ほんのりとかの大戦を思わせる描写があるので注意。
感情が希薄だということは自覚していた。
目の前の彼にも呆れられ怒鳴られたこともあったし、何なら過去には文字通り頭を吹っ飛ばされたこともあった。
それでも俺は彼と絡むことをやめなかったし楽しかった。
少なくとも、感情を知りたくて数多の男女と恋愛ごっこをしている時間よりも充実していたし、もっともっと彼に構いたい、彼と仲良くしたいという気持ちは確かに存在していた。
そして俺も彼も、人ならざるものとしての生は人の手によって終わりを迎えることとなる。
何の因果か、地獄へ堕ちたと思った瞬間、俺と彼は人ならざる者の記憶を持ったまま、この国に再び人として生まれた。
そうして、人となった彼と出会った。
それが神とやらの采配か前世の因縁かはたまた偶然なのかは知る由もない。
ただ、俺はあの頃よりも少しだけ感情というものが備わっていた。
死後、蟲柱のあの子によって呼び覚まされたそれは、恋なのか別のものなのか今となっては知る由もないけれど、それがずっと夢にまで見ていた感情を知る呼び水になったのは間違いなかった。
最初、彼は思いっきりその大きな目を見開いていた。ああ、そういえば俺は彼に嫌われていたのだったと思い返すも、そうされてもおかしくないほど無神経な発言をしていたんだなぁとぼんやりと思い返した。
俺のことを覚えている?と尋ねてみれば、忘れられるわけがないだろう、とぶっきらぼうに返された。
そう、それだけ聞ければいいんだ、じゃあ元気でと立ち去ろうとすれば、お前は相変わらず人の気持ちが分からない薄情な野郎だと言われながらその手を取られた。
え、どうして?何故俺を引き留めるの?という思いで彼を見れば、すごくすごくバツの悪そうな顔をしてあの頃は悪かったなと謝られて、驚きに目を瞠るのが分かった。
なんであなたが謝るの?そんな思いで彼の目を見れば、今にも泣きそうな顔をして、肩口に顔を埋められた。
お前の言っていたことは正論だった。俺が弱さを捨てられなかっただけだ。お前が何も感じないのを良いことに、己の弱さの苛立ちのはけ口にしていたのは俺の方だと、そう頭を下げられた。
呆気にとられた俺をよそに、なあ、と彼は言葉を続ける。
今生こそはお前を知りたい。
百年以上も顔を付き合わせていたのに、おまえを知ろうとしなかったから、今からでもお前を知りたい。
彼の言葉に、急激に心が動いていくのを感じた。
あなたさえ…ううん、君さえ良ければ、どうか俺と。
その言葉をきっかけに、俺と彼は友好を深め始めた。
だけど俺は忘れてしまっていた。
そんな都合のいい話などないことを。
そうして思い知らされる。
欲しいものは手に入る直前に取り上げられてしまうのだということを。
「童磨」
以前は神の声が聞こえると無垢な証だともてはやされた白橡の髪に掌が置かれる。
今は厭われるこの髪にそんな風に触れてくれるのは君だけしかいない。
静かに、この時間を大事にしたいのに、嗚咽が止まらない。
気持ちなどなくても流せた涙は自由自在に止めることができた。
だというのに今はどうだろう?
止めたい、止めなきゃと思っているのに全く止まらない。
ねぇ、猗窩座殿。
俺はあの頃自分が死ぬと分かっていても何の感慨も湧かなかったんだよ。
君が死んだときも涙は流せたけど、そこに感情なんか伴っていなかった。
なのに今は、君が飛び立つことがこんなにも悲しいんだ。
ようやく心と体の温度差が埋まってきたけれど、望んだのはこんなのじゃない。
あやすように撫ぜられる掌は温かく優しい。
だけど微かに震えている。
俺があまりにも泣くから、涙が止められないから、耐えるしかないのだろう?
「お前をずっと…抱きしめている、から」
そう言って猗窩座殿はそっと服の上から鳩尾から腹のあたりを撫ぜる。
前にチラリと覗いたとき、顔を真っ赤にして隠していたのを無理やりに見た。
藁半紙に描かれた、満面の笑みの俺。
鉛筆だけでこうも見事に描けるものなのかとか、俺のこと良く見ているよねとか、そんな軽口を叩いていたら思いっきりどつかれた。
何度でも照れ隠しでどついてくれても良かった。
他愛のない時間の中で、軽口を叩きながら、もっと君に色んな俺を描いてほしかった。
君自身の形見の似顔絵なんかじゃない、ずっと一緒に生きていけたら。
嗚呼。
以前のような力があれば、御子や蔓蓮華が出せれば、君を行かせずに済んだのに。
「だから、お前も、覚えていろ」
散々記憶力の良さを自慢していただろうと笑いながら、掌は離れていく。
ふと、離された掌と引き換えに、髪に挿された何かの存在を認める。
そっと触れば花弁らしい感触があった。
「やっぱりお前に似合う…」
顔を上げれば、ふ、と笑う猗窩座殿と目が合った。
────…あなたと一緒なら、私はどんな苦痛にも耐えられる。
敵国由来の花言葉を思えば、やっぱり涙は止まらない。
もう、目が溶けてしまうのではないかというくらいに泣いたのに、まだ溢れ出る涙。
ねぇ、猗窩座殿。
こんなにも大勢の人が苦しんで。
意に沿わない目標を押し付けられて。
それにそぐわない人を暴力で押さえつけて拷問して。
同じ人間なのに、鬼畜だと刷り込んで殺すことを正当化して。
生き恥を晒すくらいなら、問答無用で死を選べと強要して。
あの頃の俺らと今の世の中は。
一体何が違うのだろうね?
泣き止まない俺を猗窩座殿腕が抱きしめにかかる。
「…あか、ざどの…」
もう、今生で触れることは叶わない君。
「泣き過ぎだぞお前」
頭上から降る声は苦笑交じりで、震えは今は感じない。
「…君の分まで、泣いているんだ。俺は、優、しいからな…」
違う。本当に優しいのは。
「そうか…一応礼は言っておく」
本当に強いのは。
「…どぅ、いたしまして…っ」
君の方だよ猗窩座殿。
ねぇ猗窩座殿。
狭苦しい鉄の座席に着いたら、今度は君が俺の分まで泣いて欲しい。
あの頃も今も、俺の言葉を遮って高く飛び立つ君には追い付けないから。
真っ青な空に描かれる飛行機雲は憎たらしいほど鮮やかで。
俺は髪に挿された似合うと言ってくれた花に触れながら、それを見上げている。
決してこの花は外さない。
俺が君の後を追って、また追い付くすぐその日まで。
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