無月と過去と瞳の月
日本では古来から、春は花・秋は月を愛で、四季の移り変わりを楽しむことに長けていた。
今宵は中秋の名月であり、それを鑑賞する伝統的な行事には、満月であるなら月見の宴を催したり、来年の豊作を祈ると同時に収穫の感謝を捧げるという背景がある。
とはいうものの、”昔”と異なり今はどちらかというとイベント感覚に近いものがあり、SNSでは月の写真を投稿して、その感動を共用したりする意味合いの方が強いように思う。
「あー、今日はお月様が見えないや」
二人で暮らしているマンションの2LDKの一室にて。
窓際にあるソファに座り、ぼんやりと肘をつきながら曇り空を見上げながらそうぼやく童磨の横で、猗窩座は買ってきた月見団子を頬張りながら彼に倣い夜空を見上げた。
「まあ、月は見えずとも無月でも楽しめるしな」
「そうそう! 無惨様が催していたよね」
両手をパチリと叩き、”昔”の記憶を手繰り寄せながら思い出話に花を咲かせる童磨を、猗窩座は缶チューハイを飲みながら心穏やかな気持ちで眺めている。
こんな風に凪いだ気持ちでいられるなど、かつての自分が見たら反吐を吐くような表情していて、信じられないと吐き捨てていただろう。
あの頃の自分は、正しく”呪い”にかかっていた。
突如目の前に現れた飄々とした男。
弱者かと思えば自分を軽々とぶちのめした強者であり。
それでいて何かと気にかけて絡んでくる者であり。
そして最期は、師範と同じように”毒”によって命を散らした、上弦の弐。
”あの時”に感じた、横隔膜が痙攣して吐きそうな気持ちなんて目じゃないほど近づかれる度に感じて。
湧き上がってくる嫌悪感のままに、こいつに手をあげ続け。
全てが終わった後、ようやく自分の心を蝕んでいたものの正体が分かり、地獄でこいつと邂逅したときに自分の過ちに気づき。
自分の弱さを認め、彼の最期を聞き、泣きじゃくることしかできなかった。
生まれ変わって再会したとき、猗窩座は童磨に記憶があることを確信し、近づいて抱き寄せた。
謝罪の言葉の変わりに涙しか出てこず、逆に童磨に謝られる始末で、それに対しお前は何も悪くないと否定することしかできなかった。
「ねえ、猗窩座殿?」
不意に童磨の両手がぼんやりとしていた猗窩座の頬を挟んでこちらを向かせる。
「何か考え事?」
俺が隣にいるのに、と頬を膨らませる童磨の虹色の瞳はいつ見ても綺麗だと、猗窩座は目にするたびにそう思う。
かつての自分はその目をまっすぐに見ることすら出来ない臆病者だったから余計にそう感じる。
「そうだな、考えていた」
弱者だった己のこと。
今生でお前に出会えたこと。
”呪い”から解き放たれて憑き物が落ちたように、馬鹿みたいにお前を想っていること。
頬に触れる少し冷たい手を取って、そっと口づける。
「ひゃっ」
「甘い…」
指先に口づけるだけじゃ物足りなくて、ぱくりと咥えてみれば、ついさっき食べていた月見団子の味がした。
「あ、たりまえだよ! 今、お団子食べてたもん」
「それもそうか」
くくっと肩を震わせて笑う猗窩座に、童磨はクエスチョンマークを浮かべながら首を傾げていると、不意に彼の手が己の肩にかかる。
「わっ…!」
完全に油断していた童磨はあっさりと押し倒される羽目になり、虹色の瞳の中に雄の雰囲気をまとった猗窩座の姿がそこにあった。
「なあ童磨…、無月もいいが」
––…こちらの”月”も愛でないか?
そう言いながら指先で自分の瞳を指し示しつつ、するりと服の裾から熱い掌をすべり込ませる。
「ね、ぇ…どこでこういうこと、んっ、覚えてくる、の? ぁっ」
「こういうこととはなんだ? これか?」
「んぁっ…!」
もはや肯定する以外の答えなどないと分かり切っている。
そう言わんばかりの彼に頬が熱くなるのを感じながらも童磨は、楽しそうに”月”を細めながら愛撫を進めてくる猗窩座に、鑑賞の意を示す口づけを送ったのだった。
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