なんてことのない幸せを想うとき - 1/2

その日、たまたまウォーキングがてら足を延ばした大通りから二本ほど逸れた道の並びにその店はあった。
 串団子専門店と丸みを帯びた文字で書かれた紅い看板と、オレンジ色のロールスクリーンと暖簾が目を引く比較的新しそうな店に思わず童磨の足が止まる。
 確かこの店はとあるローカル番組にて、オーソドックスの串団子やまんじゅうの他に、そのままのイチゴと大福を挟み込んだ串団子が目玉だと紹介されていた店であり、美味しそうだなぁと思っていた店だった。
 ちなみにこの日は猗窩座は仕事が遅かったので一人でその番組を視聴した。よって恋人がこの店の存在を知ってるのかは定かではないが、もし知らなければサプライズになるだろうと思い、その店に入っていく。
店内は客はさほどおらず、ごちゃついた雰囲気はない。それが却って落ち着いた雰囲気を醸し出しているので気兼ねなく団子の種類を選ぶことができる。
 店の奥まったスペースで作業をしていたのか、入店したのと一瞬遅れて顔を出したが、童磨が「あ、少し時間をかけて選ばせてもらうからお構いなく♪」と断りを入れたことで、少々ポーッとなりながらも女性店員は会釈をして店の奥へと引っ込んだ。
 左側に設置されているショーケースの中には少なくなった団子が陳列されている。小さめの大福と瑞々しいイチゴが交互に刺された独創的な串団子がこの店の目玉であり、つぶあん、こしあん、イチゴ大福というこれまた更なるバリエーションがある。その他にも可愛らしい色合いの三食団子もあれば、みたらし団子や焼きしょうゆ団子、そして昔ながらのよもぎ団子や普通の案団子の上にスライスされたイチゴが飾られている団子もあり、串団子好きならコンプリートを目指すだろうほど魅力的な串団子が取り揃えられていた。
「どれにしようかなぁ」
 ショーケースを行ったり来たりしながら他のものもないかなと探してみると、串団子だけではなくべこ餅や大福もち、どら焼きといった類のものもあり、この店のオリジナルであろう団子型のアクキーも売られている。
「あ、これ可愛いなぁ」
 ふふ、と思わず笑みが浮かんで来てしまうくらい心が弾んでいるのが分かる。それは自分のために選ぶという楽しみもあるが、他でもない大切な恋人である猗窩座が喜んでくれたらいいなという想いで選んでいるからに他ならなかった。
 〝昔〟、鬼にしてもらう前の頃は、こう言った類の物をあまり口にしたことがなく、鬼になってからは言うに及ばずだ。
 唯一食べることができた人間でさえ、栄養価がある女を好んで食べていた童磨とは反対に猗窩座はどうしても食べられなかったので、食の好みが合わなかった。それ以前に猗窩座は童磨に近づくことも近づかれることもとことん忌避し、一緒に食事を共にするどころか傍にいることすらさほどなかったのだ。
その態度を悲しく思う気持ちはあの頃には持ち合わせていなかったし、今、こうして感情が芽生えて思い出してみても懐かしいなと感じるだけで、寂しさや悲しさは感じない。
 それどころかその過去があるからこそこうした幸福に繋がっているのだと考えられる、今の時間も猗窩座もたまらなく愛しいと心から思う。むしろその過去の分まで猗窩座と一緒にいることが出来るとすら感じている。
 この世に生きている限り当たり前のものなどない。仕事ができること、健康でいられること、美味しいご飯やおやつが食べられること。それを意識するだけで人は幸せになれるという結果は様々な研究として世に出されている。最終的に人は自分が何かをして貰うより、人に何かをしてあげることに幸福を感じるように出来ているということも。
 〝昔〟と違って様々な知識が溢れている今、それらを吸収して落とし込んだ童磨は今の仕事を心から天職だと思っている。人を救い、幸せにしたいのならまずは自分が幸せになること。そしてその幸せの方法とは身近な人を大切にし、贈り物を贈ることが自分も幸せになれる一番の近道なのである。
 だからこんな風に、一方的に押しつけがましくなく猗窩座が喜んでくれそうなことにお金を使えるような関係を結べたこと、身も心も満たされている生活を送れていることが堪らなく嬉しいと言う気持ちを噛み締めながら、童磨はいちごと大福の串団子と焼きしょうゆの串団子、そしていちごどら焼きを二つずつホクホクしながら購入し、店を後にする。

「猗窩座殿、喜んでくれたらいいなぁ」

 すっかり辺りは暗くなり寒さも厳しくなりつつあるが、心はホワホワと暖かい。大切な宝物のように包んで貰ったパックをエコバッグにしまうと童磨はふわふわと羽の生えたかのような足取りで帰路へと着いたのだった。

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