地獄へ堕ちた猗窩座と童磨の話②
『とっととくたばれクソ野郎』
痛み分けとなった蟲柱・胡蝶しのぶの言葉が引き金となったのか、童磨の首を支えていた掌はパッと消え、再び奈落へと堕ちていった。
(ひどいなぁ、しのぶちゃん)
生まれて初めての胸のときめきのまま、正直に想いを伝えたのにこの仕打ち。
それでも童磨はこの期に及んでも自分のことが可哀想だとも地獄へ行くのが恐ろしいとも思わなかった。
それどころか、あれほどまでに感じた胸の高鳴りがどんどん落下するごとに消えていくことの方が焦燥感を募らせる。
(えー…、あれだけ強く感じたのに、もう消えちゃうのかなぁ)
死してようやく手に入れたと思った感情の片鱗が、どんどん首の下から零れ落ちていく感覚。ようやく欲しいと思っていた”それ”を手に入れたと思った瞬間に取り上げられることも初めてで、落胆する気持ちが芽生えてくる。
(でも、できればこんな気持ちは知りたくなかったなぁ)
感情があることがさも尊いかのように、花柱の継子のあの娘は言っていた。
でも全然そんなことはない。
これはきっと失望の中でも軽い方なのだろう。それでも今はない心臓にキリキリと食い込む螺子のような不快感は、知らないままの方がきっと良いものだと童磨は思った。
(ああ、もう何もかも面倒くさいや)
どこまでもどこまでも堕ちていくその感覚は、百年以上前に手放した睡魔を童磨に思い起こさせた。



花闇獄での邂逅録

どれだけ落下していったのか、それとも今自分は眠っているのか。それすらも麻痺するほどにひたすら堕ち続けていた童磨の首は、何の前触れもなく着地した。 それも地面に叩きつけられるようなものではなく、とすん、といった軽やかな擬音が聞こえてくるような衝撃の無さでもって。 首元から伝わってくる感覚はまた誰かの掌の上のようだ。 ごつりとした皮膚にひんやりとした体温は、不意に童磨の今はない胸に非道くなつかしさを抱かせる。 (あ…) ゆるゆると目を開けると、思い描いた人物が己の首を持ったまま佇んでいる。 「やあ、猗窩座殿」 久しく働かせていなかった声帯を動かし、童磨はかつての上弦の参の名を呼んだ。 きっとこのつれない鬼は、虫唾が走ると言わんばかりに顔をしかめ、そのまま己の首を投げ捨てるだろう。ましてや今は身体すらない状態だ。もしかしたら頭を握りつぶされるかもしれない。それでも構わなかった。 「しのぶちゃんの次は猗窩座殿かぁ…ふふ」 猗窩座がその手を振りかぶれば次はどこへ行くのだろうか?蟲柱のあの子が言ったように、無惨様がやられていたら会えるかもしれない。でもその前に黒死牟殿も来ているはずだから彼にも会えたらいい。そんなことを考えながら童磨はくふりと笑う。 だが、一向に猗窩座は己の首を手放そうとはしない。それどころかまじまじと真正面から、ひび割れた湖面の色と向日葵色の瞳でじっとこちらを見据えている。 「なあ」 「んー?」 早くしてくれないかな?もう行く気持ちになっているのだからと、再び訪れ始めた微睡みに身を任せるように童磨の虹色の瞳は徐々に閉じていく。 「…しのぶちゃんとやらにお前はやられたのか?」 「!」 予期せぬ猗窩座の声に童磨の虹色の瞳は驚きのあまり大きく見開かれた。 だって近寄っただけで顔を吹き飛ばしていた猗窩座が、自分から話しかけてきてくれたのだ。会話をする気になってくれた。突如として起きた出来事に、童磨の脳は一気に覚醒し、かつての饒舌さを取り戻し始めていく。 「うん、そうなんだ猗窩座殿!!しのぶちゃんの”毒”は凄かったんだ!ああも完膚なきまでにやられるといっそ清々しい気分だよ。それでね、しのぶちゃんがね…」 こんなに高揚した気分になったのは初めてだった。それこそ、今話題に出しているしのぶと死後対峙した時とは比べ物にならないほどに。 だが、そんな自分とは裏腹に、猗窩座の顔つきは険しいままだ。 まるで己を通してどこか遠くを見ているような、何かを悔いるような眼差し。 どこを見ているんだい?猗窩座殿。 俺はようやっとあなたと話せるこの時間が何よりも嬉しいのに。 つれないところもあなたの魅力だけれど、そんな顔しないで。 ちゃんと俺を見て。 「猗窩座殿、聞いてるかい?」 思わずぷくーっと頬を膨らませてしまう。話をしているのに聞いてもらえないことに、ほんの少しの面白く無さを感じてしまったそのことに、事実童磨は驚いていた。 面白くないって、どういうこと? だって俺はずっと弱い人々の話を聞いていたのに。 飽くことなくつまらない身の上話を聞いた上で救いを求める声に答えて、それが使命だと思っていたのに。 なのにどうして、俺は猗窩座殿に自分がやられたことを嬉々として話していて、それを聞いてもらえないということに落胆しているのだろう? 「…ああ、聞いている。凄かったんだなしのぶちゃんとやらは」 「うん!そうなんだ! それで俺はね、生まれて初めて心臓が脈打つのを感じたんだ」 そして、どうしてこんなにも今、心臓が脈打つのを感じるのだろう。 話の流れで確かに心臓が脈打つのをあの蟲柱の子に対して感じた。でもそれは、手放された瞬間に夢幻のように消えていった。 でも、今、確かにどくどくとうるさいくらいに無い筈の心臓が脈打つのを感じている。 これは何? どうしてこんなにも胸が高鳴る?? 猗窩座殿の掌に包まれて、話を聞いてもらえることがこんなにも嬉しくて。 今まで色々な女の子とお喋りをしてきたけれど、それ以上に楽しくて嬉しくて、ずっとこの時間が続けばいいのにと心からそう思う。 何だろう、何だろう。 この気持ちは一体どこから来ているのだろう? 「これが恋というやつなのかなぁ? ふふ」 恋。 そうなのかな? でも、猗窩座殿とならそれもいいかな。 だってどうせ人の道から逸れて百年以上も生きてきた。 そこに親友に恋心を抱いたところで、罪状が一つ増えるだけだ。 「いや、違うな」 「即答!?」 しかしすげなく当の本人からバッサリ否定されてしまった。 それと同時、蟲柱のあの子に罵られたときには全く感じなかった、つっかえたような胸の痛みがじわじわと広がっていく。 それは、先に奈落に堕ちていく際にすりぬけていったものとは比較にならないほどの熱量を持っていて、きっと今、再び奈落へどこまでも堕ちていっても消え去るものではないと童磨は確信した。 だけど、他ならない猗窩座から与えられたものならば、それでもいいと思えた。 むしろ手放したくない、取り上げられたくないと切に願った。 きっとこれが、欲しかったものだったのだと、心からそう感じた。 「恋よりもまず親友を作るところからお前は始めろ」 「え…?」 「親友、なのだろ?俺はお前の」 柔らかく微笑まれて言われたその言葉に、今、感じていた気持ちはたちまち甘く柔らかいものへと変わり、心に広がっていく。 「猗窩座殿…!」 恋じゃなくたっていい。 親友からだっていい。 あなたが笑って、こちらを見て、話しかけてくれる。 多分、恐らく。 それだけで俺は良かったんだろう。 目の中が熱くなり、とめどなく溢れてくる涙は、今までとは違って自分の意志で抑えられない。 嬉しいのか悲しいのかそれとも別の気持ちなのか、自分でも追い付かない生まれて初めて覚えた感情のまま流れる童磨の涙は、猗窩座の唇によってそっと吸い込まれていった。

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BGM:花闇

どまさんの感情は果たして本当になかったのか。かなり解釈が分かれるところだと思います。
私の中ではうっすらと息づいてはいたものの、神の子であることを周りから求められていた結果、童磨本人としての感情は徐々に磨り減っていき、感じにくくなった。
それでも皆と仲良くしたいという気持ちから、なかなか自分になびかない猗窩座殿に引っかかるものはあったとしても、彼がそれ以上寄せ付けることをよしとしなかったため、どまさんはそれ以上踏み込むことは出来なかった。基本的に彼は来るもの拒まず去るもの追わずの精神だと思ってるので。

だけどこの度地獄へ堕ちた際、猗窩座が思いの外話を聞いてくれて自分を親友と言ってくれたおかげで、彼の秘めたる感情がぶわっと湧き出てきたというのが私の解釈です。

2022/02/03




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