四月一日はエイプリルフールであるが、その起源は定まっていない。
三世紀のインドの春祭りにいたずらをし合う風習があり、それがヨーロッパに伝わったという説や、古代ペルシャの発祥で「シズダベダール」という現在に至るまで行われている祭りが原型という説。はたまた一六世紀のフランスにおいて、現在の一月一日を新年とするグレゴリオ暦に改修しようとした際、それに反対した人たちが旧暦である四月一日のまま新年を祝ったのが始まりという説がある。ちなみに日本においては大正時代に欧米からの風習であるこのイベントは新聞等のメディアで広く伝わり今日に至るとされているが、先に述べたインドの祭りが中国経由で江戸時代の日本に伝わってきたという説もある。
いずれにせよこの日は『嘘をついてもいい日』として定着しつつあり、前提条件として、心身ともに人を傷つけたり違法なものを一切含まない、笑って済ませられるジョークであるというのが鉄則である。
「とはいってもなぁ…」
童磨はダイニングテーブルを挟んで向かいに座る猗窩座を見て苦笑する。そろそろ卯月に差し掛かる頃、上記のことを切々と訴えて、そんなわけだからお前俺に何か嘘を吐けと言い放った彼のその愚直ともいえる素直さや真っすぐさが微笑ましいと心から思う。
確かにこの時期になると日本の食品企業もジョーク食品なるものを企画して消費者の度肝を抜く商品が販売されている。飲むピザポテトなどが販売されたときは思わず猗窩座と共に「え!?」と目を丸くしたものだ。
他にもエビチリ味のサクレとか可愛いところで言えばホールの部分がハートマークになっているパインアメだとか、思わず吹き出してしまうユニークな商品を見て購入してしまったこともあった。
だけども今の自分たちに嘘が必要かと言われてみれば否である。嘘も方便、うまく使えばコミュニケーションの一つにもなるというが正直今の自分たちに嘘を吐く必要性がない。だからこそ猗窩座は童磨にドッキリを仕掛けることを良しとせずに事前にそう告知したのだろう。
”昔”を取り戻すかのように少しでも多くのイベントごとを共に過ごしたいという猗窩座の気持ちはとても良くわかるし正直なところ嬉しい。だが童磨はある事情から嘘というものをできることなら避けたいと思っていた。
「…童磨」
無意識のうちに一瞬だけ困ったように笑っていたのだろうか。それとも彼の洞察力が並外れているのだろうか。ぎゅっと猗窩座の手が童磨のテーブルの上に伸ばされて組まれていた両手に伸びる。
「…無理はするな。言い出しておいてなんだが、何でもかんでも俺の我がままに付き合う必要はない」
「…うん、ごめんね。ありがとう猗窩座殿」
謝罪だけでは謝らないでほしいと申し訳なさそうな顔をする猗窩座の顔を見たくなくて、お礼も付け加える。
「…俺さ…」
小さく童磨は息を吸い、そして吐き出すとともにぽつりぽつりと話し始める。
「”昔”は嘘ばかり吐いていたんだって。全然自覚はなかったんだけど」
あはは、と笑う童磨に、猗窩座の眦は知らずきつく吊り上がっていく。
そのようなことを言った覚えは、”昔”彼を忌避していた頃であっても心当たりがない。そもそも近づかれるだけで弱者だった自分を思い起こさせるこの存在がたまらなく不本意ながらも不快だったのだ。だから必要最低限の言葉しか交わさず、必要以上に近づいてきたときは物理的に距離を取っていたし、脳内対話も遮断してもらった。なのでそんなことを言える状況ではなく、ということは自分以外の誰かにそう言われたのだということになる。
「一人は、心が綺麗で俺が唯一手元に置いておきたいなって思った歌が上手な女の子」
幼いころから実の両親に神の子として祀り上げられていた童磨は、物心が着くかつかないかの頃から、大人たちのドロドロとした負の感情を一方的に聞かされ続けてきた。彼の個としての存在はどうでも良く、ただただ何もせずに不幸自慢を垂れ流し極楽へ連れて行ってほしいと乞うことしかできない愚者共。
そんな中で童磨の心を癒したのは、琴葉と言う女性だったのだという。かつての寺院を訪れてきた信者たちに負けず劣らず過酷な目に遭っていたにも拘らず曇りのないまっすぐな綺麗な心根であった彼女と彼女の赤子を彼は食べるつもりもなく命尽きるまで手元に置いておきたいと生まれて初めて思ったのだという。
だがそんなふわふわとした浮雲のような毎日も、童磨の”救済”を彼女が目撃してしまったことで終わりを告げることとなる。
────…嘘吐き!!
その一言を吐き捨てて彼女は命より大事な赤子を抱いて寺院を飛び出していき、説得のために追いかけたものの双方分かり合うことはなく結局童磨は彼女を骨まで喰らうこととなった。
「もう一人は…、しのぶちゃんの妹? かな」
”昔”の無限城での戦いの折、鬼殺隊の蟲柱であったしのぶを喰らい、自称彼女の妹である継子に対峙した時、猗窩座がやられたのを知った。それを感じ取った童磨は”一番の親友だった”と言って涙を流した。
────…もう嘘ばかりつかなくていいから
────……滑稽だね、馬鹿みたい
────………あなた、何のために生まれてきたの?
少なくともあの時の童磨にとって、猗窩座がやられてしまって悲しいという気持ちは嘘偽りのないものだった。
だというのに、紙一重であちら側に着くことができた何も知らない少女はしたり顔で傲慢にも鼻で嗤いながら童磨の本心を嘘だと吐き捨て、その存在すら否定しにかかったのだ。
「…だからね、ごめん。このイベントはいくら猗窩座殿とで…っ!?」
今でも思い出すたびに心がグラグラしてしまうのか、少し顔をしかめながら告白する童磨の声を遮るように、猗窩座は思いきりその豊満な身体を抱きしめる。
「…っ、ごめん。ごめんな童磨…」
もう少しでお前の心を踏みにじる真似をしでかすところだった。そんな悔恨の色を滲ませながら猗窩座は謝罪する。
「…ううん、俺が話していなかっただけだから」
そう言いながら童磨もまた猗窩座の背中に手を回す。
「…話せてよかった…」
そう零した童磨のささやきを肯定するように猗窩座はきつく童磨を抱きしめる。
どれもこれも嘘であったことなんか一つもない。それは忌々しかった存在であっても伝わっていた。それなのに前者はすれ違いから、後者は完全な言いがかりから嘘吐き呼ばわりをされたのだ。
何も感じなかったからと彼は自称はするが、例えそうだとは言え傷つかなかったはずがない。
ぎり、と猗窩座は唇の端を噛む。前者はまだ捨て置けても後者の方はどうにも許しがたい。その蟲柱の継子の小娘を探しだし、今すぐにでもくびり殺してやりたい衝動に駆られて目の裏が真っ赤に染まっていく。
「猗窩座殿」
「っ…」
無意識のうちに怒りで息が止まっていた自分の背中を童磨の手が優しく撫でていく。
そんな風に怒らなくていい。あなたには笑っていてほしいという気持ちを精一杯に込めながら。
「俺たちはさ、フランス式のエイプリルフールを楽しもう?」
「フランス式??」
「うん、ポワソンダブリルの方で」
童磨の穏やかな声に怒りが引いていくのを感じながら、猗窩座は聞き慣れない言葉に首をかしげる。
「ほら、こんな美味しそうなお菓子があるんだって」
検索結果が表示されるスマホを覗き込めば、口取りのような魚型の菓子を始め、パイやケーキも映っている。ほとんどがブサカワ系の出目金のようなデザインのそれらは正直美味いのかどうか微妙に見えるも、それもそれでまた一つ童磨との思い出が増える方が楽しみだ。
「そうだな、今の俺たちはこっちの楽しみ方がいいか」
「ふふ、確かにね♪」
嘘で楽しむよりも、確かに伝わる味覚と積もる想い出を楽しみたい。そんな風に二人は笑い合いながら、心からの想いを込めて互いにピッタリ寄り添うと、目についたケーキ屋に注文の予約を入れ、四月最初のデートの約束を取り付けたのだった。
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