夏祭りの喧騒が徐々に薄れる帰り道。虫の音が鳴り響く中で、猗窩座は童磨を抱き上げて歩いていた。 柔らかな体を包むのは朝顔の柄の浴衣。白橡色の髪はふんわりとしたシニョンでまとめられている。 首に回された両腕は、普段は遠慮なく首を絞める勢いで抱き着いてくる力強さが嘘のように華奢だった。 「あの、猗窩座殿…」 「…なんだ?」 「その、重くないかい?」 躊躇いがちに尋ねる声に猗窩座はふん、と軽く唇を尖らせる。 「お前なぞ、うまい棒の重さにも満たない」 ぶっきらぼうに答える猗窩座に、小さく苦笑してそっか…と返した童磨は、おとなしく恋人の腕に抱かれるがままになっている。 「…お前の方こそ」 「え? 何だい?」 「傷は、どうだ?」 首に回された腕から伸びる手の内の片方には、夏祭りの最中に履いていた草履があり、右足の小指…丁度鼻緒が当たる部分に擦り傷が拵られている。 「あ、うん、今は楽になったし大丈夫だよ」 静かにそう返した童磨の肩を抱く猗窩座の手に知らず力が込められた。 *** 猗窩座と童磨は所謂恋人同士である。 その関係性は、初心なところがある猗窩座を童磨が掌でコロコロと転がすようにおちょくりながら愛でていて、その一挙一動に猗窩座がムキになって反応するのを更に童磨が楽しんでいるという感じだ。 なので、花火大会が目玉である本日の夏祭りに対しても、『期待しててくれよ?猗窩座殿』と悪戯っぽく笑いながら告げた童磨に、内心はドキドキしながらもお前に期待することなど何もないとそっけなく猗窩座は返答した。 だが実際のところ、待ち合わせ場所に背後から現れた恋人に柔らかな胸を押し付けられ硬直した猗窩座が恐る恐る後ろを振り向くと、豊満な肢体を更に艶めかせる朝顔の浴衣とそれに合わせたようにまとめられた髪型は、普段は隠されていうなじや首筋を露出させ、匂い立つような色香を醸し出していた。 俺はこれから忍耐力を試されるのか…とスペース猗窩座となった自分をあおるように、早速行こうではないかと腕を組んでさらに胸を押し付ける童磨を肘でぐいっと押しのけた猗窩座を誰も責められないであろう。 チェーッと唇を尖らせつつも、『じゃあこれくらいで許そう、俺は優しいからな♪』と猗窩座の人差し指と中指を取って絡めさせたが、意外にも猗窩座はそれを振りほどかず、好きにしろと一言呟いた。 その後ろ姿を見て、夏という季節以外の熱さを持った耳の赤味を確認した童磨はニコーッと笑い、夏祭りの喧騒を猗窩座と共に楽しむことにした。 (…っつ) 出店の料理に舌鼓を打ち、チョコバナナをちょっと色っぽく食べながら猗窩座をからかったり、射的やヨーヨー釣りの催し物を冷やかしたりし、途中までは順調だった。 だが、慣れない履物のせいで右足に痛みを覚えており、今の今までどうにかこらえていたものの、メインの花火大会までの間までは…と放置した結果、少々歩くのがキツイ状態になっていた。 「?どうした?」 「あ、あー…ごめんよ猗窩座殿。ちょっとお手洗いに行きたくて…」 足が擦れて痛い、とは童磨は言わなかった。 塩対応な猗窩座だがなんだかんだで自分に惚れている彼は根っこが優しいのだ。 ケガをしていると知ったら、それに気が付かなかった自分が悪いと己の未熟さを責めて、悔しそうな顔をさせてしまう。 楽しい祭りの夜にそんな顔はさせたくない。 「まったく…あんなにばかすか飲み食いするからだ」 「えぇー?あれくらい俺にとっては普通だよぉ」 猗窩座殿ってばデリカシーがないなぁと笑う童磨に、それをお前が言うなと軽く頬をつねってくる恋人の呆れたような笑顔。 「先に会場に行ってて。すぐ行くから」 「む…」 飲み食いしすぎておなかの調子がおかしいと思っている猗窩座は、流石に付いて行くのは憚れたのか、童磨の提案に分かったとだけ返す。 幾分人通りが少なくなった道を少し遡り、御手洗場所を看板で確認し、ずきずきと痛み出した足をかばうように脇道へと入る。 (あった) 視線の少し先に時計塔のようなデザインの瀟洒なトイレを見つけて、少し歩を早めたその時だった。 「どうしたの彼女~?迷子になったの?」 いかにも見た目がチャラついた男2人が背後から童磨に話しかけてくる。 「え、違うよ?」 迷子になったわけじゃない、ただ足を怪我しているので草履を脱いで確認したいだけだということをわざわざ言う必要はないので、端的に話を切り上げて、目的地に向かう。 「ちょ、せっかちだなぁ、もう少しお話しようよ」 とその時、手首をつかまれぐいっと引き寄せられるが、この時も別に童磨は危機感を感じてはいなかった。 「別に君たちと話すことなんか何もないよ」 囚われた手首をすげなく振り払った行動に流石にカチンときた男たちが、ちょっと待てよと語気を荒げて童磨の肩を掴んだ。 「え、なに」 「君さぁ、人の話聞かないってよく言われるでしょ?」 「別に? 聞き上手で話しやすいってよく言われるよ」 そんなつもりはないんだけどと笑いながら話す童磨に、元々短気な性格なのだろう男たちは段々といら立ちを隠そうとはしなくなっていった。 「お前人をコケにするのもいい加減にしろよ」 「別にコケにしてないよ、ただ俺は君たちと話すことは何もないってだけだから」 しかし相変わらずひょうひょうとした態度を取る童磨に、ついに堪忍袋の緒が切れた男は、ざっけんな!と叫びながら手を振り上げた。 (あ、殴られちゃう) 歩きづらいのに加えて顔に傷を作るのは流石に嫌だなぁ、猗窩座殿になんて言い訳しようかなとぼんやりと考えていた童磨の前で、不意に男が横に吹っ飛んだ。 「へ?」 「おい」 いきなり連れが目にも止まらない速さで横に飛んでいったという事実を処理しきれないナンパ男Bの身体が不意に宙に浮く。 幼さが残る顔立ちだがその表情は逆鱗に触れたことを示すように怒りに満ちており、上背が高い己の胸ぐらをつかんで持ち上げていることを、元々軽い脳みその持ち主であるナンパ男Bは理解できなかった。 「コイツに何しようとしてた?」 どすの利いた低い声で問いただす少年を見て、童磨の顔がぱあっと明るくなった。 「猗窩座殿!」 そんな童磨の声に一度振り向き、少しだけホッとした表情を見せたのもつかの間、再びナンパ男B…もとい不届き者に向き直り、ギリギリと胸ぐらを締め上げる。 「答えろ、誰に断ってコイツに手を出そうとしてた?」 「ひ、ひぃいいいいいいっ」 情けない悲鳴を上げて宙づりになった足から、ぱたぱたと何かがしたたり落ちる音と共に漂うアンモナイト臭に、これでもかと言わんばかりに猗窩座は顔をしかめて、そのままその不届き者…もとい汚物を投げ捨てた。 「ふん、弱者にはほとほと反吐が出る…!」 ぱんぱん、と手を軽く叩く猗窩座の姿に、虹色の瞳にくっきりハートマークが浮かんでいる童磨はそのまま抱き着こうとする、が。 「い、っつ」 「おい!どうした!?」 足に走る痛みにうずくまる童磨に猗窩座は慌てて肩に手をかける。 もしかしてすでに何かされた後だったのかと、額にビキリと太い血管を浮かべた猗窩座が今しがたのしたばかりの男二人に更なる制裁を加えようと動き出すのを童磨が慌てて止める。 「猗窩座殿、ちがう、俺、なにもされてない」 「だったら…」 そこで猗窩座は気づいた。童磨の右足にくっきりとした擦り傷ができているということを。 「ち…っ」 思ったよりも傷は深く、洗い流すだけでは傷の痛みは軽減しないだろう。 こんな時、人間の身体は脆弱だと思わずにはいられないが、今言っても仕方がない。 「ごめんねぇ、猗窩座殿…」 思った通り、悔しそうな顔をする猗窩座に童磨はへらりとした表情で謝った。 「謝るな。それよりも両足の草履を脱いで、手に持ってろ」 「へっ? う、うん」 猗窩座から突然そう言われ、半分は脱げかけていた草履を脱いで右手に持つ。 石畳の熱気が足元から伝わったのはほんの一瞬のこと。 「わぁっ!?」 童磨の身体は猗窩座によって姫抱きにされていた。 「あ、あかざどの…っ!」 いきなり何を!?いや、嬉しいんだけどもこんなのいきなりすぎるとじたばたする童磨に、少しムッとしたような猗窩座の両手が不意にパッと離される。 「ひゃっ!」 落とされる、瞬時に判断した童磨の両腕が猗窩座の首に回される。それを確認した猗窩座の両掌が、童磨の柔らかな身体をことさら強く抱き直した。 「こんな時くらい大人しくしてろ」 そっけない言葉だけれども間近で見る猗窩座の顔は少し赤く染まっていて、そんな彼の顔を見てしまった童磨の柔らかな頬も薄紅になり、まるで桜餅のようだった。 お互い気恥ずかしさから押し黙ってしまった静けさの中、猗窩座のスニーカーに踏まれた石畳の破片の音が小さく童磨の耳に届いていた。 *** 「あ…」 微かに聞こえてくるドーンという音に猗窩座の横顔を見つめていた童磨が微かに顔をあげる。すると、夜空を彩る花火が、建物と建物の間からわずかに目に入る。 「花火、一緒に見たかったねぇ…」 「見ているだろ?」 「うん、そうなんだけどねぇ」 鮮やかな火の華の全容はここでは見えない。本来ならば猗窩座と一緒に過ごした夏の思い出として残る時間だったはずなのに。 「別に今年見られなくても、来年も再来年も行けばいいだろう」 足を止めて体を反転させて共に花火を見ていた猗窩座が、残念そうにうつむきかけた彼女にぽつりとつぶやいた言葉に、童磨の虹色の瞳が見開かれる。 「?なんだ?」 「いや、その…ふふっ」 「一人で笑うな、気色が悪い」 プイっとそっぽを向いてしまう猗窩座に、怒らないでおくれよと自分の方を向き直させながら、それでも童磨の笑いは止まらなかった。 「いやね、やっぱり猗窩座殿と狛治殿は兄弟なんだなぁって」 「狛治?」 突然ここで何の脈絡もなく双子の兄の名前が出てきて、猗窩座は思わず聞き返す。 「うん、狛治殿も同じことを言っていたんだって恋雪ちゃんから聞いたんだ」 恋雪とは、猗窩座の双子の兄である狛治が結婚を前提にして付き合っている女子だ。そして無駄にコミュ力が高い童磨とも仲が良いのも猗窩座は知っている。 「去年の夏に体調を崩して花火大会に行けなくなった恋雪ちゃんに、狛治殿がそう言ってくれたって、凄く嬉しそうだったんだぁ」 そう言われてみれば、今年はどことなくいつもより嬉しそうに一緒に出掛けて行った未来の兄夫妻の姿を思い返す。と同時にこれ以上にないくらい猗窩座の顔は真っ赤になってしまった。 「んなっ…! 俺は別に、そういった意味で言ったわけじゃ…!」 「ふふ、嬉しいなぁ? 来年も再来年も俺と一緒に花火を見てくれるってことだよな?」 「~~~っ!!」 本当にそういった意味で言ったわけではない。しかし猗窩座は来年も再来年もこれから先ずっと、童磨と一緒に花火を見上げているビジョンをありありと思い描いていたし、それが当然だとばかり思い込んでいたのだ。 すりすりと嬉しそうに頬ずりをする童磨を、気恥ずかしさのあまりこのまま置いて帰ってやろうかと思った。だが、曲がりなりにも怪我をしている恋人に対してそんな仕打ちはしたくない猗窩座が取った行動は、姦しいその口を自分の唇でふさぐことだった。 「っ!」 一瞬の出来事でも猗窩座の行動は童磨を黙らせるには十分すぎた。 ニヨニヨとしたムカつくにやけた顔から魂を射抜かれたようなぽやんとした表情に変わるのを間近で見て、猗窩座はしてやったりな笑みを浮かべる。 「まだ花火を見ていくか?」 「…いいです…」 しおらしい返事をする童磨の様子に、それほどまでに自分が取った行動は衝撃的だったらしいことを判断した猗窩座は、少しの間だとしてもおとなしくしてくれれば御の字だと帰路へ着くのを再開させる。 一方で猗窩座の行動に振り回されてしまった童磨は、ドキドキする胸の音をごまかすように猗窩座の首元に顔を埋めた。 「っ…!」 そして猗窩座もそんな無防備に首筋に顔を埋めた童磨から漂ういい香りや行動に、何度目かの赤面を覚えてしまう。 だがここで足を止めてしまえばいつまで経っても帰れない。 これは修行だ、筋トレの一環だと自身の煩悩を振り切るように歩きながらも、腕に抱えた柔らかな童磨の身体をことさらぎゅっと抱えあげ、速足で自分の家へと向かう。 「ねぇ、あかざどの…」 沈黙を破り、しっとりとした声で己の名を呼ぶ童磨に猗窩座は足を止めずになんだ?と聞き返す。 「おれ、今日は…あなたを帰したくないなぁ…」 「っ!?おまぇ…!」 これ以上にないほど密着して、猗窩座の体温や匂いをまざまざと感じてしまって、もう、ちょっとやそっとのことではこの胸の高ぶりは収まらない。 「ね? 全部”手当”しておくれよ、」 「こ、の…っ!!」 至近距離でそうささやかれ、一気に顔の熱が上がってしまう。 この期に及んでまだ自分を翻弄するのに長けている小憎らしくも愛おしい恋人に、そこまで言うなら受けて立ってやる!と振り切ったはずの煩悩を呼び寄せた猗窩座は、彼女と共に大人への階を昇る決意を固めたのだった。 BGM:二人は大人に成りました(グルグル映畫館) meu様がポイピクで描かれていた”浴衣姿の童磨ちゃん(♀)と彼氏力の高い猗窩座殿”のイラストに惚れて書かせてもらった話です。※ご本人様からはご許可を得ています。 一目見た瞬間に、座殿の彼氏力の高さとか浴衣姿のどまちゃんの彼女力の高さに脳天をぶち抜かれて、夏が終わる前に完成させました! meu様、ありがとうございました!! ちなみに猗窩座殿が童磨の後を追ってこれたのは、こっそり童磨がお互いのスマホに仕込んだGPS機能のおかげだったりしますw |