いたいのいたいのとんでけ猗窩童
それに気づいたのは何気ない日常のほんの些細な瞬間だった。


「猗窩座殿は俺の顔が好きなのかい?」


猗窩座殿の仕事がお休みの日の昼下がり。土日も仕事を取ろうと思えばいくらでも取れる俺も、猗窩座殿がお休みの日は出来るだけ予定を入れずにいる。外で働きに出ている猗窩座殿とお家で仕事のできる俺との生活リズムはそれなりに上手いこと噛み合っている。”亭主元気で留守がいい”なんて言葉があるけども、それに当てはまるほど俺たちはまだ枯れていない。休みの日に限らず平日の合間を縫ってスキンシップを図ったりくっつき合ったりしていたいなと思うほどには俺は猗窩座殿が大好きだ。
猗窩座殿だって俺と同じ気持ちなのは知っている。他でもない彼が毎日のようにそう伝えてくれるからだ。”昔”、つれない態度を取られても友達だと思っていたのは、彼のあずかり知らぬ俺の過去にそう言ったことがあったからであり、それをそっくりそのまま猗窩座殿と照らし合わせてそう思い込んでいたからに他ならない。猗窩座殿が俺に対してそう言った態度を取っていた理由を正直に話してくれたから、俺も彼にそう正直に話した。すると彼は悔しそうに歯を食いしばりながら俯いて何度も何度も俺に頭を下げてきた。そんな彼に俺は謝らないで欲しい、謝る代わりに今の猗窩座殿の気持ちをいっぱい俺に伝えて欲しい。言葉でも態度でも全部受け止めるからと伝えて今に至る。


そんな最中で気づいたことがあり、冒頭へと至る。


「っ、藪から棒になんだ」
「だって何かにつけて俺の顔に触れるだろう? 指だったり掌だったり唇でだったり」
そう、猗窩座殿は俺の顔に特に触れてくるのだ。指の背でそっと輪郭をなぞって来たり掌で頬を包み込んで来たり。そしてキスも必ずしてくれる。額、頬、鼻梁、唇に。そりゃまあ猗窩座殿とは将来を誓い合った仲だし、それ以外の場所にもまんべんなく口づけされるんだけどもそれはさておいて。
「…迷惑、だったか?」
そう俺が指摘すると、たちまちしょんぼりと眉毛を下げる猗窩座殿。もう、そんなわけないじゃないか。
「うぇ? 全然?? 純粋に興味深かっただけ」
そう答えるとあからさまにほっとしたような顔になる猗窩座殿。”昔”と比べたいわけじゃないんだけど、ほんの少しだけ気弱になったなぁって思ってしまう。だけど別に俺は気にならない。
「ああ、それならよかった…。いや確かにお前の顔は好きだが、顔だけじゃないぞ?」
ほら、こんな風にきちんと言葉にしてくれるようになった。人の気持ちなんて簡単に推し量れないし言葉にしなければ分からない。感情が少し芽生えた今だからこそ特にそう感じるようになった。でも猗窩座殿は余すところなく言葉をかけてくれる。きちんと俺に好意を伝えてくれる。そんなあなたがたまに見せる弱気な部分はむしろ嬉しいし可愛いし好ましいしくすぐったい気持ちにさせてくれるんだ。
「ふふ、そうかぁ」
ホワホワしながら笑ってそう答えると、猗窩座殿が不意にニヤリと口角を上げてまた俺の顔に触れてきた。
「そうだ。顔も身体もその裏表のない淡々としながらと変なところで照れるお前が好きだ」
「っ、猗窩座殿…っ!」
たまに見せるようになってくれた気弱なところが好きと言ったけど、時々こういう風に揶揄って来たりするのも好き、なんだけど…。いきなりときめかすのはちょっと心臓に悪いからほどほどにしてもらいたいなぁ、なんて。
「はは、そんな風に綺麗に紅が差すところもたまらないなぁ」
「も、ぅ…、そんなことばかり言って…」
そう言いながらチュッとキスをされる。啄むようなそれからやがてどんどん深くなっていくキスと共に、俺はソファの上にとさりと押し倒されてしまう。
その間も猗窩座殿の手はギリギリまで俺の頬から顎にかけて撫ぜてくる。そういう気持ちになってきた俺からするとそれすらも心地よく感じる愛撫なんだけど、猗窩座殿が何を想ってそうしてくるのか、俺はこの時までその理由について全く思い当たることはなかった。


「…──」
(ん…?)
「…───け」
(なぁに…?)
ソファの上で睦み合った後、寝室に移動して更に甘い時間に耽って意識を飛ばしていた俺の耳に入ってくる小さな声。
「…い、……いの………、んで」
(なんだろう……?)
全身くまなく愛され尽くした俺の身体はピクリとも動かないし目を開けられない。か細く聞こえてくる猗窩座殿の声とそれに呼応するかのように彼の武骨な指先と掌がやはり額、閉じてる目蓋、頬、唇、顎に柔らかく触れる。


「いた…のいた…の、とんで…」

繰り返し口ずさむその言葉を拾おうと聞き耳を立てていると、やがてそれはある一つの言葉となった。


────……いたいのいたいの、とんでいけ。


思わず目をパチリと開く。未だにハッキリしない視界ではあるけど、泣き出す一歩手前の表情をする猗窩座殿が、ハッとして俺から手を離したのが分かった。
「…あかざどの」
「っ、すまん」
ポツリと猗窩座殿が謝罪する。何で? どうしてそんなに泣きそうな顔をしながら俺の顔に触れるの?
「なんで謝るの? 怒ってないよ?」
「すまん」
心からそう伝える。怒っているわけじゃない。ただ、どうして悲痛な顔をして俺に触れるのかを知りたいんだ。
「怒ってないけど、理由を聞きたいな…」
まるで悪いことをしていることを大人に咎められた子供のようだと思った。そんな顔、させたくないのになぁ。
ゆっくり、ゆっくり俺は力の入らない腕を持ち上げながらそっと猗窩座殿の筏葛の髪を撫でつける。
「…俺は…」
ややあってポツリポツリと猗窩座殿は話し始めてくれた。
「…お前に理不尽に手を上げてきた」
「…うん」
理不尽かどうかはさておいて、俺が友人としてのじゃれ合いだと思っていた彼の行動は確かに一方的な暴力行為だったのだろう、彼がここまで言うということは。
「…お前はこんな俺を許して仲良くしてくれて恋人になってくれた」
「…うん」
「お前を大切に思う度に、お前が嬉しそうに笑う度に、苛立ちのまま吹っ飛ばした顔を再生させながら笑うお前を思い出して…、居たたまれなくて…」
顔を歪めながらも正直に気持ちを吐露してくれう猗窩座殿。
何度も言うけどそれは猗窩座殿にとっても不可抗力だったし、俺は気にしてなんかいない。
「今更だって罵ってくれていい。痛かったよな? 苦しかったよな? 」
「…俺は」
痛くなかったと言えば嘘になる。再生できたとは言え痛みは確かにあった。ただ苦しかったかと言えばそれは間違いなく無い。だって”あの頃”の俺は何も感じなかったから。だからこそ猗窩座殿が”呪い”によって、俺に近づいてほしくないと忌避していたあの行動をじゃれ合いだと思い込んでいたのだから。
だけど地獄に堕ちて短いようで長い間語り合って、今生に生まれて猗窩座殿と再会して。まだどこか薄いところがあるけど感情が芽生えた俺にしてみれば今の方がよっぽど苦しい。大好きな猗窩座殿にこんな顔をさせてしまって、ずっと罪の意識に苛まさせていることが。


それでも俺は嬉しいと思う気持ちを止められない。百年以上自分が傷つけたと思い悩み、少しでも俺の知らないところで傷ついている俺を癒そうとしてくれるその心が。


「ど…」

不意に髪を撫ぜる手を止め、猗窩座殿の胸に手をそっと押し当てた。

"昔"は転んだ子供に対して大人たちがそのまじないを口ずさんでいても何が変わるのかと思っていた。でも今ならその効果は絶大なものだときちんと証明されている。

だから────……。


「いたいのいたいのとんでいけー」
俺もその言葉を口ずさむ。
あなたの痛みも罪悪感もどうか薄れていってほしいから。


「どうま…!」
「俺はもう大丈夫だから。ずっと、猗窩座殿がこうして手当てしてくれたおかげどこも痛くないよ?」
大好きな相手に心と愛情を込められて触れられることで、絆と幸せを感じられるホルモンが分泌される。
もっと効果的なのはお互いリラックスした状態で触れればもっと安心や幸せを感じやすくなるのだということも言われている。

「猗窩座殿は…? もう痛くない? 苦しくない?」
押し当てた掌から伝わる鼓動。トクリトクリという音の時はそっと、ドキドキという激しい心音の時は安心するように撫でられる距離にこれから先もずっと居たいから。

「~~っ、いたくない…! もうどこも痛くないから、どうま…っ!」
「ならよかったぁ」
俺の胸に顔を深く埋めてくる猗窩座殿の髪に指を埋めながら優しく撫でながら俺はそっと旋毛に唇を落とした。


────…願わくば、もうそんな辛そうな顔で俺に触れないで欲しい。
────…俺を好きだと言ってくれるそのままの気持ちで俺に触れて欲しい。


もっともっと俺はあなたと一緒に、安らかな幸せを感じていたいから。







いたいのいたいの とんでった
とおくのおやまに とんでった













BGM:ワスレナグサ(DOVA-SYNDROME)

座殿がどまさんの顔にひたすら触れている理由について考えていて思いついた話。
拙宅では割と記憶があるということはプラスに働いているように書いていることが多いですが、ふとした瞬間に記憶があることに苦しめられるのは座殿の方かなと。(私的には)〝呪い〟とはいえ、特に何の落ち度も見られなかったどまさんに悪戯に手をあげていたことは事実だし、そのことについてめちゃくちゃ悔やんでも、もう現世ではどうしようもない。だからせめていたいのいたいの飛んでいけと、かつて与えていた痛みを和らげて上げていたらエモいなぁと思って書きました。そしてそれはどまさんも同様で、もう気にしなくていいからと座殿の胸に手を当てて同じように痛みを和らげていたら尊いです。

BGMを聴きながら読むと更に切なさが倍増しました(つд⊂)
今は無料でこんなにクオリティの高い曲が聞けるとか凄すぎる。


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