りの人間がやって来ることも危惧して、せめて妹が怒られないように早く戻るように促そうとしたが、一歩遅く、見回り役に仰せつかった侍女の甲高い戒めの声と共に少し騒騒しい足音が近づいてきたと同時、フレアの駄々をこねる声が聞こえてくる。
『いや!嫌です!せめて今日はお姉様と一緒に』
『いけません!ヒルダ様は今がお大切な時なのです!』
『でも今日だってお姉様にとって大切な日なのよ!!』
たった一人の肉親が生まれたその日が大切な日で無ければいったい何を大切な日と言えよう、そんなフレアの気持ちも判らないでもない侍女はそのまま感情のまま叱り付けることが出来ず、言葉に詰まる。
「フレア・・・ありがとう。貴方のその気持ちだけで充分です。」
「でも・・・でも・・・!」
既に涙声になる妹に、必死に冷静さを装いつつも、身体は扉にもたれ掛かれながらヒルダはこれ以上妹を傷つけまいと懸命に言葉を見つけ、拾い、紡いでいく。
「フレア、よくお聞きなさい。貴方が言ってくれた大切な日・・・それはこれから長い長い間、この国の民全てが迎えられるような国にする為に、今日この日も修行に励まねばならないのです・・・。この修行を終えなければ私はずっと未熟のままの地上代行者でずっとこの部屋から出られないのですよ?」
「え・・・。」
「そうなれば来年もそのまた先も、ずーーーーーーっと先も私はフレアに祝ってもらえないし、フレアのお誕生日も私は祝えませんのよ?」
「そんな・・・!」
半ば脅しにも近い自分の言葉に別の意味で涙目になったような声のフレアに、少しばかり苦笑するものの、胸を刺す罪悪感の方が勝るヒルダは軽く目を伏せる。
「だからお願い。私が早く一人前になるようにフレアが一生懸命お祈りして下さいね。」
それが私にとっての最高の誕生日プレゼントだから・・・と、最後は消え入りそうな声で紡いだ一瞬後、侍女の、さ・・フレア様・・・と促す声を最後に扉の向こうからは一切の気配も消えた。

「・・・・・・・・・。」
注意深く辺りを見回して、もう誰も居ないと判断して、ヒルダはゆっくりとドアノブを回す。
昼でも尚薄暗い廊下に、愛すべき妹の姿はもう見えないが、ふと扉の前に置き去られているそれを、しゃがみ込んでそっと両手で持ち上げた。
「ありがとう・・・フレア。」
ヒルダの手の中に在る、フレアのお気に入りのグラスの底にひしめき合っている碧いビー玉達、その中あるのは彼女が大好きな、薄桃色の四枚が特徴的な可憐な花が所狭しと生けてあった。


今が一番淋しくて、今日が一番寂しい誕生日であっても、
きっとこれから先に報われるから・・・そう胸に誓いを新たにしたヒルダは、そのグラスを机の上に置き、そして思いっきり窓際のカーテンを閉じて、神の加護を早く一身に受けられるようにとその日の修行を再開する。



それがきっかけで早々に神の声を聞けるようになったのだとフレアが聞くのは、全ての苦しみが終わり、真の平和が訪れたアスガルドで、誕生日後の姉妹水入らずの語らいの際、毎年の恒例事項となったのである。



BGM:アトリア/新興宗教楽団NoGoD