どうあがいても他人なら

 七月の青空はへそを曲げた子どものようにぐずついた雲へと取って代わり、癇癪のような大粒の雨を降らしていく。
「あちゃー、濡れちゃったなぁ」
 白橡の髪を濡らしながら近くにあったコンビニの下に駆けこんでいった童磨の後から、小柄でがっしりした影が一つこの大雨にも拘らずゆっくりのそのそと歩いてくる。
そんなびしょ濡れのままの親友を見た童磨は苦笑いしながらため息を一つ吐いた。
「ねえ猗窩座殿、早くおいでよ」
「断る」
 ぶすっとしたままそれでもマイペースに歩いてくる猗窩座に童磨は憤慨するでもなく『ちょっと傘買ってくるよ。猗窩座殿もいる?』と尋ねるも、猗窩座と呼ばれた男は無言のまま微かに首を横に振った。


 そもそもなぜ猗窩座がこんなにむくれているのに童磨は平然としているのか。
 それは猗窩座が親友としては収まらない感情を童磨に対して持っていたのがそもそもの原因であり、更に言えば彼には前世の記憶があるというのが全てのきっかけだった。
猗窩座の前世は人を喰らう鬼だった。そしてそれは今親友としてそばに居る童磨も同じであった。ただ童磨には前世の記憶はない。それは猗窩座にとってやきもきするのと同時、ホッと胸を撫でおろしたのもまた事実である。
 なぜなら彼は前世では上役であった童磨に対し、鍛練して体を鍛えていた己よりも実力があることに端を発し、抵抗しないことを良いことに暴力を振るっていたからである。
改めて言葉にすれば非常に最低最悪なことをしていたという自覚は十二分にある。しかもそこで童磨も怒ってやり返せばここまで煮え切らない想いを抱かなかった。
 当時の彼は猗窩座を親友だと称していた割には、滅多に親友らしい行動を取らなかった。それもそのはずで、彼は猗窩座が手をあげてきたときも『ちょっとした戯れさ』の一言で流してしまい、自分の鉄拳をただただ受け止めていただけであったのだから。それに加えて童磨は世を忍ぶ仮の姿…とはいっても鬼になる前…、それこそ物心がついた時から親の興した宗教団体の教祖としての立場であり、弱き者の悩みを聞き導く立場にあった。最も、全員が全員を導いていたわけではなく世を儚み極楽を望む者には彼の血肉となるという結末も用意されてはいたが、いつだって童磨の中にある優先順位は鬼の始祖である鬼舞辻無惨と万世極楽教の信者が第一であり、猗窩座はその下へと据え置かれていたため、滅多に童磨から会いに行ったりなどすることはない。最もその頃の猗窩座はそれはそれで気にも留めなかったし逆に清々するとすら思っていた。

 だが実際に生まれ変わり、自分だけが記憶を持っている弊害が日々至る所で発動している。
 童磨と出会ったのは中学に入ってからであり、一学年上の童磨が猗窩座を見るなり今生でも健在である玉虫色の瞳を小さく見開いたかのように見えた。その姿を見て猗窩座もたっぷり向日葵色の瞳を驚愕に見開きそして固まっていた。
 地獄に堕ちて呪いが解け、生まれ変わったら親友になろうと誓った相手がそこにいるという喜びと唐突に訪れた再会による戸惑い。それを打ち破ったのは童磨の方だった。

〝────…俺たち、どこかで会っているよね?〟

 その言葉が再会のきっかけであり、そして前世の関係の終わりの鐘を告げるものであることを人知れず猗窩座は理解し、小さく頷いた。

 今生こそは童磨を決してないがしろにしない、親友として大事にすると決めた猗窩座だが、童磨は記憶がないにもかかわらずその華やかな容姿から相変わらず人目を集めていた。ちなみに猗窩座も派手な筏葛の髪と豊かなまつ毛に割と整った顔立ちに小柄ながらもがっしりとした逞しい体躯なためそれなりに注目を集めてはいるが本人はそんなことはどこ吹く風であり、童磨にしか興味を示さなかったので与り知らないことであったし心底どうでもよかった。そして前世では対猗窩座に対しては無神経な言動が多かった童磨だが(最もそれは猗窩座が自身でかけた〝呪い〟により敵意帰属バイアスがかかっていたというのもある)、死後に堕ちた地獄でのやり取りがきっかけとなったのかは定かではないが、今生では情緒を持っていた。そしてこれも生来の童磨の気質なのだろう、聞き上手で包容力のある穏やかな性格がさらに人気を集め、あれよあれよといううちに校内では有名人になっていることを入学してすぐに猗窩座は思い知らされた。
 猗窩座は学年を超えて童磨と親友であると自称しているし童磨も彼のことを親友であると同時可愛い後輩だと思ってはいる。だがやはり生れ落ちた先でも何の因果か知らないが、童磨は人に相談されるとどうしたどうしたと傾聴の姿勢を取り、心から相談に乗ることを良しとしている節がある。
そのため猗窩座との約束の時間を後回しにしてしまうことも多く、しかもLI○Eでの連絡もする暇もないという状態だった。
 だが猗窩座はそれも童磨だからと許していた。そもそも〝昔〟の自分の行いを顧みれば彼にどうこう言える立場などでは到底ないのは明白であるし、童磨シンパに自分がやってきたことを知られれば、頭の具合を心配されるかどうかは抜きにして考えると、集団で暴行された挙句簀巻きにされて川底に沈められたって文句も言えない所業であることを自覚している。
だから猗窩座は童磨の気が済むまでそうさせていた。それは親友であろうと感じていた自分の心境の変化に気づき、恋人としてそばに居たいと望む季節になってからずっと。

 だが元々猗窩座は童磨に比べれば元々心はそんな広い方ではない。鬼にならなければ殺すと宣言し好意的に話しかけてはその拳を振るってきた。まるで自分の餌を美味しくするための屠畜のごとき行動を繰り返してきたのだから当然と言えば当然だ。

 そしてそれはついに今日、限界を迎えてしまったのだ。

 今日もまた一緒に帰ろうと猗窩座が誘い、童磨もうん、と頷いた。明日からは夏休みである。休みの前日と言うとテンションが上がると同時に、学校という毎日強制的に会えるステージから締め出され童磨と会う機会はめっきりと減ってしまう。だからなおのこと猗窩座はせめて今日は思う存分童磨のそばに居たかった。
 だがそう思っていたのは猗窩座だけではない。いくら童磨が包容力があり大らかで何でも話しやすい性格だからとはいえ、彼はスクールカウンセラーとは違い一介の高校生でしかない。夏休みに限定して動画生配信などをやらない限り、童磨に相談できるのはこの日を除いて他にはないと踏んだ生徒が大挙で押し寄せてしまいそしてそれを童磨が了承してしまったのだ。
『明日から夏休みだからなぁ。うん、大丈夫だよ』
そう安請け合いしてしまった童磨の声は、猗窩座が嬉々として彼の教室に迎えに来たのとほぼ同じタイミングで発せられた。

 その後の行動は早いものだった。
 お前らになど俺の童磨を好きにする筋合いはないと無言の圧力と目力で黙らせた後、童磨の腕を掴んで立ち上らせ校内を後にした。
この日行こうと思っていたコンビニは学校の近くにはなく徒歩十五分ほど歩い先にある海へ向かう道の途中にあり、そこでアイスを補給した後折角だし海も見に行こうと猗窩座は誘うつもりでいた。だが出鼻をくじかれた猗窩座をあざ笑うかのように、夏空を彩っていた入道雲は気が滅入るほどに重く立ち込めたダークグレーの雲によって塗り替えられ、そしてへそ曲がりの雨が降り注いでいった。

***

 コンビニの入り口の前の屋根で雨を遮ろうなんて気はさらさら起きない猗窩座はだんだんと酷くなってくる雨の中ぼんやりと佇んでいた。
建物の中にはビニール傘を手にした童磨が何やらチルドカップ二つを抱えてレジへと向かっている。蒸し暑い中ここまで歩いてきたため汗をかいたからだろう。

(何だよ、なんなんだよお前…!)

 ここに来て思う。一体自分の中で童磨はどんな立ち位置だったのか。
 〝昔〟は親友だと言っておきながら一度も自分に進んで会いに来たことはなかった。探知探索が苦手であるというのは童磨本人の弁であるし、自身も青い彼岸花を探してあちらこちら飛び回っていたから会いに来られても迷惑でしかないし、近づかれるたび横隔膜が痙攣する以上の嫌悪感と怖気が走っていたのだからそれはまだいい。
 報告の過程で不本意ながらもいやいや童磨の本拠地である寺院へ行ったときも親友としてもてなしている最中であっても、信者が待っていると幹部に告げられれば『わかったよ今行くからね』とそこに座っている猗窩座など気にも留めないように立ち上がり、さっさとそちらへ行ってしまう。

 そして今日だって、猗窩座との約束があるにもかかわらず童磨はその辺の有象無象を優先しようとしていた。今生では親友である自分というものがありながら。

 胸のうちにぐつぐつとした怒りが煮えたぎってくる。これは〝昔〟に童磨に対して感じていた根拠が分からなかった呪いに駆られたそれではない。れっきとした嫉妬だった。

「猗窩座殿ー、お待た「帰る」え?」

 ビニール傘を手首に引っ掛け、チルド飲料のカフェオレを二つ持ってきた童磨に背を向けて猗窩座は歩き出した。
「え、ちょ、待って、待ってよ」
 慌てて童磨は買ってきたばかりの傘を差す余裕なく土砂降りの中を飛び出していく。両手で持っていたカップをどうにか片手で持ち直し猗窩座の右肩に腕を伸ばすも、裏拳でパシリと弾かれてしまう。
「あっ…!」
 そのままの勢いで左手に持っていたカフェオレがびしょびしょになったアスファルトの上に勢いよく叩きつけられる。
「どうしたの、猗窩座殿。なんで…?」
 雨が降ってきて涼しくなったとはいえ、蒸し暑い中歩いてきた身体を癒そうと買ってきたカフェオレは、猗窩座に一口も飲まれることなく無駄になってしまった。それに対し戸惑うかのような声に反射的に振り返った猗窩座の目に映ったのは、もともと垂れさがり気味の太眉をさらに下げて今にも泣き出しそうな童磨の顔だった。
「~~~っ」
 〝昔〟も今も見たことのない表情につきりと猗窩座の胸が痛む。またやった。やってしまった。童磨が何も言わないで受け入れてくれるのをいいことに、また自分はコイツの心を踏みにじる真似をしてしまった。
「お、まえは…!」
 だが今の猗窩座に謝るという選択もなかった。何でお前はいつもいつも俺を優先しないで他を優先する。親友なんて言っておいて何もなかった、何の関係も築いてこられなかった。そんな俺を間抜けだとでも言いたいかのように、俺の前でお前が他を優先しようとするから。
「…っ、何でもない」
 ギリギリのところで最悪な言葉を吐き出すことを留める理性を発揮できた猗窩座は、ぐっと奥歯を噛みしめて言葉を飲み込む。そのまま再びくるりと背中を向けて歩こうとすると、呆然としていた童磨の声が後ろから聞こえてきた。
「な、んだい…なんだい、猗窩座殿…」
 いつもの明るい飄々としたそれとは違う。こちらもまたどこかで何かを押し殺したような声だった。
 ずぶぬれになった姿で凝視する猗窩座の前で、童磨は買ってきた傘を差さずに俯いている。長い白橡の髪はずっしりと濡れてしまい前髪で顔を隠してしまってその表情は見えなかった。
「言ってくれなきゃ分からないよ。確かに俺が猗窩座殿の約束を後回しにしていたって自覚はあったけど、こんな風に物に当たること無いじゃないか…」
 今にも消えそうなか細い声。虹色の目線の先には無駄になってしまったカフェオレがある。そしてその童磨の態度はこの期に及んでまだ自分以外を優先しているという一点の事実に向いてしまった猗窩座はついに行動に出てしまった。

 コイツの中で俺は親友という他人であるのなら。それが変わらないというのなら。
 後生大事にそこに甘んじている筋合いなどない。

「うわっ!」
 早足でつかつかと近づいてきた彼のゴツリとした手が童磨の胸倉をつかむ。瞬時に殴られると判断し、顎なり頬なりに飛んでくる衝撃に身をすくませたが、やってきた衝撃は思いの外柔らかくそして温かく童磨の唇をかすめていった。
「んっ…!?」
 口づけられている…それに気づいたときには猗窩座の身体は離れ、今度こそ彼の姿は走り去り、既に遠くになっていた。

 後に残された童磨は茫然とその後ろ姿を見送りながら、すぐさま雨に濡れて上書きされていく唇の感触を反芻する。
「なんだい、なんだい…、つれないなぁ…」
 そう呟きながらそっと指先で唇をなぞるも伝わってくるのは濡れそぼつ水の感触でしかなく。
「…俺たち、やっぱり根本的なところで〝今〟も合わないなぁ」
 そう呟いた自分の言葉に小さく失望しながら、目尻から雨と入り混じった熱い雫を滴らせながら、童磨は買ったばかりの傘を差すことも忘れ、帰路へ着くためにとぼとぼと歩き出したのだった。

 

BGM:DNA (川本真琴)

個人的な見解ですが、この話のどまさんにとって親友って赤の他人よりもぞんざいに扱っていいというイメージを抱いてそう。というよりも頭が弱い人間こそ最も優先すべき存在であって、それ以外は多少おざなりに扱ってしまうタイプなのかなぁと。書きながら思いました。
連載にするつもりでしたが今のところ続きが思い浮かばないのでこちらに供養がてらぶっこみました。

 

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