「気に食わんな」
「へ?」
不意に呟かれた猗窩座の声を耳にした童磨が思わず彼の方を向く。
いつもの通りまったりとした夕飯後の時間。互いにソファに座って思い思い過ごすこのくつろぎの時間が童磨は好きだった。一緒に肩を寄せ合いながらノートパソコンでネトフリを見たり、タブレットを覗きこみながら次に行きたい旅の目的地やカフェなどのチェックをしたり、読書をしている自分の肩に猗窩座がもたれかかりながらスマホをしていたり、時には言葉もなく寄り添いながらキスをし合ってそのまま…という流れすらあるがそのどれもが童磨にとって得難い時間である。
そんな時間の中、不穏が入り混じる猗窩座の声に何かあったのかな?と心配になった童磨がその険しい表情をした横顔を眺める。
ふわさと音がするくらいにたっぷりとしたまつ毛に縁どられた向日葵色の瞳は不機嫌そうな形を成していて、ここ最近お目にかかっていなかっただけあってどこか懐かしいなと場違いなことを感じてしまった。
「っと、すまん」
「あ、いやいや」
思わず食い入るように見つめてしまった自分の視線に気づいた猗窩座がハッと意識をこちらへと向け不機嫌になってしまったことを詫びるが、童磨は慌てて胸の前で両掌を振る。
「でも珍しいよね。猗窩座殿がそんな顔をするなんて」
〝昔〟の自分たちの関係ならともかく、ここ最近では鳴りを潜めていただけあって一体何があったのか純粋に気になっていた童磨が疑問をぶつけると、猗窩座はうぐっと気まずそうな顔になるが、小さく息を吐き手に持っていたスマホを見せる。
「ん?」
そこに映し出されているのは某青い鳥がメインのSNS内にある縁もゆかりもないとある人物のアカウントだった。タイムラインを見てみるとその人物の名前の後には雪と虹の絵文字がくっついて並んでおり、何かにつけて文章の最後に雪と虹の絵文字を並べて呟いている。内容は特に当り障りのないものであるが、時々何やら見知らない単語も並べられているが、別段バズる程でもない呟きが延々と垂れ流されている状態である。
何故猗窩座がそのアカウントを気に入らないのか童磨はさっぱりわからない。もしかしたらSNS上で見つかった昔の知り合いか何かという可能性もあるが、猗窩座が口を開かないことには話が見えてこない。
「…この、絵文字」
「? うん」
猗窩座が口を開くまで画面をスクロールしながら過去の呟きに目を通して何かヒントがあるかなと探していた童磨の耳にようやく回答が述べられていく。絵文字というとこのアカウントの名前の後ろと文章内にちりばめられている雪と虹の事だろう。
「雪と虹だよね…って、あ」
言葉に出して唐突に思い浮かぶ。確か猗窩座の〝昔〟の血鬼術のモチーフは雪だった。それは今生では彼の双子の兄として生まれている狛治の時代に心から大事にしていた恋雪を想っていたからだと聞いたことがある。そして虹は言うまでもなく自分の瞳の色を表す。
こんなところで自分と彼のつながりがあるなんてなんだか嬉しいなぁとホワホワした気持ちになる童磨とは裏腹に、猗窩座の表情は曇ったままだった。
「そう、雪と虹…、俺とお前のシンボルと言ってもいい」
一言一言噛みしめるように告げる猗窩座の言葉にやっぱりそうかと童磨は確信するも、そうなるとますます猗窩座の険しい表情の理由の説明がつかない。
まさか、なんてことは考えない。不器用なほど真っすぐで誠実な猗窩座の愛情はとても深い。〝昔〟の記憶があることだって全部腹を割って話した。だから今更自分と彼のシンボルマークが並んでいることに対して不愉快だ、なんていうことはないはずだと童磨は根気よく彼の言葉を待ちわびる。
「…俺は、気に食わない」
「えっ…」
だから予想に反した猗窩座の言葉に、童磨は一瞬鋭い刃で胸を抉られたかと思った。〝昔〟鬼狩りによって咽喉を突かれた感触、目を切り裂かれた感触、そして毒を喰らいグズグズに溶けた挙句首を切り落とされた感触も朧気ながら覚えている。だが今感じた痛みはそれらとは比べ物にならないほどじくじくと童磨の胸を焼き、やがてじわじわと侵食していくかのような感覚だった。
「それ、って、どういう…」
一瞬息を呑み言葉を紡ぐ。上手く言葉は出せているだろうか。何故声が震えてしまうのだろうか。まだ、決定的な一言を猗窩座から吐かれたわけではないのだから決めつけてしまうのはよくない。もしこのまま二人の関係が終わるにせよ、きちんと言葉を交わしたい。一方的にいいよいいよお別れしようなんてことは絶対にしたくない。
そんな風に考えていた童磨の身体が不意にぎゅっと抱きしめられた。
「え、え…?」
突然のあまりにも優しい抱擁に混乱するも、童磨は一呼吸おいて自分を落ち着かせて猗窩座の背中に腕を回す。逞しい腕、体躯、大好きな彼の匂い、そして温もり。最後の思い出として記憶しておきたいと想えるほど大切な人だからと童磨が密かに決意し始めている耳元で、猗窩座は意を決したように息を吸った。
「狭量な奴だと笑ってもいいぞ。お前とこうして抱き合える距離にいるのに…」
白橡の髪にそっと触れてくる猗窩座の手はどこまでも優しくて。そしてこんな風に撫でてもらえるのも終わりかと思うと、涙腺が緩みそうになってしまう。
「こんな、たかが絵文字一つで…、お前が俺以外を見ているなどと、思えてしまうと、耐えられ、なくて…っ」
「っ…!」
ぎゅうううと更に力強く抱きしめられてしまい、童磨の呼気が一瞬止まる。
…別れたい、なんて話じゃなかった。それどころかこんなにまで抱きしめられて全身でこっちを見ろと言ってくれている。
絵文字にまで想いを馳せて、ずっとこちらを見て欲しいと想ってくれるほど、好いていてくれている。
「っ~~~~~」
ぼたぼた、ぼたぼたと溢れる涙が頬を熱く伝っていき猗窩座の肩を濡らしていく。
「っ、おい、どうし…っ!?」
「っ、ごめ…ん、ごめん…っ、あかざ、どの…っ」
異変を感じ取り抱擁を解いた猗窩座が虹の瞳からの涙雨を見てギョッとする。
「…おれ…っ、て、…きり、あかざ、どのが…わか、れたいのか…て…っ」
しゃくりあげながら言葉を紡ぐ恋人を前に猗窩座の向日葵色の瞳は驚愕に見開くが、次の瞬間には自分のちっぽけな矜持がこんなにも彼の涙腺を刺激するほどまで追い詰めてしまったのかという自己嫌悪に苛まされる。
「っ、謝るな! 俺がこんなくだらないことを言い出したせいでお前を追い詰めて…っ!」
「ううん、ううん…っ、あなたは……わるくない…っ」
必死に頭を振りながら今度は童磨がぎゅっと猗窩座に抱き着く。
「おれ、ずっとあかざどのと、一緒にいたい…! 困ってる人を助けたいって思うのは変わらない、し…、俺も気づかないで、よそみしちゃう、こともあるけど…っ、それでも…」
胸を貫く痛みが杞憂でよかったという気持ちとずっと傍にいたいという気持ち。そして猗窩座を好いていてもいいという気持ちが綯交ぜになりながらも童磨は必死に言葉を紡いでいく。
「っ、それはこっちの台詞だ…! 俺の方こそこんな器が狭くて…っ、お前をこんなに泣かせてしまうような情けない男だ…! だが、お前と共に生きたい…! 今度こそお前を大切にする、だから…っ!」
懸命に言葉を尽くして抱きついてくる童磨の背中をギュッと猗窩座はかき抱く。その想い全てを受け止めるように。
「…だから、…共にいてくれ……、たのむ……」
雪と虹。この順番で並べば虹は他所へと見向きする。それが例えようもなく〝昔〟を彷彿とさせるようで嫌だった。見も出来なかった自分とは違い、童磨は自分を親友とは扱っていた。だが、他の者たちと仲良くなろうと必死に彼なりに心を砕いていたのだし、多くの人間たちを喰らいはしたが同時に救いもしていたから、彼・彼女たちにも慕われていた。
俺だけを見て欲しい。
例え絵文字であっても隣にいる俺だけを。
〝昔〟から地続きである事実。そこから端を発した独占欲によって出た言葉が、まさかあらぬ誤解を与えて泣かせてしまうほどに童磨が想ってくれていることに今の今まで気づきもしなかった自分は大馬鹿野郎の罰当たりだ。
気付くと猗窩座の瞳も潤んできている。駄目だ、泣くな。こいつをこんなに哀しませた俺が泣く筋合いなどないというのに。
歯を喰い縛りながら必死に涙を堪えていると、不意に童磨の顔が肩から上げられる。
「っ……」
反射的に顔を剃らそうとするも、童磨の手が猗窩座の頬に宛がわれ、目尻に口付けられるのが早かった。
「ん…っ」
ふるりとした柔らかな羽のように、童磨の唇が猗窩座の涙を啄むように両方の眦から拭っていった。
「ふ…っ」
自分の涙の跡も乾いていないのに、こうやって俺を甘やかす。そんな童磨の隣に居られることがどれだけ幸福で大切なことなのか、改めて想い知らされる。
「童磨…」
「ん…」
次はこっちの番だと言わんばかりに猗窩座は童磨の頬に手を添えてそっと涙を啄むように拭っていく。そうして今度は100%の愛を込めてその温かく豊満な身体をキツく抱き締めにかかった。
「猗窩座殿、大好き…」
腕の中の虹色の瞳をした恋人の愛の告白に、俺も大好きだと返しながら猗窩座はさらに強くその体をかき抱く。
どんなに余所見をしようとも他者を気にかけようとも、ずっと自分を親友という立ち位置に置いてくれていた童磨の心情を、今の彼の気持ちをただただ大切にしたい。そんな新たな誓いを立てた猗窩座は少し体を離し、今度はその唇に触れるだけの口づけを落としたのだった。
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