「今まで気づかなかったんだけどさ」
「ん?」
寒さと乾燥に悩まされる冬のある昼下がりのこと。ストーブを焚いて温かいリビングにてクライアントから貰ったみかんをもにゅもにゅと揉んでいる猗窩座に童磨は口を開く。
みかんは揉むと甘くなるというトリビアを知った猗窩座は恋人に少しでも美味しいみかんを食べて欲しいのだという理由で、童磨の口に入るみかんはふわふわになるくらいに揉んでから渡す。力加減を間違えると破裂させかねない小技であるが、その辺は猗窩座は抜かりなく絶妙な力加減でみかんを揉みしだき、その甘さは絶品だと童磨は語る。もちろんお返しに童磨も猗窩座に対してみかんを揉むのだが、どうしてもあんな風にまろやかで柔らかい感触にはならないと内心不思議に思っているのだがそれはさておいて。
「猗窩座殿の手って柔らかいよね」
「? そうか??」
「うん、だってほら」
みかんを剥きかけていた手を隣の猗窩座に向けてかざすと、彼もまた意思を汲みみかんを一度テーブルに置き童磨の掌にピタリと合わせる。
自分では全くその自覚はない。むしろ童磨の手の方が滑らかで柔らかいと思うのは恋人としての欲目だろうか。
「ね、すごくふかふかしてるもん」
「…うーむ……」
そう言いながらまるで弾力を楽しむように手を押し付けて来る童磨。いや、やっぱりお前の手が柔らかいだけじゃないかと思いながら、猗窩座は負けじと童磨の手を押し返す。
そんな風に無言で笑い合いながらしばらく二人で手の押し付け合いをするというたった今できたばかりのゲームを楽しんでいると、不意に童磨は口を開いた。
「ふかふかの人の手ってね、達人の手なんだって」
「達人……?」
「うん、だから猗窩座殿は達人なんだよ」
ニカーッと笑いながらそう言われた途端、自分の顔が引きつるのが分かった。
童磨にきっと他意はない。
これは純粋にみかんを柔らかくしてくれる己に対しての賛辞なのは頭では分かっている。
だが。
この手はかつて、病気の父親のためを大義名分として掏摸に明け暮れた手だ。
そして、目の前で綺麗に微笑む恋人の顔を何度も何度も殴りつけてきた手だ。
そういった意味では確かに達人なのだろう。
〝昔〟の記憶を所持してここまでやってこれた奇跡に何度も感謝はしているが、こういう時はどうしようもなく居たたまれなくなる。
そんな猗窩座の様子を見た童磨がそっと合わせたままの手を恭しく取り直すと、まるで王子然とした仕草で彼の指先に口づけを落とした。
「なっ…!?」
滅多にしない恋人の仕草に驚く猗窩座に、童磨はニコリと再び笑いかける。
「そんな悲しそうな顔をしないで」
「っ…」
〝昔〟と違い知識に満ち溢れた現代。感情がないと告げ見様見真似で感情があるように取り繕っていたのは過去のこと。今はきちんとした克服方法があり、様々な知見を広げていった結果、少しずつだが感情を得ていった童磨は猗窩座が何かに傷ついているのかを読み取り、本当に伝えたかった言葉を告げる。
「猗窩座殿は俺を幸せにしてくれる達人だって言いたかったんだ」
「っ!!」
そんな風に、綺麗に、嬉しそうに幸せそうに笑いかけられて。
どうにかなりそうなほど愛しく思わない方がどうかしている。
「っ、それはお前だって……!!」
ああ、ダメだ。どうしてこんなにもコイツはと思いながらも、目の前が潤んで行くのが止められない。
慌てて目尻を擦ろうとするも、ああダメダメ、みかんを弄ってたんだから沁みちゃうよと言いながら、童磨がそっとそこに口づけを落として向日葵から零れ落ちそうな雫を受け止めた。
「ん、少し甘いかな……?」
「っ、さっきまで食ってたみかんだろう…?」
「はは、そうだよね」
そう言いながら笑う童磨に猗窩座も天気雨を零しかけながらも微笑みかけることに成功する。
「俺はね、猗窩座殿」
そう言いながら童磨は猗窩座の左手を両方の手でそっと包み込む。温かく滑らかで安心する、柔らかな手。
「今、あなたがとてもとても俺を大切にしてくれていることを分かっているから。それは〝昔〟の記憶が無ければたどり着けなかったことも理解しているから。
だから…できればでいい。少しずつで構わない。
あなたも〝昔〟のあなたのことを許してほしいんだ…」
柔らかいと評してくれたその手を同じくらい柔らかな掌と心で包み込んでくる。
そんな恋人こそ自分を喜ばせてくれる達人に他ならない。
そしてその恋人の滅多にないたっての願いを断るほど男を腐らせたつもりはない猗窩座は大きく何度も頷いた。
テーブルの上に鎮座する柔らかな掌で揉まれたみかんが、そのまま甘い甘い誓いの口づけを交わし始めた主たちの口に入るには、ほんの少しの時間を要することだろう。
ふかふかの手=達人というのは某奇妙な冒険7部コミックス2巻のカバー裏の先生のコメントから。
実際のところ座殿もどまも手はすごいふかふかだと思う。
だってお互いがお互いを幸せにする達人だから、そりゃもうふかふかのモフモフの安らぎの達人の手ですよ!!
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