ねぇ、猗窩座殿。覚えているかい? 一緒に暮らし始めて、一緒に入りたいお墓のパンフレットを見ていた時のこと。 あなたはある霊園の写真を指してこう言ったよね。 『ここがお前の墓場だ』って。 正直言うとあの時、俺は少しだけ心がざわっとしたんだ。 まだ俺と猗窩座殿の間には温度差があるのかなぁって。 何だかんだで”昔”に再血戦をしていなかったからそれをしたいのかなぁって。 それならそれでいいかなって思ったんだけど、でもそういう意味で言ったんじゃないんだってこと、真っ赤な顔をしながら手を握ってきたあなたを見て分かったんだよ。 『一緒のお墓に入りたい』っていう、あなたらしいプロポーズだったんだよね。 笑うなって? ふふ、ごめんよ。 でも本当にその通りになるなんて、なんだか不思議な気持ちだなぁ。 それだけあなたが真剣な気持ちで俺に寄り添ってくれていたっていう結果でもあるんだよねぇ。 うん、それはすごく幸せなことなんだって、たくさんあなたから貰ったんだってずっと噛みしめていたけど、今、この時になってもっとそれを感じるんだ。 なんていうのかな? 幸せ預金に利子が付いたような感じで。 ふふ、そんなに照れないでおくれよ。 …ああ、そうだよね。ごめんね。 あなたにはもっともっと笑っていてほしいから。 もっともっとたくさん幸せでいてほしいから。 いつかまた誰かを求めて愛し合える人ができたら、迷うことなくその人を選んでね。 ふふ、そんなこと言わないで猗窩座殿。何年経とうともあなたの魅力はちっとも褪せていないから。 ただ、ね…。 いつでも、いい。一年に、一度は…、どうか…、俺のことを想ってほしい…。 ね、猗窩座殿。なかないで…。 笑って…、あかざどの…。 …ありがとう。 うん…俺も… …あなたのことをずっとずっと、愛しているよ…。 おやすみ…、またね…、猗窩座殿…。 今度は俺が待っているから…、 どうかゆっくりこちらに来ておくれ。 *** なあ童磨。 俺としてはもう忘れてほしい、人生の五指に入るほどの黒歴史なんだが。 もう少ししっかりしたプロポーズの言葉があっただろうって思わないでもないんだが。 あの時伝えた気持ちは今でも少しも変わっていない。 一緒の墓に入りたいっていう気持ちは。 こら、笑うな。 仕方がないだろう、あの時はいっぱいいっぱいだったのだから。 ”昔”は俺が先に逝ったよな。 そしてその後お前が俺の手の中に落ちてきた。 それから地獄で使役して、お前が先に生まれて。 俺が後から生まれて。 記憶を持ったままお前と出会えて。 関係性を発展出来て。 色んな場所に行って、色んな物を食べて、色んな経験をして。 楽しかった。嬉しかった。 共に生きていけるというのはこう言うことかと、心の底から俺は思った。 そうだな、実を言うと俺もまさかここまで来るなんて…という気持ちでいっぱいだ。 頭の中で予想していた未来よりもはるかに充実しすぎていて、少しだけ混乱しているというのが正しいかな。 と言うかそれをお前が言うのか。 俺が真剣な気持ちでいられたのは、お前がいつも俺を受け止めてくれたからだろう? お前はこの期に及んでどれだけ俺を甘やかすのだ。 それが幸せだって、だからお前はそういう、とこ、が…! …照れてなどいない…。 こうでもしなければ、視界が滲んでお前の顔が見れなくなるだろう? 馬鹿、謝らなくていい。 これは俺の心の問題だ。お前の方こそ最期まで笑っていてほしい。 …と言うか童磨。俺の幸せを望んでくれるのは嬉しいが、年を考えろ年を。 こんなジジイに懸想する物好きがいると思うか? っ、お前は最後の最期までそういうことを言う…っ!! お前以上に…っ、深く想える相手など…っ!! …っ、誰が泣かせたと思ってるんだ…!! お前を、もっと、見ていたいのに…。 …っ、待ってろ、これで我慢してくれ…。 未来永劫愛し続ける相手の最期の頼みを聞き入れられないほど、今の俺は狭量じゃあない…。 ああ…。 おやすみ、童磨。 …っ、お前がそう言うなら仕方がない…っ! 俺は、お前に似て、優しいからな…っ!! *** 時期的には桜と緑が目映いとされる季節の昼下がり。墓標が石でできている棺型の墓の前にあるベンチに猗窩座は腰を降ろしていた。 よっこいせ、という声が口を突いて出て来てもおかしくないほどに年を取った自分を、今生は極楽にいるであろう彼はどう見えるだろうか。 「今年もまた雪桜が綺麗に咲いたなぁ」 情熱的だという花言葉を持つブーゲンビリアの様だと愛する人にかつて揶揄された猗窩座の髪はすっかりと灰桜へと変わっていた。 大きかった瞳を縁どる豊かなまつ毛も同じ色に染まり、目尻には童磨よりも長く生きたという証である皺が刻まれている。 「お前、俺が来ると張り切ってその前の日に雪を降らせてないか?」 童磨が猗窩座に見守られながら天寿を全うした日から数年。猗窩座は毎年欠かさずに童磨が眠るこの場所へと通っていた。 何度も何度も旅行に出かけた北の大地のこの霊園に墓を買ったため、童磨が眠りについた季節は世間一般では春なのだが、気温や気候は冬と遜色がない。 今日だってここに来る前日は2月の気候に逆戻りだと騒がれていたが、今朝はぴたりと吹雪は止んで、少しずつ緑が萌え始めた木の枝に白い桜を咲かせている。 角の欠けた猗窩座の手帳には事細かに童磨がいなくなってからの詳細がつづられている。最期に残した彼の言葉”ゆっくりこちらに来ておくれ”を達成するために、そして自分が童磨の下へ赴く際、彼のいない時間をどのように過ごしたかをたくさん話すために、この手帳を燃やしてもらう旨は遺言として残している。 その中の記録には確かに童磨が猗窩座の下から先に旅立ってから今年で六回目の快晴及び雪桜満開日よりと書かれており、どれだけ童磨が自分がここに来るのを楽しみにしているのかと思うと温かい気持ちとほんのりとした苦みが胸の中に湧き出てくるのだ。 「…俺に幸せになってほしいとお前は言ったな…。望み通り、俺は幸せだよ…」 皺の刻まれた手で、童磨の名前が刻まれたプレートを優しく撫で上げる。 「…お前を好きでいられたこと、お前と一緒に生きれたこと…、お前が最期に言ってくれたこと…それを思い返せば返すほど、今もお前を想えて幸せだと感じる…」 多分去年も一昨年も一昨昨年も同じことを言っていたと自覚している。だがそれが偽らざる本音なのだから仕方がない。 童磨が聞いていれば『そうかそうか…、それが猗窩座殿の幸せなら何も言うまいよ』とニカーッと満面の笑みで言うだろう。 「…お前以上に愛せる者など…出来ようはずもない…」 確かに童磨の言う通り、彼以外の人間に求められ愛されたこともあった。だが、彼以上に求めて愛せないことは付き合えば付き合う程思い知らされ、自分も相手もこれ以上傷つく前に別れた。相手もきっとこれ以上はこちらに深入りできないと覚ったのだろう。比較的穏やかに別れることができた。 たった一人を想いながら生きること。それは決して不幸せなことでも縛られていることでもなんでもない。こんなにもここで眠る彼を想うだけで、これほどまでに満たされた気持ちになる相手など、他にはいない。 不意に風が吹きつけて、枝に積もる雪を軽く散らしていく。桜とは程遠い冷たい粉のような花びらが、目尻を熱くさせていた猗窩座にそっと降り注いだ。 ”────…泣かないでおくれ、猗窩座殿” それはまるでかつて自分がそうしていたように、熱い雫を吸い上げる童磨の唇のようだと思った猗窩座は、ふ、と目尻を潤ませながらも笑みを浮かべたのだった。 |